「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「横須賀の紅葉」

2010-11-29 01:36:40 | 和歌

 横須賀には数少ない「紅葉の名所」がある。

 京浜急行・野比駅からものの2km程のところに、横須賀リサーチパーク(YRP)と称する各種企業の
研究・研修センターの集った地域があるが、ここのメインストリートのメイプル並木は、温暖な三浦半島にしては類まれな見事な紅葉が楽しめる。偶々ドライブの道すがら通りかかったら、鮮やかな紅葉の並木に出会って感激した。カメラを携えていなかったので、その情景をご紹介出来ないのは誠に残念だ。

 数日後、虚庵夫妻はカメラを携えて、改めてYRPへ「紅葉狩」に出掛けた。
車を近くに乗り捨て、メープルの紅葉並木の下を徒歩で往復しようとの心づもりであった。県道を折れて
YRPへのアクセス道路に入りトンネルを抜ければ、そこには期待のメープルの紅葉並木が続いている
筈であった。

 が、驚いたことにメープルの紅葉は姿を消していた。
あろうことか、メープル並木の梢は綺麗に剪定されて、紅葉の一枚すら残っていなかた。虚庵夫妻は言葉を失った。「エッ! どうしたの!」 

 何が起こったのか? 咄嗟には理解出来なかった。
暫らくして思い至ったのは役所仕事の「道路整備事業」だ。
メープルの紅葉は見事だがやがて落葉する。YRPのメインストリートはかなり長い並木だから、メープルの落葉が散り敷いて風に舞えば、その始末は大変であろう。道路のみならずそれぞれの企業の研究所や研修センターへのアクセス、或いは駐車場などへ落葉が飛び散るのは自明の理だ。市役所へは苦情が殺到するかもしれない。大量の落葉の掃除を考えれば、その費用だけでもかなりな額に嵩むであろう。また冬になれば、一年かけて伸び放題だった枝の剪定もせねばなるまい。ならば、落葉する前に整枝をすれば、落葉の清掃作業費はまるまる浮かせるし、整枝の作業費はもともと予算化済だ。
「これだ! 名案だ!」と、市役所の担当は合点したに違いない。

 斯くして横須賀市役所は、「道路整備事業」の一環としてメープル並木の整枝作業を早めに発注したのであろう。
「整枝作業を即刻行うべし。作業遅れにより落葉が始った場合は、その清掃費用は業者負担とする」との発注条件であったかもしれない。 元来、植木職人はメープル本来の美しさを最も心得ている筈だが、「清掃費用の負担までさせられては敵わぬ」とばかり、美しい盛りのメープルを、彼等は泣く泣く剪定したに違いあるまい。

 かえす返すも残念、大落胆の紅葉狩りであった。

           
            はからずも類まれなるメープルの

            紅葉並木に息をのむかな


            あの並木の紅葉狩せむと連れ立ちて

            カメラ携え ふたたび訪ねつ


            息をのみ言葉を失う並木かな

            紅葉の一葉も無きぞ哀しき


            浅はかな思慮とや言はむ お役所の

            能吏と言うや紅葉を刈るとは






「汗顔の色紙作品」

2010-11-27 01:05:14 | 和歌

 書家であった義兄・清華が逝ってから、何年になるのだろうか。

 弟子であった皆さんが毎年同人書展を開催して、それぞれに研鑽を積んだ作品を出陳しているが、義兄の遺作と共に、虚庵居士の賛助出品も恒例になった。今年は米国での長い避暑で時間が取れなかったので、色紙に三首を一筆書きした。
拙い作品で汗顔の至りであったが、義兄の供養と弟子の皆さんへの感謝の気持ちを籠めて、お届けした。

