楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

今回はわき道。首相公選性

2012-02-26 06:33:07 | Weblog
 書くべきか書かざるべきか、今心が揺れ動いています。それは今書こうとしている私のこの文章です。それは私の愚痴ですから。
現在フェイスブックに関心があり、パソコンを開くとついメールを確認し書いてしまうということになります。書いていれば当然のこと一日の大半の時間(これは私だけではないと思う)をとられ他の勉強が疎かになっていく。暫く返信をしないでこのブログを書くことに専念しなくてはならないという両方の心の葛藤です。フェイスブックでのやり取りは、たわいの無い(失礼)会話であり気が楽であり、ある意味皆さんの会話を聞いているだけでも楽しいのですが、いつの間にか時間が経ってしまう。そしてやがてこれでいいのかという心の叫びが聞こえてきます。

 まだ書かなくてはならないこと、どのような過程で経済が崩壊するのか(もう世界では崩壊しかかっている)の原因を書いていくこと。そしてできればケインズが考えた経済のあり方。結果的には失敗に終わっているが、なぜ失敗したのかを、そしてどこに失敗の原因とその結果(世界的な国債の発行)掘り下げれば掘り下げるほど色々なことが見えてきます。そこで安易な道、気楽な道としてのフェイスブックにはまるか、そちらを控えて苦しい道(頭を使う)に進めるか。それが現在の悩みです。たぶんここで心境を書いたということはこのブログを大事にしていくという決心がついたからでしょう。

 もうひとつ書かせてもらえば最近の政治の動きとしての大阪市長の橋下さんのこと、現在は皆さん黙っていますがある意味良識のある方でしたらそこに何かを感じているのではないでしょうか。現在の混沌とした日本の政治情勢、その中で橋下さんのような方が出てもおかしくない状況ですが、私はそこに大きな危惧を感じています。それはある意味教育者同士の中で密告者を育てている。反体制者を密告をさせ消していこうとしている。これが大きな政治の世界に持ち込まれたら、日本は中国・朝鮮にも劣る社会になるのではないかということです。私は家内とツアーで中国旅行で天安門広場に行ったときです、一人の老人に近い男が自転車で私たちのところへ来て何か手渡そうとしました。それは1枚のビラでした。それを受け取ろうとしたとき、これも自転車で来た公安らしき人がビラとともに手渡そうとした老人を取り押さえ連れて行きました。つまり表現の自由・言論の自由が無い社会だとそのとき身近に感じました。

 もし私がその時の写真を撮っていたなら、無事で帰れなかったでしょう。一枚のビラを貰っていたらそのビラを取り上げられただけで返されたのでしょうか。後で調べてみると公安がその老人を監視していた。その老人がビラを配るであろう事を察知していた。そこには住民同士の監視体制が出来上がっている。体制側のスパイがそこら中にいる社会だと痛感させられた瞬間でした。

 日本もたとえどのようなことがあってもそのような密告者を育てる社会にはなってほしくないと感じます。あなたの隣にスパイがいる社会。政治的な発言が自由にできない社会がそこにはある。そのような社会にはしたくないものです。

 それからもう一つ気になることは橋下市長さんの首相公選制のことですが。公選ということは国民が選挙で首相を選ぶことです。確かに選挙で首相を選べば、今の首相よりも権限が強く世界でも、すぐ変わってしまう日本の政治家よりは、日本を世界にアッピールできるわけです。ですがそこに問題があります。首相が国民に選挙で選ばれたとき、天皇の立場はどうなるのでしょうか、世襲性の中で象徴としての天皇制、方や国民の大合唱の中で選ばれた首相。首相公選が当たり前になり時間が経過した状態で天皇制はどうなるのでしょうか、橋下さんはこのことを深く考えて発言しているのでしょうか。それとも維新の会としての打ち上げで言っているだけで、やがては小泉さんのように萎んでしまうことを想定しているのでしょうか。

格差はやがて経済を崩壊に導く 20 一国一通貨制

2012-02-23 07:23:20 | Weblog
  昨日まで書いた事の続き。
その前にギリシャの債務問題で、3月20日に国債の償還日を迎えデフォルトされるかを心配されていた支払いが、なんとか支援されるという話が纏まり、それによってドル・ユーロが買われ円が80円まで下がったというニュースが流れた。その関連する問題で日本ビジネスプレス(JBpress)
にはこのような記事が載っていた

