楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

『富とは何か』で完全なものを書きたいと考える

2008-11-30 21:09:09 | Weblog
 数日前たまたま「富とは何か」をネット検索したところ大和総研ホールディングスチーフエコノミスト 原田泰氏の「本当の富とは何か」というコラムに行き当たった。以下はアドレスと引用であるある。  http://www.dir.co.jp/publicity/column/081001.html 

>アダム・スミスとイギリスは、この状況を見て、金銀は富ではあるが、より重要な富は、将来にわたって富を生み出す肥沃な農場、効率的な工場、そこで働く技能の高い労働者などであると学んだ。ここから、イギリスの産業革命が始まった。

 ここでアダム・スミスを引用して富を生み出すという、肥沃な農場、効率的な工場、そこで働く技能の高い労働者等であると書いている。

 ここで今、問題を提起するつもりはないが私なりにもう少し深く考え書いてみたいと思う。それには考察に時間がかかるが完全なものを書くためにはやむ終えないことだと考える。

『富とは何か』

2008-11-27 09:01:09 | Weblog
 『富とは何か』で他の人がどのように考えるのか、コメントを求めていたが、まだ誰からのコメントも皆無である。
関心がないのか、こんなことを書いて何の意味もないのか、私自身ブルーな気持ちに陥ってしまう。

 『富とは何か』そのことは『貨幣は交換財以外のの何物でもない』という意味を完全に理解しなくてはならないと私なりに考えている。

 確かに貨幣の中には保存機能、つまり蓄蔵できるという機能があるが、これを野放しにしていれば人類にとっての幸せな社会はありえない。

 ある意味蓄蔵は投資に回り経済を活性化するものであるという必要論があることは理解できる。ただその同じ投資に回った貨幣をその同じ量だけ別のやり方(個人が投資をするのではなく社会が投資をする)で仮に使われたとしたら結果は同じであると言える。

 むしろ蓄蔵(貨幣の保存機能)を善として際限なく架空の創造を膨らませてしまった今回の金融危機を、ここまで進まないうちにブレーキをかけることができたであろうことは容易に想像できる。

 私はここで今回の証券化商品を今まで言われているように「信用創造の延長線上」にあるものということはできないのではないかと考えている。

 なぜなら信用のない人たちに貸し付けたことが今回の危機の発端であるというとき、そこには信用創造の信用すら一欠けらもなかったことになる。まさに架空の上に夢を膨らませていたことが起こるべきして起こった危機と言えるのではないだろうか。

 最初の論に戻すが、貨幣は単なる交換財であるという考え方に立つならば未来を人類のものにすることができると断言できる。

 蓄蔵は最小限にとどめるという考え方である。以前ある文章で書いたが、人が預金することにおいて最初の500万円までは高い金利をつけ、500万円を超え1000万円まではそこそこの金利をつける。1000万円を超え2000万円までは無利子となり、2000万円を超えた金額に対してはマイナス利子をつけていく。つまり預かりの手数料を頂くという具合に預金させるということになる。そこには国単位の通貨であったとしても、世界が同じ考え方に立つことが必要となる。

 貨幣を交換財として完全に理解すればそこから人類にとっての『富とは何か』が見えてくるはずである。

『富とは何か』 その1として貨幣から書いていきます

2008-11-25 17:05:20 | Weblog
 ここでは今まで拙著で書いてきたこととは違うものを書いていきます。
「富」を理解する前に色々な問題を取り上げてみます。

 今回のテーマは『貨幣は資本主義にむいているのか?』
という題で話を進めていきます。

 つまり貨幣(お金)と資本主義の関係です。当然のこと金を主体とした主義が資本主義です。貨幣(金)無くしては資本主義を語ることはできないし、貨幣無くしては資本主義社会というものもありえないわけです。

 しかし貨幣(お金)は人類が交換財として偶然から生み出したものです。それがいつのまにか本来交換財であったものが、蓄蔵を主体として人間の欲望のまま使われてきてしまっているわけです。そこにはまだ人類の理解できない貨幣の秘密が隠されているわけです。ある人はそのことを「神の見えざる手」(神はつけないのかも)と表現しました。つまり貨幣が絡んだ経済的事象が何も理解されていないと言うことを代弁しているわけです。

 世界には数多くの経済学者がいます。その先生方は現在我々が直面している世界的な経済事象を端的に説明できるのでしょうか。それとも「神の見えざる手」という表現の中に逃げてしまうのでしょうか。

 はっきりと全てが理解できるとしたならば、またできていたとしたならば、現在の世界的な金融危機は起きなかったと断言できます。つまり経済はまだ人間の知恵が届かない地点にあると言えます。

 そこで問題になるのがまだ人類の未知な分野である経済情勢に、何とかなるだろう的に公的資金をつぎ込み、金融危機を乗り越えようとしている姿、果たして成果を上げられるのかということです。

 ではまたの日続きを書きます。


富とは何か?

2008-11-23 17:18:55 | Weblog
 まだホームページから移しておきたい文章がありますが今回は別のものを書きます。

 題して『富とは何か』皆さんも一緒に考えてくださることをお願いいたします。

 人間にとっての富、それはある人にとっては命の次に大事なお金というかも知れませんが、本当にそうなのでしょうか。その人は多分このように言うでしょう。金さえあれば好きな物を買えて、好きな遊びも贅沢もできる。
それで人生は幸せかなどとと宗教的なことは言いません。あくまでも人間にとっての富とは何かを書いていきたいと思っているわけです。

 私が書く前にできればこの文章を読んでくださる方のご意見もお聞きしたいと考えています。

 題して『人間にとっての富とは何か?』

20代に書いた文章はこれで終わりです

2008-11-20 21:19:12 | Weblog
 あと半月で私のホームページは消えてしまいます。残せるものだけでも残しておきたいとの願いからこのブログの場をお借りします。

               
            『歴史とは』

日本の文明が原始から抜け出して約二千年、その二千年を振り返ってみると現代ほど人々が過去に興味を持った時代があったであろうか。つまり、あちらでもこちらでも、小は趣味的な文化財調査というかたちから、大は縄文、弥生、古墳時代の遺跡の発掘調査に至るまで、過去において時間の違いはあったが、我々と同じ空間に生まれ生きた人々の,生活痕を日々追い求めている。

これから後、何百年、何千年後かに生きる我々の子孫が歴史という流れの中で、この西暦2千年前後の時代を見たとき、果たしてどのような判断をするであろうか。多分この時代、つまりわれわれ我々が生きている今の時代を「出口の無い時代」「確実というものが無い不確実の時代」その中で人々は過去を調べることによって未来への出口を探そうとした時代と見るのではないだろうか。

資本主義がより個人に信用を持たせたという形の中で、現実のわれわれの労働の保証書である貨幣から、この者は未来にも働くという保証の中で、もし親が労働から離れ返せなかったなら子は生まれたときからローンを背負っていく時代に入ってきたのである。

現在の経済の中からローンというものを取り除いたとき、巷には製品が溢れ、かって経験したことも無い大不況に遭遇するのは確実である。

そして資本主義が悪いと言いながらも、マルクスが描いた共産主義社会に、現在の社会主義国の姿を見てとると、そこに我々の未来を託すという気持ちに素直になれないのである。
 
このような状況の中で右を見ても左を見ても、人間とはこう生きるべきだという指針が無い中で、つまり出口のはっきりしない時代の中で、入ってきた入り口を振り返ることによって、まだ発見されていない出口があるのではないだろうかと、かすかな希望を見ようとしているのである。