 色紙に揮毫したのは、かつてシリーズでご紹介した「佐渡・金北山の高山植物」から三首を選んだ。




   「猩袴・しょうじょうばかま」

 猩々とは古人が創りだした架空のケモノ。酒が好物で、しとど酔った顔には朱がさすと云うが、常日頃の虚庵居士もさながら猩々そのものだ。朱面を付ける能舞の猩々は、酒を堪能し、足捌は水面に浮ぶが如く、はたまた飛沫を上げて水上に跳躍するが如く、髪振り乱して千変万化に舞い戯れる。
                             「猩袴」の花の風情に、髪振り乱す
                             謡曲の一節が思い出されて・・・。
           
         葦笛と波の鼓は空耳か

         猩々舞ふに いざ酒酌まむ




   「一人静・ひとりしずか」

 花の名前に、白拍子の「静御前」を連想した。

 史実は知らないが、義経を慕い、佐渡に彼の姿を探しあぐねる静と、それとも知らず弁慶を伴って越後路を落ち行く、山伏姿の義経は・・・。

     
   君知るや山伏二人の越後路を

   ひとり静は佐渡に咲くかも




   「紫菊咲一華・むらさききくざきいちげ」

 以前に菊咲一華によく似た「東一華・あずまいちげ」に出会ったことがある。この写真を見て、懐かしさがこみ上げて来た。花の名前が異なるのは、何処か違いがあるのであろう。
 それにしても林の中に咲く「ひと花」を「一華」とは、名付けの妙と云えようか。

           
            もも伝ふ佐渡の山辺の樹のもとに

            たれ見送るや泪の一華は






「夕暮れの秋明菊」

2010-11-25 01:02:28 | 和歌
 
 「夕暮れ」の続きではあるが、「秋明菊」がたおやかに咲いていた。

 人生の黄昏になると、「夕暮れの花」に興味を抱くのかしらと聞かれそうだが、散歩のタイミングが午後遅くになるので、ついつい「夕暮れ」が重なることとなった。この時節では、三時・四時過ぎには太陽が西に傾き、影がめっきり長くなった。夕日が沈む前であっても、家並の陰や木陰では薄暮の気配が漂うようになった。そんな散歩の途上で出会う白薔薇も、この「秋明菊」も白昼に観るよりは、薄暮のなかでの出会いは何やら情緒的だ。

 「秋明菊」は日当たりの好い場所であれば、花茎もシッカリして逞しさも備わるから、ぴちぴちの乙女の風情に育つが、並木道の木陰に咲いていた秋明菊は、どこか淋しげで淑やかな「手弱女・たおやめ」を
思わせた。薄暮の出会いでは、そんな雰囲気が殊のほか強調されるのであろうか。





 カメラを構えていたら、ひと時だけパッと明るくなった。雲の間から太陽がのぞいたのか、或は夕日が何かに反射したのかもしれないが、「秋明菊」の表情が咄嗟に明るさを増した。

 薄暮の雰囲気での「手弱女」も佳いが、微かに光が増した「かんばせ」は、にこっとほほ笑み、虚庵居士をシビレさせた。






              西日うけて長く寄りそふ人影に

              契りて後をおもほゆるかも


              白妙のしゅうめい菊は微かにも

              揺れて手弱女えしゃくするらし


              夕暮れに寄りそい咲くかなたおやかに

              ゆれる風情は夫婦ならめや


              夕暮れの秋明菊のかんばせは

              微かな光にほほ笑む君かな






「夕暮れの薔薇 その三」

2010-11-24 01:49:42 | 和歌
 
 訪れる人もなき薔薇苑に、一輪の鴇色の薔薇が咲いていた。

 初々しくもチャーミングで、はち切れんばかりの若さを感じさせるバラの花だ。
花びらの陰には、あろうことか「蜘蛛の足」がくっきりと見えていた。こんな若々しい鴇色の薔薇の花を塒にするとは、「不届き千万」だ! と、熱くなった。 斯く申す虚庵居士は、ひょっとして「蜘蛛に嫉妬」しているのではあるまいか、との思いがふと頭をかすめた。

