kumaの「それなりにやってみようかな…」

子宮体癌経過観察中です。

訃報

2009-07-29 | 関心のあること
乳がんの再発で闘病されていた「川村カオリ」さんが昨日
永眠されたとのこと、今日知りました。


38歳で小学生2年生のお子さんがおられるそうです。


再発の事を発表されたときに、初めて名前や闘病を知りました。
(ジェネレーションギャップ?、私の知識の無さか…ごめんなさい。)


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「ZOO」という曲がヒット曲の一つだそう。

川村さんは04年に乳がんが見つかり左乳房の摘出手術を受けられ、
08年10月1日、ブログでがんの再発を発表されました。(この時にTVで映像を拝見しました)

08年1月にはリンパ節、骨、肺への転移。抗がん剤の点滴治療を続け、

今年1月には、抗がん剤治療を週に1度受けられていましたが、副作用で思うように体が動かない状態が多かったそうです。

ロシア人のお母様も98年3月、乳がんで亡くされています。

お母さんと同じ病になった川村さんは「母も私も乳がんで、娘が同じ病気にならないことを願わない日はない」ともらしたこともあったそう。

再発しても、今自分にできること、ということで、
ソロ活動を再開させ「1日1日の大切さを感じる。今後も音楽を通じてメッセージを残したい」と生きる姿勢を貫いておられたとのこと。新曲やライブも…。


お父さんと娘さんの3人暮らしと書いてありましたが、

親よりも先に、旅立つこと、

娘さんを残して旅立つこと、

さぞかし心残りだったと思います。


ロシアから帰国子女として日本に戻られたとき、その事でいじめを受けられたとも書かれてました。


日本という国で、彼女は幸せをつかんでくれたのでしょうか?



ご冥福をお祈り申し上げます と共に、残されたご家族の心が早く癒されるように願わずにはいられません。

婦人公論 09年6/22号

2009-07-28 | 関心のあること
7/12に

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『婦人公論の記事で、2冊分書きたいことがたまってしまいました。

1.2009年5/22月号
・追悼寄稿「上坂冬子さんの完結」 文・佐藤愛子さん

・対談 田中宥久子さんと渡辺えりさん
    「美しく、自然に歳を重ねてこそ いいオンナです」

2.2009年6/22月号
・保存版 女性のがん

・追悼寄稿 忌野清志郎さんへ-「わたった」 文・よしもとばななさん』

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と書いていました。
前半部分は7/18に「7/12の続き、その1」として完了しています。

今回は、2.の部分を書き終えたいと思います。

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・保存版女性のがん

これは5つの章で構成されています。


1.患者仲間に支えられ、生きていく…対談 アグネス・チャンさん×岸本葉子さん

乳がんと虫垂がんにそれぞれ罹られた、お二人が、さまざまな不安を乗り越えられるときに…という対談。



2.受けてみました、婦人がん検診フルコース 取材・イラスト・文 平野恵理子さん

・乳がんではマンモグラフィー、超音波検査、触診の検査を受けられています。
私の時と違って、受けたその日に結果が判るそうで、
忙しい人には助かると書かれていました。
(きっと受診機関により違うと思いますので、確認して行かれた方が良いと思います)

・子宮がんは頸がんと体がんの両方を受けられたようです。
先ず顕微鏡での頸部の検診、次に細胞診で体癌の検診。
超音波検査で子宮と卵巣の状態をチェック。
ここの医療機関は、結果は後日送付とのことでした。



3.末期がんと闘う品川芸者 広瀬まりさん

子宮頸がんとは5年のお付き合いになるそうです。
現在は、肝臓に転移があるそうですが、花柳界を華やかにしたいという夢を、
親子3人で実現に向けて頑張っておられます。

個人的に、子宮がんが転移したらどうするか、どうなるかに興味がありますので、
人生に目標があるということも生きる力になるんだなぁと感心しました。



4.
・がん治療最前線…専門医Q&A「乳がん編」

答える方 霞 富士雄さん(順天堂大学医学部教授・乳腺センター長)
聞き手・構成 高梨ゆき子さん(読売新聞医療情報部記者)

「最新治療に携わる専門医に乳がん治療の現在をたずねました」とのこと


・がん治療最前線…専門医Q&A「子宮・卵巣がん編」

答える方 宇田川 康博さん(藤田保健衛生大学産科婦人科教授)
聞き手・構成 館林牧子さん(読売新聞医療情報部記者)

