日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

文学者の文章 内田樹さんの「壁と卵(つづき)」を再考

2009-02-24 12:10:38 | Weblog
一昨日文学者の文章 MetaphorがJargonを生むで内田樹さんの壁と卵(つづき)にある文章を引用させていただいた。MetaphorがJargonを生む典型的な例だと思ったからである。しかしそうは思いながらも、多くの人に持てはやされる名だたる文学者の文章がまともに理解できない自分の格好悪さを気にもしたのである。

私は内田樹さんの著書が書店店頭に沢山並んでいるので売れっ子であることは知っていたが、売れっ子だからこそ私の変な天の邪鬼が頭をもたげて著書を手にすることはなかった。だから内田さんが「文学者」なのかどうか分からないが、これは「言葉のあや」とでも受け取っていただこう。その内田さんが昨日は小学生にはむずかしい文章なるブログを書いておられるので、私は内田さんにとったら小学生並みかも知れないと思いつつおそるおそるその文章に目を通した。

なんと、内田さんの次のような文章は私にもよく分かるのである。

《私は一度書いた原稿に「ここがわかりにくいので書き換えてくれ」とか「この字は読みなれていないので、ひらがなにしてくれ」とか言われるのが嫌いである。
だから、「そのままの原稿では出せません」と言われると、「あ、そうですか」とそのままオサラバすることにしている。
私の文章を読んで「意味がわかりません」という人間と「私の文章」を介して話し合いをすることは,論理的に考えて、純粋な消耗だからである。》

分かるからこそ内田さんのこの主張にはまったく同感と言える。しかも嬉しいことに「ここがわかりにくいので書き換えてくれ」と注文をつける編集者がやはりいるようなのである。そこで内田さんが小学校の教科書のために何か書いて欲しいとぜひにと頼まれて文章を書き教科書出版社に渡した、というところで次のように話が続く。

《しばらくして、やはり編集会議でボツになりましたという知らせが来た。
小学生にはむずかしいだろうという理由である。
なるほど。
まことに理にかなった展開である。
でも、せっかく書いたものであるから、その原稿をここに公開して、諸賢のご高覧に供したいと思う。》、ということでボツになった文章を再掲している。

ひょっとして内田さん、むずかしいからとどこかでボツになった壁と卵(つづき)をブログに公開したのかな。もしそうならまともに目を通して反応した私がウブだったのである。


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