玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

死神からの伝言

2008年06月24日 | 死刑制度
リンゴは丸い。
横から見ればリンゴの形だが、上や下から見れば丸いのは間違いない。
それを否定するのに「リンゴは赤いんだ」とか「すごく甘いんだよ!」とか叫んでも意味がない。
だが、同じくらい奇妙なことを驚くほど多くの人が本気で言っている。彼らは絶対にリンゴを上から見ようとしない。
私はなんだか怖くなった。

「鳩山 死刑」や「朝日 死に神」といったキーワードで検索をすると多くのブログ記事が見つかる。
そのうちのほとんど、数えたわけではないが8割か9割は「死刑制度は当然であり、法相を死神呼ばわりするのはけしからん」という意見だ。死刑制度への賛否についてはこの際どうでもいい。だが、「死神呼ばわり」を批判した部分に意味がないのには驚かされる。多くは
 「死刑判決は裁判所が決めたこと」
 「法相は法律に従い職務を果たしているだけ」
 「死刑制度は日本に必要であり正義だ」
といったことを書いているが、これらは全く「死神」を否定する根拠にならない。リンゴの丸さを否定しようとして「赤さ」や「甘さ」を持ち出されても困る。


前の記事()でも書いたが、法務大臣が死刑執行命令に署名することは「死神の仕事」そのものだ。
裁判とか法律とか世論とか正義とか持ち出す以前に、死刑制度のメカニズムとしてそうなのである。

「死神」というのは現実に存在するものではないから、まじめな議論をするのは難しい。
とはいえ、この騒動を取り上げたブロガーの誰も「死神なんて存在しないから真面目に怒るほうがおかしい」とは言っていない。死神はサンタクロース(米軍が毎年追跡している)と同じくらいのリアリティが認められているようだ。私もなるべく真剣に考えてみよう。

死神とは何かといえば、「死神の仕事」を行う存在だ。
トートロジーのようだが仕事を抜きにした死神は考えられない。引退した死神は「もと死神」でしかない。
「死神の仕事」とは何か。確実な死を与えることである。
死神は誰かの前に現れて「おまえの命をもらう」と宣告する。「誰の命を、いつ終わらせるか」決めるのが死神だ。その仕事ぶりはゴルゴ13に匹敵する。…いや逆だ。デューク東郷が死神の化身なのだ。
どちらにしても、死神の手際は確かである。小説だと騙されて失敗することもあるが、フィクション特有の主人公補正なので信じてはいけない。

死を与える確実さにおいて法務大臣の「死刑執行命令」は死神にひけをとらない。
マンガでもオカルトでもない本物のデスノートだ。法務大臣が署名すれば死刑囚の運命が決まる。法務省のメンツにかけて間違いなく処刑が行われる。正確無比、まかせて安心、である。

死刑囚の立場になって考えてみよう。
被告から死刑囚へと名札を変えて拘置所に送り込んだのは裁判所だ。
だが、自分の首をロープの輪に通す強制力の源は「執行命令」以外にない。
「死刑判決」それ自体は必ずしも確実性がない。

 免田事件 - Wikipedia
 財田川事件 - Wikipedia
 島田事件 - Wikipedia
 松山事件 - Wikipedia

判決が確定した後で再審無罪になった例は4件ある。そのほか恩赦により15名が減刑された。
帝銀事件のように「犯人」とされ判決が確定した死刑囚が30年以上も執行されず天寿を全うした例もある。他にも病死したり自殺した死刑囚もいるという。
「死刑判決」と「死刑執行」の間には距離があり、まれに抜け穴がある。「死神の仕事」にしてはうかつだ。

死刑制度をひとつの機械、精巧な電気椅子だと想像してみる。
機械を建造し、電力を供給するのは「国民」だ。国民の支持がなければ死刑制度は成り立たない。
椅子に死刑囚を拘束し、安全装置を外すのは「裁判所」の仕事。
そして、最後に作動スイッチを入れるのが「法務大臣」(の署名した執行命令)である。
死神の仕事と呼ぶのにふさわしいのはどれかと聞かれたら、私は迷わず「作動スイッチを入れる役だ」と答える。すべてのエネルギーがスイッチを入れることによって解き放たれるのだから。