 考えてみれば、「初々しくもチャーミングで、はち切れんばかりの若さを感じさせるバラの花」とは、まさしく「溌剌たる美女」そのものではないか。男であれば老若を問わず、そんな美女に抱かれる蜘蛛が妬ましくない筈はあるまい。薔薇の花と蜘蛛の関係は、色恋沙汰とは関係ないとは知りつつも、それに嫉妬するとは虚庵居士の精神年齢もまだまだ若者の領域にあるようだ。





 背丈はほどほど、体躯も頸筋も逞しさを感じさせる薔薇が、純白の花を付けていた。
花びらはキリリと端正で、糊のきいたシャツとタキシードに身を固めた青年を思わせる。
隣の「鴇色のドレスの美女」に手を差し伸べて、ワルツに誘う姿を彷彿とさせる。端正な白薔薇の姿をみていたら、歳甲斐もなく「蜘蛛に嫉妬」したことが、聊か恥ずかしくなった。

 薔薇との束の間の夢物語を愉しんで帰宅したら、お仲間のゴルフの連絡が届いていた。
幹事役のS氏は、九十九歳の母親が体調を崩して看護にあたるので、欠場すると伝えて来た。白寿の母親を看護する古稀の友人を労いつつも、一方では、その様な親孝行が出来る彼が羨ましくもあった。






              この薔薇はシルクのドレス鴇色に

              装う若き女性の化身か


              花びらに抱かれるらし蜘蛛の足を

              見れば嫉妬に脈打つ胸かな


              鴇色のドレスの美女に抱かれると

              蜘蛛を妬むや老いにし男は


              例会のゴルフを休み白寿なる

              母と過ごすと告げ来る君かな


              目を閉じて母を偲べば古希経るも

              涕にゆれる面影こいしき






「夕暮れの薔薇 その二」

2010-11-22 18:20:43 | 和歌

 「しょうぶ園」の主役は「菖蒲」であり、まさに庭園の中の一等地が充てられているが、ここの薔薇苑は気の毒にも、謂わば「おまけ」のような位置づけなのであろう。一番奥まった片隅に、森とフェンスを背負って彼女らの苑があった。





 しかしながら薔薇苑はほど良く管理が行き届いて、株の周りには殆ど雑草もなく、土壌はよく耕された状態が維持されていた。薔薇の管理を任された職人さん達の思いのほどが、偲ばれると云うものだ。





 山影に包まれて薄暮の気配が漂う中で、森を背にした白薔薇の姿は、清純な乙女か森の精かと思われた。薔薇が大好きで香りに敏感な虚庵夫人は、そっと手を伸べ花を引き寄せては、高貴な香りを堪能していた。虚庵居士は嘗てのヘビースモーカーの後遺症で、残念ながら香りに関しては彼女に遠く及ばないが、微かに薫る花々との会話が、この上ない至福のひと時であった。





              白薔薇は大輪ならずもいや細き

              こうべを垂れるは乙女の仕草か


              蔓バラにあらねどさ枝のその先に

              莟を付けて咲く日を待つらし


              夕闇にまだ遠けれど山影が

              包めば薔薇は朧に浮かびぬ 


              いもと来て微かに薫る薔薇の苑に

              多くを語りぬ言葉すくなに






「夕暮れの薔薇 その一」

2010-11-21 13:25:13 | 和歌
 
 過日、 「竹垣と紫式部」 で横須賀の「しょうぶ園」の晩秋の様子を書いた。その公園の奥まった一郭には薔薇が咲いていた。陽ざしが傾き、すっぽりと山影に覆われた薔薇苑の辺りは、既に夕暮れの雰囲気であったが、薔薇の花だけが浮かび上がって、印象的であった。





 花芯は温かなクリーム色で、ほのぼのとした雰囲気を醸し、外側の花びらの縁はほんのりと紅がさしていた。カメラを構えて花を見つめていたら、何やら胸にトキメキを覚えた。この花は、優雅な中にも豊満な女性の迫りくる姿を秘めているようだ。






