Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

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初めての中国

2015-08-26 06:28:13 | アジア
株の値下がりや人民元の切り下げでニュースを賑わせている中国だが、いまや世界経済に大きな影響を与えるこの「アジアの巨頭」の首都北京で、数日を過ごす機会があった。僕にとって中国を訪れるのはこれが初めて。日本の隣国として色々な意味で近い国にも関わらず、これまでずっと縁がなかったのだ。

出発前、八月に中国を訪れることに、少しばかり神経質になっていた。来月はじめの「戦勝記念日」を前に、太平洋戦争がらみのプロパガンダが増えるので、反日感情が高まる時期でもあるからだ。しかしそれも杞憂に過ぎなかったようで、日本人だからとネガティブな経験をすることもなく過ごすことができた。もっとも、3日間の仕事を終えて自由に町を歩けたのはたったの1日だけ。こんな限られた時間での経験を語るのもおこがましいが、初めての中国の印象をいくつか述べてみたい。

(1)思っていたより、英語を話す人がまだまだ少ない。宿泊していた5つ星ホテル(いいクライアントをもつとラッキーだ!)のレストランでも、英語をあまり解さないウェイトレスがいたのには驚かされた。ハウス・キーピングのスタッフはもう論外。もっとも初歩的な「I」や「 You」、「 Big 」とか「Small」といった単語さえ通じないので、会話が全く成り立たない。不完全であっても、漢字での筆談のほうがよほど意思疎通ができる。

(2)建物が巨大。高さはそれほどでもないが、幅や長さが日本や米国の2−3倍はありそうなビルがゴロゴロしている。こんな威圧的なほどに大きな建物が並んでいる光景をみていると、巨大なこの国のスケールを感じずにはいられない。

(3)一昔前によく映像や写真で目にした、広い道路を埋めつくすように走る何百という自転車の姿はもう過去のもの。自転車よりも電動モーターのついた原付を良く見かけるが、中流階級はみな車を持てるようになったということだろう。さらに、メルセデス、BMW、アウディなどの高級車がやたら目につく。ランボルギーニが街を走っているのさえ、4日のあいだに2度もみた程だ。多くは「ニュー・リッチ」とよばれる成金だろうが、裕福層の増加はめざましい。ある晩、まだ新しいブティックホテルが併設するショッピング・センターの前に立っていると、目の前で横づけされていくのはほとんど高級車ばかり。それを運転する多くはまだ20代とか30代前半にしか見えない若者たちだった。

(4)観光客の多さに圧倒される。日本にあれだけの中国人観光客が訪れているのだから、国内旅行者の数は言わずもがなだ。観光スポットである世界最大の宮殿、故宮を訪れた朝のこと。混雑を避けようと朝7時半に到着すると、チケット売り場の開く30分前だというのにすでに何千の人だかり。所構わず地べたに腰を下ろして休む家族やグループ観光客の姿は、まさにインドを思い出させる光景だった。インド同様、観光客の増加は、人々の間に経済的余裕ができたことの反映だろうか。

(5)撮影の仕事は、制約が多くてやりづらかった。政府のメディアに対するコントロールがまだまだ強いことを実感。

(6)蛇足だが、評判通り、老若男女みな大声。すぐ隣に座ってる人や、携帯で喋るのに、なんであんなに声をはり上げなくてはならないのか、理解に苦しむ。この大声文化に何か歴史的背景はあるのだろうか。

言葉に関して、僕にとっては珍しい経験をさせてもらった。機内のエアーホステスから、ホテルのレセプション、 吉野家のおばちゃんまで、10人中10人、例外なく中国語で話しかけられたのだ。僕は中国でよく見かける短髪だし、顔も平均的東洋人なのでもっともな話ではあるのだけれど、考えてみたら、「人種の坩堝」である米国を除いては、これまで住んだり訪れた国では、僕は明らかな「外国人」だったのだなあと実感。何処にいっても「中国人」として目立たずにいられるのは嬉しかったが、話しかけられる度に「すいません。中国語できないんです」と弁明するのがそのうち億劫にはなった。

滞在時間が短すぎたのが残念だったが、天安門広場を訪れることができたのはいい経験だった。これまで幾度となくテレビや新聞、雑誌で目にしてきたこの場所。戦勝記念日の式典準備のために近くまではいけなかったが、実際に広場に立ち、あの見慣れた赤門に掲げられた毛沢東の肖像を前にしたら、どういうわけか鳥肌がたつほどの感動を覚えてしまった。1989年の天安門事件で撮られた、もっとも歴史的な写真のひとつ「戦車の前に立ちふさがる男」が胸に蘇ってきた。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2015/08/26/my-first-trip-to-china/ )
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「国際ヨガの日」の隠された思惑

2015-06-19 21:44:38 | アジア
今週日曜日の6月21日は「国際ヨガの日」。インドのモディ首相が国連に働きかけ、今年制定されたばかりの日だから、知っている人はまだ多くはないかもしれない。それでも報道によれば177カ国がなんらかのかたちでこの日を祝うといわれているので、なかなか注目は集めているのだろう。言いだしっぺであり、ヨガの本家であるインドでは、さすがに政府をあげての熱の入れようで、この日の朝におこなわれる大規模な集団ヨガ・セッションには3万5千人が集まると予想されている。僕は前日より国外にでてしまうので撮影できないのが残念だ。

モディ首相は、この「国際ヨガの日」を起爆剤として、若者たちを中心としたヨガの普及を熱心に推し進めようとしている。政府内では学校での必修科目としてヨガをとりいれようという動きもあるほどだ。しかし、こんなヨガ・フィーバーの熱が上がるにつれ、政治的議論が起こり始めた。単に国民の健康向上という面以外に、実はモディ政権には隠された真の思惑があるんじゃないか?

