Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

息子、中学軟式野球の練習試合で、ピッチャーデビュー!

2008-11-30 | 日本の中学軟式野球
この週末は、上の息子の中学の野球部の練習試合があった。土曜日は、自分たちの中学にて2試合、日曜日は、大宮の中学にて、2試合。この中学は県大会出場校の強豪チーム。息子の中学の中2は、20人の部員がいて、レギュラーと控えに分かれて、各試合が行われる。この土日が、今年最後の練習試合というので、私も見学しに行った。保護者も行っていいのかなあと不安であったが、お茶などの当番が決まっているようで、保護者も数人見学に来ていた。

アメリカで経験してきたリーグの野球に比べると、やはり守備がしっかりしている。ときどき守備や走塁ミスもあるが、息子の所属していたチームのように、ひどい守備の選手はいなさそうだ。息子の中学のチームのお母さんの話によると、日本ではまず守備ができていないと、レギュラーにはなれないそうだ。まず守備ができて当たり前なので、いくらバッティングが良くても、守備が下手だと試合にでれないようだ。どんなレベルの選手でも必ず試合は全員でて、バッティングも全員回るというアメリカ野球とは大違い。アメリカにいて、練習をしてきていない息子にとって、守備の遅れをとりもどすのに、これから1つ1つの練習にまい進していかなければならない。そういう意味で、遅いが、今の時期に帰ってこれてよかったのかもしれない。

今日は、うちのチームは、相手のチームのミスも重なり、1試合目レギュラーメンバーで勝利。2試合目もレギュラーと控えが交じったメンバーで勝っている。息子が横でピッチング練習をし始めた。盛んにストレッチをして、やる気満々。最後の練習試合、「なんとか投げるチャンスがあるといいなあ」と母はひたすら願う。

6回裏、ついに息子がマウンドに立った!11月10日、中2のこの遅い時期に入部して、30日の今日、ピッチャーとして試合にださせてもらえる。なんと幸せなことだろう!うちのチームの保護者たちは、遠くから見学しているが、近づいてドキドキしながら、息子の日本でのピッチャーデビューを見た。まだ、注文したユニフォームもきていないので、何も字が入ってない真っ白の練習着と白い帽子のままの姿の息子は、やたら目立つ。相手のチームの選手たちが、ベンチで、「なんでユニフォーム着てない奴が出てる?」



しかし、息子が投げ出したら、シ~ンとして見入っている。アメリカでやっていたように、速い直球をズバズバ投げる。相手チームは、クリーンアップ。先頭打者は、当てるのがせいいっぱいで、まったく前に飛ばない。が、粘られて、フォアボールをだしてしまう。このランナーが盗塁するが、味方がしっかりアウトにしてくれて、息子楽になる。その後は、2者をゴロに抑えて、点数を許さず見事なピッチングデビューを飾る。

最終回も息子の仲良しダイスケ君が2者三振にとり、6対0で勝利。息子、バッティングでは、ツーアウト満塁で、代打ででるが、残念ながら、内野強襲のゴロに倒れた。しかし、今日はピッチャーとして、十分いい結果を出せたので、よかった。



試合終了後は、お互いのチーム全員で、保護者たちがいる場所に向かって、最敬礼。さすが、礼儀を重んじる日本の学生野球と感激し、こちらも襟を正した。お母さんたちは、当番で重たい飲み物などを用意している。「また、来年よろしく!」とお母さんたち。そうか、親たちの手伝いも今年はこれで終わりなのか。

息子の感想は、試合で初めて投げた軟式ボールなので、力を抜いて投げたが、クリーンアップの選手たち相手に、打たれる気がしなかったという。かつてのアメリカのスラッガーのチームメートたちとは、やはりパワーの差が歴然だという。バッファロー・グローブのBGRAのハウスリーグとトラベルチームで一緒だったスラッガー、マイケルやチェイスたちの迫力はすごかったという。体の太さが違うので、対峙するときの雰囲気が、違うのだという。守備は、格段にいい日本の中学野球。まだまだ、日本の中学野球、始まったばかりなので、なんともいえないが、アメリカ野球と日本野球、どちらがどうなのか、実際に両方を体験できる息子の感想を聞くだけで、ワクワクしてくる母である。

硬式でピッチャーをやってきた息子が、軟式で肩をこわすのではないかと心配したが、大丈夫だと言っている。どうやら、中学部の軟式野球を続ける覚悟のようである。顧問の先生に挨拶に行ったら、息子が入って、「(うちの部に)新しい風が吹いてきたような感じです」と言ってくださった。早く、軟式野球に慣れてほしいと願う母です。

近所の古くからのママ友から公立中学・高校受験の情報収集~ありがたや!