死刑囚がすべての希望を失う「ポイント・オブ・ノーリターン」は法務大臣が執行命令に署名した瞬間である。もはや逃れる術はない。仕事の手並みは絶対確実だ。死刑制度賛成派は「死神呼ばわり」に怒るよりも確実さが認められたことを喜んで拍手すべきである。
「裁判で決まった」「法律で定められている」「国民が支持している」のだから法務大臣を死神呼ばわりするな、というのは無理な話だ。死刑執行への最終的なゴーサインを出す「法務大臣の仕事」が「死神の仕事」に似てしまうのは必然である。死刑制度そのものが法務大臣に「死神の仕事」をさせるようにできている。
死刑制度に賛成するにしても反対するにしても、「死刑とは意図的に・確実に人の命を奪うもの」「誰かが最終的に死刑執行を決断する必要がある」という事実が前提となる。
どれほどきれいごとで飾り立てても本質までは変えられない。きれいごとを守ろうとして本質を見失うのはこっけいだ。

 「肉食とは動物を殺してその肉を食べることです」
 「肉はおいしくて栄養がある!殺すとか残酷な言葉はやめろ!!」

 「車社会とは便利さと引き換えに年間数千人の事故死を受け入れることです」
 「お前だって車に乗るだろ!事故とか不吉なことを言うな!!」

 「セックスとはちんこをまんこに入れることです」
 「セックスは愛の行為であり、神聖な子作りだ!ちんことか下品な言葉を使うな!!」

死刑制度を容認しながら「死神」という言葉にいきり立つ人は上の例を笑えないはずだ。
「産む機械」騒動と同じく、「死神」騒動も日本人の言葉へのこだわりを教えてくれる。
井沢元彦の言う「言霊信仰」だ。なるほど、「水からの伝言」などという与太話が受け入れられるわけだ。
言葉を大事にすること自体は悪くないが、現実の問題(「代理出産」・死刑制度)をないがしろにして言葉ばかりにこだわるのは本末転倒というほかない。






まだ納得できない人もいるだろうからもう少し続けよう。

■「法律で判決確定後6ヶ月以内の執行が規定されている」
その前に「特別な理由のない限り」というただし書きがある。
なにが特別な理由にあたるのか知らないが、実際のところ6ヶ月以内に死刑執行されることはなく、規定は空文化している。

死刑囚 - Wikipedia
この6ヶ月以内に死刑が執行される規定があるにもかかわらず、実際には確定から執行まで平均で7年7ヶ月を要しており、1961年以降は確定後6ヶ月以内に執行された例はないようである。

■「死刑執行命令を出すのは法務大臣の義務だ」
任期中一度も執行命令に署名しない法務大臣は何人もいた(歴代法務大臣の死刑執行命令数)。彼らが国会や党内で「サボタージュ」の責任を厳しく問われたとか、あるいは「日本の美風である死刑制度を守る市民団体」(あるのかな?)に訴えられて負けたという話を聞いたことがない。
仮に義務があるとしても、破ったときの罰はない。「6ヶ月規定」と同じく、現状では空文化した努力目標にすぎない。

■「刑務官は死神なのか」
刑務官は命令を受けて従う側であり、自らの意思で命令を出す法務大臣とは責任の重さがまったく違う。
命令をサボタージュすれば罰せられるだろう。一人が命令拒否しても同僚が滞りなく役目を果たす。
言ってみれば刑務官は「死神の道具」だ。

■「国民が死刑を支持している。死神呼ばわりするなら法務大臣ではなく国民だ」
国民は「誰を、いつ」処刑するかについて決定権を持たない(これは裁判所も同じ)。
もちろん刑務官に命令することもできない。「死神の仕事」としては間接的で確実さに欠ける。
死神の雇い主とかサポーターと呼ぶほうがふさわしい。

■「大臣に対して死神呼ばわりは無礼だ」
タイコモチじゃあるまいし、事実をごまかして「えらい人」のご機嫌伺いするのは卑屈だ。そもそも考える順番が間違っている。
「『死神は言いすぎ』だと感じるなら『死刑がやりすぎ』なのだ。」

■「アサヒ… マスゴミ… 左翼… 死刑廃止論者…」
ああ、はいはい。好きなだけやってください。
誰を罵倒しても「死刑制度を運用するには誰かが死神の仕事をやる必要がある」という事実は変えられない。


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5 コメント

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本質論なら何でもOK? (KY)
2008-06-24 22:05:30
確かに法務大臣の役割は「死神」ですが、「死神」というのは、かなりネガティブな意味を含んだ言葉です。
一応、自称数百万の読者をお持ちの「クオリティペーパー」が、(夕刊の小コラムとはいえ)自らの紙面で特定個人に対して、このような言葉でレッテル貼りをするのはどうなのかなと思います。
そのあたりも、多くの反発を呼んでいる原因なのではないでしょうか?
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Unknown (ううう)
2008-06-24 22:58:45
誰だって他人の命を奪う命令を下したいと思うわけがない。けれどその権限とその責任を持つから法務大臣として死刑を宣告するのだと理解しています。これは「やらなければならないこと」です。過去執行しなかった大臣は任務を果たさなかっただけのことで、本来厳しく責任を問われるべきです。間違っても評価されるべきことではないのです。自分の主義主張と違うからと言ってやるべきことをやらなかったら阪神大震災の時の村山氏@社会党の大失政と同じになります。