西洋の国々や日本では、ヨガは一般的に健康法のひとつとして受け入れられおり、そこに宗教色はほとんどない。ところがインド人にとっては、ヨガはヒンドゥー教のサンスクリットと切り離せないものであるから、どうしてもヒンドゥー教のイメージがつきまとう。そのため、ヨガの普及を政府が促進することに対してイスラム教徒たちが反発しだしたのだ。

もともとモディ首相にはグジャラート州知事時代から「ヒンドゥー教至上主義者」というレッテルがはられていた。2002年の同州内の暴動中、イスラム教徒への惨殺を放置し、何の手立てもうたなかったという理由からだ。しかし首相になってからは、選挙で多大な協力をうけたRSS(ヒンドゥー至上主義の民族義勇団)とも注意深く距離を置き、極右のイメージを払拭しようと努めていた感があった。イスラム教徒たちがモディ政府の動きには敏感になるのはそんな理由がある。

モディ首相がついに本性を表わしてきたのか、それともイスラム教徒たちの単なる考えすぎか?答えがでるのには数年は要するだろう。

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検閲された「反日」ハリウッド映画

2015-03-31 15:16:41 | 日本
昨夜、映画「アンブロークン(Unbroken)」を観た。
アンジェリーナ・ジョリー監督の作品だが、日本ではネトウヨが「反日映画だ」と騒ぎたて、いまのところ国内で上映の見通しのない作品だ。細かく内容を紹介するつもりはないが、簡単に言えばこんな話。

第二次世界大戦中、乗っていた飛行機が墜落し、海上で漂流することになった若き米兵。彼は陸上5000メートル走のオリンクピック選手でもあった。47日間漂流したあげく日本軍の捕虜となるが、彼は日本兵から幾多の拷問をうけ続けることになる。ようやく終戦を迎え彼が解放されるまでが本編として描かれるが、映画の最後部で、長年の精神的、肉体的トラウマの末、自分を苦しめた日本兵たちを「許し」、1998年の長野オリンピックでの聖火ランナーとして走る彼の姿が紹介される。映画としての脚色はあるにせよ、昨年97歳で亡くなったこの米兵は実在し、ストーリーはかなり忠実に事実に基づいている。

映画の中の拷問シーン程度で、これを「反日」とするなら、日本人も随分と器量が狭くなったものだと落胆するが、それどころか、「アンブロークン」を非難し騒ぎ立てている連中がこの映画をみていないのは明らかだ。
冷静な目で見れば、これは「反日」ではなく「反戦」映画だということがすぐわかるはず。そして、47日間もの漂流と収容所での拷問の数々にも屈しなかった一人の男の人生をとおして、「許すこと」の意味を問うた作品でもある。 だいたい実際に日本兵が中・韓をはじめとしたアジアの国々でおこなった拷問、殺人やレイプにくらべれば、ここで描かれる殴る蹴る程度の暴力など、ショッキングでもなんでもない。反日を意図したものなら、甘すぎるでしょう。

僕の懸念は、こんなネトウヨの事よりも、配給会社がこの映画公開をしない判断の影には、安倍政権の意向が反映しているんじゃないかということだ。

これからどんどん自衛官をリクルートし、憲法を改悪し、日本の武装化を推し進めたい安倍政権にとって、大戦中の軍国日本の負の記憶を蘇らせるこんな映画は、もってのほかなのだろう。せっかく現代の日本人たちが広島や長崎をはじめとした戦争の悲劇を、都合よく忘れかけてくれているというのに、万が一にもこの映画が国内でヒットするようなことになれば、9条改悪に対する国民の抵抗が大きくなるかもしれないし、自衛官希望者だって減ってしまうかも知れないのだから。

日本の報道メディアにも露骨に介入してきているといわれる安倍政権だが、ハリウッド映画までも「検閲」しはじめた、といっても考え過ぎではないと思う。怖い怖い…。日本社会がますます息苦しくなっていくようだ。

我々日本人も、しっかり安倍さんの挙動を監視し、逆に「検閲」するくらいの気構えがないと、この映画の主人公のように自分が敵国の捕虜になってから後悔しても手遅れだ。僕は47日間もの漂流や、拷問に耐えるほどのアンブロークン(不屈)な精神は持ち合わせていない。

(写真:理由も知らされぬまま米兵に拘束されるイラク人男性。バグダット2007年。戦争ではどんな理不尽でもまかりとおる)
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後藤さんの死に思う

2015-02-02 23:24:35 | 中東
ああ~、やっぱりでたなあ「自己責任」論。湯川さんに続いて後藤さんも捕まってから、また高遠さんたちのときのように彼らが責められるんじゃないかと心配だったが、それが現実になってしまった。しかし、殺された彼らを非難する人たちには、ちょっと冷静になって以下のことを考えてもらいたいなあと思わずにいられない。

(1)なぜ後藤さんたちが殺されたのか?それはイスラム国が日本を「敵」とみなしたからでしょう。ではなぜ日本が彼らの敵になってしまったのか?もっとも直接の原因は安倍総理による「イスラム国対策のため」の中東諸国への2億ドルの支援と、イスラエルとの関係拡大の示唆だろう。中東情勢はとても複雑なのに、熟考もせず、ただ己のいいカッコしのために金をばらまいただけの総理の外交で、日本はイスラム国から敵とみなされることになってしまった。殺された2人がイスラム国を怒らせたわけではない。彼らは結果的に安倍外交のつけを払わされたのだ。

(2)「政府から行くなと言われているのに勝手にいったのだから、責任は自分にある」という意見に関しては、基本的にはこれは僕も同意。ただ、そんなことはジャーナリストの後藤さんならわかっていたはず。僕自身も、ここ2年ほど紛争地の現場から離れているが、イラクやアフガニスタンなどに出向くときはそれなりの覚悟をもってでかけていたし、戦地に行くジャーナリストであればそれはあたりまえのことだと思う。だいたい政府から行くなといわれて、ハイそうですかと従ってばかりいたのでは紛争地での仕事などできはしない。社員に対する責任をとったり、リスクを冒したがらない報道各社は、そういうフリーランスの人たちを利用してネタを仕入れるわけだし、彼らがいるからこそ一般の人たちは現場で何が起こっているのか知ることができるのだ。そういう意味では視聴者や読者は恩恵を被っているのに、人質になった途端、救出するのに税金つかうな、とか騒ぎ立て、あまりに非情ではありませんか?これが仮に、自らの意思で紛争地に出向いて、地元に貢献していた医者とか看護婦だったとしても、人質になってしまったら「自己責任」だから税金使って救出するな、と責めるんだろうか?