「ギリシャはユーロ圏のためにデフォルトしろ」そしてさらに記事の中で「ギリシャはユーロ圏の植民地」という題で書かれていた。一部を引用させてもらえば

〉〉ドイツのヴォルフガング・ショイブレ財務相が追加支援の条件として、ギリシャは4月の選挙を延期すべきだと提案した時、筆者には、このゲームがもうすぐ終わることが分かった。我々は、支援の成功と民主主義がもう両立しないところに来てしまったのだ。

 あまり引用として使うには問題があるのでその後は日本ビジネスプレス(JB)を見ていただきたいが…その中で拙い私のコメントとしてなぜユーロ圏の問題が世界を震撼させているのか、どこに問題があり,
があり、隠されていたのかということで書かせてもらいました。

 私の拙い文章ながら(これも年齢と知識が浅いため)この原因を「一国一通貨〉というところまで掘り下げたとき問題が明らかになり、今後どのような方向に向かうのかということを書きました。そこで書き切れなかったことを私のブログで書き足していきます。

 一国一通貨ということは通貨を発行するには国という単位の中で政治と経済が結びついていくことが重要な要素となります。現在のユーロ圏という場合は国という単位を超えた数カ国が集まり「圏)という経済だけの結び付きから始まったものであり、そこには政治は各国の自由裁量ができるということではなかったのか。つまりここに問題があったことになります。現在「圏〉を維持存続するために経済では限界に来てしまったため、政治の領域まで介入している。これは一国一通貨という枠組みを無視したやり方になると考えます。

 ではこの一国一通貨という制度?がなぜできたのかを考えてみます。人間が規則または法律として最初から考え出されたものではないと言えます。以前にも書いたように貨幣(通貨でもいい)が人間社会で使われ出したのは物々交換の延長からであり、そこである物質(例えば金)が交換の仲介役(本来労働と労動の仲介物)として重宝な存在となってきたことです。金(最近まで金本位制)ではやがてそのまま保存され通貨不足となってデフレという経済危機に陥ってしまうため、金に変わる通貨として、いくらでも印刷することができる紙幣に変えてきたわけです。だが通貨を発行することはそこで膨大な利益(通貨発行益・シニョリッジ)が得られることから、やがてその利益が一部の人間によって独占されてき、それを守るかたちで一国一通貨という国の中での単位として出来上がってきたものと考えます。(人間が貨幣の理解の下作った訳ではない)

 そこでなぜ通貨発行益があるのかということになります。通貨発行主体は現在では原価のあまりかからない紙幣を印刷すればいいことになりますが、ただ印刷しただけでは利益は生まれない。つまり人に使ってもらわなければならないわけです。そこで人々に印刷した紙幣を全体に、日本で言えば1億2千万人に渡さなくてはなりません、渡すためにはただで渡すわけにはいきません。ここでは国民に貸すか、国民から物(商品)を買うかまたは労働の報酬として渡したとき、全体に渡れば通貨は国中で労働と労働の交換で動き出すことになります。この時国民に使ってもらうために貸した紙幣(貨幣)は利息をつけて返済してもらうわけであり、国民が作った物(商品)を買えばその国民の労働を単なる紙切れで購入したことになります。貨幣の初期の段階では国王が貨幣を発行し流通させるため豪奢な城とか他の建造物を建てることによって貨幣を行き渡らせました。

 貨幣(お金)は一度人の手に渡ればその人が、次の人の労働、もしくは労働で作られた物(商品)との交換をします。さらにその貨幣を受け取った人は次の人の労働との交換に使います。発行した人間(初期の時代は国王など)は一度発行してしまえば自己の労働との交換はありえなく、市中に貨幣が充満されるまで何度となく発行し国民の労働を得ることができます。その発行した貨幣を使い軍隊さえも作ることができます。このことを通貨発行益(シニョリッジ )といい、最近ではビール券がこれに該当するのかもしれません。なぜなら発行体の手を離れて色々な商品を買える、また受け取った商店が発行体では現金化しないで、他の店でこれを使用し、次々にこの一枚の券が絶え間なく流通に回れば発行体自身には多額の現金が入ることになります。この現金を別の投資に回せば、支払いに回るのはその一部の発行券だけとなります。これは単にビール券を言っているのではなくあくまでも通貨発行益の説明として使わせてもらったものです。

