Kuni Photo India Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

9/11同時多発テロ10周年

2011-09-11 11:23:42 | アジア
ニューヨークでの9―11同時多発テロから10年がたった。このテロを発端に、オサマ・ビン・ラデンとアル・カイダ掃討のため米軍がアフガニスタンに侵攻。それから10年経った現在、ビン・ラデン殺害のあとも、まだ「敵」との戦いは続いている。

先月あたまにアフガニスタンに来てから、50人程のポートレートを撮りながらインタビューを重ねて来た。2日前、その一部がニューヨーク・タイムスに掲載されたので、英語のみだが興味のある方は参照してほしい。

HTTP://WWW.NYTIMES.COM/INTERACTIVE/2011/09/08/US/SEPT-11-RECKONING/WAR-SS.HTML#1


「9―11テロのとき、あなたは何処で何をしていたか?」「アフガニスタンに米兵がやってきたとき、何を感じたか?」「米軍が10年経ったいまでもアフガニスタンで戦っていることについてどう思うか?」「この10年間で、生活はどんな風に変わったか?」。。。こんな質問を投げかけながら、アフガン市民、そしてこの国に派兵されている米兵たち両者の私見をとおして、この10年というものを探ってみようと考えたのだ。

インタビューに応じてくれた、アフガニスタンに直接関わってきた人々のそんな言葉の数々をまとめ、近いうちにこの場でも発表したいと思っている。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/09/11/the-10th-anniversary-of-the-911-attack/ )
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ニュースの無い従軍取材・アフガニスタン

2011-09-06 12:20:41 | アジア
パキスタンとの国境近くで米軍との1週間の短期従軍を終え、2日前にカブルに戻ってきた。

タイミング悪く、ラマダンの終わりを祝うイードと重なってしまったため、アフガン兵や警察官の多くが休暇中であまり動きがみられなかった。現在、多くの米軍のパトロールもアフガン兵か警察と合同でおこなわれることが多いので、こういった土地の慣習には従わざるを得ない。よって自然と米軍の方もスローペースになる。唯一良かったのは、イードのご馳走を食べられたこと。アフガン警察官たちが3匹の羊をバーベキューにして振る舞ってくれた。さすが羊や鳥を主食とする彼ら、バーベキューの腕はいい。

写真的にはあまり意味のあるものは撮れなかったが、まあ平和で静かな日々は兵士たちにとっては望ましい事だろう。戦争や地震、台風、貧困など、僕らの職業というのは「他人の不幸」で飯を食うようなものでもある。だから、何も起こらなければ商売あがったり、というわけで、悲しいかなそんなジレンマにいつも向き合う事になる。

9―11同時多発テロの10周年が近づいてきた。何か起こるか、はたまた何も起こらずに終わるか、今はただ待つだけだ。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/09/06/no-news-is-good-news-quiet-embed-in-afghanistan/ )
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終わりなき自爆テロの悲劇

2011-08-21 21:34:52 | アジア
ここ1週間のうちに、2度大きな自爆テロがあった。

ひとつめはここから50キロほど北のパルワン州知事の事務所が、そして一昨日はカブールのブリティッシュ・カウンシルが標的になったが、両事件とも5、6人のテロリストがチームになっての複数の自爆攻撃で、パルワン州では20人、カブールでは10人が犠牲になった。

吹き飛んだ手足が転がり、地面に血の染み渡ったテロの現場は凄惨なものだ。ブリティッシュ・カウンシルでは、ゲートを突破した犯人の一人がその後数時間に渡って建物内に立てこもり、兵士たちとのあいだで激しい撃ち合いが続けられた。多量の出血で息も絶えだえになっているような怪我人たちが運び出されて来るたびに、僕はその姿に非情なレンズを向けざるを得なくなる。

こんなテロの現場の撮影をするたびに、どうにもやり場の無い怒りを感じてしまう。それは、自爆テロリストたちを「製造」する裏の人間たちに対するものだ。

多くの自爆テロリストたちは、もともと教育も受けることのできない貧困層の人間たちだ。無教養の彼らは簡単に洗脳され、「崇高な使命」を果たすテロリストへと仕立て上げられていく。

もし政府がもっと機能していて、彼らに仕事や教育の機会が与えられていたら?テロリストのリクルート率はぐっと低くなっているはずだろう。

これが、テロとの戦い、というものが、 単に「悪者を殺す」だけの単純なものではない理由のひとつでもある。社会の底辺に生活する多くの人々に、ある程度の仕事や教育の機会を与えられるような政策がとられない限り、テロリストは「製造」され続けていくのだ。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/08/21/never-ending-tragedy-suicide-attack-in-afghanistan/ )
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カシミール・3年ぶりの「平和な夏」