(3)救出につかう税金は無駄遣いというが、それでは安倍総理が中東諸国に支払う2億ドルもの金はどうなんだろう?後方支援とはいうけれど、支援金をもらった国がどういう使い方をするかなどわからないし、それが戦闘に使われることだってないとはいえないと思うんだけど…。そうなると、僕らの税金は人殺し(それも日本とは関係のない人たち)に使われることになるのに、それは気にならないのか?

これまで僕が、中東やアフリカ、アフガニスタンなどの現場でいつも感じてきたことは、「日本人は受けがいい」ということだった。日本人の勤勉さ、技術の高さや日本製品の品質の良さはどこにいっても褒められたし、アメリカに原爆を落とされてから50年の劇的な復興はいまでも敬意をもって語られる。「どこから来た?」と尋ねられて、「日本から」と答えたその瞬間、並々ならぬ好意をもって迎えられることがほとんどだった。これは、日本はそういった中東やアフリカの紛争地に軍事的に介入することなく、誰からも敵とみられることが一度もなかったことが大きな理由でもあるのだ。こんな日本のポジティブなイメージが、僕らカメラマンやNGOの職員など、現場で働く日本人の仕事をいかにやりやすくしていたか、経験のない人にはわからないかもしれない。
しかし、安倍総理の米国を盲信追従する外交と日本の武装化推進のために、そんな状況が大きく変わろうとしている。「日本人はどこにいても標的にする」といわれるほどまでの敵をつくってしまったのだ。

以前フェイスブックで紹介した「世に倦む日日」さんのブログの内容(http://critic20.exblog.jp/23387686/)が正しかったとすると、後藤さんは、日本政府に利用され、作戦が失敗した挙句「見捨てられた」ともいえる。その真偽はともかく、彼が殺されたことは、安倍総理にとっては吉報だろう。「テロリストたちを許さない!」と、この事件に対するイスラム国への日本国民の怒りを利用して、さらに日本を武装化しやすくなったのだから。米国と連帯してどんどん軍事に金をかけ、あげくに憲法9条まで改変できれば、米国にとっても安倍総理にとっても万々歳というものだ。そんな目的達成のためには、国民一人や二人の命など安いもの。特に安倍総理は経済政策でも弱者切捨てが大得意だ。

日本を愛する国民のみなさん、感情に流されずに、冷静になって、いまこそ日本の将来の平和のためには何が必要なのか考えてください。それは決してテロとの戦いに軍事力で参加することなどではないはずでしょう。人質になった人たちを「自己責任」と非難する前に、どうして日本人が人質にされ殺されるようになったのかその背景を考えてみてください。以前から述べていることだが、国際貢献をするのなら、自衛隊を派兵するのではなく、医者や技術者を派遣すればいい。税金を使って支援をするなら、武器に使われるかもしれない金ではなく、復興の手助けをすればいい。それが敵をつくらず味方を増やし、結果的に日本の安全につながるのだと思う。

後藤さんとは面識はないけれど、戦争の現場の醜さをよくわかっている人のようだし、弱者に寄り添う視点をもっていた人だったと聞く。そんな人であれば、いかなる理由をもっても戦争には反対の立場だったろう。そんな彼の死が安倍政権にうまく利用されて、日本の軍国化に拍車をかけるようになることがあってはならないと思う。それでは彼も残された妻や子供たちも浮かばれない。

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世界最大の動物生贄

2015-01-27 14:56:29 | アジア
ネパール南部、インドとの国境から20キロ程離れた農村バリヤプールにある寺院で、5年に一度ひらかれるガディマイ祭。ガディマイとはヒンドゥー教の女神のひとつで、1ヶ月に及ぶ祭りの期間中、寺院は女神を詣でる数百万の人々でごった返す。もっとも賑わう「神への生贄日」に、祭りを訪れた。

高いレンガの壁で囲まれた広大な空き地に集められた水牛たちが、草を食みながらゆっくりと歩き回っている。ざっとみても2−3千頭はいるだろう。かなりの数だ。午前9時をまわった頃だったか、壁の入り口から入ってきた100人を超える男たちが、水牛たちの間を縫うように、広場に散らばっていった。彼らはみな刃渡り50センチ以上もあるナイフを手にしている。まもなく男たちは、ナイフを大きくふりあげ狙いをさだめると、片っ端から水牛の首を切り落としはじめた。頭を失った胴体は一瞬で地面に崩れ落ち、首から血が吹き出してくるのがみえる。2時間たらずで広場は黒い屍でびっしりと埋め尽くされ、僕の目の前にはこれまで見たこともなかった凄惨な光景が広がった。生贄にされるのは水牛だけではない。鳩、ネズミ、鶏、ヤギ、そして豚といった動物の新鮮な血を神に捧げることによって、人々は病からの回復や、豊作を願うのだ。祭りのあいだに殺される動物の数は、20万を超えるといわれる。

ガディマイ寺院の生贄の伝統は18世紀にはじまったといわれるが、この残酷ともいえる大量殺戮に対して、近年は批判が高まってきた。 生贄の中止を求めて欧米でもデモがひらかれるようになったが、寺院側は「これは伝統。やめることはできない」と、聞く耳をもたない。しかし、伝統だけではなく、経済的利益も大きな理由との声もある。

水牛の持ち主から徴収する「生贄代」や、殺戮後の肉や皮を業者に売る利益など、生贄は寺院にとって無視できない収入源だ。さらに、宿泊や飲食費など、祭りの期間中に訪れる数百万の人々による経済効果もかなりのものになる。田畑しかない田舎町では、5年に一度とはいえ、この祭りは観光客を呼ぶ大切なイベントだ。ガディマイ祭りを誇りに思っている地元民たちも決して少なくない。それでも、動物福祉組織をはじめとした地道な啓蒙活動も徐々に実を結び、殺された水牛の数はおよそ4千頭。前回の2009年に比べて半分近くまで減少した。