死刑を執行しなかった場合「死刑にならないなら人を殺してもいいや」と考える馬鹿の数が増える可能性が高くなります。死刑は「一罰百戒」の意味も含めて社会にとっての必要悪だと思います。個人的にも他人に殺されるのはいやなので社会装置として死刑は必要だと思っています。

その必要悪に対して「悪意ある」レッテル張りをしたので素粒子のコメントは非難されているのでしょう。私もむかっときました。

※さらに個人的にはあの並べ方だと羽生新名人の偉業を汚したように感じられて腹立たしくもありました。
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死神の仕事 (ぷーん)
2008-06-25 02:50:05
玄倉川さんも言ってるように死神が空想の存在である以上、その仕事について真面目に議論するのもアレですが
自分は死神の仕事が単に「確実な死を与える」ってだけのものであるとは思いません。
自分のイメージでは死神は法務大臣よりもっと傲慢で気まぐれに人の命を刈り取るイメージです。
そのターゲットの選定に対象の善悪正邪、老若男女は関係無く、幸福な人、不幸な人、誰であっても気まぐれに命を刈り取る不吉な存在だと思います。
朝日の法務大臣は死神という言い方に腹が立つ人は恐らく自分と似たイメージを死神に抱いているのでしょう。
対して法務大臣の仕事の対象は死刑囚に限られ、その多くは複数の罪も無い人間を身勝手な理由で殺害した極悪人というイメージがあります。
自分が思うに、死神という言葉が当てはまるのはむしろ死刑囚達にであり、彼らを殺す決定を下す法務大臣は、人間にとって不吉な存在である死神を罰する善き神と言えます。(神は言いすぎだと思いますが)
今回の記事に抗議した人達は恐らく死刑存置派であるだろうし、死神のイメージについても僕と似たようなイメージを持っていると思います。
だから自分達が支持する法務大臣が、死神などという不吉な存在に例えられる事が不愉快なんでしょう。
それが理解できないのは玄倉川さんの死神に対するイメージが彼らとかけ離れているからだと思います。
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Unknown (nanashi)
2008-06-25 10:24:21
 つまらんですな。
>「死神呼ばわり」を批判した部分に意味がないのには驚かされる。…これらは全く「死神」を否定する根拠にならない。
 そんな点にこだわって、だらだらと愚痴を重ねる意味が分かりませんね。それより、多くの国民が納得できるような死刑廃止の条件でも考えた方が生産的でしょう (苦笑)
 要するに、「死神呼ばわり」した同じ紙面に↓のような漫画を掲載するような(素粒子なるコラムを書いた記者からも感じられる)品性の下劣さこそが問題なのです。
http://nishimura-voice.up.seesaa.net/image/ASAHIRU0620manga-thumbnail2.jpg
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Unknown (友人の友人が死神)
2008-06-25 11:37:28
逆に、なんでそこまで「死神」という言葉にこだわっているのかが分かりません。
わざわざ「死神」なんて言葉を使わずに、率直に「最終的な判断を下すのは誰か」と聞けば、世間は満場一致で法務大臣だと答えるだろうと私は考えてますが、玄倉川氏はそうは思っていないんでしょうか。
法務大臣の仕事・責任は「死神」という言葉のみでしか例える事ができない事でしょうか。
その例えは本来の意味を超えるほど重要なことでしょうか。
りんごは丸いものだと言い張り、言葉ばかりにこだわるのはどちらでしょう。
「死神」という例えは揶揄も含んでいると私は思います。
だから世間は反発しているんだと思います。
素粒子に揶揄の意図はなかったとしても、そう取られる可能性があることを認めたからこそ、「表現の方法や技量をもっと磨かねば」と発表したのだと思います。
玄倉川氏が「死神」という言葉ではなく、本来の意味を重要視しているなら、別の言葉で世間に問うてみてはいかがでしょうか。
ひょっとして、意味さえ通ればどんなものに例えてもいいだろうという趣旨ならば、なおさら「死神」という言葉から離れないと、議論が噛み合わなくなるのは当然だと思います。
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