2008-11-29 | 日本の中学校
昨日は、何年ぶりかで、上の息子の幼稚園時代の近所のママ友達グループ5人とシャブシャでランチ。私を含めて6人のうち、5人は上の息子が幼稚園年長のときに同じクラスのメンバー。そして、6人のうち5人の親の子供たちが同じ中学に通う地元の友達同士。最近、ちょっと気分が鬱状態だったので、いい気分転換にもなった。

みんなの話を聞いていると、急にこのところ一部の生徒たちの様子がおかしくなってきたという。ここ数年は、息子が通う公立中学の評判は良かったらしい。友達の子供達はみんな同じ小学校出身で、住んでいる地域は割と生活水準がいい。しかし、別の地域の生活水準はやや低いらしく、保護者の子供に対する意識や価値観がまるで違うという。

来年中学受験を向かえる私たちの子供たち。埼玉県の場合は、私立は学校側との確約を親が取らなければならないそうだ。この「確約」という表現が、なんか企業の契約を連想して、あまりいい感じがしないけど。中3の9月から毎月北辰テスト(これで漢字はあっているのだろうか?)という実力テスト(新教育のようなテストかな)を受けて、それが確約の参考にされるらしい。埼玉の県立の受験内容は、来年度から大幅に改正されるらしいので、親は受験情報から目が離せない。昨日会った友達の中に、長男が、いい県立高校に受かった人がいるので、頼りになる貴重な情報源。受験の話が出ると、早く生活に慣れて、情報収集をし始めないと気を引き締める。(と言いながらもまだ来年だとまだのんびりしている私)

この友達の話だと、うちの近所はいい公立高校が結構あるけど、各高校毎年倍率がかなり高いらしい。他の地域からも受験する生徒がいるからだ。「あんなにできた子が・・・希望校に落ちた・・・なぜ?」というケースも彼女の友達にあったという。というわけで、親も子供も内申書にはかなり神経質になるようで、1人の友達の話だと、子供の交友関係を徹底的に追いかけ、干渉する親たちまでいるという。悪いレッテルを貼られている子供たちと付き合っていると、先生からの印象も悪くなるというわけなのか。

名門と呼ばれている公立中学もいろいろと問題があるらしい。しかし、部活の朝練があっても、必ず制服で登下校をしなくてはいけないという。いちいち着替えなくてはいけないから、大変だろう。息子の中学は、学校指定のジャージやトレーニングウエアで登校しているから、まだましだ。

時間が短かったので、少ししか話が聞けなかったが、貴重な情報収集の場であった。こういう場所では、聞き役に徹することにする。まあ、たまには、息子の日本の印象なども話すが、「アメリカでは・・~なのよ」と言うと、あまり印象が良くないような気がする。とにかく、謙虚に相手の話を聞く。みんなの話はすべて私にとって新鮮だし、インパクトにあふれている。約7年ぶりの日本の小、中学校では、私は一から出直しというわけなので。とにかく、古くからの地元の友達がいてくれるというのは、貴重だ。このランチの後に、一緒にランチした仲良しの友達の1人が、「中学にBさん親子が存在する不思議さを感じましたが、個性万歳!みんな楽しみだね、と思えるひとときでした」と励ましのメールをくれた。

日本最大級のショッピングセンター「レイクタウン越谷」は、エコロジーがテーマ

2008-11-28 | 日本生活雑感
日本に帰国してから、訪れたショッピングセンターは、10月にオープンした越谷にある大人気の「イオン・レイクタウン」。武蔵野線の沿線に「越谷レイクタウン」という新しい駅ができているのに気付き、駅前に大きなモールらしきものがそびえたっていたので、早速チェック。

近所の友達に聞くと、「端から端まで歩いて20分もかかるほど広い」というふれ込みで、みんなの注目らしい。「アメリカならモール内ならもっとかかるわなあ」と思ったが、「すごいのよう!行ってみたいわあ!」と無邪気に喜ぶ友達に対して、「じゃ、行ってみようかな」と無難に答える。

この「越谷レイクタウン」駅は、帰りの切符購入のときの混雑を避けるため、スイカを買っておくようにあちこちに表示書きされている。そんなに人気なモールなのかと興味津々で入る。この日は、息子の部屋のカーテンを買う目的。かなり広いようなので、インフォメーションセンターで、カーテンを売っている店を聞く。パソコンで念入りにお姉さんが調べる。MORIと KAZEのセクションに分かれていて、爽やかな雰囲気をかもし出している。


写真はウイキペディア「イオンレイクタウン」より

このショッピングセンターは、なんと日本最大の広さで、エコロジーをテーマとして、二酸化炭素排出量の20パーセントを削減するように設計されている。ソーラーパネルを設置し、太陽光電を行っている。日本という国は、アメリカに比べて、各家庭のゴミ処理から始まって、何でも節電、資源を大切にしようという取り組みがすみずみまで行き渡っている。国民1人1人の意識が違う。アメリカに長く住んでいるとこの意識がなくなってしまうが、日本に帰ってくるといとも簡単に感化され、「やらなくては!」という気持ちが強くなる。こういうショッピングセンターがこれからもますます増えていくに違いない。

さて、数箇所カーテンを置いてあるお店を教えてもらい、このショッピングセンターに足を踏み入れる。最初に目に入ってきたシーンは、なんとアメリカではおなじみのドーナツ「クリスピー・クリーム」の店に長い列ができている。アメリカでは、なんの変哲もない「クリスピー・クリーム」を買うためにだ、日本では下手したら1時間待ちだと!友達の話によると、日本に1号店ができて以来、かなりの話題になり、このお店が7号店になるのだが、大人気だという。1人の友達は、「列で待っている間に、タダでドーナツをくれるのが、たまらなくいいわ~」と言う。なんとも信じられない現象だ。この行列の様子を写真におさめたかったよ。(カメラ持ってきてなかったもんで)だって、アメリカに住んでいる日本人には信じてもらえないだろうから。