果たしてこの「悪しき伝統」をなくし、生贄なしのガディマイ祭りが実現するのか。次の2019年を期待しよう。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2015/01/27/the-worlds-largest-animal-sacrifice/ )

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広がる「イスラム国」の脅威

2014-11-14 16:20:02 | Weblog
過激派武装組織「イスラム国」(ISIS)のリクルートの手が世界中に広がりつつある。先月、日本でも北大生の若者がシリアに渡り「イスラム国」に参加しようとして事情聴取されたが、すでに数千人がヨーロッパやアメリカなどの先進国から組織に加わったともいわれている。

僕の住むインドも例外ではない。なんといっても1億8千万ものムスリムを抱えるこの国だ。数ヶ月ほど前から、各地で家出をした若者たちが「イスラム国」の一員としてイラクやシリアで戦っているという報道が目につくようになった。

そんな若者達のうち、5月に行方をくらませた4人の故郷であるカラヤンを訪れた。インド西南部の港町ムンバイから50キロほど内陸にはいった人口120万程の町だ。7月にはいった若者達から家族への連絡で、彼らが「イスラム国」に加わりイラクで戦闘に参加していることが確認されたのだ。

すでに国内メディアによってかなりネガティブな報道がされていたので、町の人々は僕のような外部の人間に対してあまり友好的ではなかった。「なんで写真を撮ってるんだ!?」「撮ったものを消去しろ!」通りでカメラを構えていると、度々男達に絡まれた。

貧しくて教育を受けていない若者が、洗脳されて過激派にとりこまれる、という典型的な例とは異なり、カラヤン出身の4人はみな中流家庭の生まれで学歴もある。医者の息子やエンジニアも含まれていた。

中東全域にわたってカリフ制(イスラム国家の最高権威者)の壮大なイスラム帝国を再建するという「イスラム国」の野望が、学歴や社会的地位を問わずナイーブな若者たちを惹きつけているのかもしれない。

9月には、「イスラム国」に参加するためコルカタとジャイプールから出国しようとして逮捕された8人の若者たちの供述から、少なくとも2人のインド人ムスリムのリクルーターの存在が明らかになった。彼らはフェイスブックやツイッターなどを通して巧みに若者達に接触してきたという。

こんな若者達の「イスラム戦士化」の拡大に、インド政府は一段と神経を尖らせている。しかし、インターネットで繋がり、国境があってないような現代社会では、国際過激派の影響を防ぐことは至難の業だ。「イスラムの国」の巧妙な誘いに魅了され家をとびだし、挙句に砂漠で銃を手に戦う若者たちの数は増えていくことになるだろう。

写真:4人の若者の「イスラム国」参加事件以来、閉鎖されたイスラムセンター(カラヤン)

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ビン・ラデンは英雄?

2014-09-05 10:26:30 | アジア

数ヶ月前、パキスタン北部のアボタバードを訪れた。2011年にオサマ・ビン・ラデンが米海軍特殊部隊によって殺害されるまで身を隠していたといわれる町だ。ビン・ラデンは何年もここに住んでいたというが、果たしてこのことをパキスタン政府は知らなかったのか?また、なぜ米軍はビン・ラデンの亡骸を海に捨て、彼を殺したという証拠を何も残さなかったのか?様々な疑問が彼の死を巡って残るが、恐らくこれに対する答えは、この先長い間明かされることはないだろう。

パキスタン滞在中、農民から大学生まで、異なった教育水準の人々の話を聞いてあらためて気づかされたのが、この国の人々の多くが、ビン・ラデンに対して好意的な印象を抱いていたということだ。学歴もあり、9―11同時多発テロに関してアメリカに同情的な人々でさえ、ビン・ラデンを「テロリスト」としてではなく、「レベル」すなわち「アメリカの帝国主義に対する抵抗者」と捉えているようだった。

アメリカに20年近く住み、インドに居を移した現在も欧米メディア相手に仕事をしている僕の感覚は、どうしても欧米よりになってしまうことは否めない。9―11テロでは当時働いていた新聞社の同僚の父親がこの事件で殺されたし、破壊され瓦礫と化したグラウンド・ゼロを目前に、ビン・ラデンに対して「偏狭な思考しか持てないテロリスト」のイメージしかもてなかった。そしてそれはいまでも変わることはない。

しかし、これまで様々な国の現場で仕事をしてきて、立場が変われば考えも変わるし、万人に共通な価値観や善悪などありえないということは体で学んできた。パキスタンでの経験もその例に洩れず、多くのアメリカ人たちにとって残虐なテロリストであるビン・ラデンも、立場の異なる人間にとっては、「英雄」にもなりうるわけだ。

パキスタンで知り合ったパレスチナ人ジャーナリストが印象深い話をしてくれた。9―11テロがおこってしばらくした頃、友人のアメリカ人を招いて食事をとっていたときのことだ。

「9-11のとき、崩れそうになっているビルから飛び降りる人々の姿をみて、君はどう感じた?」

アメリカ人の友人の問いに、彼はこう答えた。

「イスラエル軍によって次々と殺されるパレスチナ人をみて君が感じるのと、多分同じ気持ちさ」

このパレスチナ人が言いたかったのはこういうことだ。アメリカ人もパレスチナ人も命の重さは同じはず。それなのに、どうしてアメリカはイスラエルの暴挙には目をつぶり、9-11のことばかり嘆くのか?彼の答えをきいて、アメリカ人の友人は相当狼狽したという。おそらく彼は、それまでパレスチナ人の立場で物事を考えてみたことことがなかったのだろう。

ベトナムからニカラグア、サルバドルなど、アメリカは自らの国益のために多くの国の内政に干渉し、政権転覆を謀ったり、ときには独裁者の非道をも支援してきた。そんなアメリカの外交政策に抵抗感を持つ人は少ないないはずだ。近年においてはイラクやアフガニスタンへの理不尽な軍事侵攻の失敗によって、地域を混乱におとしめたことで、多くのイスラム国を敵にまわしてしまった感もある。これは、極端な反米を標榜する過激なイスラム主義者たちが増幅する下地をつくってしまった。こんな背景を考えれば、パキスタン人たちがその教育水準を問わず、 ビン・ラデンを肯定的に捉えているのも理解できる。