それが私たちが碑を捜しながら炎天下を歩くという行為となっているのである。

               
文化財研究同好会 板碑調査に参加して 1979年11月



『宇宙船「地球号」』

 現代の一つの気運、これは日本だけではなく世界的とも言えることであるが、単に現状に甘んじることなく、未来に対し先手を取って行こうとしている事だと言える。その極端な移行の時期は第一回の石油危機(昭和四十八年)後からだと思われる。
 資源の枯渇、それまでふんだんに有ると思われた石油が有限であると教えられた時点、薔薇色であった未来が灰色になったときでもあった。また今夏の冷夏、世界的な異常気象にもいえることであるが、原因はセント・へレンズの火山が原因だ。はたまたエネルギー源を燃焼させることによる炭酸ガスの温室効果等々、自然に対する理解不足から、いや人間自身の置かれている状況の認識不足から来るところの、未来に対する手探り、そこから新しい動きとしての未来学が幕を開けようとしている。
 
 その端的な表れが最近言われるところの宇宙船「地球号」という発想であろう。我々が住んでいるこの地球が宇宙に漂う一つの宇宙船、それはこの地球という乗り物に乗って、全ての生物が生きそして死んでいく。どこから来てどこに行こうとしているのかということでもある。
 
 これは我々人間が今まで長い間を生きてきて、またこれからも未来に向かって生きていくという人間の歴史の中に不確かな面が多分にあるということでもある。我々はいつになったら完全な形で生きられるようになるのか、現在の人間はもっとも進歩した姿で生きていると思い、江戸時代の人々をチョンマゲと二本差しという野蛮と印象付けているが、後世の人々が現在の私達の生き方を歴史という長い物差しを通してみたとき、やはりそれと同じ印象を受けるのではないだろうか。当然そうならなければならない。なぜならいつまでも戦争の時代が続くわけがないと考えるからである。

     文化財研究同好会 板碑調査に参加して 1980年11月



          『 時 間 と 空 間』


 理解しがたい事がある。考え方の違いと言うことになるのであろうが、それは、時間と空間に対しての考え方である。私の考え方を述べる前に次の文を引用させてもらおう。
         
       ホーキング宇宙を語る。
2,時間と空間より引用
 1915年以前には、空間と時間は固定された競技場のようなものと考えられていた。その中では事象は起こっているが、競技場はその内部で起きている事に影響されることはない。このことは特殊相対論についても言える。物体は動き、力は引き付けたり反発したりする。だが空間と時間はひたすら持続し影響されない。空間と時間は永遠に続くと考えるのが当然だった。
 
 しかしながら、一般相対性理論では状況はがらりと変わる。空間と時間はいまや動的な量である。物体が動くか、あるいは力が働けば、空間と時間の湾曲にその効果が及ぶ、そして逆に、今度は時空の構造が物体の動き方と力の働き方に影響を与える

 空間と時間は宇宙の中で起こるすべてのことに影響するだけでなく、それから影響も受ける。空間と時間という観念をもたずに宇宙の中の出来事について語る事が出来ないのと同じように、一般相対論では宇宙の限界の外にある、空間と時間について語ることは無意味になった。
 
 ここで簡単にこの文を説明させてもらおう。
 一般相対性理論が出る前の1915年以前には哲学的解釈として時間と空間は固定されており、物質的にどのような変化が起きたとしても時間と空間には何の変化も起きないと考えられていた、ということである。
 一般相対論が出た段階では宇宙空間の外にある空間に対しては(当然そこに時間もあるのであるが)時間と空間を問題にすることはないと言い切っているのである。
 しかしそこでは宇宙の限界の外と言っているように宇宙空間と限界の外にある空間を意識しているのであり、宇宙空間の外にある空間、そこには時間もあるのであるが、「空間と時間」と言いながら問題にしないということの方が私には理解しがたいことなのである。

 ここで言えることは物理では物を対象として考えることを出発点としているということであり、哲学、それも形而上のであるが、物を通り越し、本質を知ろうとする点からの出発であり、出発点での相違があるといえるのではないかと思われる。
 
古来、時間と空間という概念が出た時それは物理的なものではなかったはずであり、そこでは同じように神・たましい魂・死、等というような概念と同時に発生してきたものと言える。
 
そして、あえてまた取り上げさせてもらえるならば、ホーキング博士の言うように「宇宙の限界の外にある空間と時間について考えることは無意味になった」ということは、?半径150億光年という宇宙空間、その後ろにある無限の空間の中では、この我々がいる宇宙空間でさえ無限の空間の中においては野球のボール、はたまた小さな砂の一粒にも満たないのだということを理解していないのではないかとも考えられる

 宇宙というものをもう一度定義しながら文を進めたい。
 広辞苑によれば「宇宙とは」時間、空間内に存在する事物の全体ということであり、簡単に言えば物質が存在している空間と言うことになる。または空間内に物質が存在している範囲ということでもある。
 
 ビックバンという火の玉から生まれた宇宙は、150億光年たった現在、10億光年ごとに5%乃至10%の割合で膨張しているという。そして現在まだ発見されていない何等かの物質が発見されない限り膨張を止めるに必要な物質の10分の1しかないというのである。
つまり我々が見ている星々はやがて暗黒の空間に消え去っていくようだ。それは今から100億年後1,000億年後であるかもしれない。そして現在我々が存在しているこの空間は暗黒の空間として残るはずであるが、ここで私が何を言おうとしているか、もうお解りかと思う。暗黒の空間、そこでは物質はいっさい存在していないかも知れないのだが、空間はあるのである。
 
はたまた5,000億年後、一兆年後といったとしても、その時間は確実に来るのであり。これらのことも時間と空間の問題である。
 
物理と哲学、それも形而上と書いたが、哲学的な時間と空間とは何かということを私なりに書いて見たい。

 まず時間とは。空間とは何かという問いの出発点として「私とは何か」という疑問から入っていこう。
現在という時間空間内に存在している「私」そして過去と未来という時間内で自己の存在を考えたとき、神及び魂としての存在を信じられなければ、未来に於ける私の時間は「死」と共に消滅してしまう、この私の周りから出発している無限の空間で時間が永遠に続いたとしても、私にとっての時間は無いのである。なぜなら死によって私は永遠に消滅してしまうからである。
 
では現在「存在」している「私」にとっての過去とは何か、私がこの地上に生を受けた時、それは私を生んだ母であり、またその母を産んだ女性と遡って行ったとき、私がこの地上、または現在という時間空間内に存在しているという感覚としての意識が何千年何万年…はたまた何億年と遡り(さかのぼり)生命の発生、地球の誕生、宇宙空間の出現(物質が存在しだした)へと私の意識を遡らせていく。
 
そしてそのことはもしそれ等が無かったならば、否、その内の一つでも欠けていたならば確実に「私」は存在していないからである。そこでは「神とは」「魂とは」「生命とは」「死とは」そして「人間とは何か」ということが日常の生活の中で、電車や船に乗り、旅をしているのと同じ感覚で「人生」という旅をしているのだという思いを味わいながら日々の生活を送っているのである。
 
そこで確実に言えることは、ありふれた言い方をすれば1秒1秒が死に向かっているということであり、カミユの言葉を借りれば、「本当に重大な哲学の問題は自殺である、人生が生きるに値するか否かを判断すること」と言うように、そこに哲学の出発点があると考えられる。
 またベルグソンという哲学者の言葉を借りれば「哲学的直感」という書の中で《より深く潜れば潜るほどより多くの物を引き出してくる》

それは20代の時の多感な青年時代の悩みであったかも知れない、神に近づけなかった為に、それは神が作り話の世界に過ぎないと言う自らが下した回答の中で、人生が生きるに値するか否かを真剣に考えた時…、 

そこに、やはりいい言葉があった「ていかん諦観」という言葉である、永遠という時間の中であまりにも短い《生》それは生きるに値する価値も無い人生、もし明日をも生きようとするならば、そこには「諦観」つまり人生を諦めの中で生きて行くという捨て鉢的な感覚しかない。
 
ただその中で真理を知ったという気持ちだけは残っていた。全てに価値を失った中では真理を知ったとしても何の慰めにもならなかったが、旺盛な知識欲だけが、誰も入り込めなかった世界を知ろうと、読書だけが唯一の慰めとなった。
 