2011-08-13 16:54:43 | アジア
アフガニスタンにきて10日が経ち、今日ちょうど米軍との短期の従軍を終えるところだ。今回は新聞社のアサインメントで来ているので、ストーリーが完結するまではブログには写真が掲載できない。そんなわけで少し前に撮ったカシミールの首都スリナガールでの写真をいくつかアップしようと思う。

スリナガールでは、過去3年間連続でインド軍とカシミール分離勢力の間で激しい武力衝突が起こってきた。町は閉鎖状態となり、100人以上の市民が犠牲になった。

そんな暗黒のような3年間から抜け出したかの如く、今年は平和な状態が続いている。

目抜き通りの商店や露天商は客で賑わい、スリナガールの名物的な宿泊施設とも言えるハウスボートは観光客でいっぱいだ。今年の夏、町は活気に溢れている。

しかし、インド政府と分離主義勢力とのあいだの問題は根本的には何も解決したわけではなく、残念ながら、この平和がいつまで続くかは疑問の残るところだ。それでも、人々は久しぶりの「平和な夏」を十分に満喫しているようだった。

カシミールは美しい土地だ。僕もここを訪れる度に澄んだ空気と壮大な山々の景色を満喫し、ここで出会った心暖かい人々たちは思い出に残り続けている。

カシミールに本当の平和が訪れるまでにはまだ年月がかかるかも知れない。それでも、その日が一日も早く来ることを願わずにはいられない。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/08/13/violence-free-summer-in-kashmir/ )
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リビア反体制派・「偉大なリーダー求む」

2011-08-01 13:17:38 | アフリカ
数日前、リビア反体制派のユニス参謀長の暗殺のニュースを目にした。

そのときの状況や犯行の動機などはまだはっきりとしないようだが、この暗殺によって反カダフィ体制派の内部分裂が起こることが懸念されている。2月に反体制派に寝返るまでカダフィー政権で閣僚を務めていたユニスは、それが理由で反体制派の一部指導者たちからの信頼を得られていなかったようだ。

この事件は、僕にあることを思い出させた。

5月のある晩、ベンガジで一人のリビア人の若者と国の将来について話をしていたときだった。彼はきっぱりとした口調でこう言ったのだ。

「民主主義とか選挙なんてものは信じてないよ。偉大な指導者さえいれば、俺はその傀儡でいい」

教育レベルも高くて(英語なんぞ僕よりうまかったし)、自由・進歩的な彼の口からでたそんな言葉にはさすがに驚いたが、なんとなくその気持ちはわかるような気がした。それでも、彼に全面的に合意するわけではない。やはり選挙というのも、彼の言う「偉大な指導者」を選ぶ手段の一つでもあり得ると思うからだ。しかし彼の意味することは、統治の実力とカリスマ性を備えていれば、独裁者でも王様でも軍指揮官でも偉大なリーダだ。選挙なんて必要ない、ということだった。

それ以上深くこのことについて話し合わなかったことが少々悔やまれるが、ユニス暗殺のニュースを聞いてこの晩のことを思い出し、リビアの次期リーダーについて少しばかり思いを巡らせることになった。

カダフィーが国のリーダーとしての座に返り咲くことはまず不可能だろう。しかし、暗殺をきっかけに反体制派の内部武力抗争が勃発するとしたら、彼らにとっては最悪の事態になる。反体制派の闘争が始まってからすでに5ヶ月。NATOを後ろ盾にしながらカダフィーを追い出すのにこれほど時間がかかっているのは、反体制派に偉大なリーダーが存在しないという理由も大きいのだ。

しかし、いまは選挙でそのリーダーを選んでいる場合では勿論無いのだけれど。。。
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「『あの日』のこと」(ポプラ社)ー 津波被災者の証言

2011-06-10 09:32:08 | 日本
お知らせ

拙書「『あの日』のこと」がポプラ社より本日発売。被災者のポートレートと言葉を綴ったものだ。現在は日本語のみだが、英語、中国語版も検討中。震災3ヶ月の節目に間に合うように出版できるよう編集者の方々が尽力してくださり、感謝です。
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リビア出国

2011-06-02 17:19:12 | アフリカ
残念ながら、仕事の契約が早く短縮されてしまってリビアを発つことになった。

仕事抜きで残ろうかとも考えたが、ちょっと金銭的にも余裕が無いし、なんといっても政治的に硬直状態が続いており、全然ニュースがない。

いまや事態は「ウェイティング・ゲーム」の状態で、カダフィが殺されるか国をでない限り、次の大きな進展はないだろう。

2週間前にベンガジに戻ってきてから、毎日なんとか目新しいものを撮ろうと努力してきた。しかし3月からほとんど動きのないこの町では、それはなかなかしんどいことだった。前回の取材で反カダフィーの隆起に関することはほとんど撮り尽くしてしまっていったからだ。