ここひと月のあいだに、イスラム過激派の「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」によって、二人のアメリカ人ジャーナリストが最悪のかたちで処刑された。どんな理由があろうとも許し難い非道ではあるが、悲しいことに世界の裏側では、この残虐な行為に拍手をおくっている人間たちが存在するのが現実なのだ。

異なる宗教間や社会風習、民族などその違いは様々だろうが、立場が変われば正義も変わる。その現実を踏まえずに、お互いが自らの価値観を押し付けようとしている限り、暴力と憎しみの連鎖は続くことになるだろう。

(写真:すでに解体され瓦礫だけが残るビン・ラデンの住処)
(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2014/09/05/bin-laden-as-a-hero/
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「紛争地からのメッセージ」写真展にて思う

2014-08-01 09:11:21 | 日本
2週間の日本滞在を終えて、先週また暑いデリーに戻ってきた。
今回は、キャノン・ギャラリーでの自分の個展開催のために東京に戻ったのだが、銀座の会場に詰めているあいだ、訪れてくれた人々と話をしながらいろいろと考えさせられた。

個展のタイトルは「紛争地からのメッセージ」。その名のとおり、僕がこれまで15年ほどのあいだに訪れた紛争地からの写真を集めたものだが、実は僕がみせたかった写真の6割程しか展示できなかった。キャノンから「死体や血はダメ」と釘をさされていたからだ。
「戦争写真の展示なのに、死体や血がみせられないとは…」
どうにも理解し難い条件ではあったが、ここで意地を張ってせっかくの機会を逃すのも惜しいので、妥協の上、死体や血も「ちょっとだけ出した」作品を混ぜ込んだ。

まあこういった要求はキャノンに限ったことではなく、以前このブログでも紹介したヤフー・ジャパンとの一件も含めて、日本企業の保守的な「事なかれ主義」なのだと思う。結局のところ、死体などの衝撃的(?)な写真を展示して、見た人から苦情がきたら誰も責任をとりたがらない、ということなのだろう。こんな状況だから、写真展でいえば、日本でひらかれるものの大半は風景や動物など当たり障りのないものばかりで、政治的な主張を含んだり、社会的問題提議をするようなものは敬遠されがちになる。一昨年にニコン・ギャラリーが、開催の決まっていた安世鴻氏の慰安婦写真展を、在特会や右翼の脅しに負けて一方的に中止したのも情けない一例だ。僕の写真展を訪れてくれた人々の何人もが、「こういった写真はなかなかギャラリーでみる機会がない」と言っていたように、今の日本のメジャーなギャラリー、特に企業の絡む会場で、現代の戦争や社会問題を扱ってくれるところなど、非常に少ないのではないだろうか?

いくつかの新聞社がとりあげてくれたこともあって、6日間で1200人以上という、僕が予想していたより遥かに多くの人たちが今回の個展を訪れてくれた。面と向かって話ができたのはそのうちほんの一部だが、「もっとこういう写真を頻繁に、多くの人たちにみせるべきだ」と言ってくれた人が少なくなかったことは励みだ。と同時に、こんなことに気づかされた。実は、人々がみたくないからこういった写真が展示されにくいのではなくて、みせる側が、「こういう硬くて深刻な題材は一般受けしない」とか「ショッキングな写真をみて気分を害したという苦情が怖い」という理由で単に「自己規制」しているだけなんじゃないか、と。

特定秘密保護法案とか集団的自由権の閣議決定などで、いまの日本はすごいスピードで歴史を逆行し、戦前に戻るかの如く危ない方向に向かっている。そんななか、メディアやギャラリーのように「発信する側」が、こんな検閲のような「自己規制」を続けていくのは問題だと思う。これはぼくら国民から、知る権利や考える機会を確実に奪っているのだから。

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「僕は娘を戦地におくりたくない」

2014-07-04 14:15:41 | 日本
腹がたって、情けない。安倍総理、日本政府、そして我が国民たち。
3日まえに憲法解釈が安倍政権によってねじ曲げられ、また日本が「戦争のできる国」に一歩近づいた。

第二次大戦の悲惨な経験のあとにつくられた平和憲法のもので、これまでかろうじて日本の武力行使は「自衛のため」だけに限られてきた。それが今度の解釈変更で、「集団自衛権」が認められるようになり、日本に直接の危害が及ばなくても、同盟国さえ絡んでいれば世界のどこの紛争にも顔をつっこめるようになったのだ。
米国に尻尾をふってすがっていきたい官僚たちや、金になる武器を増産したい産業界からの要請も背景にあるだろうが、こうして日本を軍国にもどすのは安倍総理の長年の夢だった。今回の解釈改憲はその悲願達成の第一歩となったわけだ。しかしこれが、将来の国民の血と引き換えに成されているのだということを、一体どれだけの人々がわかっているのだろうか。

近年領土拡張で一層その強引さを増してきた中国など、日本の国益を脅かす材料があるのは理解しているし、いざというときのために軍事を備えておきたいという、改憲賛成派の心情はそれなりに理解できる。しかし、日本の国防なら、集団自衛権は必要ないだろうし、現行のままで十分なはずだ。同盟国がピンチだからといって、わざわざ中東やアフリカの戦争に加担する必要などない。

戦場というものをいくつか経験してきたフォトグラファーとして、僕には確固として譲れない思いがある。それは理由などどうあれ、「戦争は絶対悪」ということだ。耳の鼓膜を破るようなひっきりなしの爆音、死体の腐乱の匂い、脳みその飛び散った子供、まるで生ゴミのごとく積み上げられた何十もの屍…こんな、戦地での音や匂い、理不尽な殺戮の光景は、記憶した体が決して忘れることはない。そんな戦争への拒絶感は、僕にとっては理屈云々ではなく、体感的なものだ。