「婦人科で診るがんの代表的なものは、子宮頸がん、子宮体がん、卵巣がんの3つ
種類はもとより進行度によっても、治療の選択肢が異なり後遺症の有無にも
影響があらわれると言います。
納得のいく病院選びのため、広い視野で正しい理解を」との見出しです。


専門医Q&Aは、なぜか読売新聞の「病院の実力2009」と同じ医師に
インタビューされています。

しかも、聞き手と構成が読売新聞の方…

なぜだかよく判りませんが…。


5.全国 頼れる実力病院150「乳がん編・子宮がん、卵巣がん編)
「病院の実力 2009 がんと闘う」(読売新聞医療情報部編)をもとに再構成


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・追悼寄稿 忌野清志郎さんへ-「わたった」 文・よしもとばななさん

よしもとばななさんと忌野清志郎氏との接点が、
読むまでは、私にはわかりませんでした。


よしもとばななさんのつらいとき、
彼の「お墓」という曲と「WATTATA(河を渡った)」という曲が、
彼女の心に、人生に強く、清志郎氏の言葉が響いた…と。


彼からもらったものを一ファンとしていつまでも本気で抱いていこうと思う。
と、結ばれています。



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ザッーと流して、書きました。

雑誌なので、あまり内容を書きすぎるといけないと思いましたので…
(もう、ずっと昔の号になりますが…

読みたい方は、申し訳ないですが、バックナンバーをお取り寄せになるか
図書館でお借り下さい。



色んな人の色んな生き方が感じられました。

特にこの号はメインが「別れる夫婦、別れない夫婦の紙一重」でしたので、
がん以外にも、自分を振り返る事がいっぱいありました。

また、時間があれば読み返してみたいと思います。

「ガン病棟のピーターラビット」完(膵臓ガンから肝転移…)

2009-07-28 | 関心のあること
7/18に「ガン病棟のピーターラビット」を読み始めました、
という記事を投稿致しました。

読み終わってはいたのですが…アップが遅れました。


前回は、本の最初の記述通り、
『「彼女の乳がんとは関連なく、黄疸の症状をきっかけとして、下部胆管がんという「宣告」』と書きました。

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この本を読む動機は、乳がんが転移したのかな?という素人の疑問と、
また、アマゾネスのように、闘ってくれたのかしら?と、

中島 梓という一人の女性が、新たながんという現実を、どう受けとめられたのか、
どういう気持ちでおられたのか知りたかったからです。

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乳がん摘出後17年という期間が経ち、もちろん乳がんの転移ではありませんでした。

しかも術後の診断で、下部胆管がんではなく「膵臓がん」からきた症状であったことが記されています。

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人間の体って本当に一筋縄ではいきませんね。

今回の本は、「アマゾネスのように」と違って、
目先に急ぐ仕事がないせいか、2度目のがんなのか、
それとも年齢による受けとめ方なのか、病気による苦痛の度合いのせいか、

前のように、とっても前向きな闘病で普通の健康な人よりパワフルな闘病生活というよりは、
静かな闘志が文から受け取れる気がしました。



医師の言葉を借りるならば、
「乳ガン、あーあんなもの、手術じゃないから。あの程度のもんは大きいとはいえないから、悪いけど。
今回の手術と一緒にしないでね。今回はほんとに大きい手術だからね。」と言われておられます。


中島さんも「あっさり言われてぎょっとした」と書かれています。


今回は「すい頭十二指腸切除手術」。
(十二指腸、胆嚢、膵臓の頭の部分の切除)

今回はエッセイ25編を1冊にまとめられたそうで、もちろん病院食のことをはじめとした食べることにも、話題満載。

但し、今回は消化器系の疾患につき、「食べられる」事が退院の目安にもなっていました。

ドレーンの管も左右にかなり出ていて、起き上がって散歩に行くまでが大変そうでした。

でも、もちろん散歩にでかけたら、しっかり人間観察されていました。




読むほうも、このがんのせいで…と思うせいか、「アマゾネスのように」のハッピーエンドがない事をあらかじめ承知しているので、
読み方も違っているのでしょうが…。

今回は、なお一層、自分の生き方について書かれていた気がしました。




「あとがき」にも
「手術から半年が過ぎましたが、残念ながら肝臓への転移が2つCTスキャンで発見された」と書かれています。
また、書かれた時期が「余命1ヶ月の花嫁」本がベストセラーになっていた頃らしく、そのことも書かれていました。