ショッピングセンターは、シカゴ郊外のウッドフィールド・モールのつくりになんとなく似ていて、アメリカのモールを真似しているような感じだ。歩いていると、高級チョコレート店「ゴディバ」もあった。のぞくと、バカ高い。もともとアメリカでも高いが、日本では小さい箱でも3000円、普通の大きさが、5000円の世界だ。こんなものを買う人はいるのかしら・・・

そして、やはりあった、あった。下の息子の愛するアイスクリーム屋、「COLD STONE」。バッファロー・グローブのタウンセンターのモールにあったCOLD STONEは、何回も行かされたもんだ。あのアイスをまぜまぜの瞬間を見るのが、息子は好きであった。これもすでに日本に進出していたのね。でもやはり高い。こちらもそこそこ列ができていた。私が訪れたのは、平日。週末は、かなりの長さの行列ができるのであろう。

各店舗はとくに際立った個性的なお店はなく、今までのショッピングセンターとさほど変わらないような気がした。「スポーツ・オーソリティ」、デジタル家電「さくらや」もあり、私たちには便利。

一番感激したのは、フードコート。ありとあらゆる種類の数のレストランがあり、子供たちが大好きな「王将」まであった。注文すると、リモコンのような機器を渡され、料理ができたら、その機器が点滅して教えてくれる。上の息子をこのフードコートに連れて行ったら、そのおいしさに大感激していた。

このような新しい大規模ショッピングセンターが、首都圏近郊のあちこちにできているようだ。このレイクタウンのそばの武蔵野線の「新三郷」駅にも11月にショッピングセンターができ、なんとアメリカではおなじみの家具店「アイケア」(日本ではイケアと呼ばれます。私はこの響きに慣れないけど)がオープン。息子の部屋の本棚を見に行こうと思っている。アイケアの日本サイズがあるだろう。

東京、埼玉、千葉の3県を横につなぐ貴重な武蔵野線。この線のおかげで、千葉の実家に行ったり、東京の国分寺方面へも楽に出れるので、私たちには、とてもあり難い線だ。だが、郊外を走るので、延々と何も無い野原を突っ走り、とても地味なイメージが、今まであった。乗客数も他の沿線に比べて、そんなに込んでいないような感じもある。しかし、このいくつかのショッピングセンターの出現で、武蔵野線も大変身をとげるか!越谷レイクタウンもそこそこの大きさの湖を中心として、このモールとともに住宅開発が進む。さいたま市のうちの周辺は、マンションは飽和状態で、このところ新しいマンションの空きも目立っているという。

さて、この日の目的のカーテンをいくつかの家具屋で見たが、結局、ショッピングセンター内にある「ジャスコ」の2980円のとてもやす~いブルーのカーテンを買った。でも、息子は希望通りの物で喜んでくれた。








11月の日本社会での出来事を報告~やっぱり、日本シリーズでの西武日本一!

2008-11-27 | 日本プロ野球
私たちが11月2日に日本に戻ってきた時のテレビのニュースは、小室氏の詐欺事件とオバマ氏の動向が連日で報道されていた。オバマ氏がアメリカの次期大統領に決まったときも、日本での報道量もすごかった。ああ、私たちもシカゴにいて、その瞬間を一緒に味わいたかった!といっても、自分たちの生活の立ち上げで、その一大イベントも横目にという感じだったが・・・

その間、ずっと流れ続けていたニュースは、「振り込め詐欺」だった。息子と偽って親たちに多額のお金を銀行名義に振り込ませるという前から問題になっていた詐欺が今年ますます増え続けているという。手口も巧妙になり、声が多少違っても、風邪を引いていると言うと、いとも簡単にお年寄りは引っかかってしまう。ワイドショーやNHKのクローズアップ現代等でも特集を組むほど社会問題になっている。NHKのコマーシャルで、萩本欽ちゃんたちが、「気をつけよう!」と呼びかけるほどだ。自分の息子の携帯の番号がわからないほど、みんな連絡をとりあっていないのだろうか。

そうこうしているうちに、元厚生事務次官宅が襲われ、二人の元事務次官とその妻が死傷されるという痛ましい出来事もあり、テロではないかと疑われているうちに、一人の男が自首。30年以上も前、自分の飼っていた犬が保健所で殺された腹いせにやったと供述。なんとも不可解な事件だ。2箇所で事件が起こったのだが、そのうちの1箇所はうちからもそう遠くない場所で同じさいたま市。宅配便をよそおって、箱を受け取るところをナイフで刺したというから、恐ろしい。

しかし、私にとって、11月中一番興味を持って見た出来事は、プロ野球日本シリーズ、西武対巨人で、西武が日本一になった瞬間が見られたこと。大昔は、元々巨人ファンの私だったが、何年ぶりかに日本のプロ野球をパッと見て、若くてカッコいい選手が多い西武をひたすら応援。なんたって、地元埼玉ですから、西武は。名前も「埼玉西武」となっている。