 大分横道にそれてしまったが、本来の目的である「時間と空間」に話を戻そう。
それはあくまでも私なりの時間と空間のとらえ方であり。結論から先に言えば時間は永遠であり、空間は無限ということになる。
 その前に有限という意味を考えて見たい。

有限とは何か、ただ単に限りがあると言うだけでは無限に対比させる説明にはならない。限りがあるもの、単刀直入に言えばそれは数えられるという一語に尽きる。例えば片手で掴(つか)めるだけの小石を掴んだとする、そしてそれを数えたとき、ある数で数え終わる、つまり掴める小石に限りがあったという事、有限だと言うことである。
 
例えそれをバケツ一杯の砂をコップで量ったとしても何十何杯かで数え終わる。より小さなコップだとしても何百何十何杯かで数え終わる。そこで二桁目以上の数を無視し一桁目の数を重視したとき、数え終わった数量は一から0と言う数の一つになる。
 つまり12345678910と言う数字の一つで止まる。1になるか、3になるか、7になるか、又は数十としての0になるかは計り終わった時、解ることであるが、1から0という数字の中のある数で計り終わることは確かだ。
 
今度は砂を一粒一粒数えたとする、やはり数多くの数字が並ぶが二桁目以上の数を無視し一桁目だけの数を見たとき、やはり一から0という数字のどこかに当てはまる。
 このように考えると仮に地球全体の水、つまり海の水、河川の水、そして雲が持つ水分、動植物が持つ水分、地球が持つ全ての水分を水としてコップで量ったとしても最後の一桁目に来る数字は1から0迄の数字の中の一つに当てはまる。
 
つまり限りがあり有限だという事である。そして宇宙全体の物質をコブシ状の塊(かたまり)として数えたとしても、時間と空間の中で絶えず物質が生成されない限り、二桁目以上の数字がどのように並んだとしても最後に来る一桁目の数字は必ず1から数十としての0という数字の中のある数字で止まる。つまり物質は宇宙(空間)の中で現在も生成されていない限り有限であるという事だ。
 
では、時間に関してはどうであろうか、時間が有限だとしたならば時間の最後に来る数字の一桁目が1から0という数字の一つで止まらなくてはならない、しかし時間は流れて行き、その数を飛び越えてしまう。
二桁目以上の数字がたとえ地球の表面を覆い尽くす程並んだとしても然りである。

 そう、時間には最後の一桁目で止まる数字が無い、ゆえに空間と共に唯一永遠性を持ったものといえる。時間の流れは何時から始まったということもなく、最後があるということもない、永遠に流れて行くものとしか考えられない。
 
 では空間はなぜ無限なのだろうか。
それを書く前に存在とは何かという事を考えてみたい。
 
また結論から先に言えば時間、空間は存在でもなければ、非存在でもなく存在以前のものと言える。なぜならば、ある物が存在すると言う時、必ずその物が存在しない状態を考えることが出来るからだ。つまり私の前に何も無いということだ。存在すると言う言葉を使う時には、逆に存在しないという状態が考えられる時にしか使えないようである。
 
幽霊が存在する、幽霊は存在しない、そこに微生物が存在する、そこには微生物は存在しない、私の死後、私は魂となって存在する。
私の死、私の脳が破壊されたことによって脳の停止と共にもはや私は存在しない。存在とは、存在しない状態を理解できる時にしか使えない言葉である。
 
 では時間、空間はどうであろうか、時間空間に関して言えば唯一存在するという言葉が使えないようである。それは時間が存在しない、空間が存在しないと言うことを考えることは不可能だからだ。
 
 空間が存在しないと言う時には、その空間を埋めている物、つまり物質をそこに置き換えなければならない、物質が無いというとき、そこは空間であり、空間が無いという時、そこに物質があるという式しか成り立たないからである。
 
時間に関して言えば、空想的には時間の停止は考えられるが、理論としては時間が停止した状態を考えることは不可能だといえる。今、私が時間は停止したと言ったとしよう、しかしその言葉の一語一語に時間の流れがあるのであり、現在、つまり今を中心として言葉の一語一語に現在がありそして過去として消えて行く。それが時間の流れなのである。そして無限の空間、果てし無き空間の全域に我々が感じる同一の時間が同一のものとして流れているのであり。宇宙空間の小さな領域の中での時間を問題にし、そのことにより無限の空間の時間を語ることは、それこそ無意味に等しい事なのである。むしろ時間という意味を理解していないと言っても過言ではない。
 
 ある物理的な見方として時間が停止し逆戻りするという考え方もある。しかし無限の空間に無限という領域で広がる時間に、ほんの小さな領域の時間が切り離され、停止もしくは逆戻りするとでもいうのであろうか。

 または全体的な時間を停止させたり逆戻りさせたりということがあり得るとでも言うのだろうか、神の力を持ってしてもそれは不可能かと思える、また神が行う事としてはあまり意味のないことのように考えられる。
 
空間の無限という問題に戻してみよう。空間がなぜ無限なのか、その前に空間が有限だと考えたとしよう、そのとき宇宙の果て、いやそれ以上先の、空間を取り囲むような物質を考えなくてはならない、ゴム毬で例えるならばゴムの部分、空間を丸く囲っている物質としてのゴムの部分にあたる物をこの広大な空間に当てはめなくてはならない、仮に広大な空間に、それを取り囲むような物質を想定したとしてもその向こう側が何なのかと言ったとき、空間か物質の継続を考えなくてはならない。つまりそんな物質があるわけもないし考えることもでき得ない、その事ゆえ古来より空間は無限だと言ってきたものと考えられる。そして我々が住む地球、宇宙、そこから広がる広大な領域、それらは時間、空間、そして物質の三つの要素で成り立っている。
 
 時間、空間は存在でもなければ非存在でもない、存在以前のものと前に書いたが、物質が在るということは物質の元となる物が最初から在ったという事になる。この広大な空間に物質の元となるものが時間、空間と共にありビックバンが始まる以前の、収縮が起きた時点から宇宙の創造が始まったものと考えられる。そしてそれは我々が住む地球を取り囲む宇宙空間以外の無限空間の中にあっても、どこで起きたとしても何ら不思議は無いのである。
 
つまり無限空間の中においては我々の存在している宇宙と同じ物が複数個あったとしても不思議は無いのであり、そしてそれが自然だと言える。

 無限とは何なのかという事に戻してみよう、今、地球上にいる私から空間に向けて空間の果て迄の距離を測ったとしよう、そしてその単位を光年としたとしても無限ということは二桁目以上の数字が無限大に並べられたとしても一桁目の数字が1から0という数字の中のある数で止まらないという事である。空間を取り囲む物質が無い限り…。

 この文章は数年前ホーキング博士が来日した当時書いた文章を、今改めて加筆したものです。本来、私が書きたい文章は「人間とは何か」ということです、20代の時から思い続けていますが、まだ実現させていません。

『人間とは何か』それは釈迦、キリスト、マホメット、等の宗教的聖人とそれ以前の宗教者。または思想家としてのマルクス等が理解し『人間はいかに生きるべきか』という形で、我々の前に数種類の思想として提示され、それが現代と言う時代に混乱を引き起こしているものと考えられます。本来「人間は如何に生きるべきか」ということは各個人が決めるべきことであり(真理は一つしかない)哲学者、宗教者はまず「人間とは何か」という事を人々の前に提示し、生き方を押し付けるべきではないものと私なりに思っております。

 私が書きたいもの、それは『人間とは何か』という部分だけであり、如何に生きるかということは書くつもりはありません…。

参考文献 
 ?ホーキング宇宙を語る‥ビックバンからブラックホールまで
  ステイーブン・W・ホーキング、林 一 訳  早川書房               
 ?宇宙の果て・激突する宇宙論
  チモシイ・フエリス  斎山 博 訳 地人書館
 ? 宇宙の運命・新しい宇宙論
  リチャード・モリス  湯浅 学 訳  BLUE BACKS
他       
文章中?印 現在では130億光年~180億光年といわれていますが、150億光年としておきます。        