              山影の

              覆う花苑すでにはや

              薄暮の気配の漂へば

              まばらな薔薇は浮いでぬ

              盛りを過ぎにし残り花の

              せつなき思いを汲まんかな

              近くに立ちてま見えれば

              胸の高鳴りトキメキを

              押え難きは何ゆえか

              仄かな色に咲く薔薇は

              雅に豊かな姿態にて

                迫りくるらし

                香りを召せとや        


              秋深く命の限り咲く薔薇と

              ま見えて微かな香をうけなむ






「比叡山延暦寺の紅葉」

2010-11-18 00:16:51 | 和歌

 仙台での午後からの講演を終えて、真夜中に帰宅して酔眼朦朧であったが、メールを開いたとたんに
アッと息を呑んだ。画面一杯に広がった紅葉に、疲れもすっ飛んだ。日頃からお世話になっている方から、「比叡山延暦寺の紅葉」と題するメールで素晴らしい写真をお送り下さったので、お願いしてお裾分けをさせて頂く。ブログに掲載出来る画像サイズには制約があるのが誠に残念だ。出来ればパソコン一杯のサイズでお裾分けをしたいところだが・・・。





 彼は原子力産業に生涯を賭けて取り組んで
こられたトッププロである。最先端の科学技術を駆使し、グローバルな経営者としての枠を超えて、この様なナイーブな感性を併せ持つ、類まれなお仲間である。彼と接する機会は殆どが会議の席上であるが、喧々諤々たる多くの論客を手際よく捌くばかりか、彼自身もとどまるところを知らない論客だ。


 何事に拠らず専門家と言われる一部の方は、ともするとその道に於いては超一流であっても、一般社会人としての常識に掛け、或いは芸術や自然を愛ずる感性が乏しい、謂わば欠陥人間がかなりいるようだ。しかしながら、彼の場合はそんな一般論が全く通用しない。虚庵居士が拙い文章で論ずるより、ここにご紹介する写真をご覧くだされば、一目瞭然だ。





 それにつけても、この様な見事な紅葉の佇まいを観るにつけ、わが国の仏教界に果たしてきた「比叡山延暦寺」の、その働きが偲ばれる。最澄が延暦七年に興した草庵「一乗止観院」が延暦寺の起点であるが、それ以来、日本の仏教界の宗祖を数々排出してきたことを思えば、謂わばわが国の思想の原点だと云っても過言ではなかろう。浄土宗・法然、浄土真宗・親鸞、臨済宗・栄西、曹洞宗・道元 そして日蓮宗・日蓮など等、叡山に学び修行を積んだ名僧達だ。 

 彼らの修行を詳らかに知るものではないが、彼等は艱難辛苦の中で、叡山の自然の移ろい、紅葉の発色にも思想上の何らかの契機を掴んだのに違いない。彼等にとって紅葉は心の安らぎを得るだけではなく、掛け替えのない発想の転換を図る、格好の材料であったに違いあるまい。 





            送りくる紅葉の写真に息を呑み

            旅の疲れは消えにけらしも


            いや高き杉の木立を背に負ひて

            ひと際華やぐもみじなりけり


            叡山の僧は紅葉に何問ふや

            色付くその葉の応えを聴かなむ


            叡山に修行の歳月 経にしかば

            移ろふ紅葉と語らふ僧かな


            木漏れ日の光のもたらす恵みなれや

            斑の葉色の織りなす紅葉は





                                       写真撮影・ご提供: 林勉氏
  

「竹垣と紫式部」

2010-11-15 02:50:12 | 和歌

 横須賀市は三浦半島の山間に「しょうぶ園」を開設しているが、初夏には色とりどりの菖蒲が咲き乱れる。花を楽しむ観客も数多く訪れる名所だ。しかしながら十一月には訪れる者もなく、所々で花木の下草を刈る作業員が黙々と働いていたが、それ以外はごくひっそりとしていた。