とくに、若い岸投手の活躍が目をみはった。第4戦目で、初登板初完封の快挙。3勝3敗の決戦では、中2日の91球救援を成し遂げ、巨人打線を完璧に抑える。そのため、岸投手は、このシリーズのMVPに選ばれる。たった68キロしかない、超細身の体で、このスタミナと気力。そんなに球速はないのだが、いいところでカーブがきれいに決まる。端正なイケメンの面構えで、淡々として、常に落ち着いていた。


左の写真は、11月6日付「朝日新聞」スポーツ欄より、右は11月10日付「日刊スポーツ」一面より 両写真ともに岸投手 西武の渡辺監督の写真入れなくてごめんなさい

他の西武の選手も若々しく、西武のユニフォームが足腰に微妙にまとわりつく、野球のユニフォームらしからぬカッコいい雰囲気をかもしだしていた。岸君は、(こういいたくなるほど、さりげない野球選手)松坂や野茂のように日本人の投手にありがちな、がっちりとした足腰ではなく、スポーツをする普通の人といった風情なのがいい。ダルビッシュにしてもモデル並みのルックスと体型だし、西武のメンバーも打順1番片岡、2番栗山、3番中島とイケメン軍団だし。日本のプロ野球選手って実力、外見ともにそろっていて、話題性にこと欠かない。

アメリカでは、日本人メジャーリーガーたちの活躍を見るのが楽しかったけれど、日本は日本で若き獅子たちの活躍を見るのが楽しみである。

息子、部活はあっさりと野球部に入る!~日本の中学校その4

2008-11-26 | 日本の中学校
日本の中学校で、部活動は日々の中学生活の中心を占める。アメリカでは、課外活動でも地域のスポーツが盛んなため、この「一年中部活専念」のスピリットが理解しがたい。

上の息子は、日本に帰国して最初の1週間で、シカゴと日本の中学のあまりのギャップによる鮮烈なストレスをすぐに「部活」にぶつけたくなったようだ。息子が通う中学では、部活は必須なため、できるだけ早く入る部も決めなくてはならない。

ありがたいことに、最初の週に、息子の小学校時代からの仲良しの野球友達、ダイスケ君が、野球部の面々を引き連れて野球部に入るように誘ってくれた。昼休みに10人ぐらいの野球少年たちが、息子を校庭に引っ張っていき、みんなで「野球部に来ないか」と言ってくれたらしい。アメリカで硬式野球をずっとやってきた息子は、主人のアドバイスで、軟式野球をする中学の野球部より、硬式野球をやる地域のシニアのチームに入ろうと思っていた。

しかし、ダイスケ君や新しい友達からの誘いにかなり心が動き、最初の週の日曜日は、野球部の練習試合を見学しに行った。その時の野球部のメンバーの息子に対する思いやりのある態度に、息子も主人も印象をよくしたらしい。顧問の先生も含めて、みんなが「よくきてくれた」と歓迎してくれたようだ。仲良しの友達のお母さんの話によると、野球部のように部活動が盛んなクラブに入っていると、男の子たちは発散され、気持ちも優しいいい子が多いらしい。発散されていない子たちが、どうしても悪さをするらしい。

また、最初の週の終わりに、いくつかの高校の出前授業があり、最近頭角を現している川口青陵高校の野球部の監督の先生がメンタル面のアドバイスもしてくれ、息子大いに感激。このとき、一緒に授業を受けた野球部のエース君が、息子に軟式野球と硬式野球の感触の違いなどを詳しく教えてくれたという。

さて、10日から野球に入部した息子。11日からいきなり毎日7時半から朝連開始。「オレ、朝起きれるかなあ・・・毎日練習して、慣れない学校で、朝早くから練習するなんて、自信ないなあ」とぼやいていた。朝7時には家をでないといけない。今まで、シカゴでは8時20分に家をでて、親の車でバスストップまで送られ、スクールバスで学校まで5分という利便さ。朝、6時半に起きて、30分弱歩いて登校して、体を動かす。帰国2週目にして、なんという違いよ!

今まで、親が起こさないと絶対起きなかった息子。しかし、しかし、6時半頃、自分から起きてきた。私が起きなくても、自分で起きて、勝手に朝食を食べて、さっさと出て行く。こりゃ、奇跡じゃ!人間やる気になりゃできるもんねえ!

息子が言うには、夜型人間の息子にとって、早起きするのはつらいが、朝体を動かすのは気持ちいいという。野球部のメンバーは、後輩たちも思いやり、とても感じのいい仲間たちだという。学校でのカルチャーギャップに戸惑う息子にとって、野球部は大きな心のささえとなっているといえよう。

練習では、練習を積んでいるだけあって、さすがにみんな守備はうまいという。中2は、20人いて、レギュラーのメンバーと控えのメンバーとの選別はクリアな模様。大会が終わった今、土曜日が練習試合だが、それも今月まで。息子が見学した15日の北本市の中学での練習試合。埼玉でもベスト8に入るというこの中学。1年生のメンバーと試合をし、それでもそこそこ強かったという。

息子の中学の野球部では、バント、ベースランニングなど細かな練習があり、息子「フリーバッティングしてえ!」と一言。現在、期末テスト前にて、練習はなし。29日の練習試合で、ピッチングをやらせてくれるよう顧問の先生に聞いてみるという息子の積極さ。中2のこの遅い時期に野球部に入り、レギュラーに食い込むのは至難の業。でも、あきらめずに頑張ってほしいものだ。

(今日は、2つ投稿してます。前回の投稿は、下の息子の小学校のことです。小学生を持つ駐在員家庭の皆様、おみのがしなく!)

