ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「舛」の中の捨てるタネ、残すタネブリュー・ミュージアムショップ :ヤナギダ店長コラム

2016年08月09日 04時39分40秒 | owarai
【コラム:】
心を升=蔵としてとらえた
場合、

実は人間は自分の心の升の
分量しか、物事を見聞きし
たり感じたりできない。

心の蔵の中には毎日の生活
で得たものすべてが入る。
それが、その人の性格、人
柄、人格になっていく。

だから、人格というものは、
いつでも直すことができる。
善いタネも悪いタネも刻々
と蔵の中に入ってくる。

その瞬間に、一つひとつ
善いタネを選び、悪いタネ
を排していき、自分の蔵の
中身を変えられるのだ」

結局、自分の升の中に何を
蓄えていくかは、様々な出
来事や人との出会いで決ま
ってきます。

ですから、できるだけ善い
ものを見、善い人々との出
会いを大切にしていくこと
が大事です。


/60体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』

「心が喜ぶ二つの“定食”」ブリュー・ミュージアムショップ :ヤナギダ店長コラム

2016年08月08日 05時21分37秒 | owarai
【コラム:】


一休禅師は、自分の示唆で
相阿弥がつくった龍安寺の
石庭を見ながらこう語って
いる。

「この庭を見て美は“もの”
にはなく、ものともの、も
のと心が通じ合う陰影の
あやの中に見いだすことが
できる。

山水画でも、黒の滲みと
か かすれととかを生か
して、己が心の中の風景
を描くものが人の心を
衝(う)つのであろう・・・。

心も栄養を摂らないと枯
れる。

心の食事には、法喜食(ほうきじき)と
善(ぜん)悦食(えつじき)がある。法喜食は、
教えを聞いて心の中に湧き
上がること。

商売でも学問でも芸術で
も、何もかも忘れて打ち
込んでゆくとき、

人は深い歓喜に包まれる
ものだ。

自分と対象が一つに切った
と感じるとき、善悦食を
いただいたことになる。

命が輝くときなのだ。

命は他の命、他のものと
つながりの中で生きてい
る。

自分を滅ぼして、人のため
にすることこそ善悦食なのだ。

それは自分のためである。

そのことによる喜びで自分
の命が輝くように、命はつ
くられているのだから。

このことを常にわきまえて
すれば、必ず新しい道が開
けようぞ」

どれだけ儲けたかよりも、
どれだけの人の心を楽し
ませたかが大切です。

そうすれば、人生は貧しく
とも もっと充実したもの
になるはずである。
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野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
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『創業121年』

「この“三毒”が心を歪ませる」ブリュー・ミュージアムショップ 佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年08月07日 05時26分52秒 | owarai
【コラム:】
私たちが生きているという
ことは、絶えずものを見た
り、聞いたり、感じたりす
るということ。

そして、自分がこの目で見、
この耳で聞いたりしたのだ
から間違いないと言います。

だが、本当にそうでしょう
か?

実際には、一度自分の心の
鏡に映して、つまり自分の
心を通して、見たり、聞い
たり、感じたりしています。

その自分の心はと言うと、
貧(とん)(貪欲)・瞋(しん)(怒りや妬
み)・癡(ち)(愚痴)の三毒に
よって歪んでいます。

だから、物事の真実は正確
に照らしだされていないと
仏教では教えます。

『法句経』にも、「水瓶の
水が風で波立っていたら
顔はまともに映らない。

怒りで煮え立っていたら、
きれいな顔に映らない。

愚痴で腐っていたら、いい
顔に映らない」とあります。

人の喜怒哀楽や物事の本質
を、そのまま自分の心に映
すことは難しいものです。

まともに映っているつもり
でも、心の鏡が三毒で歪ん
でいては、外の世界をちゃ
んと映すことはできません。

そのことに気がついて、も
う一つの目で冷静に見直し
てみたいものです。


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野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
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『創業121年』

