くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

引退宣言・新旧交代

2012年04月29日 | Weblog

■先月、行政書士会の会費未納分として5万円を支払った直後に又半期分4万なにがしの請求があったのでこの機会に廃業の届けを出すことにした。長い間、行政書士として仕事を続けてきたので思い入れはいろいろあるが、仕事を開拓する意欲がない以上続けていては顧客にも迷惑な話だし会費の負担がばかにならない。仕事あっての行政書士だが、県の就業実態調査で手一杯だからもう引退するつもりでいた。ちょうど愛車のホンダ・アクティも寄る年波でガタがきてドアも満足に開かない状態なのでオザワモータースで車検を終えたばかりの日産キューブに乗り換えることにしたところだった。

行政書士会事務所で退会手続きをして登録証などを返却した。昨年から規則が変わって4月になった以上半期分は全額支払わないといけなくなったそうだ。またなんと運のわるい!。

購入した車の登録時の車庫証明は、もちろんこれが本職だったのだから、僕がしたのだが、まず、地図ソフトは譲ってしまって持ってないのでパソコンのヤフー地図を使うことにしたのだが、プリンターが故障しで印刷できない。やむなく、車に搭載してあった営業用レーザープリンターを使ったが、これも故障と判明。しかたがないので昔使っていたインクジェットを引きずり出してインクのかすれた印刷で間に合わせた。これには、いささかショックだ。わずか数ヶ月仕事を離れただけで見事に仕事ができなくなっている。一番信頼していたレーザープリンターですら作動しなくなったことに気が付かなかったのだ。そのときもう引退だな、と決めたのだ。

その日の晩、野々市のパーカッションのクラスに出るためすでに約95000キロ走行しているこの新車(?)で出かけた。同じ軽乗用車とは思えない軽快な走りに感動。「くまさんのあの車ならどの車に変えても同じ感動だわ」という内なる声を聞き流すように、まさのり先生からもらったスペイン語バージョンの陽水のCDを聞きながら8号線を激走。

旧車はCDは使えず、ラジオも聞こえなくなっていたくらいで、営業用1kインバータにつないだPC用のスピーカーでiTuneのおきにいり音楽を聞いて運転していたのだが、これは気に入っていた。インバータはこの車のシガレットケースからの電源で働くようなのでWiFiモバイルルーターやiPhoneの充電くらいには役立つかもしれない。旧車の車内照明で夜中でも仕事が出来たのだがもうそれもいらない。よくインバターやライトの消し忘れでバッテリーがあがってしまうので予備バッテリーを常備していたけれどその必要もないだろう。

5年間で10万キロを走ってくれたこの相棒にはすごく感謝しているが不思議と爽やかな別れだ。気持ち的にはPC風にいうとリーナックスからウインドウズに変えたような心境。敬意をこめて「ごくろうさん」と言いたい、おっと間違えた。文化庁の敬語の指針によれば「おつかれさま」というべきだ、、。

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「日本語は映像的である」

2012年04月28日 | Weblog

■みだしの著作(熊谷高幸著:新曜社ISBN978-4-7885-1258)を図書館で手にした理由は著者が同姓で同年輩、福大の先生で昨年末に出版された新聞記事が記憶に新しかったからだった。先日、一気に読み終えたが衝撃的な印象を受けた。著者は自閉症を研究する発達心理学者だが、その視点から「日本語」という言語構造を通した「日本人論」になっている。参考文献にもなっている中根千枝著「タテ社会の人間関係」の文化人類学的日本人論を異次元化したような独創的な視点だ。

日本人のコミュニケーションというのは話し手と聞き手が共有する映像を通して外界を認識する構造をとっているとして日本語の特徴を解析していく。主語等の省略の多さ、指示詞の多さ、過去時制のないこと等々。「坊ちゃん」「雪国」の描写の日英語翻訳を対照して日本人の映像的発想を日本語の構造から根拠づけている。有名な「は」「が」問題を「桃太郎」のはなしから英語の定冠詞・不定冠詞のちがいに論述していく手法も見事。

ちょうどその日、TVで自分が脳梗塞で死にかけた脳科学者がその甦り体験を語る番組があって、それを見ていて「エネルギーパワーの源泉は右脳」という話とダブってなおさら印象が刺激的に感じた。まさに日本語は「虫の視点の右脳」で、欧米の「神の視点の左脳」と異なる。アニメ文化、「ウチ・ソト」関係、などに論述は及び、関連する想像力をかきたててくれる。まさにアインシュタインの相対性理論・「場」の理論を彷彿させる趣さえある。

以前から僕の日本人論のテーマであった「なぜ日本人は自立できないか?」「なぜに日本社会は過保護なのか?」「どうして水戸黄門がうけるのか?」「一部のナショナリストの存在にもかかわらず、どうして平和憲法が多数に支持されているのか」等々の問題に対する重要なヒントが含まれているように考えて僕には感動的でもあった。