下の息子の小学校の盛大な音楽会!~日本の小学校その1

2008-11-26 | 日本の小学校
先週の土曜日は、下の息子の小学校の恒例の音楽会が市の大きなホールで行われた。各学年、かなり前から練習を毎日念入りにして、2曲づつ演奏や歌が盛大に披露された。シカゴ日本人学校全日校での恒例の文化祭のような感じで、全校一体で力を入れるイベントとでもいおうか。

息子は、11月5日から(4日は学校はお休み)元気に歩いて登校しだした。息子が編入した小学3年生は、4クラスあり、各33人と中規模の学校。担任の先生は、20代であろうかと思えるほど若い女の先生。シカゴでは、熱血感がほとばしるような個性的な男の先生であったから、かなりのギャップかなあ・・・と一瞬思ったが、「Bさんが学校に慣れるまで、みんな気にかけてあげて」という促しを先生が何回かしてくれ、生徒たちへのケジメのいいきびきびした接し方を見て、安心した。隣に座った女の子が息子の世話をしてくれていた。

この公立の小学校は、生徒たちの質がいいとの近所のお母さん友達の話。ざっと校内を見ても、郷土のいい文化を授業に取り入れ、調べ学習にしていたり、郷土料理を給食に取り入れたりとさまざまな工夫がされている。8日には、この小学校のお祭りがあり、校内を開放して、各教室でさまざまなゲームが行われたり、食べ物や飲み物が売られ、熱心な保護者たちのボランティア活動にささえられているのがわかる。

さて、肝心の音楽会。楽器が得意でない息子にとって、いきなり楽譜を渡され、すでに演奏が出来上がっているほかの子供たちとの練習は、かなりのプレッシャーだったようだ。1曲目は、全員でリコーダーを演奏し、歌う。2曲目は、さまざな楽器の中で、息子はメロディオンを選んだ。ZARDの「負けないで」というむずかしい曲だ。シャープやフラットがでてきて、1オクターブ音が飛ぶ。

最初「こんなのできない!」と息子は泣きそうだったが、毎日自分から進んでリコーダーとメロディオンを持ち帰り、交互に2曲をじっくり練習する。担任の先生も「各章節の最初の音を拾うだけでもいいから」と言って下さったのだが、息子はあきらめずに、毎日1曲づつこつこつゆっくり練習した。おかげで、音楽会の直前にはスローだが、なんとか曲をこなせるようになっていった。

当日の音楽会では、息子もみんなと一緒にノリノリで演奏し、大きく口を開けて楽しそうに歌っている。日本の小学校での第一関門突破か!ほっとする。



終わった後で、思いっきり息子をほめる。 ほかの学年の演奏は、予想以上にすごかった。小学1年生が見事にメロディオンを弾きこなし、5年生はむつかしいリズムの「アフリカン・シンフォニー」を演奏。6年生にいたっては、かの「新世界」の第1楽章をアコーディオン、リコーダー、木琴、メロディオン、打楽器などで演奏。オーケストラがかなでるような音を表現し、聴いていた観客を魅了。日本の小学校の音楽のレベルの高さを思い知った1日であった。



音楽会の帰りは、各学年ごとにホームの前で、親が子供たちを迎えに行くのだが、子供の数があまりに多くて、満員電車のようにもみくちゃになりながら、必死で息子を迎えに行った。今後、息子がうまく日本の学校に溶け込んでいけるか祈るのみの親である。

英会話の授業で息子ヒーローになる!~日本の中学その3

2008-11-23 | 日本の中学校
上の息子が日本の公立中学に通いだして、一番面白かった話は、英語の授業。まず、英文法の授業で、息子が英語を発音するたびに、「オオーッ」とみんなの驚きの反応があったらしい。

英語を息子が話す前、みんなから、例のごとく、帰国子女にとってお決まりの質問が息子に浴びせられた。「B君、英語ペラペラ?」おお、きたきた。
息子は、「いや、まあ、日常会話ぐらいなら」と控えめの答え。現地校に通っていた子供たちよりも全日校に通っていたので、本人の中でも正直「日常会話程度」という意識が高い。スムーズに英語がでないときもあるからだ。

そして、回数としては少ないが、今月英会話の時間があった。黒人の先生で、英作文の課題が自分の仲の良い友達へのさまざまな質問。みんな頭をかかえて書く中、すぐにすらすらとできた息子。最初に発表の場が与えられ、みんなの前で発表する。シカゴからきたということで、まず「おお、シカゴボーイ!」とこの先生に言われたらしい。息子は、久し振りに英語をしゃべったため、ついついいつもの調子で英語がでてしまったらしい。気がついたときは、みんなあっけにとられた顔で息子を見ていて、ますます調子づいたらしい。いつもの息子の日本語の「機関銃トーク」と同じように英語がすごいスピードででてしまった。