「自分をめぐる“四つの錯覚”」ブリュー・ミュージアムショップ:ヤナギダ店長コラム

2016年08月06日 05時08分18秒 | owarai
【コラム:】
お釈迦さまは、本当の自分
を知らない人は、次の四つ
のことを錯覚していると
説きます。

常:この世には何一つとし
て不変のものなどないのに、
すべてがいつまでもある
ように錯覚している。

たとえば、自分もいずれ死
ぬ身なのに、自分は常にあ
ると思っている。

楽:楽を求めれば、そのぶん
苦も生じさせるという相対す
るものが常に必要な世界なの
に、欲望の赴くままに楽を
追い求めている。

我:自分の肉体を分解して
いけば原子となり、最後は
わからないものになる。

人の心も「これが心だ」と
呼べる実体がない。このよ
うに、これが我=私と呼べる
ものは何も存在しないのに、
我にこだわっている。

浄:心身ともに様々な汚れ
(自分勝手な思考など)を
持っているのに、そのこと
に気づいかず、外見だけを
美しく、清らかに装って満足
している。

その反対が、無常、無楽、無我、
無浄ですが、それもまた錯覚と
か。少しでもこの四つから解脱
できればと思います。


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『創業121年』

”売り物”を磨き育てるブリュー・ミュージアムショップ:ヤナギダ店長コラム

2016年08月05日 04時53分13秒 | owarai
【コラム:】
誰にとっても「自分らしく
生きる」ことが理想の姿だ
と思います。

しかし、自分らしく生きるに
は、売り物、つまりその人なり
の特色がないと難しい。

価値の高い特色(=存在価値)
さえ身につけていれば、心も
暮らしも豊かになり、他から
の制約や干渉に左右されるこ
とも少ない。

武者小路実篤は「この道より
生かす道なし。この道を行く」
と言い、

高村光太郎は「僕の前に道は
ない。僕の後に、道ができる」
と言ったが、自分が一生懸命
に精進さえすれば、そこにお
のずと道が開かれ、

自信と生きがいを持って生きて
いけます。

「生活のために仕方なく」とか
「給料がいいから」などといって、
自分が好きでもない仕事につく
のは愚かなことです。

それでは、この世に生まれてき
たかいがありません。

どんな道でも、宝物となるまで
磨き上げるには、人後に落ちな
い長い苦労が伴います。

それも、必ずしもものになると
は限りません。でも幸いにして
自己発掘ができたならば、後は
人間関係を良くしていくことで
す。

誰でも、自分一人では何もできま
せん。すべて大勢の人の助力が
あって、はじめて名声を勝ち取る
ことができるものです。


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「運の“あとの四割”をどう生かすか!」ブリュー・ミュージアムショップ :ヤナギダ店長コラム

2016年08月04日 04時55分02秒 | owarai
【コラム:】
「人間、どの道を選ぶにしろ
大いなる成功を収めるには、
運がよくなければならない。

だが、幸運を得るためには、
努力と実力と忍耐が不可欠で
ある。

成功者の幸運は
① 運を逃がさぬ絶え間ない努
力と、
② 運に乗って飛躍できるだけの
実力と、
③ 運がくるまでの苦難に耐える
忍耐の成果なのだ。

世に、努力をし、実力もあり、
忍耐もしたのに、ついぞ運に恵
まれずに人生を終えた不幸な人
も数多い。

しかし、努力と実力と忍耐を欠
いて、幸運だけで大成功した人
物は見当たらない」(堺屋太一著
『豊臣秀長』)