日本の戦後70年が経ついま、安倍総理や現職の議員のうち、戦場を経験したことのある人などいるのだろうか?彼らに欠けているのは、絶対的にその体感だ。おまけに彼らは想像力が乏しいからそういうことに思いを巡らすことさえできない。戦地の醜さを身をもって知っている人間、もしくはそれを想像できる人間であれば、こんなに安易に戦争への道をひらくことなど出来やしないはずだと思う。

今、日本に必要なのは、軍備どうこう以前に、体たらくな議員・官僚の外交能力を高める方が重要なのではないか?最近の、空いた口の塞がらぬような発言スキャンダルの数々をみても、近年の議員達の質はひどいものだ。歴史や国際認識に欠け、人間的にも幼稚に思える人がなんと多いことか。そこまで落ちてしまった人たちにつける薬などないかもしれないが、それでも勉強させるなり、国際政治の専門家の力を借りる、国際感覚をもった新しい若い力を投入するなどして、近隣諸国との建設的な外交にもっとエネルギーを注いでもらいたい。他の国々としっかりした関係を構築できれば、もともと戦争の心配などせずにすむのだから。軍事費拡大よりこちらのほうが遥かに重要なはずだ。

しかし、結局のところは国民がどれだけ政府に対する意思表示をするかにかかっているわけで、昨年の選挙のようにあれだけ騒がれながらも、投票率50パーセント前後の無関心さを通すのなら 、あまり希望はないだろう。数年後に自分たちの子供が徴兵されて、どこか地球の裏側の戦地で死ぬような憂き目をみてから文句をいっても、もう手遅れだ。僕はこんな政治家たちのために、将来娘を戦地におくるつもりなど、毛頭ない。

(お知らせ キャノンギャラリーにて7月10日より個展「紛争地からのメッセージ」開催 興味があればお越し下さい。
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/takahashi-hotspot/index.html
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イラン雑感

2014-06-24 06:40:21 | Weblog
2週間程前に、初めてイランを訪れた。許可された日数が7日間だけだったので短い滞在だったが、それでも興味深い経験ができて、イランに対する僕の印象はがらりと良くなった。

イランといえば、欧米メディアによって、その過激な反欧米姿勢(特に前大統領アフマディネジャドのとき)や核兵器製造疑惑などばかりが報道が報道されるので、どうしてもネガティブなイメージがつきまとう国だろう。ところが国内で幾ばくかの時間を過ごし、僅かながらも友人もできると、その先入観が間違いだったことにすぐに気づかされた。長い歴史のある文化や芸術は圧巻ものだし、町のなかの雰囲気や人々と自分あいだの距離感が、なんとはなしに居心地がいいのだ。ホテルのスタッフ、市場の親父さん、雇った通訳やドライバーなど、市井の人々もみなフレンドリーだが、こちらが疲れるような大袈裟さはない。通りでも一応放っておいてくれて、必要な時には親切にしてくれる、といった感じか。予想していた反欧米感などは、人々のあいだからまったく感じられることもなかった。

「1979年の革命がおこらなかったら、この国はもっと発展していたのに」
ある晩、一緒に食事をしながら、通訳の口からこんな意外な言葉がこぼれでた。学歴も高く教養もあるまだ30代なかばの若い彼は、イラン人の9割以上は、革命がおこらなければよかったと思っている、と言うのだ。これにはちょっと驚いて、さすがに大袈裟だろうと話半分で聞いていたのだが、彼はその日におこった出来事を話しだした。僕らの乗った国内便の飛行機で、中間の座席だった彼の両側にはイラン人の老人がふたり座ったそうだ。乗客が全員搭乗してから、一時間もなんのアナウンスもなしに飛行機の出発が遅れたのだが、そのとき老人たちが彼に向かってこう謝ったという。
「革命なんておこしてまって、君ら若い世代に申し訳なかったね」
革命に中断されることなく国が発展していれば、もっと便利で信頼の置ける交通網が整備されていたはずだ、という意味らしい。

なるほどな。いくらか合点がいったような気がした。結局のところ、政府の言うことと国民の感じていることなど一致してはいないのだ。イラン政府が反米であるからといって、イラン人がみな反米というわけではない。国民たちの多くは、革命後の政府と自分たちのあいだの隔たりをしっかりと感じているのだろう。ただ、こういうことは広がって反政府デモにならない限り報道されることもないので、なかなか僕ら外国人には伝わってこない。

最近のイラクの状勢が悪化するにつれ、この地域の安定させるためのイランの役割の重要さが増している。これから世界におけるイランの影響力が広がっていくことは間違いないだろう。こんな時勢にここを訪れることができたのは幸いだった。勿論、国の表面をさらりとみただけで、社会の内部に根を下ろす問題などには触れることなどできなかったが、それでもイランはまたぜひ訪れたい場所のひとつになった。

だけどビールがないのと(ノンアルコールはどこでも手に入る)、あまりに魅力的な特産品が多くて財布のヒモを固くしめておくのが難しいのが玉に瑕かな。今回も、4日分の撮影で稼いだ金が、出国前にすべて一枚のカーペットになって消えてしまったし…。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2014/06/24/a-thought-in-iran/
(この記事はヤフーニュースブログにも掲載してあります)
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フォトジャーナル The Page vol. 13

2014-06-19 16:28:37 | Weblog
月刊フォトジャーナルThePageの第13号アップされました。今回はハイチ、バーレーン、パキスタンなどから。
http://thepage.jp/detail/20140616-00000019-wordleaf
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検閲された写真

2014-05-12 12:03:10 | 日本
2日前の坂井社長について書いた記事に添えた写真の件で、同文を載せているYahoo!ニュースと一悶着あった。

記事との関わりもあって、拙書「ぼくの見た戦争」に掲載した写真を使用したのだが、死体が写っている、というだけの理由で、Yahoo!側によって記事全体が非公開にされてしまったのだ。記事をアップして1時間もたたないうちの処置で、その「検閲」の迅速さには感心させられたが、この過剰とも思える反応には驚かされた。死体とはいっても、人が横たわり、地面に血痕が残っている程度のもので、肉片が飛び散ったりしているような、特にグロテスクなものではない。拙書に掲載されているもののなかでも、控えめなものを選んだつもりだ。まあ、グロテスクに感じるかどうかは個人差があるので、ここでは議論しない。僕が不本意に思ったのは、きちんと編集者と意見を交換する機会も与えられぬままに、一方的に記事を非公開にされたことだ。