 その様な閑散とした晩秋の園内を、誰にも邪魔されずにゆったりと歩くのも、なかなか乙なものかと自分を納得させて、園内を散歩した。殆どの菖蒲田は排水されて、枯れ葉を丁寧に刈り取った後だった。
空になった菖蒲田を巡り、八つ橋を渡って悠然と足を運べば、何故かしら新たな空間へ足を踏み入れるかのような錯覚に捉われた。謂わば般若心経が説く「空」の世界に導かれるかのような、言葉では表現できない感覚であった。ほんの三十分足らずの散歩であったが、長~い時がゆったりと流れ、すべての
拘束から解き放たれているかの様な感覚であった。





 夢のような散歩を終えて菖蒲園を立ち去ろうとしたら、見事に実を付けた紫式部が目に入った。と云うより、紫式部に呼び止められたと云うべきかも知れない。

 織りなす細い枝々には、紫の小粒の実が重なるほど沢山なって、重たそうに枝垂れていた。
紫式部は竹垣の近くに植えられていたが、逞しく育って竹垣を圧倒するかの気配であった。脇に伸びた枝が、辛うじて年を経た竹垣と寄り添う感じだったが、その風情を写し取るカメラ技量のないのが残念であった。



            枯れ菖蒲の葉は刈り取られ畝の端に

            花の名札は寂しく並びぬ


            八つ橋は何処へ吾をいざなふや

            空になりたる菖蒲田跨ぎて


            何時しかに時空を超えて誘うや

            菖蒲の池には水すら無くて


            さ枝垂れ紫式部は語るらし

            紫小粒の織りなす思ひを






「横須賀の山葡萄」

2010-11-14 00:47:34 | 和歌

 つい数日前に近くの山道で、思いも掛けずに野葡萄に出遭って感激したが、その時のことは
「野葡萄の収穫」 に認めてブログに掲載した。

 その山道の散歩で、実はもう一つの貴重な収穫があった。
ここに写真を掲載する「山葡萄の一枝」だ。緑の葉も、ぶどうの房もかなり小ぶりではあるが、歴とした山葡萄に違いないことは、その一粒を口に含んで確認済みだ。甘くスッパイ味は山葡萄そのものであった。

 本来「山葡萄」は、寒冷な土地を好む植物だと理解していたので、横須賀のような温暖な土地に自生しているのは不思議なことに思われた。青森あたりの山野ではよく見かけたが、郷里の信州では、標高が千メートルを超える寒冷な山岳地帯でないと、なかなか見当たらなかった。虚庵居士は植物学者ではないので、詳しいことは知る由もないが、山葡萄にも種類が数あれば、横須賀に自生していても不思議ではないのかも知れない。これまで見かけた「山葡萄」は、葉の大きさも遥かに大きかったし、葡萄の実も房もこの数倍の大きさだったことから判断すれば、横須賀の「山葡萄」は別種かも知れない。

 葉も実房も傷つけないように大切に持ちかえって、虚庵夫人に花器へ投げ入れて貰ったら、これはこれで立派な「山葡萄」振りではないか。たった一枝ではあったが、「うつろ庵」の居間に豊かな自然をもたらして呉れた「山葡萄」だ。






              蔓の葉も

              実房も余りに小さくば

              一粒食みて確かめぬ

              甘くスッパイこの味ぞ

              懐かしきかな故郷の

                山の葡萄を 

                おもほゆるかな

              

              一枝の山の葡萄を手折りきて

              花器に投げ入れいとおしむかも







「エンジェルズ・トランペット」

2010-11-12 12:03:05 | 和歌

 「うつろ庵」には些か似つかわしくないが、生垣を乗り越えて「エンジェルズ・トランペット」が咲いた。
春から数えれば開花は四・五回目にもなろうか、生命力の逞しさを感じさせられる。

 大きな花びらに雨上がりの雫を湛えた表情は、清純で、将に「エンジェル」を目の当たりに観る思いだ。
花の直径はニ十センチ程の大輪ゆえ、僅かな風に吹かれてもそれぞれに舞い踊るが、それは乱舞する天使を思わせる。誠に気の毒なことに、風に吹かれて乱舞した花びらの縁は傷つき、翌日になれば傷ついた部分が茶色に変色して、惨な痕をとどめることになる。