 現在「人間とは何?」と言う作文を執筆しています。その中で「人は人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか?」 という疑問、それを解いていくつもりです。

 この文を読み何かご意見ご感想が御座いましたら何なりとお聞かせ下さい。

 
               

                                               





本日は若いとき書いた文章を入れるだけですが…

2008-11-18 18:24:13 | Weblog
本日は書き込むことがありませんが私のホームページが12月5日で消えてしまいますので今日は移すだけにしておきます。


    『嘔吐の中に見るサルトルの実存』

 小説、嘔吐は主人ロカンタンが日常の生活を送りながら、その中で自己の存在を自覚し、そのものを通し現象をどのように解釈したかという記録とも言える。
 
ここでは文学的なものは別とし、哲学的な方向からこの小説を解体してみたいと思う。

最初に哲学とは何かという問いからになるが、ここではベルグソン(フランスの哲学者)の文を借りてみたい。
「哲学とは何か」
  それを一言で表現しようとすれば『意識が自分自身の奥底を探る』ということでもあり(哲学的直感より(ベルグソン))これはサルトルがロカンタンの口を借りて言っている事でもある。

「何か私のうちに起こった…そいつは私の心の中に入り込むと…あまり手遅れにならないうちに、私は自分の内部に起こりつつあることをはっきり知りたいと思う』(嘔吐の中より)というようにも。

  ベルグソンに戻ると。
《われわれ自身の内部に降りていきましょう。われわれが触れた点が深ければ深いほど、我々を表面へ押し戻す勢いは強くなります。哲学的直感はこの接触であり、哲学はこの弾みであります》

そしてまた《奥底から来た衝動によって外に押し戻されると、我々の思考が開いて散らばるに従って我々は科学に帰ります》
  ここでいう科学とはその者(ここではベルグソン)が置かれている現在社会の科学性を利用するということであり、哲学的直感からの問いかけ<人間とは何かであり>に対し現在であれば生物学であり、考古学、心理学、物理学、人間の歴史等を利用し、最終的に知識として詰め込まれ散り散りばらばらになっていた知識つまり概念を、直感を通し統一していく。《人間とは何かを理解していくこと》そのことを哲学ということができる。

  では、ロカンタンはどのような状況からその直感を受け止めたかをここで書いていきたい。
その前にこの主題をなしている<嘔吐>とは何かをサルトルの文章を借りて述べてみたい。

〈《吐き気》それは病気でもなく一時的な咳き込みでもない、吐き気とはこの私自身なのだ〉
というように押し寄せてくる存在感覚(直感)が自身の存在を時間・空間の中で浮かび上がらせてくる、そのようなものだといえる。

 サルトルは〈嘔吐〉という小説を書く前から、自分が吐き気にあう前からすでにこのような意識(自己自身の存在感覚)があるということを理解していたといえる、それは彼が二十歳のとき自分がデカルトのような人間の範疇に入るものだと解釈し酔い、それが覚めたとき味わう不快感・自己嫌悪の中で〈水のように透明な抽象的な観念によって自分を清める必要がある〉と思っていたことでも分る。それはいうまでも無く二十歳の時から(主人公ロカンタンは30歳)吐き気を待っていたのであり〈存在を知りたいという欲望〉を持っていたのであるといえる。そして作中のロカンタン、つまりサルトル自身はそれなりの行動をとったといえる。
 
この文の最初のほうでは石を投げたときに起こった自分の心の中の変化を捉え、それを後の分では〈吐き気〉という形で表している。
 
最初の〈吐き気〉はキャフエーで起こり、その吐き気を通し店の内部が自分と離れたところに存在している物として映ずる異邦人としての目を持ち、その中でロカンタンは時間が持つ意味を漠然と感じる。
そして今迄に味わったことの無かった新しい体験としての意識をささやかな幸福として受け止め、それを後に観念の冒険(アバンチュール)という形の中で表していく。

《今迄に味わったことの無かった冒険、これまでに数多くの冒険をしてきたが、真の冒険といえるものは、今自分が体験している観念の冒険しかない》
 サルトルはサルトル自身の体験を嘔吐の中の主人公を通して言っているのだ。またロカンタン(サルトル自身)はその冒険の中により深く入りたいという願い待っているが、その意識は忍び来るようでいてなかなか現れないのである。そして彼は観念の冒険が自分に起こり来るときのために一つの〈問い〉を準備し待っている。その問いとは《私とは紛れも無いこの自分であり、そしてここに存在しているという事態が自分に起こっている と》いうようなことを自問してみたいと。
 
 そのような自分を彼は《小説の主人公のように幸福である》という。ここにおいてもロカンタン、つまりサルトルがどのような位置(態度)から実存の意識を望んでいたかが伺える。彼はそれを何ゆえに望むのかは別としても、すでにそのような意識(存在自覚)が人間に起こり得るということを知識として知っていたということであり、またそのような意識が、後の文章の中に出てくる、自殺を思い描く(自己否定)という意識であるということにおいても、なにゆえそれほどまで望むのか。
 
《あの冒険の気持ち、それに対するほど私がこの世に執着するものは多分この世には無い》と言う一文をもってしても、いかに望んでいたかが解るというものである。

 それは別としても、ただここではより深く入りえたのかということを追っていきたい、なぜなら《深く潜ればもぐるほどより多くのものを引き出してくる。ベルグソン・哲学的直感より》

《ああ、長き蛇のごときものよ、存在するということの感情よ》
 月曜日――ロカンタンは観念の冒険に到達した。〈私が思うこと〉そこに私が存在しているという感覚、それは、見、聞き、話し、物に触れる等という感覚を通してでは自覚できないという。
 自己の存在をしる(認識する)唯一のもの〈思う〉思念であるというとき、そこにはデカルトのコギト(我思うゆえに我あり)が問題とされている。

 通りすがりに買った新聞、そこには少女リシエンヌが強姦され殺されたというセンセイショナルなニュースに出会う。
《少女リシエンヌは強姦された。首を絞められた。彼女のからだはまだ存在している。彼女の肉体は傷つけられた。【彼女は】はもはや存在しない》
 少女リシエンヌを形づくっていた肉体は現に存在しているが、そこにはもはやリシエンヌという少女はいないとロカンタンを借りてサルトルが言うとき、そこにはサルトルの無神論という姿勢が伺える。なぜなら人間、ここではリシエンヌという少女の死であるが、彼女の死後、魂となって存在するという観念はサルトルにとって無縁だったのであろう、ここに彼の無神論実存主義の姿勢がある。
 
 人が人として存在するというとき、その人の思念、その人が思うこと(考える)ことが条件であるといえる。
逆に〈私とは何か〉というとき、死後に肉体が残っていたとしても、私は死んだ、私はもういない。と死後の私のことを考えたとき、私とは1メートル○○センチの肉体ではなく、私の思念、脳が働き思考を作り出す、その思念の基礎となり中心をなすものだといえる。そして私、または人間の死後、私が誰であるかを考えることができないとき、私は存在しないということでもある。

 現在〈私が存在している〉というとき、私が食物を摂り、血を造り、エネルギー源としての栄養を脳に送っているからにすぎない。私は今生きている、そのことも食物を摂りエネルギー源としての栄養を脳に送っているからである。
 そして私は考えることができ、思考の中で私はいる、私は存在していると確認することができる。〈死後〉何のエネルギー源を持たない魂なるものが何ゆえに思考できるのであろうか。私が存在するという感覚をどのように持つことができるのであろうか。私が存在するという感覚が無いとき、私は私自身の存在を確認することができないのである。
 