息子の発表が終わったら、みんなから大きな拍手が沸き起こる。そして、「なーんだ、B君、英語ペラペラじゃん!」と言われたんだって。そうか、みんなから見ると、やっぱり息子はペラペラの部類なのねえ。よく、帰国子女の雑誌の体験談で、帰国子女が回りの目を恐れて、わざと日本語英語を話すというのを目にするが、息子の学校は素直に受け止めてくれるようで、息子も自然に振舞えるので、安心した。そう、この学校の生徒たちは子供っぽいが、とても素直。

それで、初めての英会話の時間なのに、それ以降、隣の女の子に通訳したり、教えたりで、ほとんど先生のアシスタント状態。先週の2回目の英会話の時間にいたっては、息子の発表の途中からは誰も理解できていなかったよう。先生と息子の会話も理解している生徒はあまりいないかもしれないとのこと。この黒人の先生もネイティブでなく、スパニッシュなまりがあるらしい。息子も聞き取りづらいと言っているから、こんなんで大丈夫なのだろうか。みんなの英語が恐ろしくスローの日本語英語なので、息子はいたく心配している。「あなた家庭教師できるんじゃない」と思わず言ってしまった。小学校から英語環境にいたというのは、すごいことだったんだ。シカゴで野球やバスケットのチームを通して、アメリカ人のお父さんたちやチームメートたちと普通に会話していたことは大きい。

また、社会の地理の授業では、今アメリカをやっている。イリノイ州の農業の状況を先生が息子に説明させてくれたらしい。先生の説明の後、「なっ、そうだろ、B君」と確認されるらしい。ワシントンDCのことも出て、「B君、ワシントンDCは行ったことがある?」と先生から聞かれる。
「ええ、ありますよ、修学旅行で」と思わずとっさに答える息子。
その瞬間、「え~!修学旅行!!」とみんなの驚きの声がまた教室中に響く。
「飛行機で行ったんだよね?」
「勿論、飛行機です」
「え~!ひこ~きぃ!」またまた、驚きのみんなの反応。
「バスかなんかで行かないの~?」
「君たち、アメリカの広さを知らないねえ~。車なら3日ぐらいかかっちゃうよ」と息子切りかえす。

みんな日本国内の旅行が多いだろうから、息子の話はみんなにとってさぞや刺激的であろう。アメリカでどんな家に住んでいたかなどさまざまな細かな質問をまだ女の子たちから受けているらしい。みんなにとっても息子のような帰国子女の存在は、視野も広がって、いい刺激になるのではないか。

帰国子女にとっては、驚きの日本の公立中学~日本の中学その2

2008-11-21 | 日本の中学校
ピシッとしたつめえりの学生服を着て、地元さいたま市の公立中学に通いだした息子。初日から恐ろしく疲れた様子。クラスの生徒たちが授業を聞かず、あまりにうるさくて、驚いたらしい。1日目に、授業中殴り合いをしている生徒もいたので、ショックを受ける。「まるで動物園のようだ!」との苦肉な表現。

しかし、小学校1年生の3学期の始めまでここの地元にいたので、幼稚園時代からの知り合いも多いし、小学5年生のときは、1週間小学校で体験入学もして、息子のことをよく覚えている子もいる。おかげでわからないことは、みんなが助けてくれたらしい。アメリカのこともみんな興味を持っているらしく、質問攻めにあったらしい。

女の子にいたっては、最初のころは何人もの子が、かわるがわる「私のこと覚えてる?」と息子に聞きに来てくれたらしい。他のクラスの知らない女の子も毎日「Bく~ん!」と手を振って気軽に挨拶に息子のクラスの教室に来ては、アメリカでのことを質問してくれるほど注目されているらしい。この中学は帰国子女がほとんどいないので、やはりアメリカからの帰国子女というのは、注目度が高く、みんなが息子のことを気にしてくれている。ありがたいことだ。アメリカという国にみんなが興味を持ってくれているのもよかった。息子もみんなから注目されて、うれしいに違いない。みんなの質問で一番多いのは、「日本とアメリカどっちがいい?」息子は、「食べ物とかは日本。環境のよさはアメリカ」と要領良く答えているらしい。

11月4日(火)から通い始めて、5日目の11月8日(土)にこの中学が力を入れている恒例の合唱コンクールが大きなホールであった。よって、息子が通いだした最初の週は追い込みってことで、毎日授業のあと猛練習。息子は「困ったなあ!」と言いながら、練習に参加。元来負けず嫌いの息子であり、記憶力は抜群。あっという間に、その週の木曜日には歌詞を覚えてしまった。これには、母も担任の先生も驚く。本番では、堂々とみんなに交じって歌い、他のお母さんから「B君が一番よく口があいていたわあ!」とほめられたほどであった。