 アメリカが基軸通貨としてドルを世界の貿易通貨として世界中にばら撒いたわけです。タダで渡すわけではなく相手国に渡すには相手国から商品を輸入することによって、ドルは世界中にばら蒔かれたわけです、その中には住宅関連の商品も大量に相手国から輸入しました。で消費するには国民にローンを組ませた、それがリーマンショックに結びついたと感じています。また他の方法としてはドルを世界中にばら蒔くには金(キン)をドル札で買えば世界中がドル札を使ってくてます。さらに限られた金を買えば値上がりして以前にも増してキン買いによる資産が増えたのではないでしょうか。
やがて大量の金がアメリカ国内に貯まるわけですし、そしてドル札は世界中が使ってくれるわけです。ただ大量の金とは別に住宅ローンでは支払不能に陥り大量の債務者は自己責任の下家を失ったわけです。

 リーマンショック後に来た職場を失い家を失った人がいる反面、この時の通貨発行益は誰が得たのでしょうか。
 

格差はやがて経済を崩壊に導く 19

2012-02-22 09:34:57 | Weblog
前回からの続き
人間としての知恵は人類がこの地球上に増加するにしたがい、この自分たちが住んでいる地上は何なのかを解明しようと努力してきた。最初期はそれを宗教的に解釈しようとした。現在でも一部の人たちはこの地上を神が創造したものとして進化論さえ受け付けないグループもある。それは人間の「死」に深く結びついているようだ。自己の存在をこの地上だけでなく未来永劫に存在している。そしてそうなって欲しいという願望のもと、己を信仰に打ち込んでいく。そこにはそうなって欲しいという自己暗示と集団暗示の下に行動している。

 その一方で私のように懐疑的な人々も増えているのが現在21世紀初頭のあり方かもしれない。全生物の上部に君臨し、他の生命あるものを捕食し、毎日鶏を何羽殺し、豚を何頭殺し、牛の命を奪い、そして人間だけが万物の霊長だと言わんばかりに、それらを食している。宗教を信じている人さえその殺生を黙殺している。それは人間が生きていくため仕方がない行為であるが、そこには自分自身が生きるために他の生命を奪い取ろうという意識も消えているように思えてならない。そしてその延長線上にあるのが人間同士の殺し合い、戦争なのかもしれない。

 人類の道具の中で一番進歩したのが殺戮の道具ではないだろうか。最初は手で投げるヤリで始まり、やがて飛び道具としての弓に変わっていった。その次には火薬を使った銃に変わり格段に殺傷力が向上した。そして最終的には人類を全滅させるだけの力を持った武器として、原子の力を利用した武器に変わった。その次にはそれを遠くまで無人で飛ばすミサイルに変わり、やがて宇宙を理解しようとするロケットに変わり、宇宙への夢が膨らんでいった。

 そして別の面ではあらゆる探究心が新しいものをどんどんと創り出していく。つい最近までラジオの世界だったものが白黒テレビへと変わり、次にはそれがカラー化されやがて真空管テレビが液晶へと変わっていった。

 固定電話が携帯へと進み今はスマートホンが全盛期を迎える。そこには新しい物を創造しようとする人々の知恵が結集される。

 そして科学は資源獲得競争の中でより地球の最深部へと向かう。まだ手付かずといってもいい深海へと手を伸ばしていった。そこには大量の資源が隠されている、飽くことのない探究心そこに国家、企業を巻き込んで資金が注ぎ込まれ、組織が動いていく。
 
 片や医学に於いては遺伝子の究明、新しい医療競争へと激化していく、それはある意味企業にとって莫大な利益を生むものとして捉え、現在では特許獲得戦争に発展していく。IPS細胞、倫理感の問題を孕んだPS細胞の研究が日々のニュースにならない日はないくらいだ。