自分はこの歳まで生きていられたのだから「幸せだなあ」

「私はがんになってものすごくたくさんの事を学べた」

「生きていることを当然のこととしてこの歳まで生きてきたけれど、
それが”当たり前じゃない”って気付くことができてガンになったことが、
それほど嫌いではありません」って。

「この本が、お手にとられたかたになんらかのメッセージを伝えて、
お役にたてば、とても嬉しいと思っています。」と……


現実は厳しいです。


ちょうど、このあとがきの書かれた日が、私の手術の直前であったことも
何だか印象深いです。



あらためて、ご冥福をお祈りいたします。


ジーンワルツ読書感想文

2009-07-20 | 関心のあること
海堂 尊 著「ジーンワルツ」を読み終えました。

海堂氏の著作は、
「チーム・バチスタの栄光」「ナイチンゲールの沈黙」「ジェネラル・ルージュの凱旋」「ブラックペアン1988」に続き、5冊目を読んだことになります。



今回に関してまず思ったことは、手術の場面や犯人捜しよりも、
産婦人科の危機に関して色んな面からのアプローチが1冊になった感じ。

この著者は、今は、病理医をされていると、どの本かに書いてありましたが、
臨床で各科の専門医をされているかの如く思うほどでしたが、

産婦人科に関しては、手技の場面があまり詳しくなく、ちょっとご専門ではないのかなあと正直思いました。

かといって、手を抜かれているとかではなく、現在の産婦人科の抱える問題に対し、
問題点を列挙しつつ、物語として完成されている点は、やはりスゴイと思います。


小説なので、内容は詳しく書けませんが、
曾根崎理恵というある大学の産婦人科学教室に籍を置く女医さんで、
発生学の授業を持ち、傍らアルバイトで個人の産婦人科医院において診察等をされています。


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Q医療と医学の違いは?

考えたことは一度もありませんでした。

「医療は社会システムで、医学は単なる学問。
一番の違いは、医療は患者さんからお金を頂けるけれど、医学は、お金を取れない…どころか、お金を注ぎ込まなければ医学は進歩しない」とのこと。

字づらにこだわって、本質を見逃してはいけませんが、どちらも人の治療に役立つ、という点においては、同じ方向を目指しているに違いないと思います。


Q胎児の組織の中で一番先に出来る臓器の原器はなんでしょう?

A.秘密です…(本にあります


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本により提示されている産婦人科の問題点

・発生学という講義形式を通して、子供=命が、普通に(大まかな表現ですが)
誕生する、というのは、実は多くの難関をくぐり抜けてのことで奇跡に近い事象であること。
(不測の事態で罪に問われる産婦人科医の苦悩と現実)


・赤ちゃんが生まれるのを「当然」と考えることによって、そうならなかった場合、産科医をを訴訟等により追い込むのは、
産科医の減少をうむことにも繋がりかねない。


・医療崩壊のきっかけとなった新医師臨床研修制度の導入
 人材補給を断たれた大学病院医局は、システム維持のため、
 地域医療を支えていた中堅医師を大学に呼び戻す。
 中堅医師1人を大学に呼び戻す行為は、ドミノ倒しのように10倍になって現場に跳ね返る。↓ 

・1つの病院が産科医不足で崩壊すると、他の病院にしわ寄せが行き、手術件数から当直回数まで増加し、疲労が蓄積し、だんだん地域の1つの産科が抱える分娩数が多くなり、やがては、過重労働により、嫌気がさし、辞められ、それを繰り返し、産科の分娩取扱が少なくなっていってしまう。(訴訟沙汰を嫌う先生も予防線を張る事も一因)


・少子化が叫ばれているのに、妊婦の診療代金は保険が効かないこと。

・不妊に悩んでいる方の治療(治療施設や高額医療費等)

・代理母問題

・赤ちゃんポスト

・堕胎を安易に選択する人達への問題提起

・妊婦の喫煙

・大学組織の上下関係(これは大学に限ったことではないと思いますが)

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まだまだ、書き切れていない問題や、認識が間違っている部分もあると思いますが、


「人が無事に誕生する」っていうことが、
単純な普通の出来事ではないのだなあと思いました。


だから、昔の人は「子宝」って呼んでいたんでしょうか?

