いうまでもなく西遊記は孫悟空の物語である。子供の頃から絵本に始まり数々の翻案もの、そして福音館古典童話シリーズの「西遊記」上下(君島久子 訳)と読み継ぎ物語を楽しんできた。その間気になっていたシリーズが岩波文庫版である。
1977年に第一巻が出版された「西遊記」は第三巻までが小野忍訳で、訳者の急逝の後を受けて第四巻からは中野美代子訳となり、1998年に最終の第十巻が刊行されている。その間私の読書に充てる時間も限られていたり、訳者が途中で交代したことへの引っかかりもあり手を出すのを控えていた。ところが今年に入り第一巻から中野美代子新訳で新シリーズが刊行されることになったので否応なくさっそく飛びついた。そして結果は大正解であった。
《第一回
霊根を孕み源流が出ずること
心性を持し大道が生じること
先ずは詩を一首
混沌はまだ分かれておらぬゆえ
天と地は渺茫なんにも見えず
盤古が卵を破ったその時から
天地はひらき清濁の別も生ず
・・・・》
と始まるが、霊根を孕み??でもう最初から意味がさっぱり分からない。親しみの薄い言葉がボンボンと飛び出る。そして、ゾクッと来るのである。未知のものに対面したときの高揚感が沸々と湧き上がってくるのである。
国民学校(今の小学校)の低学年の頃、父の書棚にある本でもでも、知らない漢字のかなりにふりがなさえあれば、取り出しては読みふけった記憶がある。本当の意味は分からなくても、感じで自分勝手な推測をし、また想像を楽しみ、そしていずれはちゃんと読んで本当の意味が分かるようになるんだという期待感で、心を膨ませていた。
この「西遊記」に取りかかって、その子供の頃を思い出したのである。
そして嬉しいことに『子供の心』に戻れるのである。
とにかくこの「西遊記」には日常は触れることがなく意味も分からない言葉が目白押しに出てくる。ただ字面に目を走らせているとなんとなく中身が伝わってくるような気はするのであるが。
孫悟空は武器好きなのである。だから武器の名前にしても刀、槍、剣、戟、斧、鉞、毛、鎌、鞭、簡、弓、弩、叉、矛に加えて、普通のワープロでは出しようのない漢字の名前もいくつか出てくる。けだものの名前にしても当用漢字ではとうてい追っつかない漢字で次から次へと出てくる。昔なら活字の鋳造が大変だっただろうな、とか、それにしてもこの難しい漢字をどのように印刷まで持ってきたのだろう、と余計なことまで考えてしまう
武器については図入りの懇切丁寧な注があるのでそれを見ればいいのだか、漢和辞典で調べるのも楽しい。『鞭』なんて、むちでいいじゃないのか、と思うのに、全訳漢辞海(三省堂刊)では「武器の一つ。鉄製で節はあるが、刃や槍先はない」と出てくる。『簡』も「むちに似た兵器の一種」と説明があり、これだけでは分かるようで分からない。金偏に巴と書く『は』と言う武器は、文字自体がこの辞典には出てこない。わが家の最大の漢和辞典である大修館書店の広漢和辞典にもこの文字が出てこないのでもうお手上げ。ところが注には「まぐわ」(農具のまぐわを原型とする)と説明されて図まで出ている。すなわち「西遊記」は元来学者・研究者でないと読みこなせない玄妙の物語なのである。
子供向きの本ではほとんど省略されているが、物語に頻々と『詩』が出てくるのがこの「西遊記」の特徴の一つであろうか。「千夜一夜物語」と格好の対になっている。その『詩』にも辞書にも見あたらない漢字が続々と出てくる。それだけに元異国の書である「西遊記」のエキゾチシズムがいや増すのである。そのうえ中野美代子氏による訳詞を音読するとなんと調子のいいこと、齋藤孝氏の日本語音読読本をわざわざ購入するまでもないのである。
分からないところだらけであるが、不思議とこの本はするすると読み進んでいける。
「すごーい!かっこいーい!・・・」と猿どもがはやし立てたり、武器好きの孫悟空がお隣さんへ「定めし余分の秘密兵器がおありでしょうな」なんておねだりに行くところ、このような引用で察せられるように、意訳がなかなか現代風で、だからこそ気軽に読み飛ばして行けそうな気になるのである。そして訳者の中野美代子氏、詳しい注からも窺われるように深い学識を秘めておられる偉い方だろうに、とても親近感を覚えてしまったりする。
《第二回
妙利を悟り菩提を得たること
妖魔を断ち元神に合すること》
に次のようなくだりがある。
《相手が手強いと見た悟空、身外身(しんがいしん)の法てえのを使うことにいたします。からだからにこ毛をひとつまみ抜き、口にほうり込んで噛みくだくと、そいつを空めがけてプッと吹きざま、「変われっ!」と叫びました。するとどうでしょう、たちまち三百匹ほどの小ザルに変じ、魔王のまわりをとり囲んだものです》
なんと、これは体細胞由来のクローン孫悟空ではないか。『ドーリー』ちゃん遡ること遙か400年の昔に、はやくも『生き物複製』のアイディアが芽生えていたのである。そういう目で見ると斛斗雲はもちろん音速ジェット。『予言書』「西遊記」の中にこれからの新しいビジネスの種を探しながら読む楽しみもあるだろう。
読む人によってそれぞれの多様な楽しみ方が出来ようが、私にとっては圧倒的な未知を前にした『童心』を呼び戻してくれるところが最大の魅力である。そして分からないことが多過ぎるだけに自然と謙虚になってしまうのである。
