<国立市民は石原都政を拒否した>
8日に投開票された東京都知事選挙は、現職の石原慎太郎が三選を果たした。石原は281万票を獲得し、2位の浅野史郎に100万票以上の大差をつけて「圧勝」したと報じられている。しかし、選挙結果をよく見てみると、決して石原の圧勝といえるものではない。浅野は170万票に留まったが、3位の吉田万三の63万票と合わせれば233万票になり、石原との差は約48万票である。前回2003年の知事選では、石原が308万票を獲得し、2位と3位の候補の票の合計に200万票近い差をつけたことを考えると、今回の選挙は反石原票が大幅に増えていることがわかる。
さらに注目すべきは、国立市での各候補の得票である。国立では、
石原 15568
浅野 12237
吉田 4150
と、浅野と吉田の票の合計(16387)が石原の票を上回った。つまり、国立市民は石原都政を拒否した、といえる(都内の他の自治体で浅野票と吉田票の合計が石原票を上回ったのは、武蔵野市、三鷹市、小金井市、国分寺市、清瀬市、多摩市、西東京市)。
<嶋津市長が誕生すれば国立市政は「ミニ石原都政」に?>
知事選に続いて、国立でも市長選挙が行われる。市長選挙には、石原都政の下で都庁の幹部職員を務めた嶋津隆文が立候補を表明している。嶋津は、チラシやポスターでも石原とのツーショット写真を大きく掲載するなど、「石原都政との連携」を強調している。選挙戦は上原公子市長の後継候補である関口ひろしとの事実上の一騎打ちである。
嶋津は1947年7月13日生まれで、72年に都庁に就職し、教育庁生涯学習部長(2000~2002)、生活文化局総務部長(2002~2004)、収用委員会事務局長(2004~2006)などを務め、昨年7月15日に退職した。昨年11月の出馬記者会見では、「この街に移り住んで20年」(都政新報06年11月28日号)と語っていたが、実は嶋津が住んでいたのは国分寺市の高木町であり、国立市内に引っ越してきたのは昨年のことである。公職選挙法では、市議会議員と違って市長は市内に住んでいなくても立候補できるが、「よそ者」だと思われないために引っ越してきたのだろうか。
嶋津は教育庁生涯学習部長として、2001年に立川の都立多摩社会教育会館にあった市民活動サービスコーナーの廃止を推進した。同センターは1972年に設立されたNPOサポートセンターのさきがけで、長年多くの市民に利用されてきた。総務部長を務めた生活文化局は、石原の四男の重用が問題になっている東京ワンダーサイトを担当している局である。収用委員会事務局長のときには、貴重な自然の破壊を伴う圏央道建設のための高尾山の土地収用を推進した。
また、05年10月に、TAIMS(都庁の庁内HP)の職員研修所掲示板の自己啓発支援情報特別企画「局長お勧めの一冊!」というコーナーで、嶋津は扶桑社の「新しい歴史教科書」を挙げた。扶桑社の歴史教科書は、その右派的な偏った内容が問題にされ、全国でも東京都教育委員会などごく少数の教委しか採用していない。
市民の自主活動の敵視、親族重用による都政の私物化、大型開発による自然破壊、右翼的思想の都政への持ちこみなど、嶋津は石原都政の特徴を軒並み兼ね揃えた人物だということがいえる。もし嶋津が市長になれば、国立市政は「ミニ石原都政」となる可能性が高い。22日投票の市長選挙は、国立市民が知事選に続いてふたたび「石原的なもの」にNOをつきつけるのか、それとも石原都政と同じ流れに国立のまちづくりを委ねるのか、まちの将来にとって大きな分岐点となるだろう。
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