 なぜ私が上記に書いた、このような人間の進歩を列挙したのかと言うと、一つだけ進歩進展を見ないものがあるということを書きたいがために列挙したことになる。その解明されないものとは。人間を考える上で本来なら最初に考えなくてはならなかったという思いがあるからにほかならない。

 人間の知恵がここまで自分たちの周りにあるものを解明しようと頭を働かせてきた、それにもかかわらず最も大事なものを解明しようとしなかった理由は何なのであろうか。そこには解明されてはまずいという一部の人間の知恵、欲望、人間を人間が支配するという願望が見えないように隠されてきたとしか言いようがない。これから私が書いていくことに眉を曇らせ、そんなものは無視してしまえという人もいることは確かだ。

 次回にも続く

格差はやがて経済を崩壊に導く 18

2012-02-15 09:15:54 | Weblog

 最近書いてきて思うのは、私が書いてきたことによっていくらか社会を変えることができのかという思いがあります。大げさに言えば年齢的にも精力的に書ける年ではなく、またいつまで続けることができるかという不安もあります。せめて生きているあいだ、体が動くあいだ、頭がぼけないあいだになんとしても考えたことを世に残していき、世の中を少しでも良くする方向に動かしたい。
 
自分が死んだ後、自分にとって何の意味も無いことは、死後が無いということを理解している私にとって、私自身書いたことは何の意味も無くなるわけですが。書いて残すことが私の責任なのかを考えます。

 若いときとは違って、新聞記事で世界経済を読んだとき、即理解できるのですが、やがて読んだことを自身の引用で使おうとすれば、そのときには記憶があいまいになっています。結果的に引用(データ)が無く自分の頭に浮かぶことしか書けないわけです。それと書きたい言葉や、文字がなかなか出てこないことで何か一方的に書いている印象を与えているのではないかと思ってしまいます。

 でも最終的には貨幣とは何かという、貨幣の歴史の始めからを振り返った中で、いくばくかの貨幣研究者が現れてくれることを願い、経済学者・政治に携わる人たち、そしてお金を日常使っている人々にも理解できることのため、何らかの行動を取れればいいと考えています。

 それは格差反対のデモに、自分も参加して多くの経済学者に貨幣とは何かを考えてもらうチャンスになればという希望もあります。
 つまりプラカードに「貨幣とは何かを経済学者は考えろ」「経済学者は本来の経済とは何かを考えろ」とか色々と私が書いてきた中にヒントになるものがあるかと考えています。

ここまでは私の愚痴になりました。老人の愚痴ということで勘弁を…

 これを読んでくださる人にとっても、どうしても貨幣を考えると言っても現状の財布から出したお金の支払いから抜け出せないのではないでしょうか。そこには使ってしまえば無くなってしまう。それ以上考えようとすれば、残業をやってより稼ぐこと、そして使えるお金(貨幣)を増やすしか方法が無いと。それは永い間刷り込まれてきた一部の人間の利益のための宣伝から脱却していないためですとしか言いようがありません。
 
 おそらく社会の上部で貨幣に携わっている人達、貨幣の使われ方を研究している人達。デフレ脱却をどのようにすればよいのか、インフレ率を何パーセントに目標を置けばいいのか等を真剣に研究している人達、また報道している人達、私にとって彼等が話すことは貨幣とは経済とは難しいのだ、博打を打っているようなもので、どうしようもないことだとしか言っていないように聞こえます。

 経済は人間の心理でしか動かない。それは私の書いた「A・Eの関係」を読めば解るかと思います。世界がEU問題等を入れてマイナスの報道にもっていけば未来に対し弱気になりお金を使わなくなる。また現実に持てない人(失業者)が増えていることから、どのように太鼓を敲いたとしても財布の紐は硬くなるだけです。

 高級を得ながら経済を考えている人達に、このようなことが解っていないはずはないと言い切れます。なのにあたかも皆さんが財布を開かないのが悪いので私たちはその財布を開かせようと頭を並べて考えていますというイメージしか報道していない。これではどんどんデフレスパイラルに落ち込んでいく。