 眠りと死は違うが、夢を見ていない状態での眠りから死を迎えたとき、眠りから死の状態になったとき本人はそれを理解できないはずである。

 科学が発達し人間の脳の隅々まで解るようになれば多分〈私とは〉脳全体の何十分の一、何百分の一ということになるかもしれない。そして言えることは肉体は〈私〉ではなくそれはあくまでも〈私〉の物であるという従属的関係、付随的な関係にあるといえる。

 そして《嘔吐》の中の文章に戻すと、
《私の口の中には、私の舌に触れる白っぽい――慎み深い――小さな水溜りが永久(作者は不用意にも永久という言葉を使っている)に存在する。そしてこの水溜り、それも私だ、それから舌、そして喉、それも私だ》
また《また自分の手を見る、それは生きている。――それは生きている――それは私だ…〉
 このようにサルトルは書いているが、当然それは私の物と捉えなければならない、なぜなら自分の手――それは私だといったとき、もし事故で手を失ったとしたら、私を失ったのではなく、私の手を失ったのであるからであり〈私〉は手を失ってはいるが〈私〉は存在しているのである。

 ロカンタンは自分が知りたいと思ったことを理解した。今までの吐き気それは病気ではなく、この私自身なのだということを。
《普段、存在は隠れている、存在はそこに、私たちの周囲に、また私たちの内部にある。それは《私たち》である》
 ロカンタンは公園のベンチに腰掛けていたとき、真下の大地に深く突き刺さるように植わっていたマロニエの根を思い出す。
 《それが根であるということが、私にはもう思い出せなかった。言葉が消えうせ、言葉とともに事物の意味もその使用法も、また事物の上に人間が記した弱い符号もみな消え去った……それから私はあの啓示を得たのである》
《存在》するということについて今まで思考し、言葉でそれを表そうとしたときも結局それ等は何も考えていなかったのだということをロカンタンは知る。
〈存在する〉それは言葉をいらなかった、ただ一語〈在る〉という言葉だけで他は必要としないのだ。

  ロカンタンは自分を入れた全てのものが、ただ何の意味も無く(そのもの自体が持っていた意味が、見せかけであったことに気が付き)存在していることに余計者としての自分を感じるが、
《この私も余計なものだった、幸いにして私はこのことを感覚によって感じてはいなかった。このことは特に解っていた》
 ここにサルトルの実存(哲学的直感)の深さを感じさせる。

 〈感覚によって感じてはいなかった〉というとき、すでに以前から〈実存の感覚〉というものが何かという知識を持っていたのであり、その感覚が余計者としての自殺を考える(実際には余計者として自殺云々に結びつくものではないと筆者は考えるが)とサルトルはそれ等のことを本などで読んだ知識として知っていたのだろう。

 《しかし感覚によって感じることを恐れていたがゆえに、居心地の悪い思いだった――いまもなお、感覚的に感じることが恐ろしい――それに襟首を掴まえられ、大波に浚われるように持ち上げられはしないかと、それが心配なのである――これら余計な存在の少なくとも一つを消滅させるために、自分が自殺することを漠然と思い描いていた。しかし私の死さえも余計なものだったろう》
 このような文章から考えると、サルトルはベルグソンのいう、より深きところに入ることができなかったようだ。
〈感覚によって感じることを恐れていた――自分が自殺するということを漠然と思い描いてみた――〉という文章は、それ以上のもの(感覚によって感じる)を掴むことができなかった自身の弁護でしかないように感じる。

  この文章をサルトルが書いたとき彼自身後ろめたいものを感じていたのではないだろうか。それは〈存在と無〉の中にみる、死についての考察の中で、死を〈事実性に属する蓋然的な出来事(死はどのような形で来るか解らない)〉としてしか捉えられなかったということに、サルトルが深みに入れなかったということを証明しているようだ。
 なぜなら〈死〉への恐れ、それは必然であるがゆえに(生きている以上必ず死は訪れてくる)死を恐怖し、逃れることができないということに、それは不死の病、癌等を宣告され数日、数ヶ月の命しかないと解った者が絶望のあまり自殺してしまう、彼、または彼女は自ら手を下さなくても数日・数ヶ月後には死が来るのにである。

  同じ死に向かわなくてはならないのであれば、自殺という道を選ばず死が来るまでの数日、数ヶ月を最高に過ごすべきであると書くことができるのであるが、その数日、数ヶ月を最高のものとして過ごせるのには、死後の生(永遠の生命)をゆるぎない心で信じているか、または完全なる諦観(人生を諦める心持)のどちらかである。
 生きていることへの絶望、人生が無となり、もしそこから逃れようとするなら自殺(死)しかないというときそこには最高の不条理があるといえる。
 
 無神論という立場をとっているサルトル、だが数多くの文章を書いているが「神」に触れた文章が無いのは(当然嘔吐の中に出てこなければならない性質のものと思う)残念に思う、もしそのような文があればサルトルの存在感覚がどのくらいの深さを持っていたのかを知る手がかりになるのだが。

《すべてのものはそれなりに存在している、人間がどのように固定し、規定付けようとしても、それらはそれらなりに存在している》そして〈存在する〉在るという意味は必然ではないというときそれは偶然性であるという。

《偶然性とは消去し得る見せかけや仮象ではない、それは絶対的なものであり、それゆえに完全な無償なのである。すべてが無償なのである。この公園も、この街も、そして私自身も。もしこのことを理解するにいたるなら、それは人々の考えを変え――》
 今このわれわれが住んでいるこの地上、すべてがそろっている(動植物)と思われるこの地上、しかし過去においては何も存在しなかったであろうこの地上、現在これらが存在していることにおいて、それは偶然に存在したのだとサルトルは言う。そしてサルトル以外にも数多くの哲学者がそれについての考察をしてきた。
ある者はそこに神を置き、すべてが予定されていたという、予定調和という思想、そして無神論としてのサルトルにおいては、存在していること、それは偶然であるという。
《この公園も、この街も、そして私自身も》
そして偶然であるということにおいて無償であるという。
《ろくでなしが、権利の観念を振り回したいと試みる。しかしなんとあわれな欺瞞だろうか。だれにも権利は無いのである。奴らも他の人々と同様に完全に無償であり》
〈奴らも…〉それは権利の観念を振り回している者、当然支配階級としての資本家を指しているのであり、そこにサルトルの政治投企(アンガージュ)の思想に発展する基礎になるものがあるといえる。
 
  ロカンタンは今までの経験をとおし〈私は存在に関して知る得たものをすべて学んだ〉という。
小石を投げたときに起こった心の変化、それは吐き気となり観念の冒険として、そしてそのことのためには異常な環境を求める必要は無いという、ただほんの少し自己に対し厳密さを求めればいいという。日常の生活を送っている中で突然襲ってくる意識――それは存在というもの、在るということを教えてくれるものでもあり、人間とは何か、私とは何か、時間とは、空間とは、そして永遠とは、無限とは、それらのものを気づかせてくれるものでもある。

《私は自由である。というのはいかなる生きる理由も私には残っていない、私の模索した生きるための理由はすべてみな逃げ去った、そして他の理由をもはや想像することができない》
 ロカンタンが最終的に行き着いた地点、精神の限界が教えるもの、それは
《私に生きる権利はなかったのだ。私は偶然この世に現れて、石のように、植物のように、細菌のように存在していた》という余計物としての自己を知ったことでもある。そして私は自由であるというとき、湯浴みをし、ひげを剃り、顔を洗う、それらの日常の生活が、ただ習慣として自分が身にまとっていただけのものあったということの理解からであり、自分を拘束し、自らが進んで受け入れたものも拘束の中にあった。そこに自己の意思の何も無かったことの気づきから、自己を開放したとき、そこにあるものは、何をやったとしても自由であるという開き直り的自由感であるといえる。

 ≪神が存在しなかったら全てが許される≫と≪罪と罰≫で書いたドストエフスキイは有神論であったが≪神(全てを超越した存在者)≫からの支配を逃れた無神論者のサルトルにあっては、全てが許されていたのであると言える。
 
