楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

どうしても通過しなくてはならないものシルビオゲゼル

2011-01-24 06:13:42 | Weblog
 貨幣を考えていく上でどうしても一度は通らなくてはならないものとして『シルビオゲゼル』の減価する貨幣、自由貨幣がある。簡単に説明すれば貨幣が持つ「保存機能」を利用した金利という考え方であり、貨幣を大量に所有しているものには、さらに多くの貨幣を取り込む仕組みであり。その逆側に立つ借り入れを行うものには債務というかたちで労働の一部を利息をというかたちで吸い取られていく。

 市中の貨幣が偏った所有構造から社会に不平等をもたらすという発想で、所持している貨幣を時間と共に減価する仕組みを作ればいいと考えられたものといえる。

 この貨幣は一部の地域通貨として各地域で取り上げられてきたが、地域通貨としての役割しか持つことができなかった。

 どこに問題があったのか。ここでケインズがこれをどのように考えていたのかをウイキペティアから引用してみよう。以下はウイキペティアの自由貨幣から

 スタンプ付き貨幣の背景をなす考えは健全なものである。もちろん、それを控え目な規模で実行に移す手段を見出すことは可能である。しかし、ゲセルが取り上げなかった多くの困難がある。とくに、貨幣はそれに付随する流動性打歩[1]をもつという点において唯一無二のものではなく、ただその程度が他の多くの財貨と異なっているにすぎず、貨幣の重要性は他のいかなる財貨よりもより大きな流動性打歩をもつことから生ずる、ということに彼は気づかなかった。したがって、もしスタンプ制度によって政府紙幣から流動性打歩が取り去られるとしたなら、一連の代用手段-銀行貨幣、要求払いの債務、外国貨幣、宝石、貴金属一般など-が相次いでそれにとって代わるであろう。 引用終わり

 これを簡単に説明するとすれば、その前にネットで減価する貨幣を検索していたとき『子育て給付と減価する貨幣を組み合わせる"』このような書き込みに出会った。http://demurrageja.wordpress.com/

 ここでは子育て給付に現行通用している日本円とは別に、減価する貨幣を給付することを提案していた。つまり円との二本立てで子育て給付金を発行するというものである。

 ここでケインズが自由貨幣をどう考えていたのかということになる。引用部分を簡単に説明するとするなら。減価する貨幣を取り入れるのは、煩雑さを考えに入れ無いで通用させたとしても問題があるということである。

 まして現行流通している日本円との二本立てであるとするなら、それが社会で流通し商店で買い物をするとき商店はどちらの通貨を受け取りたいだろうか。減価してしまう通貨であろうか、それとも価値が変わらない通貨であろうか。確実にいえることは誰も価値が変動してしまう通貨は受け取りたくないであろう。

 たとえ現行流通している日本円を全て廃止し、減価する貨幣一本立てにしたところでケインズが言うように『もしスタンプ制度によって政府紙幣から流動性打歩が取り去られるとしたなら、一連の代用手段-銀行貨幣、要求払いの債務、外国貨幣、宝石、貴金属一般など-が相次いでそれにとって代わるであろう。』

 ということになる。ここでは何が問題なのかということになる。
貨幣が持つ交換機能と保存機能が連動し両立させてしまっていることにある。何度も書くようであるが人間社会で貨幣の問題となるものは『保存機能であり』交換機能ではないことである。

 この両者を分離させ流通させることができるなら人間社会は失業もなくデフレもなくインフレも無い社会を作り出せることができる。

 ここで私の考えていることは分離させることは簡単であるが、その後社会が円滑に機能していくのかということを目下思索していることになる。



 上記写真は入間市の消防訓練の写真です 

国債は人間の欲望が作り出したもの

2011-01-19 09:23:08 | Weblog
 このように書くと驚くかと思いますが。私自身は思索した結果として書いています。
国債発行は市中に出た貨幣と交換させる目的で開発されたものということができます。

 もし国債に交換することなく紙幣だけを市中に流出させれば、確実に労働と貨幣の関係から交換する労働量を超えたと解釈(心理的)され、手元に貨幣(現在では紙幣)を置くことに恐怖に近いものを感じ、活発な交換が行われます。つまり供給以上の需要が起こってしまいます。当然結果的には必要以上の貨幣と労働の交換が行われインフレという現象になります。

 そこで社会がどうなるのかというと、物価が上がり、持たざるものはより持つことが制限され、持てる者は物価が上がることを予想し買占めをしていく。当然最終的には持てる者の間で活発な貨幣と商品(労働で作り出された物)の交換が頻繁に行われ(A・Eの関係参照)現在では紙幣をより多く持ったものがより多くの富みを得てしまうことになります。

 だがそのような自体になったとき、恐れるのは誰なのかということになります。つまり持たざる者には失うものが無いというとき、当然のこと社会不安になります。つまり食うことができなくなったとき人々はその社会を不平等な社会として糾弾したいという欲求に変わります。

 そこで持てる者により持たせる工夫、また持たざるものに幾ばくかの貨幣を持たせる形の工夫。それが国債発行という逃げ道でした。

 持てる者から貨幣を国債に交換してもらい、当然そこには利息が付きカネがカネを生むという欲望を満足させられることになる。そして持たざるものには交換された貨幣を失業者救済もしくは内需拡大という名目で幾ばくかの貨幣が渡るような政策を採ることになります。

 しかし国債と交換された貨幣が外国の労働者が作った商品と交換されたのでは、やがて国内の貨幣は国内の労働と交換されることなく外国へと渡ってしまうことになります。

 これが現在の状況では無いでしょうか。
どこかが間違えている。ではどうすればよいのかということになります。



 上記の写真は小さいときの愛犬です。

 

