くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

フランス租界地

2018年02月02日 | Weblog

■午前中勉強して午後はフランス租界(ホアンキエム湖東側)を回った。明日はホアンキエム湖を歩こうとビッチ、ビエットを誘うと2人ともOKが来た。初級クラスの2人も誘ったが用事ありとのこと。

フランス租界地は植民地として本国より派手な生活の出来るフランス人居住区ということ。統治機構のそろった場所。つまり当時の建築様式を残している場所になる。黄色の壁に緑の窓。各官庁建造物、銀行、ホテルなど。様式としてはネオクラシック風、それにアジアっぽさが加味されている感じ。建物が既に取り壊されるかして存在しない物や、住所が間違っているっぽい物もあった。

インドシナ連邦と呼ばれラオス、カンボジアを含め、トンキン(東京)アンナン、コーチシナと別々に統治しながらもまず、首都ハノイは植民地支配全体のための資金調達の中心としてこの銀行が重要な役割を果たしている。旧インドシナ銀行はそのロケーションからして、銀行から放射線状に伸びる道路は、凱旋門から放射線状に道路が延びるパリを想起させて、その格の違いを感じさせる。今はベトナムの国家銀行だ。中に入ろうとすると止められてしまって見ることはできなかった。20年代のアールデコはニューヨークみたい。

フランス租界の中でも異質な存在がホセ・マルティの像。ホーチミン像をキューバと交換したということで納得。スペイン語圏のツーリストには意外に受けるかもしれない。

我がハノイ国家大学の講堂がこことは知らなかった。仏領インドシナに当時唯一の大学で科挙制度がなくなった後で植民地政策に好都合な人材育成の中心だった。東洋的なモチーフの西洋的な建物はエルネスト・エブラールのインドネシア様式。歴史博物館は彼のデザインである。そして講堂の横はハノイ薬科大学。初代校長アレクサンドル・イエルサンは北里と同時代にパリのパスツール研究所でペスト菌を発見した医師。ベトナム医師育成に尽力し80歳でニャチャンで死す。彼の家がホワイトハウスだったのでnyatrangという名になったと言われることもあるという。ニャチャン郊外に墓があるらしい。

そして、ソフィテルメトロポールホテル(現トンニャツトホテル)グレアムグリーン、チャップリン、モームが滞在した。あのモームがここにも来ている。フィジーで彼の行きつけだったレストランに行ったことがある。そこでゴーギャンの生涯に思いをはせた記憶がよみがえる。

 

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