ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「どうしてなの」

2021年03月31日 14時11分51秒 | owarai

人は 
相手の自分に似ているとこ 
ろ 好きなところを 
選択的に見て近づき 
似てないところ 嫌いなとこ 
ろを 
選択的に見て 離れていく 

どちらの時も相手は同じだ 
ったのに 

好きになるために自分をだまし 
嫌いになるために自分をだまし 
ている 

恋をしないように努めることも 
できるし 
恋をするように自分をしむける 
こともできる 

そのことがわかっていて 
どうして 


『そば屋の客のたのしみ』

2021年03月31日 05時56分22秒 | owarai

心如水。こころみずのごとし。

はたちそこそこの若さで没した
非運の将軍、十四代徳川家茂が
好んでこの言葉を書にしたため
た。

ソバ屋でよりよく憩うための
極意は、この心如水にある。

駅ソバだろうと名店の絶品だろう
と、きちんと味わう。これこそが、
客にとっての極楽であり、

同時に、店の雰囲気をうるおす
空気になって、それがめぐって
店への恩返しとなる。

小諸駅構内には、そんな景色が
昔あった。

ソバの薫りは繊細だ。そば屋で
は、きつく匂う話題は避けたい。

なま臭い色恋の修羅話、うさん
臭い商談、キナ臭い口論は、禁煙
席より徹底して廃すべきだ。

店に行ったら、つとめて自然体
で背景に溶け込む。そこから、
じわじわ憩いが醸し出される。

憩うとは、結局、シンクロナイズ
である。ソバ屋は、個々のバイオ
リズムにぴったり対応できるほど、
充分な数があり多彩だ。

持ち駒は多ければ多いほど、町ぐら
しのフットワークは軽やかになる。

ソバ屋は、すこぶる頼れるピットイン
になる。


原色の世界

2021年03月31日 05時55分00秒 | owarai

目を開けると、窓の外には、く 
すんだ大阪の空が広がっていた 
けれど、彼に抱かれて目を閉じ 
れば、わたしは容易に「原色 
の世界」に飛び込んでゆくこと 
ができた。 

けれども、旅には始まりと、終 
わりがある。 

恋も同じだ。 

情事はもちろんのこと。 
そう、つまるところ、人生も 
同じなのだ。 

それは始まって、必ず終わる。 
例外はない。 

YouTube 
Halie Loren - A Whiter Shade of Pale (Procol Harum) 

https://www.youtube.com/watch?v=dbuHk6sfrXY 


男の躰

2021年03月31日 05時52分08秒 | owarai

もの言わぬ男の肩の 
大きくて叩きやすくて 

ときおり叩く 

 

言葉にするにはもどかしい 
ような、「慕わしさ」 
「頼もしさ」「懐かしさ」を、 
少女のような少し甘えた口調が、 
聞こえてきそうだ。 


「シャボン玉」

2021年03月30日 06時37分28秒 | owarai

初めてのキス、初めてのデート、シャ 
ボン玉のようにふわふわ飛んで、空中 
でばちんと弾ける、そんな片思いの 
恋をいくつか経たあと、 

わたしはまるで巻き込まれるように、 
苦しい恋に落ちた。 

それは、手探りで進むしかない 
真っ暗な闇の谷底に、真っ逆さまに 
堕ちてゆくような恋だった。 

どうしようもなかった。 


すきばやし次郎 Ⅱ

2021年03月30日 05時35分51秒 | owarai

【コラム:すきやばし二
郎の履歴書】

腕のよい職人が出す品は、
どこで修行をしてきたか、
わかる場合があるという。

銀座の「すきやばし二郎」
の店主、小野二郎氏は、

1925年生まれ、
浜松で板前をしていたが
26歳で、銀座の名門

鮨店「与志乃」(よしの)に
弟子入り。

先代、吉野末吉(故人)に
天才肌を見抜かれ、三年
後、大阪店の花板(板長)

として腕を振るう。その後、
東京に戻り独立。

小野二郎氏の戒め
・タイは握らない。

・採算を度外視しても
シンコを握るのが鮨職人
の意地。

・高価希少な星ガレイは
白身の王者に非ず。

・鮨を食うのに、順番はなし。

・握ったら、すぐ口の中へ。

余談だが、
吉野末吉が亡くなると、
「与志乃」のから客が離れる。

名門は、一代限りが掟。

技とあの世にいくのが鮨職人
と落語家なのである。 


「隠せぬ背中」

2021年03月30日 05時33分52秒 | owarai

正面は堂々とした態度に見え 
ても、背中が弱点をあらわして 
いる人がある。どんな人間も裏 
は隠せない。 

吉川栄治に『背中哲学』という 
随筆がある。そのなかで、次の 
ように書いている(『われ意外 
みなわが師―私の人生観』)。 

「前から見ると、くしゃくしゃ 
な顔をしているけれど、背中から 
見ると、円光の輝いている人は、 

私の知己の中では、菊池寛氏だと 
思う。一緒に歩いている時など、 
後からあの背中を見ていると、 

ただまるっこく肥えているだけだ 
が、縹渺(ひょうびょう)として、 
何か味がある。その味はどんなもの 

かというと、『後の安心』とう相だ。 
背中には、家庭がそっくり描いて 
ある。 

いかにも、搦手の木戸は安心して、 
大手に向かって床几をすえている 
城将の趣だといつも思う」 

さらに、 
「しかし、夜の銀座裏を歩くとき、 
なんと、そこにまだ『帰らぬ良人』 
がたくさんに酒の灯の下をうろついて 

いることだろう。あの酔っぱらい 
達の背中には、脆さや、不安定や、 
空虚だらけだ。この人達が、安定の 

後光を負ったら、みんな倍も仕事を 
するだろうと思う」 
と続け、手厳しい。 

「人の背中は見ゆるけれど我が背中 
は見えぬ」という。自分には見えぬ 
背中が、他人には隠せないのでつ 
らい。