 脱却するには皆さんたちがどんどん買い物をしてください、ただしその責任は自己責任だということを忘れないように。という発言でしかないように感じる。
インフレ率1パーセント。そのことは将来物があがりますから今のうちに買い物をしてくださいと、高給取りの日銀総裁が無責任極まりない発言をしている。

そして彼等の目標であるインフレの芽が出てきたとしたら,物価が上がるという未来に対する不安感から、なけなしの金を使い物を買いに走り回る。そしてインフレになってきたと目標達成を喜んでいるが、そのインフレの芽を1パーセントに留めおく自身さえも無いと言える。逆にそのことで債務超過の人が何パーセント増えるのか。自己破産する人が何パーセント増加するのか。本来はもっと根が深い所に原因があるのだが…

JPプレスに投稿 格差の問題

2012-02-14 10:27:31 | Weblog
 インドの格差社会は JPpress
いつまで遠い世界の話と言えるのか
格差は宿命のアジア諸国、では日本は?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34492?page=3

本日JPプレスに投稿した私のコメントです。

 格差はなぜ起こり問題となるのか。その問題点は貨幣の流れを止めてしまうことにあると考える。科学技術の差は現在の発展国と発展途上国では格段の差がある。発展国の技術がその国に持ち込まれたとき、持ち込んだ国の給与が与えられる。そこで与えられた給与を現地通貨に直したとき、現在の外国為替では大きな差が出てしまう。そこに格差が今の世界では当たり前となってしまった現実がある。この解消法は通貨を交換する際に現地賃金との比較で税金を取る等の施策を講じる方法があるのではないか。
 
 今の先進国と発展途上国とでは外国為替の問題が大きなウエイトを占めている。そしてそれらは誰が作り出しているのか、日本円も必要以上に上がってしまった。そこには為替差益を得ている一部の人間の欲望の犠牲者が世界にあふれることになる。

 発展途上国に於いては大部分の人たちが稼ぎは変わらないのに物価が上がっていくという貧困が増えることになる。

他の掲示板でのコメントから。交換機能と保存機能

2012-02-12 10:15:07 | Weblog
前回の分、阿修羅という掲示板に書き込みましたところこのようなコメントをもらいました。私自身で考えているよりも人の意見を聞かせてもらったほうが、自分の考えている世界を伝えられると考えます。

〉結局、現在の貨幣経済とは不当な労働搾取による社会格差の拡大と似非エコ環境破壊と資源の貪りしかもたらさないんじゃないのかなあ?


コメントありがとうございます。
貨幣経済の定義とは何なのかということは分かりませんが。確かに言われているように、現在の社会では貨幣を使って競争社会を作り出している。そこにコストダウンがあり、そのためには平気で人員削減という首切りがある。

 そのようなものが貨幣が持つイメージになっている気がいたします。そしてそれらを作り出しているのが貨幣が持つ保存機能が利用されていると考えています。

 富者とは何なのか、それは多くの預金を持っていること。またお金にかえることができる株券、国債、キンなど保有している人。ただここでは預金と国債が経済の偏った所持方法だといえます。銀行は客から預かったお金を金利のつく国債に換える。結果的に世界の国債残高は膨らんでしまった。その国債の元になっている預金、人間以外の動物が持っているわけではなく、確実に人間つまり個人が持っているわけです。

 この話をすれば長くなってしまうので簡単に、たとえば現在ギリシャの国債、支払えないから半額にしろと所持者(ここでは金融機関)に掛け合っていますがイエスという返事がもらえないのでいつまでも解決が先延ばしになっています。持てる者は自己の財産を減らそうとはしないため。国債残高が膨らんでいく一方ということになります。

 ただ単に豪邸に住んでいたとしても、それだけのものであればやがては維持費(固定資産税の支払い他)をしていくのにお金が必要になります。それらのお金の支払いに貨幣が持つ保存機能としての、保存されたお金が使われるわけです。銀行に預けたお金を証券化すれば貨幣が持つ交換機能と保存機能を分けることができます。豪邸を持っている人も維持するために証券化した預金を市場を通して売らなければ豪邸は維持できないということになります。当然保存機能として現在使われている国債は無くすという方法になります