とりあえずは一旦引き上げという感じだが、願わくばまた状況が熱くなったときに戻ってこられたら、と思う。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/06/02/leaving-libya/ )
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士官学校卒業式 ベンガジ・リビア

2011-05-30 14:17:18 | Weblog
昨日、反政府側士官学校の卒業式を撮影する機会があった。2月17日に反カダフィの隆起がおこってから、初めておこなわれたものだ。

すでにベンガジではほとんどのものを撮り尽くしてしまっているので、こういった新しいイベントをみるのは僕としてもいい気分転換になる。

陸軍、海軍からの数百人が、家族や友人に祝福されながら式に参加したが、卒業生たちは式が始まる前から踊ったりおどけたり、喜びを押さえきれない。この時勢、反カダフィーの集会くらいしか騒いで祝える機会もないので、こういう高揚感のあるイベントをみな楽しんでいるようだ。

しかし、無邪気にみえるこの若者たちも、カダフィー軍との戦いが続く限り、まもなく戦闘の前線に送られることになるのだろう。

僕にとっても楽しめる撮影ではあったが、そんな複雑な思いは頭から離れることはなかった。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/05/30/military-graduation-benghazi-libya/ )
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再びリビア

2011-05-27 14:16:25 | アフリカ
1週間程前にリビアに戻ってきた。正直言ってまたこの国に戻って来るかわからなかったのだが、幸運にもアサインメントがとれたので、今回はちょっと長めの1ヶ月程の滞在になる。

2ヶ月前とはうってかわって、反カダフィ派によって戦闘の前線へのアクセスが厳しく制限されており、一般市民やジャーナリストはまったく立ち入ることができない。あくまで私見だが、イギリスかフランスの特殊部隊が入っていて、それをジャーナリストに見せたくないんじゃないかと推測している。

まあ現在は戦闘自体も3.4日おきに砲弾の応酬をするくらいで、ほとんど硬直状態になっているようだが、それでも今回は全く前線に足を踏み入れていない。その代わりというわけではないが、フィーチャーの撮影をしながら一般人たちと接する機会はかなり増えて、これまで知らなかったなかなか面白い話も耳にできるようになった。

そんな話しをいくつか −

* 90年代はじめまで、バナナをはじめとしたフルーツや、チョコレートなどは店頭で手に入らなかった。これらのものはカダフィ曰く「贅沢品」であり、個人的に密輸しない限り、店頭では買えなかった。

* 英語のプリントされたTシャツもタブー。2000年代はじめまで手に入らなかった。

* 服を買うときも自分で選ぶことはできず、ただすでに袋に入ったものを渡されるだけ。正確に何が入っているかはわからないので、店の外で欲しいものや自分に合ったサイズのものと客同士が交換しあっていた。

本当かね?というようは話しばかりだが、それが現実の生活だったらしい。現在は政局の動きも少なく、ある意味退屈なのでせめて滞在中にもっと面白い話しが聞けることを期待しようと思う。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/05/27/back-in-libya/ )

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MSNBC フォトブログ 津波の犠牲者たち

2011-04-08 03:36:29 | 日本
MCNBCのフォトブログで、僕の撮った津波の犠牲者3人の話が今週掲載された。こんな状況に時間を割いて、どの方も心を痛める話しをしてくださった。http://photoblog.msnbc.msn.com/kuni-takahashi

姑を助けようとして亡くなってしまった妹をもつ南三陸志津川の女性は、自分だけ生き残ってしまったという罪悪感に苛まされている。「ひょっとして応答してくれるんじゃないかと思って。。。」いまだに妹の携帯に電話をかけることがある。

女川のおじいちゃんは、津波が起こった時に家の外にいたが、自分が逃げるのが精一杯で、家の中にいる妻を助けることができなかった。いま避難所で暮らすが、両脇で暮らす家族は皆無事で、楽しそうに食事をするのをみるのが辛い。毎日家のあった場所で瓦礫をかきわけながら、救えなかった妻との時間を過ごす。

気仙沼のおばあちゃんが防火袋にいれてとっておいた、長年貯めていたお金も流されてしまった。自分が死んだ時に、唯一息子のために残しておこうと思っていたなけなしの財産だった。