私の周りには4人子持ちが3組
うち、2組は、女の子3人で、どうしても男の子が欲しくて4人目をうんだ方。

5人子持ちも2組
うち、1組は4人が男の子で、5人目が女の子。
もう1人は、交互に男、女と産んでおられるから、子供大好き!なのかも
(誰にも聞けませんよね、どうして何人産んだの?って


そして同じ母親学級で一緒で一番最初に産んだのに
死産だった彼女…年末に喪中ハガキが一通。
返す言葉が見つかりませんでした。
仲良しだった他の二人も今は引っ越して遠いところ。

人生いろいろですね。



女性として、色々考える事の多い本でした。
「バチスタ」等に比べると推理より、他のことで、早く読み終えたいって
感じた本です。




我が子のDNAは、どうなっているのか、見てみたい気分になります。
(どっちの性格引き継いでるのか…
判ったら…スゴイショックかも


何も問題の無いお産はよかった
(痛かった気は今でもします。いつ産まれるかと予定日近くになるとドキドキしました


ガン病棟のピーターラビット

2009-07-18 | 関心のあること
中島 梓さんが、自身の乳がん闘病を書かれた「アマゾネスのように」をこの前読みましたが、

今回、「ガン病棟のピーターラビット」を読み始めました。

彼女の乳がんとは関連なく、黄疸の症状をきっかけとして、下部胆管がんという「宣告」を、

2008年1月18日に受けて、治療開始。


というところまで、今日は読みました。


ジーンワルツも途中。

夏休みの子供と戦いながら?隙間時間で読んでいます。

7/12の続き、その1。

2009-07-18 | 関心のあること
7/12の私の記事。

『婦人公論の記事で、2冊分書きたいことがたまってしまいました。

1.2009年5/22月号
・追悼寄稿「上坂冬子さんの完結」 文・佐藤愛子さん

・対談 田中宥久子さんと渡辺えりさん
    「美しく、自然に歳を重ねてこそ いいオンナです」』


の1冊目だけ何とか仕上げました。


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1.対談 田中宥久子さんと渡辺えりさん
    「美しく、自然に歳を重ねてこそ いいオンナです」から

 構成木村博美さんの記事。


田中さんも渡辺さんも、更年期を何らかの形で感じてきた方。


・渡辺さんは、最初の頃が大変でイライラに悩まされたそう。
次に不眠症で、今は「どうして自分は生まれてきたんだろう」という思いに囚われて、11年目の今、少しずつ脱しているとのこと。

・田中さんは、いわゆるホットフラッシュが10年。でも、大人の女性が通る道だと思われていたので、抗わずに受け入れられたそうです。


・両方の方に共通しているのは、肥満。
渡辺さんのお話によるとホルモンの関係で太るそうで、お二人とも10Kg、30Kg太られたそう…。



私「うーーーん、ドキッ」



でも、歳を重ねた今こそ、「若さは才能ではなく現象にすぎないことがわかる」と渡辺さん。

田中さんも「歳を重ねることは素敵なこと」と。


「歳を重ねた美しさを大切に役者を続けていきたい」と渡辺さんも言われていました。

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2.同誌同号 「体脂肪には女性らしさを保つ役割があります」の記事。
       監修 井上裕子先生(井上レディースクリニック院長)
          ※婦人科医の視点から女性のための優しいダイエットを提唱

 年齢と共に体脂肪がつくのは、基礎代謝の低下とも関係しているけれども、
…中略…
 「女性にとって、…中略…必要な女性ホルモンの分泌も行っています。
更年期に向け、減少していく女性ホルモンを体脂肪からも補おうとするため、
体質的に体脂肪がつきやすくなることに。
ある程度の体脂肪を保つことは、更年期以降の体の急激な変化を防ぎ、
元気に過ごすためのカギでもあるのです」

