楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

保存と保存機能

2018-03-19 08:57:53 | Weblog

タイトルで書いたように人間社会においては保存という方法を切り離すことができない。

太古の社会、日本でいえば一万数千年間続いた縄文時代になるが、その長い年月人々は生きるために欠かせない食料を土壙、(土の中に底が広がっている穴)ここでは高根沢町(栃木県塩谷郡)の縄文時代中期の代表的遺構の一つとなっている・・・

 袋状土坑はクリ・ドングリなどの堅果類やヤマイモ・ユリなどの根茎類を貯蔵するために掘られた穴で、入口が狭く底が広がる竪穴状の遺構である。袋状土坑の盛行は植物質食料が安定的に確保されたことと、その加工技術の発達したことを示している。このような形態に穴を掘るのは、普通の円筒形の穴を掘るのに較べかなりの手間がかかる。しかし、外気に触れる開口部の面積が少ないことから鼠の害を防ぎ、一定の温湿度を保ち、広い貯蔵空間を確保するためには最適の形態であったのである。根茎類などはそのままで、小さな粒の堅果類は袋やカゴなどにいれて貯蔵していた可能性が高い。
 袋状土坑内の温湿度の観測実験によると、湿度は夏季、冬季に関係なく九〇パーセント、温度は夏季は外気の変化に関係なく一五度前後に保たれ、冬季でも蓋をすれば、外気に関係なく二度前後であったという。このことからも植物質食料を貯蔵するには最適で、特に食料の枯渇する冬から早春にかけての備蓄のための施設であったと考えられる。また、その形態から一年から数年で壊れてしまうため、更新を繰り返した結果、上の原遺跡のように一〇〇基以上の袋状土坑が最終的に群在して発見されるのである。
 なお、底面の壁際に小ピット(小さな穴)をもつ袋状土坑が、中期後半の上の原遺跡をはじめ芳賀・塩谷などの県央を中心に多く確認されている。海老原郁雄はその機能について、袋状土坑と同時に機能していたもので、空気対流が少なく、最も常温を保持し易い位置にあることから、変質しやすい物資を貯蔵する「特別室」ではなかったかとしている(海老原郁雄 一九八六)。

 私はすでに知られている縄文時代のことを書こうとしているのが主題ではない。ただその時代に生きた人々(縄文人)大陸と隔絶された日本列島で本来の人間の生き方を1万数千年間継続させた。貧富の差のない穏やかな社会を継続させることができたという人間史の中でも奇跡としか言いようのない時代と現代の世界との比較を書こうとしているのだ。

 この時代では先に引用したように保存という意味としては食料の保存が大部分であった。

 保存する技術は現代の社会に至るまで多くの改良がくわえられながらも連綿と続いてきたのも事実である。ただ違いといえるものは天候不順とか飢饉に備えるための保存食糧が太古の世界のように公平に行渡ることがなく保存された食料等が貨幣(お金)で取引される、つまりカネの無い者は飢え死にせざるを得ないような社会になっている。飢饉でなくても都会で見るホームレスのように明日とは言わず今日の食べ物にも事欠いている。余談になるがニュース番組でイギリスから日本に観光に来た若い女性が、ホームレスの人が路上で寝ている姿を写真に撮っていた。彼女のコメントは先進国である日本でもこのような光景は驚きであるというものだった。

 何が原因でこのような社会ができてしまったのかを書こうとしているのだ
                 次回はまた