 自由――自由とは、今まで信奉していたものが一切の価値を失ったときに、自己の置かれている状態――それが自由という立場なのであるといえる。その中で自然というものが持つ意味、今までのものが一切の価値を失ったときに現れてくる自然、それが本来の自然なのである。

 《プリペ街に認められるあれら小さな黒い人間たち……奴らは法律を制定し、民衆小説を書き、結婚をし、子供を作るという馬鹿なまねをする。しかし大きくて獏たる自然はやつらの街の中まで滑り込み、いたるところ、家や事務所や奴ら内部にまで忍び込んだ。自然は身動きしない。静まり返っている。そして奴ら(人間たち)はその内部をすっかり自然に満たされ、自然を呼吸している。しかし奴らは自然を見ないし、それは街から20キロも離れたところにいると想像する》
 ロカンタンを通しサルトルの叫びにも似て語りかける自然(それは街から20キロも離れたところにあると想像させる郊外の樹木におおわれた緑の大地、太陽の輝きの下での草花の息吹だと想像させる自然ではなく)
ロカンタンが語りかける自然は、我われ自身が存在していることであり、全てが存在していることでもある。我々の内部、それもやはり自然の中の一部であり、一見何等かの法則のもとに動き存在してたもの自体も、変わりうる可能性を持つ自然の中の一部なのであるという。

《もし何かが起こったならば?もし一時に自然がびくびくと動き出したならば?そのとき奴ら(人間たち)は自然がそこにいることに気が付くだろう》
もし自然がびくびく動き出したならば――その時人間が造りだした科学、空を見上げ誇らしげに語りえる現在の科学をもってしても――それがどれほどの値打ちがあるのだろうか。

  サルトルはロカンタンを通しなおも語りかける。それは顔の中に第三の目が現れたとしたら、着物が生き物になったとしたら、口の中にある舌が巨大な百足になり、吐き出したいと思っても手でむしりとらなければならないとしたら。
《他にたくさんの奇妙なものがあらわれ、それに新しい名前を与えなければならないだろう。たとえば「石の目」「三本角の巨大な腕」「松葉杖の足指」「蜘蛛の腸」などというみたいに……状態が暫くつづけば、続々と自殺者が出るだろう…また、そうすれば他の人びとが孤独に沈潜するのを見るだろう。たった一人になった、完全に一人になったひとびとは、恐るべき奇形な姿をして街を走りまわり…禍から脱れようとしながら脱れられづ、開けた口の中に羽ばたく「虫の舌」を持ちながら…》

  サルトルが≪吐き気≫という感覚を通しとらえた現象を、どのように解釈したかという答えでもあるといえる。人間が現在のような姿形をしているのも自然の力であり、たとえグロテスクな姿形をしていたとしても、すべてが自然の意のままに行われるものであるということ、それらを知識としてではなく≪吐き気≫という形の存在自覚が自身の心に投げかけてくるのである。その中で彼、サルトルはロカンタンの口を借り、そのような自然の中に置かれていることを忘れて、科学を万能だと思っている人間、そのような科学を持つ人間をも存在させたのもやはり自然であるというとき、自然の前に人間の誇りえるものは何も無いのだということをサルトルはロカンタンを通して言っているのである。

  最後にここでいう≪吐き気≫とは何か?それは悪いものを食べたときのような、また身体に異常があるときのような吐き気ではないはずである。心の底から突き上げてくるようなものとして解釈したほうが良い。
 それは観念の冒険であり、ある意識が存在を知らせること。≪在る≫という意味を告げ知らせること、吐き気という名を借りた一つの意識、それはある日突然我々の上に振りかかってき、物が持つ意味を教え、人生は何かということを悟らせ、どのように生きるかという選択をいやおうなしに押し付けてくるものである。
 この意識は人間が存在する限り、どのような時代においても突然人々を襲うものであるといえる。

そしてこの全文を新たに振り返ったとき、作者の過信ではないかと見られる箇所が多々あるのに気が付く。
例をとってみると。
 《しかし決して存在するものを≪演繹〉することはできない、これを理解した人はいると私は思う。ただ彼らは必然的存在とか、自己原因とかを発明して、この偶然性を乗り越えようと試みたのだ》
 《権力への意思とか生存競争とか語った馬鹿者がいた。いったい奴らは、一頭のけものなり一本の樹なりを眺めたことがなかったのか》等々
 
 そこで書き出しのほうの文章、ベルグソンの文を思い出してみたい。
 ≪我々の思考が開いて、散らばるにしたがって我々は科学にかえります≫「哲学的直感より」
ここでいう科学とは、その者が存在している時代の科学性を利用することである。
過去の哲学者が置かれていた時代の科学性ではそれなりの答えしか出せないのである。(天動説が当たり前であった時代はそれなりの科学性しかなかった)
そのことを考えないままに、いたずらに過去の批判をしていいものではない、むしろそれよりも思惟する力があるならば自身の生きている時代の科学性を利用し答えを出すべきである。
 ≪人間とは何か≫≪人間はいかに生きるべきか≫という答えを…

  またサルトルに戻してみると、サルトルの過信云々というよりも、キルケゴールの言うように
≪永遠を知りながら神に近づけなかったものが持つ傲慢さ≫と見たほうが良いのかもしれない。
               1968年3月 



IMFが銀行救済のためにキンを使っているとみています

2008-11-09 13:06:04 | Weblog
この文章は阿修羅と言う掲示板に昨日(11月8日)投稿したものです。手直しして再度ブログの書き込みます。本文の方もよろしかったら開いて流れを汲み取ってください。


http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/452.html
投稿者 縄文ビト 日時 2008 年 11 月 08 日 21:30:15: egUyw5BLxswRI

(回答先: 操作される金相場 投稿者 あ+ 日時 2008 年 11 月 08 日 12:11:15)


あ+さん読ませていただきました。

ただ私なりに疑問がありますので書かさせてもらいます。。

>総量3万トンの金地金のうち、半分以上が貸し出しされた状態になっている。

>金融分析者の中には、何らかの引き金によって金相場が上昇し始めると、すぐに相場は2倍に(今の750ドルから1500ドルへ)はね上がると予測する人もいる。

縄文ビト=米国には3万トンの金地金があるということ。これが現在の750ドルから1500ドルになったとしたら金地金で裏打ちされたドルは強くなるのではないでしょうか。

ここからウィキペディアより引用。

ブレトン・ウッズ体制という。 この協定は1929年の世界大恐慌により、1930年代に各国がブロック経済圏をつくって世界大戦をまねいた反省によっているだけでなく、第二次世界大戦で疲弊・混乱した世界経済を安定化させる目的があった。そのため具体的には、国際的協力による通貨価値の安定、貿易振興、開発途上国の開発を行い、自由で多角的な世界貿易体制をつくるため為替相場の安定が計られた。
そのため、金1オンスを35USドルとさだめ、そのドルに対し各国通貨の交換比率をさだめた。(金本位制)

1971年にニクソン・ショックによりアメリカはドルと金の交換を停止した。
引用終わり

J=ブレトン・ウッズ体制で金1オンス35ドルでドルとの交換をしていた1930年代から考えると、現在の金価格はすざましい暴騰といえます。この時期以後アメリカはドル札を刷りまくり金を蓄蔵していたとしたら、まさに通貨発行益を得ていたということになります。

私も前にIMFが金を売りに出すという新聞記事から金が暴落するという書き込みを入れ、売り時だということを書きましたが、それは少しずつ放出するということです。一気に大量の金を放出すれば完全なる暴落になりますが少しずつなら値下がりになりますが暴落にはつながりません。

逆に考えればIMFが銀行救済に金(キン)を使っているのではないでしょうか。IMFという公的機関が直接市場でキンを売ることができないため銀行に金利をつけて貸していると言う形をとっていると考えられます。