と健康スポーツ医の資格もお持ちの先生の言葉。

40代は体脂肪をただ減らすのではなく上手にコントロールして体の調子を整えていくことが大切になってきます。とのこと。


残念ながら、秘訣は、ここでは書けません。(怒られそうなので…


ただ、私が思ったのは、卵巣摘出後の私にとって、
体脂肪は「ある程度」は必要なお友達なんだ、ってことです。

でも何事もほどほどだから、太りすぎて中性脂肪とかを増やしたらダメですから、
難しいです。



主治医の先生にも「太りましょう」って聞いてないです。


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3.追悼寄稿「上坂冬子さんの完結」 文:佐藤愛子さん

作家の上坂冬子さんが4/14に、78歳で肝不全で亡くなられました。


「がん闘病記」を雑誌に連載中のこと。
新聞には「肝不全」と書いてあるだけで正確な病名はわからないままだ、
と佐藤さんは書かれています。

内容は、またも略させていただきますが、
最後にこう結ばれています。

「上坂冬子。誰にも頼らず、まっしぐらに孤独な熱血の一生を生き抜いた見事な女傑だ。
思う通りに設計通りに人生を構築し、完結した。

 上坂さん、よかったね、おめでとう。心から私はそういいたい。」



自分の人生を設計構築し完結する、女流ノンフィクションのさきがけとして
活躍された方ならではの生き方かもしれません。


興味を持って、読んでみようと考えましたが、
未熟者の私には、ちょっと真似できない生き方でした…。


ご冥福をお祈り致します。



平均寿命

2009-07-17 | 関心のあること
厚生労働省は16日、2008年の日本人の平均寿命は女性86.05歳、男性79.29歳で、男女とも3年続けて過去最高を更新したと発表。


女性が24年連続で長寿世界一、男性は4位、とのこと。

分析によると「日本人の3大死因とされるがん、心臓病、脳卒中の治療成績の向上や、
交通死亡事故の減少が寄与している」。

2007年より、女性は0.06歳、男性は0.10歳延び、男女差は0.04歳縮まった。
2005年は普通のインフルエンザの流行で前年比マイナス、他は上昇傾向が続いているそう。


仮に3大死因が克服されれば、平均寿命は女性7歳、男性が8.1歳、延びるという。



健康で長生きしている方は、どの位の割合のなのでしょうか?

ベットで四角い空を見て、生きながらえる。
痴呆症で自分のことも人のことも解らない。

親に育てられ、最後は親の世話をし、看取るというのが
理想の状態や、人としてあるべき姿ではあると思うのですが、

自分がさて渦中に置かれたときに、ちゃんと出来るかは自信がないです。


長寿国日本ですが、それに見合うだけの社会保険、介護施設、介護職員の方々が
足りているのかなあ?と

一国民として不安を感じています。



でも、このニュースは、事実は、喜ばしい、いいことなんだから、
一面記事で幸せそうに笑う老夫婦のカラー写真等と組み合わせると
もっと明るい話題として提供できる、結婚して長生きしたいなぁって思うニュースになりそうなのに。


とらえ方一つで変わる…。



※今日の写真は、我が家のヘチマの花、開花第1号。
今年はスポンジ作れるでしょうか?

眼球のメラノーマ

2009-07-16 | 関心のあること
昨日の「世界仰天ニュース」は、
芸能人の「ピーコさん」の、眼球に出来たメラノーマ(悪性黒色腫)の話題でした。
(昨日新聞欄で見つけて録画しておきました

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眼球に出来るのは30万人に1人の確率とのことでした。

40歳を超えられた双子の「おすぎ」さんと「ピーコ」さんは、毎年ちゃんと健康診断を受けられていて、
その際に半年ほど前から、左目の調子が悪かったピーコさんの目に異常があることが判ったそうです。



私の叔母も手の人差し指にできたメラノーマ(悪性黒色腫)が元で指先を切断したのに、転移で亡くなっています。

最後に御見舞に行ったときも、とてもふっくらとしていて、今思う、がんの人のイメージとは違う感じでした。

なので、ほくろには今でも敏感です。

(メラノーマは最も悪性な皮膚がんで、転移をおこし死亡率も高いそうです。皮膚に黒褐色のメラニン色素を産生する細胞があり、この色素細胞(メラノサイト)ががん化したものとのこと)



ピーコさんのメラノーマは眼球の奥の方に出来ていて、自分でみえる表面上にできた訳ではなく、見えにくい、という初期症状があったようです。
が、「見えにくい」と言っても、まさか眼球の奥にメラノーマができているとは。


眼球を摘出され、他に転移がなかったため、5年間定期検診に通い、今も義眼をはめて、仕事をされておられます。


義眼は、目の手術痕の快復に従って、型を取り、合うように作るため、35個も作りかえられているそうです。

義眼の毛細血管の部分は毛糸をほぐしたもので作られているとのこと。(ビックリ!



