原作は冲方丁 著の第24回日本SF大賞受賞作品、全三部作。
その第一部『圧縮』。上映時間65分というのは内容の密度から考えると短過ぎたようで、
原作ファンの方々にとっては若干物足りなさがあると聞いていましたが、
原作未読なおかげで、自分にとっては思ってたよりいいデキだったんじゃないかと。
主人公・ルーン=バロットは、マルドゥック市で生きる未成年娼婦(ティーン・ハロット)。
バロットは、“今”を自分の心の殻に閉じこもることでやりすごす術を身につけ、
いつしかその卵の殻に閉じこもる日常を送るようになっていた。
ある日、行き場を失くしていた彼女は、一人の野心家でありカジノ経営者であるシェルに拾われる。
シェルはバロットに全てを与えた。偽りの生、偽りの過去、そして偽りの今、
まさに人一人の人格をも書き換える全てを。
バロットは、今を与えてくれたシェルに感謝したかった。
何故シェルが「私」に全てを与えたのかを知りたかった。確かめたかった。
そのために、バロットは与えられた経歴をコンピュータで照会した。
その1回の過ちが、大きく人生を変えることとなる。
シェルはバロットの行為を知った後、彼女の乗った車を爆破したのだ。
死の淵を漂う間、バロットは意識の奥深くで問われていた。
「生きたいのか。死にたいのか。」
シェルの裏の顔を追っていたマルドゥック市(シティ)の事件担当官であるドクターとウフコックによって、
バロットは全身の皮膚を強化繊維で再構成させることによって一命を留めていた。
意識を取り戻したバロットに改めて二人は選択を迫る。
マルドゥック市が定める、人命保護を目的とした緊急法令、
マルドゥック・スクランブル‐09(オー・ナイン)により、
法的に使用が禁止されている科学技術の使用を特別に許可された特別な力を、
生きるために受け入れるか否か。
「何故、殺されたのか」「何故、私なのか」相次ぐ疑問の渦の中、バロットの選ぶ道は――。
(公式サイトより)
冒頭、まだ生身の体であるバロットの生気の無い「死んだ方がいい…」のセリフ。
彼女の15年という短い人生が、どんなものだったのかを物語るような微妙な抑揚――
さすが林原めぐみ。
都市の描写はさほど目新しさはなく、
『ブレードランナー』(1982)、『フィフス・エレメント』(1977)、『イノセンス』(2004)で
見られるような未来都市が提示されます。
原作を知らないと余計な説明がないのとテンポが速い分、
人物関係を理解するのに若干戸惑いますが、それ程複雑ではないので大丈夫。
冲方丁作品はアニメ『シュヴァリエ』でしか知らないのですが、
今回のキャラデザは予告を見た時点では、あんまり好きじゃないなと思ってましたが、
これは観てしまうとOKでした。
少女の顔を持ったまま、科学技術によって変わったバロットの強さにドキドキします。
そしてかわいい金色のウフコック。
八嶋の顔が浮かんでくるのは(笑)ですが、これも上手さはさすがです。
ウフコックがバロットのために血を流しながら変体して行く様は、官能的ですらありました。
畜産業者の方々はもう出ないんですね――残念。
「なんで、あたしなの。」
バロットにとってなぜ自分なのか、自己を構築するためには
どうしても必要な答えなのでしょう。
どんなものにも“有用性”がなければ存在意義がない世界のようです。
なんにせよ、終盤の暴走バトルシーンで続きが観たくなります。
第二部『燃焼』は来年のいつなんでしょう。
テアトル新宿にウフコックのフィギュアがありました。
6,000円でしたが、これを高いとみるか、安いとみるか…
只今、品切れ状態らしいです。
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