またドルとユーロの刷りすぎ(いったん刷った貨幣は減ることはない)は解消されていませんから投資家の手元に現金として残っています。投機の対象になる物が現れればそれが穀物であれ原油であれ利潤を求めて動き出します。

現在の段階ではドルに替わる貿易決済に使われる通貨がないことから、ドルの暴落はありえないとみています。ただ世界的な金余り(偏った所持)からこれからも頻繁にミニバブルが発生するのではないでしょうか。現在の株式相場がそのいい例かと考えます。景気後退局面でも株が下がれば買いを入れていく。そして上がった段階で売り抜けていく。刷った貨幣は減ることはないことから 素人投資家が騙され玄人が儲けていく場面だと考えています。そしてより偏った貨幣所持がこれからの状況になっていくと考えます。

最終的にはあまりにも偏った貨幣所持は、人が生きていくために必要な食物を得るために百姓一揆的な暴動に繋がっていくことになります。それも世界的な規模といえます。

現在の段階で、世界が不況を克服するために市中にカネを投入しても偏った所持に繋がっていくだけで、労働の価値が上がらない(失業が増える)ため資源インフレがあっても本来のインフレにはならないし、むしろ消費が進まないことから世界的なデフレになっていくといえます。それは新しい形のスタグフレーション、不況の中の物価高なのかもしれません。


ここから私のホームページより移します。

『 無心論者』
 
 私は以前キリスト教に興味を持ったことがある。だがひとつの疑問を持った現在全ての宗教から遠ざかってしまった。それは人間は死後魂となって存在できるのかという疑問だった。
 
魂―それは現在生きている人間の肉体の内部にあり、死後肉体から離れ永遠の生命を得るというものである。私が思考する範囲内においてだが、唯一いえることは、私の魂というものが死後の世界においても私というものでなければならないという条件がいる。

私が私に、私とは何かと問いかけたとき、私とは1メートル60数センチの身長を保持する肉体ではなく、私が存在するという思念そのものであるといえる。

例えば科学がいつの時代かに人間の脳だけを生かしておける時代が来たとする。その脳はガラスの容器の中で機械的な神経を通し肉体として生きていけるときと同じように、見、聞き、話すことができるとする。そのとき必要としなくなった彼の肉体が焼かれて一片の灰になったとしても、彼の脳がなおも思考し続けるとき彼は彼自身存在しているということを自覚できるはずだ。たとえ彼の目の前で、つまり機械的な視聴覚を通し自己の肉体が葬儀の名において知人等の別れの涙を受けながら焼かれていく自己の姿を見たとしてでもあるが、彼は自分が死んだという自覚はさらさら無いはずである。

そのことから私というものが緻密な脳細胞の結合体より生じる思考を束ねている基礎にあるものであり、現在私が思考するのは口から食物を摂り栄養を脳に与えることができるからでしかない。だが死後エネルギー源を持たない魂なるものがどうして思考できるかというのが問題だ。しかもそれが永遠であるというおまけまでついている。永遠とは地球が滅び、太陽もすべての星もこの宇宙から消え、幾多のゼロを何世紀という下につけてもまだそれは永遠ではない。

他にもあるが、そんなこんなで私は魂なるものは無いと私なりの断定を下し、魂が無ければ宗教等も必要で無いという結論にまで至ってしまった。

そして私は人間は物として考えたほうが、人生は死に対する諦めという気持ちは残るが解りやすいような気がする。

私の生きている時代はつくづく不思議な時代だと考える、生者と死者との別れということであれば解るが、ありもしない魂なるものを祀るために良い戒名を得るために葬式に多額の金をかけ、宗教という名の下に我が身の自由を差し出していく、後世の人達が二十世紀という時代を歴史という書を通して考えたとき、おかしな時代だったんだなという気がする。
あたかもチョンマゲを付け刀を差し侍という名の下に平民とは違うのだという、時代が僅か前にあったときと同じように。 
                     1964年5月

      『幽霊について』

 最近ある本で幽霊に関しての記事を読んだ。私自身はその存在を信じていないながらも関心があるので書いてみたい。
 幽霊とは哲学的には形而上学に属するもので(広辞苑によれば、絶対存在を純粋思惟によりあるいは直感によって探求しようとする学問。神、霊魂、などがその主要問題となっている)
 つまり人間に魂(霊魂)なるものがあり、死後この世に未練を残し迷っている者ということができる。生物の中で高等に進化した人間が、有る時宇宙的な感覚の中で生命体としての自己の存在の不思議を感じ、時間の流れの無限性(時計は時間を測る器具として人間が作ったものであり、時間には始まりも終わりも無い、時間は物質の変化を通して初めて理解できるものである)つまり永遠の時間の中での有限性に絶望し(人間には六十年ほどの寿命しかなく、死によって打ち切られてしまうことに耐えられない)救いを生命体の不可思議の中で捉えた神的な存在(万物を創造し、地上に生命を宿したものがあると考え、その者に結び付けることによって有限であるという絶望感から、死後の時間的無限、永遠の世界において魂となって存在するという逃げ道を考え出したのであるといえる。その宗教的な考察の中では、この世は(無)に近く、ただ永遠の世界であるところの死後に目的を置き、時間的無限に対する有限であるところのつかの間の人生などは問題でなくなってしまうという考え方に導かれていく。その考え方により(戦時中若者が特攻機で死んでいった)人生を短く終わらされてしまったなら、言う本人があの世を知っているわけが無いのに、もしあの世が無いなら最高の詐欺にかかったことになる、また詐欺云々というようなものではない、なぜならただ一度の人生を短くされてしまうからだ。

 もし幽霊(迷っている霊魂)なるものが科学的に実在を証明されたとしたならばどうであろうか。
 過去の歴史の中で哲学者、宗教家、科学者などが果たした役割がいかに大きかったかを考えると以後の歴史は大きく変わっていくだろう。そこでは宗教的倫理という枠の中で人間は現世的なものを拒否され、宗教的規格にあったものとして造られていく。いくら分別があるからどうのといったとしても、そのようなものは馬の耳に念仏のたぐいであり、階級性がどうのといったとしても、すべて無に近いことだ。ただひたすら死後の世界であるところの永遠の世界での幸福を願えばいいのである。
 だが幸か不幸か(不幸とは有限であるということに絶望しても救いは無い)科学が神秘的なベールを剥がしていき、ここで言う科学とは生物学としての進化論であり、考古学を入れた歴史学というものであり、人間をこの世だけのものとして固定していく、現代の政教分離という考え方はここからきている。現代の社会にキリストや釈迦を生まれ変わらせたと仮定しても、世間が釈迦を釈迦としないだろうし、イエス・キリストはキリストとはなりえないだろう。
 そして中途半端な悟りは別として、ベルグソン(フランスの哲学者)の言葉を借りれば
「より深きものはより多くのものを引き出してくる(哲学的直感より)という言葉もあるように科学の前に何等の疑惑も抱かずにイコール『死後』という回答を持ってくることの不可能を悟るだろうからだ。
 そして科学の発達した現代の悟りとは、微生物からの成り上がりものであるところの己を悟ることだろう。
 幽霊とは見たという人の妄想である。
                       1964年12月

       『先取り』
 
  今夜も眠れなかった。時計の音が闇の中で浮かび上がってくる。今日で五日、病の床に伏せている自分を思い返させた。「もしや熱が下がらないのも…」眠りを諦めた意識かが過去の記憶を再現させ、現在の病につながるものとして宗教的な事柄を浮かび上がらせてきた。
 