 「うつろ庵」に咲く「エンジェルズ・トランペット」は、何時までも清純であって欲しいものだ。
茶色に変色した惨な姿は、花も晒したくなかろうかと察し、細い竹竿の先端に傷ついた花びらを巻き付けて、下から一つづつ取り除いてやるのが虚庵居士の務めだ。これまで何遍となく竹竿をさし出して、傷つき萎れた花びらを取り除いて来たが、流石にこの頃では花の数も減り、枝葉も次第に疎らになった。
今年の最後の開花であろうが、最期まで天使の姿を保って欲しいと念ずるこの頃だ。





              白妙のエンジェル奏でるトランペットの

              その音を聴かまし心をしずめて


              夕闇のそよ吹く風に戯れて

              乱れ舞ふかなおぼろの天使は


              あけに見ればトランペットは散り敷けり

              宵のそよ風 吹き荒れぬらし


              白妙の花びら傷みうち萎れ

              悲しむ風情は人ごとなずも


              篠竹に巻きて傷める花びらを

              除けば莟を揺らして応えぬ







「野葡萄の収穫」

2010-11-10 01:41:38 | 和歌
 
 このところ多忙な日々が続いたので、僅かな時間であったが、自然の息吹に触れたくて近くの山道を散歩した。ふと見ると、熟してカラフルに色付いた「野葡萄」が沢山なっていて、大収穫の散歩であった。





 かつて青森県三沢の古牧温泉に宿泊した際に、湖の畔で撮影した「野葡萄」をご紹介したが、その際に俄か仕込みの知識で、野葡萄は肝臓の漢方薬としても出色の薬効があるらしいと認めた。

 呑兵衛の虚庵居士にとって、酒は調べごとや原稿の執筆には無くてはならない伴侶だ。手当たり次第に呑み続けた結果、肝臓には夙に脂肪がたっぷりと蓄積されているので、お世話になってきた吾が「肝臓」殿に、漢方薬「野葡萄」でご恩返が出来ればと念じていた。

 図らずも、その「野葡萄」が収穫出来ようとは、将に神のお導きに違いあるまい。
かつて野葡萄の実は「些かドギツイ色合」で好きになれなかったが、いまや「自然の見事な彩り」に見えるのだから、現金なものだ。


            酒くらひ吾が肝いじめて久しければ

            野ぶどう摂りてお礼となすべし


            たまぼこの山道歩みて巡りあふ        

            野葡萄の実は神の恵みか


            何時にしか厭いし色合い好もしく

            見ゆるぞ可笑しも野葡萄の実は


            野葡萄の薬効あれと摘みくれば

            織りなす彩り麗しきかな






「舞鶴城・唐津くんち と 原子力発電」

2010-11-08 02:49:45 | 和歌

 何年振りかで九州の唐津市を訪ねた。

 かねてより機会があったら「唐津城」を訪ねたいと願っていたが、偶々講演の依頼があって、その帰路に別名「舞鶴城」を仰ぎ観る機会に恵まれた。

 この近くには、九州全域の電力需要の約30%を供給している玄海原子力発電所があるが、地元の皆さんのご理解に支えられて、わが国でもトップレベルの成績を維持している発電所だ。原子力発電はわが国の基幹電源として、無くてはならない存在であるが、国民の理解は必ずしも十分とは云えない側面もある。しかしながらこの周辺に関する限りは、住民の皆さまの原子力に関するご理解は、理想的とも云える状況だ。原子力発電所は電気事業者の資産ではあるが、地元の皆さんに理解され支援を頂いている状況は、「貴重な社会資産」として住民の皆さんの誇りとすべきものだと、講演の中でも訴えた。