格差はやがて経済を崩壊に導く 最終回 2

2012-02-11 06:36:48 | Weblog
 昨日の続きです

 ある例をとれば日本の戦時中、武器を多く作らなくてはならないため、何でもかんでも労働力をかき集めた。しかしその人たちに労働に見合った賃金を渡さなくてはならない。そして多くの紙幣が刷られた。その一方で「贅沢は敵だという」宣伝を流し、金があっても商品を買うことは罪だと教え込んだ。その代わり人々がより多く持ちすぎた貨幣を何らかの方法で国が借りあげる手を打った。それが国債であり、満期払いの保険となって人々の金を吸い上げ、またそれを武器を作るための労働者の賃金支払いに当てた。贅沢は敵だという教えは武器を作るため日用品を作らせない口実で、極端に日用品(食品等)が不足してしまった。

そして敗戦、軍部の、贅沢は敵だと言う監視から人々は解放された。競って貯めていたお金が一気に不足していた商品(食料品)になだれ込んだ。だが武器を作るため人の労働は日用品を作れなかったので、供給が極端に不足する事態に落ち込んでいた。当然そのような事態では刷りすぎた貨幣と商品の不足から、いくらでもいいから買うと言う心理が働いてしまい。その結果ハイパーインフレ、貨幣は紙切れ同然になってしまった。それが戦後の姿だった。生きていくためには人は物のある地点へと移動し、交換できる商品(例えば着物等)と食料を交換するため取締りの目を逃れて買出しへと走った。

 これは予断ですがその買出しに来た若い女性を取締官という名を語り、人気の無いところへ連れて行き暴行殺人、そして女性の性器を切り取り今で言うコレクションにしていた。その加害者は小平ヨシヲという卑劣漢でした。このような事件が報道されても人は生きるため、食うために買出し列車に乗るという時代でした。ここで戦後のハイパーインフレとはどういう時代だったのかということが分かってもれえたのではないでしょうか。纏めれば軍部主導の「贅沢は敵」という必要品でも買わせない政策、貯めた金を貨幣と違う紙切れで吸い上げる。そしてそれを学徒動員等で集めた職工・女工に賃金として渡す。その時代はすざましい勢いで印刷された紙幣はばら撒かれた。そしてその金を使うことが犯罪者であるかのように監視をされていた。

この時代のハイパーインフレとは交換機能が抑えられた状態の中で保存機能が強制力を持った時代だといえます。
次回もまだ最終回が続きます。

 

格差はやがて経済を崩壊に導く 最終回

2012-02-10 06:15:41 | Weblog
 いつまでもこのタイトルで書いていくことは読まれている人にとっても飽きがきそうなので次回から別タイトルを使いたいと考えています。そこで最終回として、なぜ経済が崩壊するのか、その原因はどこなのかをかいつまんで書いてみたいと思います。

 そして何回も書いているようですが私が貨幣についての文章を書く上で基本となっている考えはなんと言っても「A・Eの関係」です。その考え方が無かったら私自身貨幣とは何かと言うことを理解できなかったでしょう。その考えが生まれたからこそ現在まで進んできたといえます。

 そこで貨幣とはAからBに貨幣が渡るにはBの労働をAに渡しAの持っている貨幣を受け取る。この関係が貨幣の交換機能という物々交換時代から引き継がれてきたものであり、ただそこにはもうひとつの機能として、保存機能と言う溜め込んでしまうことのできる働きが付随していた。しかしそれを研究する人が数千年経った現在まで現れることなく、研究されないことを良いことに、限られた貨幣量(注1)の中で片一方の人間はより多くを持ち、片一方は少ないかゼロ(失業者)に等しくなってしまう。それが格差と言うことになります。

 このような状態を永く続けば当然社会不安に発展することは間違いない。どのような時代でも言えることだが貧者は食うために、生きるために、ムシロ旗を立て現状の境遇からの脱却を訴える。
 
 そこに現れたのがケインズ経済であり貨幣量が少ないために経済が落ち込むという考え方で、貨幣をより多く刷り公共事業を通し人々に渡せば経済は活発に動き出すと言う理論となった。