以下は担当の編集者から送られてきたメールからの抜粋だ。ちなみに僕はこの編集者とは一面識もないので、この人のことは何も知らないし、逆に先方は僕がどういうカメラマンで、これまでどういうものを撮ってきたかなどは多分知らない人だと思う。

「日本の報道機関では死体写真を掲載することは基本なく、流血も見えダイレクトであり、ショックを受ける読者もいると思われるため、削除または別の写真へのご変更をお願いできないでしょうか。
あえて児童向けに発売されたこととは異なり、Yahoo!ニュース上で発信されることは不特定多数が目にする可能性をもっていますので、どうかご理解をいただければ幸いです」

少々理解しにくい文章だが、まずはじめに、「日本の報道機関では死体写真を掲載することは基本なく、」とあるが、なにが「基本」なのだろうか?逆に言えば、基本でない報道の仕方もいくらでもあるわけで、僕のページがその「基本」とどういう関係にあるのか、それに従わなくてはならないのかなど、別に契約書に定められている訳でもない。「不特定多数」云々についても、テレビならまだある程度は理解できる。食事中に画面から予期せず死体の映像がとびだしてきたら、不快感を覚える人は少なくないだろう。しかし、このYahoo!ニュースのサイトなど、ほとんどの読者は自らの選択で「フォトジャーナリスト・高橋邦典」のページを訪れるのだ。(僕のページの読者など微々たる数だが)仮に偶然このページにたどりついて、死体の写真にたまげてしまう人がいるというのなら、あらかじめ写真がでる前に一言「閲覧注意」などの注意書きを入れておけばすむ事なのではないだろうか。

もともと僕は紛争や戦争も撮る報道写真家なので、Yahoo!側から記事寄稿の話が来た時に、こういう類いの写真を使う可能性など了解済みかと思っていた。どうやらそれはこちらの誤解だったようで、結局のところこのYahoo!ニュースにしても、臭いものには蓋をしろ、醜いものはみせるな、といった、読者からのクレームを恐れる商業メディアの「事なかれ主義」が露呈したようだ。

奇遇なことに、つい最近、東北の震災取材中の死体に関する以下のようなエピソードを、日本の記者から聞いたばかりだった。

日本のテレビ局のカメラマンたちは、どうせ番組で使われないのがわかっているから、目の前に遺体があっても撮ることもしなくなったというのだ。視聴者からのクレームを恐れるメディア組織の体質というのは、こうやって現場で働くカメラマンたちまでも腐らせていくのか、唖然とさせられてしまった。

日本に比べ、死体に対する許容度の高い西欧メディアで働く機会の多い僕も、さすがに死体だけをその目的のように真正面から撮るということはほとんどない。周りの状況を考え、伝えたいことのひとつとしてフレームの一部にそれをいれこんでいくわけだ。砲弾の犠牲者や拷問にあった者など、遺体がかなり残酷な状態なことが多いので、たとえ西欧のメディアでもその写真が使われる可能性は少ない。しかし、それがわかっていても、だから撮らない、ということはありえない。目の前の惨状を「記録」するということも、僕ら報道者の義務のひとつだと思っているからだ。撮らなければそれは記録としても残ることはないし、そこで終わり。撮ってさえおけば、たとえそれが現在放映や掲載されないとしても、記録として未来へと残される。将来、そんな画像が必要とされることがくるかもしれないのだ。

死体に限らず、肉片のあらわになった怪我人の写真など、グロテスクといわれる写真の出版や展示に関しては、僕自身いろいろ試行錯誤してきた。リベリア内戦時に撮影した、右手を砲弾で引き裂かれた少女の写真があったが、これは戦争というものの醜さを直視的にあらわし、僕にとっても思い入れのある写真だったので、写真展でも極力トリミングなしで展示するようにしていた。しかしある展示場で、主催者からこんな報告があったのだ。女子中学生がこの写真をみて気分が悪くなり、その先の展示をみることができなくなった、と。醜い戦争の現実を知ってもらいたい、という思いで展示したものだったが、逆にその一枚が原因で、他の写真をみてもらう機会を逃してしまうことになった。この一件は、僕の一方的な思い込みやメッセージを押し付けるような写真の使い方の是非を、あらためて考えさせてくれるいい機会となった。その後、そういった写真に関しては、主催者や編集者を含め、いろいろな可能性を考慮しながら、みながある程度納得できるように、ケースバイケースで対応するようにしている。

繰り返しになるが、そういう機会を著者に与えずに、一方的にサイトを非公開にしたYahoo!ニュースの措置を非常に残念に思う。死体写真が載っていても、「これを児童書でだすから意味があるんだ」と啖呵を切ってくれた坂井社長のことを書いた記事でこんな問題がおこるとは、なんとも皮肉としかいいようがない。


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ポプラ社の「最後の皇帝」

2014-05-09 15:33:44 | 日本
先月末、知人から突然の訃報がメールで届いた。

ポプラ社の前社長、坂井宏先氏の死の知らせだった。亡くなったのは先月の18日だというが、メールが届いたのは30日。同社で何度も一緒に本をつくった編集者がなぜもっと早く知らせてくれなかったのか少々訝しげに感じたのだが、その彼女が社長の死を知ったのも10日以上たったあとだったとい う。告別式にも参列できなかったそうだ。

坂井社長が身体の不調を理由に職を退いたのが昨年11月。この人事に関しての社内の事情や、なぜ社員が知るまでそんなに時間がかかったのか、僕には知る由もない。ただ、そんなに具合が悪かったとは思っていなかったので、この知らせにはショックを受けた。

