日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

論文が引用される喜び

2009-01-09 18:30:32 | 学問・教育・研究
ブログ検索で面白いことが時々ある。最近も二つほどあった。

その一つ、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」でドン・ジョヴァンニとツェルリーナの歌う二重唱「手をとり合って うちへ行こう」を歌の先生とお稽古に歌ったものだから、面白がってそれをインターネットで公開したところ、新しい訪問客が絶えないのである。もしやと思い、歌い出しの歌詞「la ci darem la mano」をGoogleで検索したところ、次のような結果が現れた。



約11万件のうち上位二位がYouTubeのサイトで、三番目に私の歌が出てくる。イタリア語だから外国人が見ている可能性が高い。日本語部分が文字化けしているだろうが逆に何だろうとアクセスしてくれたのかも知れない。歌を聴いて目をパチクリしている様子を想像すると愉快になる。これこそ「嬉しがり」の喜びである。「嬉しがり」とは漢語で重々しく表現すると軽佻浮薄となる。嬉しがりついでに芸術好みの英国の友人にこのURLを知らせることにした。

もう一つは「"豆まきデータ"」の検索結果である。実際に表示されるのは11件で、この全ては私の筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてで使った《「豆まき」データ》が大本になっている。きわめてユニークな例でこれは「豆まきデータ」が私の創作語であるせいなのだろうか。これも愉快である。自分のブログ記事が第三者にどのように映っているのか、それを見て愉快がる感覚が何かに似ているなと思ったら、ある記憶が甦ってきた。現役時代の論文書きにまつわる話である。



研究者は論文を書き上げるとやれやれと肩の荷を下ろした気分になる。しかし実際はそれをしかるべきジャーナルに投稿して査読者とやりとりを繰り返し、ようやく受理の知らせを受けて始めて一仕事が終わるのである。名だたるジャーナルに掲載が決まると躍り上がって喜んだり、祝杯をあげる話などよく耳にしたものである。しかし本当の楽しみはその後に待っている。その論文に世界の研究者がどのように反応するのか、その手応えが楽しみなのである。

論文を出したからと言って他の研究者が読んでくれるとは限らない。皆さん、お忙しいのである。日本でも会員数の多い学会では学会誌を毎月出版して論文発表の場としているところがある。ところが場所ふさぎになるからと、送られて来てもそのままゴミ箱行きの運命を辿ることも珍しくない。たとえ国際誌に英語で発表した論文でも誰かに読まれたかどうか直接確認するすべはない。ある程度親しい研究仲間ではお互いに論文別刷を交換したものであるが、私とてその全てに目を通したわけではない。直接に意見が寄せられたり、試料の提供や共同研究の申し込みがあったりすれば御の字なのである。

一番はっきりした手応えは自分の論文が他の研究者の論文に引用されることではないかと思う。自分の研究に何らかの関わりがあり影響を及ぼした論文を引用文献としてリストに載せるのが研究者の習わしになっているからだ。そう言うこともあって他の論文に引用される回数、「被引用回数」が多い論文ほどその知的貢献度が高いと一応見なされている。このように論文の価値を数値で表すような解析システムがあって、それにもとづく情報を有料で提供するようなビジネスもすでに存在するが、「被引用回数」程度ならGoogle Scholarで誰でも簡単に調べることが出来る。

私が1977年に国内で発行される欧文誌に発表した論文は生命科学者にはお馴染みの緩衝液のあるユニークな性質を報告したものがある。この論文をGoogle Scholarで見ると「引用元36」と言う表示が出てくる。「引用元36」をさらにクリックするとその論文を引用した論文・出版物がずらりと現れて、それを見ると、32年前に発表した論文にもかかわらず21世紀に入ってからも16回引用されており、一番最近は2008年の米国特許申請書に引用されていることが分かる。

この論文のことを以前ブログに書いたと思うが、この仕事は私の本来の研究テーマから外れたものだった。現象のユニークさに興味を持ったものだから、四年生に卒業実験のテーマとして与え、その成果を論文にまとめて連名で発表したものである。主だった仕事の論文の多くがが過去のものとなって見向きもされなくなったのに、このような仕事が生き残っているとは皮肉なものであるが、それが研究の面白みでもあろう。ちなみに2008年ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士が緑色蛍光たんぱく質の発見を報じた1962年の論文は「引用元411」とさすがに多い。しかし1970年のNature論文は「引用元52」で、発表年を考慮に入れると私の片手間仕事論文とどっこいどっこいである。m(__)m

Google Scholarがどのように引用元数を計算したのかその仕組みは分からないが、日本語論文からの引用は含まれていないようである。それに研究人口の多い分野では「被引用回数」も必然的に多くなるだろうから、絶対数だけが論文の価値を決めることにはならないだろう。また自分で自分の論文を引用して「被引用回数」を増やす手があるのかも知れないが、そのようなケースを計数に入れない仕組みになっているのかも知れない。上の私の論文の場合は全部が他者による引用になっている。

実は私も若い頃は新しい論文を書く時に、意識してそれまでに自分の発表した論文を何らかの形で引用した。少しでも人目に触れるようにとの思いからである。現在でも私がブログを書く時に過去ログをよく引用するのはその名残なのかも知れない。まあそのような形の引用もお愛嬌ではあるが、やはり第三者に引用されてこそ喜びも大きくなる。客観的な評価だからである。それも自分が尊敬する研究者に引用されるともなると喜びも一入である。私にもそのような経験があった。

生化学を習い始めて酵素化学の章にさしかかると、まず酵素反応の基本概念にぶつかる。基質が酵素と可逆的に素早く反応していったん酵素・基質複合体が出来上がり、これが比較的ゆっくりと分解して酵素反応の産物と元の酵素が出来るという内容である。この概念がMichaelisとMentenにより出されたのは1913年であるが、30年後の1943年になってようやく酵素・基質複合体の実在が証明された。ストップド・フロー法なる実験装置を使ってそれを成し遂げたのがBC先生で、私よりほぼ20歳年長になる。必要な実験装置を自分で組み立てて研究を推し進めていく手法に憧れたのである。このBC先生が私が先鞭をつけた研究分野に入って最初の論文をJ.Biol.Chem.のCommunicationとして1984年に発表された時は、35件の引用文献の内私の論文が6報を占めていたのを見て心の中で喝采を送ったものである。もういい加減の年にはなっていたけれど、幾つになっても人に認められるというのは嬉しいものである。

「豆まきデータ」から昔話になってしまったが、いろいろ不平不満はあっても日々研究生活を送っている現役の方々は幸せである。愛情を持って論文を送り出し、それが認められる喜びを大いに味わって頂きたいと思う。




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1 コメント

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何から何まで (H)
2009-01-12 11:36:54
先生がここに書かれた事が、どれほど研究に関係の無い方々が理解してくださるのか計りかねますが、私の様な端くれのもでさえも、一から十まで「うなづき通し」でした。(笑)