 だがどのようなことをしても最終的に市中の貨幣量は一部の人間の掌中に入ってしまい、やがては交換に回る貨幣量は少なくなっていくことになります。
 
 金本位制から金の兌換停止と言う処置がとられたのは歴史的にはまだ最近の出来事になります。金(キン)と言う現物ではより多くを稼ぎ出したものは金と言う現物(1トロイオンス35ドル)で金を溜め込んでしまう。貨幣量が不足すればデフレ現象となり、売れない商品を作っても事業が成り立たないと言うことから雇用が急激に落ちる、失業者が巷に溢れることになる。そこで金の兌換停止 
http://electronic-journal.seesaa.net/article/102553192.html
と言うニクソン声明となったわけです。ここから金に変わって印刷した紙が主流になっていくわけです。そしてやがて金利をつけた国債との交換が主流を占めてきたわけです。この元になっているのが貨幣の保存機能です。

 保存機能と交換機能とを分離をさせればこのような問題は起こらなかったと言えます。

当然これらの貨幣の機能を理解していれば、最終的に何が起こるかも理解できるわけです。

 現在の唯一貨幣から保存機能を分離させ独立させたものが国債という市場での取引しかできない貨幣とは違う商品となったわけです。だが期間を決めているわけですから金利支払いと同じように償還日には額面で返さなくてはなりません。さらに償還のために新たな国債を発行していく、と言う下向きスパイラルに落ち込んでいるのが現在の世界です。この原因は貨幣の保存機能に甘えて利益を多大に膨らませていた一部の人の欲と言えるものなのです。

 やがて国債の支払いができなくなれば経済はストップしてしまいます。一言で言えば保存機能が経済を崩壊させてしまうと言うことになります。


注1=ある一定の社会の中ではおのずと貨幣量は限られている、その基本となっているのが需要と供給のバランスと言う、労働で作られた商品を買う人と、作る人の関係であり。貨幣量が多くなれば買う人が多くなり、製造が間に合わなくなる。そこに需要と供給のバランスが崩れたと言うことになる。

 次回にも続きます。

格差はやがて経済を崩壊に導く 17

2012-02-07 07:05:17 | Weblog
 ここでも投稿しましたが同じ文章を阿修羅という投稿版にも書きました「格差はやがて経済を崩壊に導く16 その中でコメントとして帰ってきたものをここに引用し、また私の考えを書きます

下記の文章は帰ってきたコメントです。


>01何でもかんでも、使え、国債がある。で溜まりたまって、1000兆円の借金。このままでは、1500兆円、も、近いかも。国債償還の為の、国債発行。挙句の果ては、日銀が、肩代わり。輪転機すりまくり、インフレで国民貯金1400兆円の実質価値半減。つまりは、国民が貯金から最終払う。この膨大な借金は低所得者消費増税より、昔の高所得者課税率、法人税率に戻し、宗教法人とか、金のあるところから取らないと、間に合わないとこまで、きている。                                                                                                                02. 2012年2月05日 21:29:21 : 70oIiPFHiY国債残高が世界的に増大しているのが現状です。そこで問題です。

その国債を誰が持っているのでしょう。銀行ではありません。銀行がお金を刷れるわけではありませんから。国ですか?国とすれば選挙で選んだ議員さんが勝手にお金を印刷している事になります。金利を入れた国債償還のため新たな国債を発行する。より増えていく国債の行方は?

01の文章は私の阿修羅の投稿したタイトル「より多くの人が貨幣を理解することによって未来が変えられると信じています」という書き込みに対してのコメントでした。02の文章は私が匿名で書いた質問でしたがこれに対してのコメントはありませんでした。

 私がまず最初に疑問を感じたのは世界中で国債残高が膨れ上がっている現状。なぜそのように国が国民から借金をしなければならないのかの疑問が国民の間から出てこないということです。そして誰も貨幣のトリックを教えない。

 国民から借金?でも私は国に貸すほどのお金は持っていません。そのように感じる人は一部の人を除いては多くの国民が感じていることではないでしょうか。そこで考えられるのは国が国民から金を借りるのではなく、金を貸している人は『一部の人』であるということです。多くの人が家のローン・自動車のローン・教育費のローンその他の諸々の借金にによってマイナス資産者として苦しんでいるわけです。さらに職にありつけない失業者は一時的には政策として雇用が増えたとしても、その財源となっているのはやはり国の借金です。そしてその借金は一部のプラス資産家の元に最終的に流れていく。