でも発見が遅ければ視神経や血管から脳へ転移したりして、とても危険そうな感じでした。


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がんで、どこなら全摘がマシかなあ?とつい考えてしまいました。

私の全摘の部分も結構ショックな気がしましたが、「目」も結構キツイ…。

片方は見えるとしても、「義眼」としての「目」も周りにみせることになる…。


自分は、自分で不幸の真ん中にいた気がしましたが、体のどの部分もやっぱり、
大切なものだなあと…。


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ピーコさんは、手術を受ける前日の晩、寝付けず、病室のカーテンを開けたら、
キレイな打ち上げ花火の光景が見えたそうです。

「これが左目で見る最後の花火だな…」って。


私も手術室に入る前、「すべてのことがこれで最後になるかも知れない」と
思いましたが、みんなそう思うのでしょうか?




でもでも、やっぱり、医学はそんなに簡単に人を見放したりしませんでした。
まだ、今年も暑い夏を実感中。

また冬には「寒い冬」を実感できるに違いない気がします。


昨日は、暑い最中に用事がありダウンしました。初めて子供に「干したお布団を入れてくれ~」と頼んでしまいました。

まだ、漢方も効いてませんね。

これからの子供の夏休み、どうしようか?悩み中です。
(不完全母より、子供へ。「お願いだから助けてよ~」

調剤薬局変更失敗

2009-07-14 | 関心のあること
医療費の公的扶助を継続申請しに病院に診断書をもらいに行くことが忙しくて出来ず、

初めて「継続」から「再開」の申請となりました。

指定した医療機関と調剤薬局しか、対象になりませんので、

これを機に職場に近かった調剤薬局から自宅に近いけれど、
買い物するお店の余りない方向にある、キレイそうな建物の調剤薬局に申請を変えてみました。


うーん。

番号シートも発行されない、電光掲示板もないところです。


・先月、初めて行ったときには、お薬がなくて3日位かかりました。

でも、本人確認は何もせず、「顔」を見て、お薬を渡されます。
(ちょっと…疑問が湧いていました、確認位してもいいのでは?


・今月、昨日処方箋をお渡ししたときは、
「お薬はあるので、明朝から来ていただいて大丈夫です」と自信満々。



以下、今月分のお薬受け取りまでの長ーいやりとり
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朝から行くと、
公的補助の「申請受付用紙」で、病院代もお薬代も、自己負担割合が減るはずなのに、
(実際、処方箋は3割負担って書いてないんです)

病院も○割負担で支払終わっています。

なのに「3割負担でしか、取り扱えません!」

{処方箋の数字はどう考えるのかな?}



薬局の方
「この紙切れだけじゃダメなんですって、お話しようとして、昨日お電話し、今朝もかけたのですが。」

確かに無言電話が2回入っていました。

それならそうと「留守電」に入れて下さればいいのに、(次から留守電に伝言お願いしました)
でも、今日、行って話していると、私に○○区の保健センターの電話番号を聞こうとしていたらしいのです。

「番号ご存じないですか?」

「えっ?同区内なのに、ここに、区のガイドは置いていないのですか?」

「はい。」

{ここには、普通のNTTの電話帳も無いの?}{NTTの番号案内に聞いてみないのかな?}と内心驚きつつ、

「わかりました、じゃあ家に帰ってこちらから保健所に電話します。」
と、言いながら、{あ~携帯から検索すればすぐわかる}と気がついて、
早速、打ち込み。すぐに出てきました。


薬局の方は、私の携帯を覗き込んでメモされました。


あの…私より遙かに若い携帯なんか使いこなせそうな年代の女性ばかりなのに…

機転?生活の知恵?携帯の活用法?がちょっと…、驚きました。


3割負担で支払ったら、今月中に、医療証がうちに届かないと、
この薬局では、月をまたいだら、差額分のお金を戻せないとのこと。

前の調剤さんでは、差額分、普通に返してくれました。

「返金できないって聞いたこと無いです。だから保健所で返してくれるって事も
今まで聞いたことないです。保健所で返金してくれなかったら、私はどこへ行けばいいですか?」

薬局の方「……」



結局、薬局の方が、保健所に電話され、不承不承納得され?補助付きの金額でお支払することになりました。

今まで、この公的扶助を取り扱ったことが無く、右往左往されていたようで、
「この補助は、医療証の中でも厳しい方なんです」と言っておられました。



お金にこだわるつもりは毛頭無かったので(お薬が早く欲しいのです)