後日、担任の先生からの学級通信で、「転入してきたばかりのB君が2、3日で覚えきれて、十分戦力として参加できた」と書かれたほど。いざというときの息子がだせる底力というのは、シカゴ日本人学校全日校で鍛えられた「常時イベント全力投球魂」からきているに違いない。なんたって6年以上もその中にどっぷりいたわけだから。

こちらの中2は6クラスで、息子のクラスは40人。シカゴの中2は1クラスでたった12人で、中学部全部でも40人いなかったわけだから、すごい違い。さきほど息子に聞いた話では、息子のクラスには3人の不登校者がいるという。これだけ多くの生徒たちがいれば、発散する場がなければ、思春期まっただなかの一番むつかしい中2であるゆえ、クラスで大暴れしたくもなるだろう。少々うるさいのはしかたがないだろうと思っていたら・・・

最初の週の木曜日あたりにいつまでたっても息子が帰ってこない。心配していたら、2箇所のトイレの換気扇やドアがぶっ壊されて、中2が呼び出されたという。息子は驚きながら、私たち親に話す。主人は、「まあ、そういうことは俺たちの中学時代はよくあったよ」「大阪の中学でガラも悪かったから、放火事件もあったしなあ・・・」と淡々と息子に話す。主人の時代は、日本全国の中学が荒れていた時代。つっぱりも多かった。でも、今の時代の中学生とまた質が違うような気もする。息子と同じ中学に通う娘を持った友達にこの事件を話すと、「そんなのしょっちゅうよ!」と相手にされず。

毎日いろんなことがあって、息子は精神的にかなり疲れているが、帰宅すると怒涛のように学校であったことを私に話してくれる。その内容が強烈で、私は「ハハーッ!」と驚愕したり、大笑いしたりする日々である。最初のころ、私が担任の先生に学校での息子の様子を聞くと、「適応能力が高く、みんなにすぐ溶け込んでいます」と言われた。それは息子の必死の努力の姿なので、すかさず、「(シカゴ日本人学校との)あまりのギャップに息子はとまどっているようですが・・・」と言うと、「(納得したように)今はよく本人の話をじっくり聞いてあげてください」とのこと。毎日聞きすぎるほど聞いてますわあ。

振り返ると、シカゴ日本人学校は本当に平和であった。ある種同質の子供たちがいて、温室というとらえ方もあるかもしれない。息子は、「シカゴ(日本人学校全日校)が良すぎた」とつくづく言う。これはカルチャーショックともまた違うような気がする。が、今までにないさまざまなタイプの友達に出会い、大きな人生経験を味わっている。そうとらえたいと母は強く願う。


次回は英語の授業とか部活について書いてみようかな。何しろ中学はネタ多し。

上の息子、日本の公立中学へ通う!準備と心構え~日本の中学その1

2008-11-20 | 日本の中学校
今日はいよいよ上の息子が通いだした日本の公立中学について書こう。中学に通うにあたって、必要なものは、制服とカバンと体育着。11月2日に日本について、3日が文化の日で祝日だったので、先日投稿した大物の買い物をした後、息子の体育着を購入しに、うちの利用する駅から一駅いった学校指定の専門店に行った。

前もってシカゴからこのお店に電話で説明してあったので、体育着のゼッケンの名前はちゃんと用意されていた。胸に大きく白い布で苗字をつけなくてはいけない。息子は今まで自由な服装で体育や運動をやっていたので、かなり違和感がある。アイロンでこの名前の文字を熱写する。すごく美しく立派な黒文字に感動。その字を見て、日本語の美しさにほれぼれしていたら、乾燥機に入れたら、なんと1回でこの文字が半分はがれてしまい、ショックの母。ウウッ、泣きたい!

そして、体育着のジャージは苗字を上下に刺繍で入れなくてはいけないため、受け取るまでに1週間かかるという。また、はるばるここまで来なくてはいけない。このジャージがない1週間が、息子によると大変だったという。たった1人短パンと半そでで体育や掃除をしていたので、みんなからかなり浮いていたらしく、恥ずかしかったようだ。毎日、「ジャージまでこないかなあ」と言っていた。日本では、みんなとすべて同じでないとおかしいというわけだ。

上履きは、普通のジムシューズのようで、小学校のような上履きっぽくなくて、ほっとした。しかし、この体育着一式とワイシャツで、なんと2万円ちょっとかかってしまい、母はびっくり。このお店は数校の制服もあつかっているため、ぼろもうけであろう。制服も何万もして、目玉がとびでるほど高い。

さて、必死で1日で体育着等を用意して、次の日、区役所で家族の転入手続きをして、その足で区の指定の公立中学を息子とめざす。私たち親子は、公立の中学というものに、やや希望に燃えながら、半分恐れながら・・・足どりは・・・重い。だって、どうやっていくのかまったくわからない。詳しい地図を見るが、細かい道がいりくんでいる。人に聞いてやっとたどりつく。30分ぐらいかかり、かなり遠い。どうやっていくのがいいのか、息子は、次の日は近所の昔からの友達と一緒に行くことにする。とにかく、さまざまなことは、すべて素直に友達に頼ることにしたらしい。なんたって、日本の中学に通うのは初めてなわけだから。

