静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

7月30日、指揮者ジョージ・セルの命日に。

2021年07月30日 23時17分33秒 | その他(指揮者)
 今日、7月30日は名指揮者ジョージ・セルの命日(1970年7月30日)。
 死因は、現在、私が治療中の病気と同じ多発性骨髄腫、73歳の生涯だった。

 彼を偲び追憶の念に浸る昼下がりとなった。
 私は当ブログで何度も同じことを書いている。今回も過去記事と重複する内容になってしまいそうであるが、見直し精査する時間がもったいないので、そのまま書き進める。
 私が大好きな指揮者はバーンスタインであり、それは彼の指揮、作曲、人柄、良くも悪くもショーマンシップ等々、「丸ごと」ひっくるめて多分にミーハー的感覚から来ている。典型的「贔屓の引き倒し」なのであるが、それに劣らず大好きなのがジョージ・セルである。セルの場合は、彼の演奏の魅力によるところがバーンスタインよりも大きい。クラシック音楽を聴き始めて間もないころ、セルの17㎝EP盤を立て続けに3枚買った。ドビュッシー「海」、ベートーヴェンの「エグモント、コリオラン」、「運命」。次いでEMIのシューベルト「ザ・グレイト」、70年代後半から廉価再発が始まったCBSソニー盤のいくつか等々、すべてが衝撃だった。以来、ぼちぼちと買い集め買い直し、彼の音盤は正規盤に関しては(たぶん)全部手元にあるはず。 

今日、聴いたのは下記の2枚。

1.ブルックナー/交響曲第3番ニ短調WAB103(1889年第3稿『ノヴァーク版』)
1966年1月録音




 70年代初めころ、CBSソニーは「ベスト100シリーズ」という企画ものを発売した。当時の名盤・定番の類いを網羅したシリーズであった(けっこう好評だったのか、他社も同様の企画を次々と発売し、その流れはCD時代の今も続いている)。次いで同社は「エリート30」(だったかな?正式なネーミングは忘れた)という、当時としてはややマニアックな選曲のシリーズを発売、その中に、このブルックナー3番も含まれていた。私は、それは購入しなかったが、シリーズの全容を紹介する「音のカタログ」を入手し、その一部を耳にすることができた。それは、一部とは言え私がブルックナーの3番を初めて耳にする機会だった。セル指揮による3番の全曲を聴くのは、CDになってから。8番とのカプリング(2枚組)によってであった。これは、どうも音の印象が良くなくて、あまり聴いていなかった。今回は、最近入手したSACDハイブリッド盤で聴いたのだが、これが目の覚める素晴らしい音質で、過去の思わしくない印象は一新された。ブルックナーの演奏をあれもこれもと、さほどたくさん聴いているわけではないが、それでも、このセルの演奏の特異性、独特の美感は魅力的だ。よく「オルガンを思わせる」と言われるブルックナー演奏とはちょっと違うかもしれない。「腰が軽い」と感じる人がいるかも知れない。その独特の突出した金管の響きは、再生環境によってはチャラチャラした面だけが強調されてしまう危険性があるかも知れない。しかし、この「どこの流派にも属さない(?)」ブルックナーの魅力はすごい。何と表現していいのか、私には言葉が見つけられない。「オーケストラがひとつの楽器」という、なんとも月並みな言葉しか出てこない。今日は、特に曲の後半(レコードだと第2楽章の後半から最後まで)は、もう一気に聴かされてしまった。


2.ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調op.88、同/スラヴ舞曲ホ短調op.72-2、スラヴ舞曲変イ長調op.46-3
1970年4月27日、28日、29日録音





 ジョージ・セルの生涯最後の2枚の録音のうちの1枚(もう1枚はシューベルト「グレイト」)。
 彼は、この録音に先立つ数週間前に自身の病状や余命について聞かされたらしい。予定されていたパーティ(30日)への参加を直前にキャンセルし、そして生涯最後となった5月28日の演奏会まで計13回のコンサートを指揮した。言うまでもなく、その中の8回は最初で最後の日本公演である。

 私も歳とともにずいぶん涙もろくなってしまった。
 この演奏、レコード時代から、もう何十回聴いてきたことだろう。「耳タコ」と言っていいほど私の耳と頭と心に染みついた、この演奏に、今日、初めて聴いた時以上にやられてしまった。弦楽器の透明感は比類がない。フルートの淡くモノトーンでありながら、この上なく雄弁な出だし。第2楽章は、情緒に溺れることなく速い目テンポで、一見(一聴)クールに始まる。しかし、そこには、まるで毎日歩いた散歩道の見えるもの全てに注がれる慈しみの情がしっかりと感じられるようである。そして37小節で、やっと切株に腰を下ろし、ふっと一息つくかのようなその感情発露の見事なこと。第3楽章の中間部が終わり、絶妙な間のあと無から湧き出るように冒頭主題が戻ってくる瞬間は、70年代に初めてレコードで聴いたときに一瞬にして涙腺崩壊させられたところ。その新鮮さは色あせていない。
 レコードから何度となく買い直してきたが、ワーナーの新マスタリングは、私にはとても良いと思われる。「EMI」のお馴染みのロゴが消えて寂しがる声をいくつも見聞きしたが、あとを引き継いだワーナーは、パッケージに関しても音質についてもいい仕事をしているのではないだろうか。






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