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震災・津波の残したもの

2011-04-02 19:45:36 | 日本
取材を始めて9日だというのに、もう随分長い時間が経ったような気がしている。震災、津波の光景を撮る以外に、自分のプロジェクトとして被災者のインタビューを続けている。妻を助けられなかった夫、妹を失い自分が生き残ってしまった罪悪感を持つ姉、無くなった家の周りでいまだに行方不明の娘を捜す父親。。。返す言葉などみつからず、ただうなずいて聞き続けることしかできない。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/04/02/massive-earthquake-and-tunami-hit-japan-my-home-country/ )
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リビア東部、続く戦闘 

2011-03-12 20:16:00 | アフリカ
依然として激しい戦闘がリビア東部で続いているが、昨日国境を越えカイロに戻って来た。あと2、3日滞在する予定だったのだが、リビアの情勢が硬直してしまったことと、日本の大地震のせいで急遽予定を早めたのだ。仙台は僕の故郷でもある。

今朝早くようやく家族との連絡がとれて無事がわかったのでほっとしたが、付近のダメージは相当なもののようだ。このまま直接日本に行きたいところだが、間抜けにもこけて痛めた足の容態がかなり悪化してきたうえ、まともに使えるレンズも一本しかないので一旦ムンバイに戻ることにする。

1日2日様子をみて仕切り直しといったところだ。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/03/12/fighting-continues-in-libya/ )
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リビア東部での激しい戦闘

2011-03-09 06:01:48 | アフリカ
ここ数日間気違いじみた日々が続いている。カダフィ大佐の故郷であるサルトから130キロ程東のベン・ジャワッドを手中にした反カダフィの民兵たちは戦勝ムードに沸いていたが、翌日政府軍による戦車や大砲など重火器を使った大反撃で彼らはラスラヌーフまで50キロ程押し戻された。

僕らは、なんとか少しでもいい写真が撮れるように戦闘の前線まで行き、危険が高くなると少し戻る、という繰り返しを続けている。

昨夜は15人のフォトグラファーと記者たちとともに、民家で一夜を過ごした。ホテルなどない町だが、親切な地元の人たち何人かがジャーナリストのために家を開放してくれているのだ。

このさきどんな展開になるか予想が難しい。僕らみなトリポリに向けて西に進みたいのはやまやまだが、戦力的にみて政府軍が圧倒的に優勢なのは一目瞭然。果たしてどうなるか。。。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/03/09/heavy-fighting-in-libya/ )
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リビア 2月24日ー3月3日

2011-03-05 06:23:58 | アフリカ
エジプトから国境を越えてリビアにはいってからの9日間、無茶苦茶忙しい日々だった。毎日寝不足で疲れきっていたうえ、インターネットのアクセスも非常に悪いのでブログのアップどころではない。これまで反カダフィ派の本拠地である東部のベンガジに滞在してきたのだが、明日から戦闘の前線に向けて西に動き出すことにした。この先しばらくはまたブログの行進などできそうにないので、とりあえず数枚アップすることに。

(もっと写真をみる : http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/03/05/libya-feb-24-march3/ )
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カメラマンに対するカイロの人々の心変わり

2011-02-15 15:45:34 | アフリカ
昨日の朝、タハリール広場に残りデモを続けていた100人程の人々が広場を去った。ムバラク大統領辞任後も、より具体的な政権改革を求めていた人たちだ。

いまだに人々が集まり祝ったり、散発的なデモの類いはおこなわれているが、広場は徐々に平静をとり戻しつつある。

際立った変化は、僕ら外国人カメラマン達に対する人々の態度だ。

どういうわけかここ数日、写真に対して人々がやけに神経質になってきており、撮影の邪魔をする輩が増えてきた。昨日も、テレビカメラマンが広場の慰霊碑を撮っているだけで兵士に襲われ、別のカメラマンは道路の再塗装をしていたボランティア・ワーカーを撮っていたら一団の男たちに取り囲まれたという。僕自身も広場でおこなわれていた警察官のデモを撮影中、10人くらいに囲まれ、蹴飛ばされてカメラを強引に奪われそうになった。なんとかメモリーカードを渡しただけで助かったが、揉み合っているうちにレンズが壊れ、腕時計も盗られてしまった。ほとんどニュースの価値のないイベントを撮っていてこのざまだから、全く割りにあわない。

なぜこれほど人々が写真を嫌がるのか定かではないが、いずれにしても、この現象も一過性のものである事を願いたい。大半のエジプト人はいい人だし、この滞在中も彼らの親切に触れる機会は多かった。

数日後にインドに戻る予定だが、1年後あたりにこの町に戻って来たとき、人々がどんな風に迎えてくれるか興味深いところだ。願わくば、写真が自由に撮れるような空気につつまれていることを祈って。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/02/15/changing-of-peoples-attitude-cairo/ )
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