坂井社長には色々お世話になった。なかでも忘れることの出来ない思い出が、11年前に初めての本「ぼくの見た戦争」を出版したときのことだ。2003年、イラクに侵攻した米軍に従軍して撮った写真を、児童書として「写真絵本」のかたちでまとめたものだった。戦争というものを、当たり前の平和にどっぷり浸かっている日本の子供達に視覚的に感じてもらおうという、かなり斬新な試みだった。しかし、死体など残酷なシーンもあえて含めたので、出版 直前に営業部からクレームがついた。「これでは児童書としては売れません」と。一緒に本をつくった編集者もその圧力に妥協させられ、一般書としての発行を余儀なくされそうになっていた。そのときに鶴の一声をあげたのが、坂井社長だった。
「これは児童書としてだすから意味があるんだ。ぼくがすべて責任をとるから出版しなさい!」

結果的に「ぼくの見た戦争」はこの分野では異例の発行部数をあげ、10年以上たつ現在も増版され続けている。その後も、アフリカの少年兵や震災をあつかった、売りにくい硬いテーマのものを、僕のような一介の報道写真家に目をかけ、坂井社長は採算を度外視して児童書として出版してくれたのだっ た。坂井社長は、編集者時代に「かいけつゾロリ」や「ズッコケ三人組」シリーズなどのミリオンセラーを生み出したが、楽しいものだけではなく、「子供のための本」としてなにが必要なのか、強い信念を持っていた人だったと思う。

「もう、あのように思い切ったことをしてくれる人はいません。ほんとうに心から悲しく思います」
編集者からのメールにこう綴ってあった。僕もまさに同感だ。大企業が理念を忘れ、採算ばかりを気にするようになってしまった今の日本で、あれだけの啖呵を切れる経営者がどれほどいるのだろうか。坂井社長のワンマン経営に対する批判も少なくはなかったと聞くが、そんな強引さがあったからこそ、 ポプラ社がここまで成長したともいえるはずだ。会社のことは何も知らない外部者の僕ではあるが、坂井社長は「最後の皇帝」のような存在だったのかな、とも思う。
合掌。

(この記事はヤフーニュースブログにも掲載してあります)
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月刊フォトジャーナルThePageの第11号アップ

2014-04-17 21:23:35 | Weblog
月刊フォトジャーナルThePageの第11号アップされました。今回はリビア、コンゴ、インドなどから。

http://thepage.jp/detail/20140410-00000002-wordleaf
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フェイスブックで印パの友好

2014-04-17 21:05:13 | アジア
2年ぶりに訪れたパキスタンでの短い滞在から戻ってきた。

田舎部での撮影の2日目、おかしな天気に見舞われた。首都イスラマバードからの道中は青空だったのに、目的地に着いた途端黒雲が空を覆いはじめ、大粒の雨が降り出してきた。すぐに止むだろうと高を括っていると、なんと小粒の雹が混ざりだしたではないか!こんな天気などまったく予期していなかったので、雨具を車中においてきた僕はずぶ濡れに。不幸中の幸いだったのは、雨雲のおかげで写真が撮りやすくなったことだ。快晴の強い光ではコントラストが強すぎてなかなかいい写真をとるのは難しい。

今回の仕事の内容はクライアントの記事の発表前なのでまだ書けないが、数日前にパキスタン絡みでひとつ興味深いことに遭遇したので、紹介したい。

パキスタンの友人から、フェイスブックをとおしてあるウェブサイトのリンクが送られてきた。「メディアの伝えないパキスタン」と題されたそのページには8分程の写真スライドショーが載せられており、風景や町の景色、民族文化にスポーツイベントや政治的なものまで様々なパキスタンの写真が紹介されている。こんなところがあったのか、と息をのむほど美しい雪山や海岸のイメージもでてくるのだが、僕の目を引いたのはこのページに書き込まれたひとつのコメントだった。

「敬意を表して。インドより」北米に住むインド人の残したこの短い書き込みに対して、120以上もの反応が寄せられていたのだ。多くはパキスタン人からのもので、コメントに対する感謝を表したものだった。「大いなる敬意を君に。脱帽」、「君のようなインドの人々に、パキスタンから敬意と平和を」、「パキスタンを代表して、感謝します」などなど。

もしコメントがインド人によって書かれたものでなかったら、ここまで多くの反応はなかったと思う。これは、いかにパキスタン人が、特にインド人による、ステレオタイプの悪いイメージに辟易しているかのひとつのいい例だろう。僕自身もインドで生活するなか、これまで数えきれない程パキスタンに対する罵詈雑言を耳にしてきた。雑貨屋の店主から大学生まで、教育レベルに関係なく、多くのインド人達はパキスタンに対して悪いイメージ、ときには敵意さえも持っている。インド国内で、パキスタンからのイスラム過激派によるテロは頻繁におこるが、その逆はほとんどないので、インド人たちの気持ちもわからなくはない。ただ、そういったインド人たちのほとんどはパキスタンに行ったこともなく、現地人とつき合ったこともない人ばかりなので、自己の経験をもとにした悪意を持っているとは思えない。結局は他者に植え付けられた悪いイメージを鵜呑みにしているに過ぎないのだ。

いずれにしてもこういう現実なので、このフェイスブックのコメントのように、ときどき心あるインド人がパキスタンに対して好意的な意見を述べたりすると、それはパキスタン人たちにとっては相当喜ばしいことなのだろうと察するのは難しくない。

と、ここまで書いて、規模はまだ小さいものの、日本にも似たようなことが起こりつつあるなあと気づかされた。露骨に反中国や反韓国を唱える集会やネットへの書き込みだ。こうして中・韓人に敵意をむき出しにする彼らも、一体どれだけの当国のことを理解したうえで反発しているのか怪しいものだと思う。結局は政治的思惑により、他者によってつくられたイメージに踊らされているだけなんじゃないだろうか。

いろいろと物議の多いフェイスブックだが、今回はうまくインド・パキスタン両国の架け橋となったと思う 。コメント欄のやりとりは読んでいて心温まるものだったし、国境をもたないソーシャルメディアが、わずかながらも両国の友好に一役買った、といったところか。

(この記事はヤフーニュースブログにも掲載してあります)
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