 「唐津城」が構築されたのは慶長十三年(1608)の昔であるが、それ以来、住民の誇りのシンボルとして
仰ぎ見られて来た。「舞鶴城」との呼称も、住民の親しみと賛美の気持ちを籠めたものであろう。ただ単に城の美しさだけではこの様な尊称は得られなかったに違いあるまい。初代の城主・寺沢志摩守広高はじめ、代々の城主の住民に対する姿勢を住民は感じ取って、城主への尊敬の念も籠め、誇りのシンボルとして「舞鶴城」と呼称したのであろう。





 原子力発電所は、「無くてはならない電気」を安定して供給し続け、そのために発電所の従業員は昼夜を問わず頑張ってくれていることに、思いを致したいものだ。私たちは、スイッチを入れれば電気はいつでも使えるので、それが当たり前になって発電所でのご苦労など思いもしないが、時には心の中で、彼等を労い感謝したいものだ。

 「唐津くんち」の祭は前日に打ち上げて、観損なった。幸いにも市民会館前に、未だ熱い余韻を残して展示されていた山車と対面できた。城主と住民が一緒になって祭を楽しんだ当時に思いを馳せながら、魚町の山車「鯛」や、新町の「飛龍」の誇らしげな表情に見惚れた。





              仰ぎ観れば翼を広げる鶴なるや

              城下の誇る舞鶴城かな


              人々は殿への思いを城の名に

              重ねて仰ぐや舞鶴城をば


              朝日さす唐津くんちの山車みれば

              いまだほとぼり冷めやらぬらし


              醸せるは社会資産と誇るべし

              共に築ける固い絆は






「観音崎の野薊」

2010-11-03 21:40:38 | 和歌

 パソコンに向かって夥しい数のメールへの対応や、講演に備えてパワーポイントの編集など気が付けば、机を離れる暇もないこの頃だ。これを見かねた虚庵夫人が、観音崎への散歩に誘って呉れた。

 「うつろ庵」から観音崎の公園までは、車で10分足らずだが、歩いての往復はかなりの難儀だ。
かってチャレンジしたが、帰りはバスのお世話になるというダラシナイ遠足だったことを反省して、公園の入り口までマイカーで行き、そこから磯沿いの散歩道をゆったりと散歩した。子供を連れた家族のバーベキューや、若いカップル、磯釣りに来た青年の一団などなどかなりの人々が観音崎の磯を楽しんでいた。また観音崎灯台までの山道も、灯台見物を兼ねて人気のスポットのようだ。

 そんな皆さんに混じって、房総半島を対岸にみながら石畳の散歩道を歩いていたら、足元の草叢に「野薊・のあざみ」が咲いていた。この花はかなりの期間に亘って咲き続けるが、秋も深まってめっきり気温が下がった観音崎では、今年最後の花となるのかもしれない。





 すすきの枯れ葉が降りかかる草叢に逞しく根を下し、名の知らぬ野草に混じって咲く野薊をみていたら、人間世界の縮図を見ているかのようにも思われた。種々雑多な人々が織りなす現代社会は将に混乱を極め、ビジネスの世界も生き残りを掛けた熾烈な競争はとどまるところをしらないが、野薊の草叢の雑然とした情景は、そんな現代社会を象徴しているのかもしれない。その様な中で、野薊が精一杯に花を咲かせている姿は、健気で爽やかであった。

 そんな野薊にピントを合わせていたら、「丸小花蜂・コマルハナバチ」が何処からか飛んできて、花蜜を吸い始めた。野薊は蜂が蜜を吸うに任せ、泰然自若としていた。人間社会では殆ど見かけない情景であるが、草叢の野薊ならではの在りのままの姿に、大切なものを訓えられた散歩であった。





              パソコンの世界を出でてわが妻と

              海辺の散歩に息をつくかな


              磯べでは数多の人々それぞれに

              今日を楽しむ声をきくかな


              草叢に咲く野薊は何問ふや

              もの見るまなこに曇りは無きかと


              野薊は丸小花蜂 花蜜を

              吸うに任せて自若たるかな