数年前までの私は宗教とは関係ないながらも聖書を読み、また宗教的な事柄に関しては厳粛な気持ちの中でそれ等を迎い入れた。だがある意識がそのような自分を破壊したときから私の生活は大きく変わった。
「 そんなものが宗教の持つ本当の意味ではないですよ」
私は家主の奥さんが話すことに次元の違う世界を感じ、どのように話していいのかを考えていた。
「でも貴方は信じないかもしれないけど、知っている人にこういう人がいたわ」
「いいえ多分どんな宗教にせよ万物、いや人間を存在させたもの、それが何かということではないですか、そこに神や仏を置いたとき私や奥さんを存在させた者として宗教は成り立ちますけど、そのことが自然の力であるという自然界をおいたとき宗教は成り立たなくなります」
私の話からは彼女はイメージをこしらえることができないようだった。だが私は、私の話すことが理解されなかったとしても、偽りを言っているのではないということのために、私自身に意識を注げばいいのだ。
 
現在という時間の中に私はいる。見渡せる視界の届く範囲から脳裏に浮かび上がってくる広大な宇宙の中に、現在存在しているのが私なのだ。その私を誰が存在させたのか、弁証法という螺旋を昇り生命の起源まで辿り着く、そして今いるという自分を…、私は神や仏をとらなかっただけだった。
 
話のやりとりの中で家主の奥さんはそんな私に業を煮やしたのか<けなしたりすると罰が当るから>と最終的な宣告を下してきた。
「いいですよ、僕は変わっているから罰が当ることを喜びますね、単なる短い存在として自分を考えるよりも、死後、地獄でもいいから永遠が保障されていると考える方が僕には救いになりますから。どうぞ、今ここで死という罰が下されることを僕のために祈ってください。存在しないことの永遠の無を考えるよりも、存在していることの永遠の有を考えることの方が人間には幸せではないですか。ただありもしないものを信じるなどということはやりたくないだけです。
 
私は自分の行きついた概念には少なくとも統一があるものと考えていた。だが一旦口から出た言葉は意識の底に残り、ふとした切っ掛けがもとで大きく広がってくるのだ。私はいま病気であった。それが過去の捨て鉢的な意識から来た不摂生が原因であることも分かっていたが、五日も床から離れることができないでいると、無意識からの統一で無い限り類似した過去の出来事を伴い私を悶々とさせるのだった。「人間は偉大なる自然界の力で地球上に存在するようになった一つの生物でしかない、科学の発達していなかった時代ならともかく、万物の創造を神仏に結び付け、しかも数千年経った現在でもまだ依然として続けている。これほどの詐欺行為がかつて人間の歴史の中にあっただろうか、あの世が無かったなら、あの世が在るということで貴重な人生を短く終わらされてしまった人達への責任、誰が取るというのだ、大きな詐欺行為だ」
 私は弱気になる意識を追いやるために自己を正当化するため欺瞞だと意識しながらも心の中で叫んでいた。
 時計がとうに午前四時を回っている、眠らなくてはならない、だが心の中の不安は消え去っていなかった。< <多分眠りに入れば私は夢を見るだろう>ただどのような形で意識化のものが夢に現れるかに興味があった、やがてそのような考えに行き着いたとき心が落ち着いてきた。静かに寄せてくる眠りの中で私は見るであろう夢のことを考えていた。

 家に向う暗い道を歩いていた、辺りには武蔵野の丈高い木々が黒い輪郭を空に描いている。だがいつも通いなれ見慣れたはずの道だったが、私の心の中にあった道とはなぜか違った感じとして受け取れた。野菜畑のはずだった土地が黒い地肌を見せ遠くまで伸び、視界を遮るものも無かった平面が古びた一軒の家で終止符をうっている。好奇心と恐怖心の混ざり合った気持ちで惹かれるように近づいていった家の中から、囁きに似た声が耳に入ってくる。それがだんだんと大きくなり読経の声だとはっきりと聞き取れたとき、私の身体は重く、それ自体威厳があり逆らいを許さない声に抑えつけられてしまった。だが時が経つうちに冷静さが別の意識を浮き上がらせてきた。
「無い、在るわけが無い、人間が最高の存在なのだ」
私は自分の声に驚き夢からさめてしまった。

                     1966年6月


          『恐山』
 

  東北へ来てから三日目、無計画なたびの中にも恐山(青森県下北半島)に行くということは最初からの計画だった。
 
バスが狭い山道を登りきると左手に宇曽利湖、さざ波が金色に光をはね返し夕暮れの中に落ちていく。山門を入り宿坊に急ぐ道、薄暮の中での異様な光景に目を奪われる、それは現実とかけ離れた光景だった。
「君らは泊まるつもりだろう、早く来ないから部屋はもう無いよ」
宿坊の案内に立つ僧が見とれている私たちに近寄ってくるなり声をかけてきた。
「そんなことを言わずどんな所でも…」
「三人か、何とかしよう」

僧はからかいであったかのか笑いながらあっさりと引き受けてくれた。私たち二人に旅の途中知り合った医大生と同宿することになった。遅く来たせいか冷えかかった食事をがらんとした食事部屋で早々に済ませると、疲れを癒すために風呂に入りに行った。
硫黄の香が強い湯船は男女混浴であったが、目的とするものが宗教的なせいか老人が多く、たまに観光を目的とした若い人達が混じっている。湯から上がり裸電球が薄い影を作る部屋でほてった体を冷やしていたが寝るにはまだ早く外に出てみることにした。
 
星が空一面手に取れるようにここ東北の澄んだ空気の空で瞬いている。その下にある恐山という世界、夜陰の中に建物と灯篭が気味悪く浮かび上がっていた。
「写真を撮ってくれる」
一段高い所にある塔婆の林立した場所に上がり、塔婆を背景にして立った。ストロボが一瞬光を撒き散らす。写している方が気味悪くなるのか代わりにといったが友は応じてくれなかった。
 
翌朝食事前に起きるとカメラを片手にさして広くない地内を見て回った。無限地獄、賭博地獄、血の池地獄、賽の河原、薄黒く岩肌を見せ所々口を開けた穴から硫黄の湯気を噴出している金堀地獄。地獄の連続だった。
 この山の祭典(7月21日~24日)が済んでまだ日も経ってなかったのか、供養の石が高く積み重ねてあったり、子供の喜びそうな飴や素朴な生活を思わせる袋がしの類が雨と日差しの中で白くなり穴の縁を取り巻いている。歩くうちにいつか宇曾利湖の水辺に出た、白い砂を敷き緩い傾斜を湖に走らせている岸辺、立て札に極楽浜と書かれてある。その周りを取り囲むように石で縁取りをし、空に向かった供養の文字が小石で並び書かれてあった。

<弘ちゃんー母より>見ているうちに母親の姿が瞼に浮かんできた、生きている者にとっての死、それはなおも生かそうとする思いが魂になって存在しているのだという架空を創り出した、そのことをしないと人間という生物は生きていけないのかもしれない。だが身体を走る虚無感、足でかき回してやりたい、それは他人に対する死ではなかった。いつか自分も死ぬ、それは早いか遅いかだけであり確実に自分も死ぬ。永遠という時間の中で「生」とはなんと短いことか。

いつか回りきっていた。朝の勤行にも参加した、朝食も済ませ写真も充分に写した、後はバスを待つまでの時間をつぶせばいいのだった。支払いを済ませるために寺務所に入って行った。支払いが終わった後、住職らしき僧がいろいろな話をしてきた、その中で宗教的な話が出た、たぶん昨夜塔婆を背景に写真を撮っているとき訝るように懐中電灯の光を向けてきたのはこのお坊さんだったのだろう話の途中で思い当たった。
「今の若い人達は宗教を嫌うけど教えは必要だよ」
私に宗教心?
「けれど教えは二義的なものではないですか、まず人間存在をどのように見るかが大事だと思いますけど、そして如何に生きるか…」
私ははじめ黙って話を聞いていたが、話の腰を折るようにいつか返答をしていた。私は全て唯物として見ている、そこに絶望があったとしても真理なら選ばねばならない。住職らしき僧は私が話しているだけで何も言わなくなってしまった。まだ時間はあったがお礼を言い立ち上がると、バスの乗り場まで歩き出した。

                    1966年8月