 これではやがてこのままにしていけば最終的には世界的に国債が売られ、金利上昇、インフレという未来が待っているだけです。このような状態では経済が崩壊します。

ただ一部の国を除いてはですが、それはその国全体に貨幣が行き渡っていない国だけです。その国は内需拡大という政策が生きる国、たとえば中国等インフラ整備に投資ができる国です。そこで投資されたお金はそこで働いた労働者の懐に落ちます。そして彼等は今までの生活に不足していた商品を買います。そこには確実に経済が動きます。

 それらの発展国を除いた国はやがて国際が売られ金融機関が損失をかぶるはずです。現在最も恐れているのは日本国債を買っている金融機関ではないでしょうか。

 それらの元になっているのは貨幣の保存機能と交換機能が理解されぬまま現在社会までつながってきたという一言につながります。

貨幣が持つ保存機能をできるだけ理解させないように仕組んできたプラス資産者側の論理に人は教育されてきたためであるといえます。

 このままでは経済は崩壊してしまいます。その原因は格差にあるということになります。国債はプラス資産者側のために発行されているといえないでしょうか。

格差はやがて経済を崩壊に導くⅩⅥ

2012-02-04 18:50:37 | Weblog
 今まで何度っも書いてきましたが、今の世の中で問題を起こしているのは世界中が国債を発行していることだと言えます。一部の人はより資産を持ちたいため政治に働きかけ国債を発行させた。その考えはケインズ経済学であり現在の経済学がそのような方向付けをしているといえます。

 そしてさらに悪いことには支払いに問題が起きると考えられた国(例えばギリシャ・イタリア)等では既発国債が額面割れで売られ、その分金利が上がるということから、既発国債を償還するため新規国債を発行する段階で、サラ金なりの金利をつけなくてはならないという仕組み(例として7%以上の金利ではやがて償還が難しくなると理解していながら)をプラス資産家優遇のため当たり前のことのようにこの論理がまかり通っている社会。ここには弱肉強食の非人間的な世界がある。

 ユーロ圏を例にとれば成立事態に問題があった、それは貨幣のあり方として『一国一通貨』という考え方を無視した結果の最悪の状態を招いたことだった。経済で統一しようとした考え方が間違えていた。つまり経済と政治は切っても切れないものということを置き去りにして、「圏」を優先して「国」を置き去りにして統合してしまった。国には国家としての主権がある、それは何人も犯すことはできないはずだ、犯すことは内政干渉になる。しかしユーロ圏では生産格差がありながらの統合の結果、その格差を覆い隠すため国債を発行させてきた。

 最終的には生産性の高い強い国が生産性の低い弱い国を借金付にして、その国を掌中に収め生産性の高い技術を導入し、安い労働力を使い雇用を守っているという救世主のような振る舞いでその国を配下に収めてしまう。

 そこにはやりきれない社会がプラス資産家の思惑どうりに動いている。
またある一面では財政危機を救うため弱者にムチを打ち、働け働けという社会もある。多分その社会に救世主として現れる人物は歴史を逆の方へ引っ張って行くのではないか。

 政治的に根本を変えることができるとするなら、このような問題を起こしている源を変えなくてはならないはずだ。それは国債の発行を止めさせるという強い政治力が必要だろう。それに変わるものとして国債証券の代わりとなるのが預金証券という市場で売買されるものでしかない。

 預金証券で集まったお金はあらゆる技術発展・企業を起こしたい人への投資資金として使われる。

 このことこそ貨幣が持つ、交換機能と保存機能の分離でしかないと考えます。

 数千年という物々交換の時代から発生してきた初期の貨幣の原型から、現在の貨幣のあり方を、現在こそ考え直さなくてはならない時期に来ていることを人は気がつかなくてはならないと思います。

 旅行先で昨日(金曜日の夜)モバイルを使って投稿しましたが回線が込んでいてタイトルが入れられませんでした。本日土曜日は家庭の回線で簡単に繋がりましたのでタイトルを挿入します。