中津城と天守閣

2007-02-26 11:33:36 | Weblog
天正16年(1588年)黒田如水が初めて築城した中津城です。当時の本丸は山国川沿いにありましたが、昭和39年、奥平家により観光用に薬研堀側に建てられました。今では歴史上の建造物は史実に添ってしか建築は許可されないようですから当時は未だ文化財保護法が整備されていなかったのでしょう。ちなみに中津市大貞の薦神社の神門は国の重要文化財に指定されていますが、宇佐神宮のはされていません。それはコンクリートで補修されたからとか。許可なく手を加えたり、昔の形を変えるとだめなのです。さて中津城ですが天守閣が在ったか無かったか議論の分かれるところです。貝原益軒の豊前紀行には天守は無かったと記述されていますが、関が原の合戦の前、黒田藩の精鋭は長政と共に家康の上杉征伐に同行していましたので中津には殆んど家臣は残ってなく如水は領内の農民や町人、浪人達を募集し4~5000人集め、中津郊外の如水原で軍事訓練をし兵として育成したのですがその時の資料では「天守より今まで蓄えていた金銀を大広間に広げ応募してきた者達に徒士の者には永楽銭で一貫文、一騎あたり銀三百匁というように前金として渡した。」とある。この中に有名な剣豪宮本武蔵が居たようです。如水は日頃は倹約に努め大節に備えていたのです。と言うことで天守閣はあったのではないかとされています。

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