先生たちを待っている間、事務の女の人が、シカゴから電話で話したとおり、注文していた中古の制服を持ってきてくれた。上も下も500円づつ。3ウエイカバンもなかなかいい状態。これもたった500円。生徒が使った制服を安く売ってくれるというPTA事務の計らいが素晴らしい。おかげで、何万も払わずにすんだ。

しばらく待って、中2の主任の先生と担任の先生が現われる。主任の先生は、気さくで、しっかりされている感じ。うれしいことに、この先生もロスの補習校に昔勤務されていたという。この先生なら、帰国子女の気持ちはよくわかってくださるだろうとほっとする。しかし、すぐに「日本の生徒たちの方が向こうの(アメリカに住んでいる日本人)生徒たちより子供っぽいんですよ」となにげにおっしゃる。私たちはびっくりして、理由を聞くと(息子も乗り出して、「具体的に教えてください!」ととっさに言う)「親がそうさせてしまうのでしょう」とのこと。精神年齢が、かなり低いという。

この先生の貴重な言葉が勿論後になってわかるのだが、このとき、私たち2人は「ウーン」とお互い顔を見合わせた。最後に「まあ、じょじょに慣れていくよ!」「何でも私に聞いてください」と笑顔の主任の先生。頼りになりそうで、嬉しい反面、「公立の中学、覚悟してください」と言われていたような気もする。そして、すぐに息子は担任の先生と教室に消えていった。ここまでよね、私の出る幕は。シカゴ日本人学校のように、教室を気軽にのぞきに行けないし、写真も撮れない。重い一眼レフをかかえながら、30分も歩くわけにはいかなかった。


船便第一便36箱も到着!どうするんだ!~日本での立ち上げその3

2008-11-19 | 日本生活雑感
今日は朝から10月の始めに送った船便36箱が届いた。はたから見たら、普通の小規模の引越し。しかし、まだ船便2便目が50箱以上もあるので、気が許せない。到着したダンボール箱を見て、「はあ~っ!」とため息。うちのマンションの部屋は、たった64平米しかない。いったいこの荷物をどこにはめ込むんだ!と頭をかかえてしまった。とりあえず、上の息子の部屋である7畳の洋間の片側の壁に重たい本類のダンボール19箱を積み上げておく。家具のない広々とした部屋をアメリカにいるときのようにエンジョイしていた息子よ、許せ!


右端に見えるのが、シカゴ日本人学校全日校中学部のみんなからいただいた貴重な写真と寄せ書き。ラミネート加工してあり、さまざまな思い出がつまっている。息子は、これを飾って、「ああ、シカゴにかえりてえ~」と叫びながら、毎日頑張ってる。私は、この写真を見るといつも目頭が熱くなる。

必死で、リビングに積んだ数箱をあけるが、あけるのにも一苦労、あけて物を出しだら、一緒にクッションとして詰めてある大量の紙類とも格闘するといった感じで、午前中だけで、4箱しか処理できず。前からある物を処分しながら、空いているスペースにはめ込む。相当時間がかかるであろう。

日本に先に帰国した多くの先輩方が、「いつまでたっても一部屋ダンボールでいっぱいなのよ~」とよくぼやいていたが、そうなるのはしかたがないことなのだと納得した。最初の船便が36箱で、みんなから「すくな~い!」と驚かれたのだが、はっきり言って、もっと少なくてもいいです。一番最初の7箱の航空便だけでもいいぐらい。荷物の少なめなうちでこの調子だから、日本で新居を探し、トランクルームからも荷物が届くような駐在員家庭の場合は、恐怖であろう。

アメリカに赴任して着いたときは、荷物が少なく、スペースも広いので、あっという間に楽しく片付け終わったが、日本への帰国はすべてが逆。思い切っていろんなものを処分してきて、本当によかった。とくに家具は持って帰らなくて大正解だった。主人がアイケアのダイニングセットを持って帰ろうとしたが、ガレージセールで安く買ったものにこだわる必要ないと反対した。今日着いた荷物の中で、家具は私たちの机と息子のおもちゃの収納庫のみ。2便目で送った大きな家具も息子たちの2つの机とイスぐらい。本の多い私たち家族にとって、さしあたり必要となる家具は、子供たちの本棚。こちらで、日本サイズの品質のいい本棚を買ってあげようと思う。

今日送られてきた中の食器類も少しだと思っていたら、こちらの食器棚にははいりきれない。早速古いものを処分。私はアメリカで食器類をほとんど買わなかったのだが、もしも買い足してばかりいたら、さぞや収納に困ったろう。ただ、帰国直前に気分を一新する意味を込めて、真っ白の食器は買った。アメリカで使っていた古いものは会社の人に譲った。

主人が小田原勤務で単身赴任なので、11月6日にオーディオ機器やミニダイニングセットなどをともなって越していったため、家具のない広々としたリビングで、2週間居心地がよかったのだが・・・シンプルに住むために、またしても、いらないものを捨てまくるしかない!今回の本帰国で、捨てるという癖を身につけた。すっきり快適に住むために明日から母は頑張る!

なかなか学校のことを書けなくて・・・待っている方にはすみません!