最近の傾向かどうかわからないが、専門家が別の領域で独創的な知見を開くことが多いようだ。日本語文法にこのような心理学者や人口知能の専門家(例えば月本洋著:「日本語は論理的である」等)が進出したりする。「送り仮名」が決められない学者にかわって東芝技術陣がワープロのかな漢字変換を作ってしまった、おなじたぐいだろうか。

僕の日本人論は僕自身のアイデンティティの問題で、きっとそれは日本国外でしか獲得できない性格の問題じゃあなかろうか、と思ったりする。きっと、自分が死ぬときが一番日本人であると感じるときだったりして、、、。

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お花見サルサ

2012年04月17日 | Weblog

■福井市等主催の足羽川河川敷での花見会場での「お花見サルサ」が好評だった。浜町のやすぶん君やタミさんの口利きで初めての企画だったが、当初は目的がはっきりしないので焦点が定まらない感じだったがラテンドングリのメンバーがパフォーマンスを企画したり、ベリーダンスやレゲトンの他、NY帰りのRIEさんという「アポロシアター」出場の話題のダンサーが登場するということで「サルサラボ」もガゼン準備に力がはいったようだ。ぼくはタイコをたたくことになっているので、当日は午前中の鯖江の西山公園のドラムサークルを終えたその帰りに幸橋の会場まで車でコンガを運んだ。

会場の河川敷に降りる石階段にお客が座るという設定で、花見帰りの家族連れも多く、橋の上から見物する観客もたくさんいた。アモンさんの入門バチャータで始まり、越前さん振り付けのおっさんダンスにアイちゃんペアのバチャータ・パフォ。富山や石川のサルサメンバーも集まっていたし、嵐君も集団で踊れるルエダダンスを紹介してもりあがった。ぼくは1人で終始前列でコンガを叩いていたが、そのうちドラムのメンバーも入ってくれたり、ウクレレ片手に妙なおっさんが入ってきたり、、、。

こんな風にサルサをコンガだけで叩くことも初めてだけど、CDだけの音楽でサルサも味気ないもんだと思っていたので、1人でもけっこうリズムにのってたのしめた。話題のRIEさんのパフォーマンスをみるとまるで中国武術の長拳のアクションに似た動きに興味をひかれた。

終了後、ドングリメンバーと一緒に鯖江のアメリカンレストランへ、、。散髪屋のノムラくんを誘って一緒に行ったが彼は食べ過ぎたせいか体調がすぐれないようだった。彼はどうも僕の肩こりの按摩治療に意欲を見せるのだが、僕としても右肩骨折後に現れた左肩の肩こりには自分で克服したいという気持ちがあるので安易にのれない。肩こりの按摩はくせになるからだ。そんなお客を開発しようとしているノムちゃんは別れ際に営業用タオルとお菓子を手渡してくれた。

帰宅して、Myrianのお勉強メールが入っているのに気づいた。かなり見やすくなった「ひらがな」だがまだ相当まちがったまま。でも、彼女の熱意が感じられる。添削メールを打ちながら眠ってしまって、、。ここんところ連日こんなふうに忙しく1日が過ぎてしまう。

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ボランティアにほんご

2012年04月09日 | Weblog

■最近の関心事のトップは日本語教育。ペルー女性のMyrianに日本語を教えることが楽しみになった。なんとか日本語教師検定試験を目指してみたいと思っている。先日、交流センターでシニア海外ボランティアのブロシュアーをもらって来て読んでみると69歳までは可能性がある。がぜん興味が出てきた。日本語教師として派遣される例は多いようだ。

サルサをはじめて4年。パーカッションも楽しいがタイコたたいて踊るだけの余生もあまり面白そうでもないなぁと近頃思い始めていたところ。行政書士としての仕事にも興味をなくしてしまったのはふがいない話だが仕事をなくした以上資格の価値はあまりない。海外相続調査など面白い仕事の思い出もあるが、相続問題のとばっちりを受けて懲戒を受けたり、仲間の裏切りで仕事を取られてしまうなんぞはもう歳で力不足以外の何物でもないと思い知った。もう引退気分。

日本語を勉強し始めたのは語学学習に参考になるかなと思っていた程度だったが周りの受講者を見ているうちに自分も機会があったらやってもいいかなと思うようになった。それが講義が終わるちょうどその時期にMyrianに教えるようになってから同じ教えるなら日本語教師検定を受験しよう、シニアボランティアを考えてみようというという気になった。FBに立ち上げた「ボランティアにほんご」のグループで宣言してドキュメントに日本語学習記録をつけ始めると、メンバーの日本語教師の方からいろいろコメントがでたりして面白くなってきた。

どうせ将来どこかに出かけるのだから、その前にできることは何でもやってみようという気持ちになったことは貴重だ。僕は10年毎に生活スタイルを変えてきたが65歳からの10年間をどのように生きるか?というテーマがだんだん形になってくるような気がしている。誰の言葉か忘れたが、「人生の目的とは目的ある人生を探すこと」だという言葉を思い出した。

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