貨幣が持つ保存機能としての国債

2011-01-17 06:28:07 | Weblog
 部屋の温度3度、ベットから飛び出しパソコンが置いてある机に向かうにはストーブを点けたとしても部屋はなかなか暖まらない。

 貨幣が持つ交換機能と保存機能、それらを現代までの人間の歴史の中で考えていくと、保存機能の中の一部である政府が発行する国債。それがどのような意味を持つのかということに突き当たる。

 市中に紙幣だけを大量に印刷し、出したのでは、当然ここでは通貨発行益が発生していくが、大量に発行された紙幣は労働で作られた商品とのバランスから、紙幣量に応じて労働の価値を上げていく、つまり通貨価値がきり下がっていくことになる。それを人間は歴史の中から教訓としてインフレになることを経験してきた。

 そこで考え出されたのは交換機能と保存機能を分離させることが、紙幣を大量に発行してもインフレを避けることができるという道を探り出した。それが交換機能と保存機能の分離である、政府発行の国債ということになる。

 国債は通貨(現在では紙幣だが)とは違い即交換機能を持たないゆえ、大量に発行しても市中に出回る通貨は量を抑えられることになる。国債をお金として使うには国債市場を通して市中に流通している通貨に変えなくてはならない。それは国債売買市場を通して変えることになる。

 国債を現在流通している通貨に換えるには、売る人間と買う人間が同数にならなくては通貨に換えることはできない。売りが強ければ当然額面割れを起こし、その分金利が上げることになる、逆に金利が目当てで国債を持っていたいという人が多くなれば額面は上がり金利が低くなる。

 そのことによって、より多くの量の通貨を発行させても、インフレを起こさず保存できる道を考え出した。


 国債を購入できるのはお金にゆとりのある人でしかない。つまり国債発行残高が膨れあがるということは庶民のお金がそこにあるのではなく、一部の生活にゆとりのある人のお金がそれを購入しているのである。

 それは人間の欲望の、多くの量のお金を持っていたいという気持ちのなにものでも無い。



 上記写真は中国旅行時の京劇鑑賞時のお茶のもてなし。

現在思索している段階です

2011-01-16 18:14:24 | Weblog
 以前に書きましたが人間社会の不平等の原因は貨幣が持つ機能の中にある保存機能が問題であると考えています。

 私自身考えるにはどのような社会(未来社会)になったとしても貨幣が持つ交換機能による、労働と労働の交換の仲介物となる機能を捨て去ることはできないと言えます。

 つまり今後仮に100年後、200年後になったとしても人間がこの地球上で生存している限り人々は貨幣(お金)を通して生活していく。この状態は変わらないといえます。

 では何ゆえに現在までの社会の中で不平等が蔓延してしまっているのかということになります。それは貨幣が悪いのではなく、使い方、つまり交換機能に絞った使い方をしていけば不平等は防げるのではないかと考えています。

 あくまでも貨幣は物々交換の中から生まれてきたものです。そして物々交換の中でも保存の利くものが貨幣としての資格を得てきたといえますが、現在の社会では物から離れ印刷すればいくらでも保存することができる紙幣になってしまった。持てる者はより大量に持つことができ、持たざるものは無一文という身分に落ちてしまうことだと言えます。

 私がブログを書き込むのは本来頭が冴えている朝が最適なのですが、このところの寒さから朝起きるのが辛く、頭のさえない時間に書き込んでいることから自分でも読み返してどうしょうも無い文章になっている気がします。



 この写真は家で飼っているミクという名の愛犬、5年数ヶ月前の仔犬のときの写真です。

今年の課題

2011-01-11 06:56:44 | Weblog
 昨夜NHKの番組、ニュースウオッチ9でジャパンシンドローム。今後の少子化、高齢化によって、日本は労働力不足に見舞われ、逆スパイラルの経済停滞が起こっていくと世界が注目しているというような内容でした。

 そこでまず気になったのが少子高齢化から起こる労働力不足という内容でした、毎日のようにテレビで放映されていいる内容は、大学を出ても、高校を出ても就職先が無い若者が溢れているという現実があるからです。この一面をとっても労働力不足が日本の停滞を起こしているということができるのか、もっと別のことが日本の停滞の原因では無いかということを、今後の課題として今年は考えて行きたいと思っています。

 失業とは、貴重な労働力を社会の仕組みから利用していないということに過ぎません。これらの失業者全てに職を与えれば高齢化に対処できるはずです。ロボット時代は人間から職を奪ってしまった。結果的に労働時間の短縮という方向に進めば失業者を減らすことができるのだが、現在の社会システムではこれらを解決することができないシステムが厳然とあるということでは無いでしょうか。

 今後の課題としてこの問題に取り組んで行きたいと考えています。

 最近は書くことが億劫になってきました、これを年齢のせいにしていいものか?
できるだけ書いていきます。

ベトナム旅行で食べたうどんでした。

いつも私の拙い書き込みを見てくださる方に感謝しております

2011-01-02 20:36:50 | Weblog
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

最近集中力に欠けてき、書くのがつらくなってきたのを感じています。

 何を書いていいのかと迷ってもいます。自分の考えでは現実の世界と、人間はこう生きるべきだという思考の世界とではすごいギャップを感じていますが、書いたとしても社会がすぐ変わるわけではないという思いが交差して、気力をなくしているのが現在の状態です。
でもできるだけこれからも書いていきたいと考えています。



 写真はベトナムに家族で旅行したとき、夜8時ごろ街を見学しに行きました。そのとき路傍で竹細工をつくりながら老人が売っていた物です。

 また買っても持ち帰りに壊れてしまうのを恐れ、写真を撮らせてもらうだけでしたが写真を撮らせてくれた老人に、子供を引き返させジュースを一瓶差し上げました。その時老人が満面の笑みを見せてくれたことが心に残っています。