日本史上で最も過激な競争社会、
十六世紀の戦国時代に大成功し
た英傑たち。

その生涯を見るとき、つくづく
思うのは、彼らはみな、大なり
小なり幸運児であったというこ
とである。

だが同時に、彼らはみな凄じ
いほどの努力と並みはずれた
実力と驚くほどの忍耐を経て
いる。

乱世の天下統一の先鞭をつけ
た偉才、織田信長も、それを
受け継いだ豊臣秀吉も、

そして江戸時代の礎を築いた
徳川家康もまた、この例外で
はない。

マキャベリは、運の六〇%は
天運で四〇%は人間の運であ
ると言う。

たとえ悪運であろうとも、知恵
を絞ることによって防ぐことが
できる。それには、勉強と努力
が必要である。


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【終生、「笑い」に囲まれて】ブリュー・ミュージアムショップ :ヤナギダ店長コラム

2016年08月03日 04時42分47秒 | owarai
【コラム:】
作家の城夏子さんは、「楽しく
死ぬための生き方」として、
次のように語る。

「楽しく死ぬためには、日々
を楽しく生きることだと、笑
って暮らすことを勧める。

楽しく生きるとは、どんな
生き方か。

庭にどこかの家の白い猫が
入ってきたら、『あれ、猫が
遊びに来た』と楽しみ、一
隅の薔薇が花をつけたら、

『あ、咲いた』と喜ぶ。
なんでもないことを心に留
めて、嬉しがるのである。

私にはそれが、性に合って
いるようだ。

一度しかない一生だから、い
い絵、いい音楽、そして文学
に、どぶんとつかり続けてい
だい。

笑って暮らそう。そして笑っ
て死んでいく」
この逆に、何事にも不平不満
ばかり言って、暗く暗く考え
て面白くもない一生を送る
人もいる。

どうせ同じ一生なら、私も
何事も笑い飛ばして生きて
いく城さんのように、

前向きに生きたいと思います
そのためには、物事には何事
も二面性がありますが、

明るいほうを眺めて生きる
ことだと思います。


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「一すじに歩まん」ブリュー・ミュージアム:ヤナギダ佐久店長コラム

2016年08月02日 04時29分14秒 | owarai
【コラム:】
『われもまた、一すじに歩まん』
作家の戸川幸夫さんは恩師の
長谷川伸さんを死の二、三日
前にお見舞いに伺ったとき、
次のような教訓をいただいた
と語る。

「結局、死ぬということと
生きるということは同じなん
だよ。

生きるということはその者が
存在した価値を遺すというこ
とじゃないかね。

どんな仕事でもよい。世のため
人のために役立つことを自分の
生きてきた証拠として遺すこと、

これが生きるということじゃ
ないか。有名になるとか、財
産を遺すとかいうのではなく、

人々の心の中に何かを遺す
ということが生きるという
ことだろう。

それができれば死んでいて
も生きているのと同じだろ
う」

死は誰にでも訪れる。それま
では、たとえ小さな花であっ
てもいい。人の目に触れない
花であってもいい。

『よく咲いた』と神さまから
誉められるように、この世に
生きている限り一生懸命努力
して花をさかせたいものです。

一すじに生きるひとの尊さ。
一すじに歩みたるひとの
美しさ。

われもまた、一すじに生きん。
一すじに歩まん。

元横綱千代の富士の九重親方が
7月31日東京都内の病院で亡
くなりました。心より合掌。


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「片思いが叶うおまじない」Ⅰブリュー・ミュージアムショップ :ヤナギダ店長コラム

2016年08月01日 05時22分32秒 | owarai
【コラム:】
「好きな人からメールが来る
おまじない」
好きな人への思いをメールに
つづり、相手のメールアドレ
スの最後に「from heart」と
いう文字を加えて、送信ボタ
ンを押しましょう。

当然、そのメールは宛先不明
で返ってきますが、好きな人
からのメールもそのうち届く
かもしれません。

☆星のささやき
あなたから本物のメールを
送らず、気持ちだけを届け
るおまじない。

メールは「コミニケーシ
ョン」の星である水星の
アイテム。水星と、金星
を意味する「heart」の
文字を組み合わせること
が大切です。



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『創業121年』