4月13日現在、第四巻まで刊行
1977年に第一巻が出版された「西遊記」は第三巻までが小野忍訳で、訳者の急逝の後を受けて第四巻からは中野美代子訳となり、1998年に最終の第十巻が刊行されている。その間私の読書に充てる時間も限られていたり、訳者が途中で交代したことへの引っかかりもあり手を出すのを控えていた。ところが今年に入り第一巻から中野美代子新訳で新シリーズが刊行されることになったので否応なくさっそく飛びついた。そして結果は大正解であった。
《第一回
霊根を孕み源流が出ずること
心性を持し大道が生じること
先ずは詩を一首
混沌はまだ分かれておらぬゆえ
天と地は渺茫なんにも見えず
盤古が卵を破ったその時から
天地はひらき清濁の別も生ず
・・・・》
と始まるが、霊根を孕み??でもう最初から意味がさっぱり分からない。親しみの薄い言葉がボンボンと飛び出る。そして、ゾクッと来るのである。未知のものに対面したときの高揚感が沸々と湧き上がってくるのである。
国民学校(今の小学校)の低学年の頃、父の書棚にある本でもでも、知らない漢字のかなりにふりがなさえあれば、取り出しては読みふけった記憶がある。本当の意味は分からなくても、感じで自分勝手な推測をし、また想像を楽しみ、そしていずれはちゃんと読んで本当の意味が分かるようになるんだという期待感で、心を膨ませていた。
この「西遊記」に取りかかって、その子供の頃を思い出したのである。
そして嬉しいことに『子供の心』に戻れるのである。
とにかくこの「西遊記」には日常は触れることがなく意味も分からない言葉が目白押しに出てくる。ただ字面に目を走らせているとなんとなく中身が伝わってくるような気はするのであるが。
孫悟空は武器好きなのである。だから武器の名前にしても刀、槍、剣、戟、斧、鉞、毛、鎌、鞭、簡、弓、弩、叉、矛に加えて、普通のワープロでは出しようのない漢字の名前もいくつか出てくる。けだものの名前にしても当用漢字ではとうてい追っつかない漢字で次から次へと出てくる。昔なら活字の鋳造が大変だっただろうな、とか、それにしてもこの難しい漢字をどのように印刷まで持ってきたのだろう、と余計なことまで考えてしまう
武器については図入りの懇切丁寧な注があるのでそれを見ればいいのだか、漢和辞典で調べるのも楽しい。『鞭』なんて、むちでいいじゃないのか、と思うのに、全訳漢辞海(三省堂刊)では「武器の一つ。鉄製で節はあるが、刃や槍先はない」と出てくる。『簡』も「むちに似た兵器の一種」と説明があり、これだけでは分かるようで分からない。金偏に巴と書く『は』と言う武器は、文字自体がこの辞典には出てこない。わが家の最大の漢和辞典である大修館書店の広漢和辞典にもこの文字が出てこないのでもうお手上げ。ところが注には「まぐわ」(農具のまぐわを原型とする)と説明されて図まで出ている。すなわち「西遊記」は元来学者・研究者でないと読みこなせない玄妙の物語なのである。
子供向きの本ではほとんど省略されているが、物語に頻々と『詩』が出てくるのがこの「西遊記」の特徴の一つであろうか。「千夜一夜物語」と格好の対になっている。その『詩』にも辞書にも見あたらない漢字が続々と出てくる。それだけに元異国の書である「西遊記」のエキゾチシズムがいや増すのである。そのうえ中野美代子氏による訳詞を音読するとなんと調子のいいこと、齋藤孝氏の日本語音読読本をわざわざ購入するまでもないのである。
分からないところだらけであるが、不思議とこの本はするすると読み進んでいける。
「すごーい!かっこいーい!・・・」と猿どもがはやし立てたり、武器好きの孫悟空がお隣さんへ「定めし余分の秘密兵器がおありでしょうな」なんておねだりに行くところ、このような引用で察せられるように、意訳がなかなか現代風で、だからこそ気軽に読み飛ばして行けそうな気になるのである。そして訳者の中野美代子氏、詳しい注からも窺われるように深い学識を秘めておられる偉い方だろうに、とても親近感を覚えてしまったりする。
《第二回
妙利を悟り菩提を得たること
妖魔を断ち元神に合すること》
に次のようなくだりがある。
《相手が手強いと見た悟空、身外身(しんがいしん)の法てえのを使うことにいたします。からだからにこ毛をひとつまみ抜き、口にほうり込んで噛みくだくと、そいつを空めがけてプッと吹きざま、「変われっ!」と叫びました。するとどうでしょう、たちまち三百匹ほどの小ザルに変じ、魔王のまわりをとり囲んだものです》
なんと、これは体細胞由来のクローン孫悟空ではないか。『ドーリー』ちゃん遡ること遙か400年の昔に、はやくも『生き物複製』のアイディアが芽生えていたのである。そういう目で見ると斛斗雲はもちろん音速ジェット。『予言書』「西遊記」の中にこれからの新しいビジネスの種を探しながら読む楽しみもあるだろう。
読む人によってそれぞれの多様な楽しみ方が出来ようが、私にとっては圧倒的な未知を前にした『童心』を呼び戻してくれるところが最大の魅力である。そして分からないことが多過ぎるだけに自然と謙虚になってしまうのである。
4月13日現在、第四巻まで刊行