「3割負担の金額をお支払いして、補助のあとの減額した領収証をいただいて、
レシートと現金の合わない金額は、仮受金か一時預かり金で処理していただいても良いのですが」と
会計処理をアドバイスしてみましたが、

次は、「それはもういいですの一点張り」


「もし、3割でお支払いして、ここで返金いただけないのなら、保健所で返金してもらえるのですか?」

「この紙で補助出来ると保健所の方が言われたので、保健所の方にそこまで聞きませんでした」
とのこと。



本当にここの調剤薬局さん、でいいのか悩みました。

薬局を変えるとまた申請のやり直しから始めないといけないのです。

でも「顔パス確認」「同区内の電話、しかも薬局の関係しそうな保健所、の分さえも調べられない」ってちょっと、仕事を行う手順や基本的な事に原因を感じました。

来年の継続は多分ここではしません。何か手違いが起こりそうな薬局だと思いました。

帰宅したら、腰痛が悪化していました。
早速、湿布貼りました。ついてない日です。

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私のグチを最後まで読んでいただいた方も
長くかかりましたね。ごめんなさいね。

こんな事が無ければ、他の事が書けたのになあ

漢方薬局へ

2009-07-13 | 退院後
友人が漢方を処方してもらっている、漢方薬局へ行ってきました。

西洋医学だけでなく、漢方に初めて、真剣に取り組みます。

友人は運動をされているので、その関係で鍼灸院にも行かれています。
その鍼灸院で、紹介してもらった漢方薬局で、月に一度程度、処方してもらっている、とのこと。


漢方外来のある大病院も近くにありますが、もう大病院通いは、ちょっと…。

その病院は、産婦人科でお世話になりましたが、教授が主治医だと待たされる時間が非常に長い。(予約時間の3時間後でした)

消化器内科で受診したときは、初診でしたので、予約の方の合間に運良く入れるチャンスを窺うパターン。

腹痛に苦しみながら、体を楽な姿勢にしようと、廊下に平行に両側に設置された長いす(ソファーより、長いすって感じです)に腰掛けて、足を伸ばすと、

廊下=通路を通る車いすの患者さんや、杖の患者さん、急いで人を抜かそうとしている医療関係者の邪魔になりそうな感じでした。

もちろん、横になる事も出来ず。(足を伸ばした姿勢で座っていると偉そうな感じになる…)

ただただ、名前が呼ばれるのを待つ。

で、初診がなぜか、消化器内科の教授先生で、腹痛持ちの私には、
問診内容が、何を意図しているものかわかるため(盲腸、ガス溜まり、下痢・便秘等の確認)

ベットで、膝を曲げてお腹に聴診器と触診で異常がないと判断されて、

過敏性大腸歴を述べると「はい、そうね」ですぐ終わり。

薬を出すから「ハイ、次の人」って感じです。

薬を飲んでも痛みが引かなければ…等のコメントも一切無し。


大体、不正出血と下腹部痛の症状で産婦人科へ行き、産婦人科から消化器内科に廻されて…体癌の症状だったのに…。


って長くなりました。


本題
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町の小さな漢方薬局。

初老のおじさん(失礼…)が、よーく私の話す症状を聞いて、気になる点を掘り下げて尋ねられます。

・12月には全身関節痛状態になったけれど、今は、主に夕方位から、腰が重いようなだるいような状態になること。

・3月にはひどいときがあって、通院するのに体を支えるのが辛くて、バス停の表示板にもたれて立っていたこともある。辛くて寝られなかったのは一晩だけ。

・「術後6ヶ月後からホルモン備蓄がなくなる」「腰痛もしようがない」と産婦人科医に言われていること。整形外科でレントゲンと骨粗鬆症の診断は受け、特に所見無しとの診断を受けたこと。

質問は…
・冷え性かどうか
・便通はどうか
・睡眠はどうか
・典型的な更年期障害のほてり(かーと熱くなり汗が出る)等はないか

こんな感じです。

漢方薬局って、個人的には、「ここは大丈夫?」「どれくらいの値段?」ていう
印象があって、紹介してもらったところでないと入れないです。

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・処方されたお薬
「芎帰調血飲(きゅうきちょうけついん)」と「芎帰調血飲第一加減(きゅうきちょうけついんだいいちかげん)」の混ざった粉薬状の漢方薬2種類です。

朝、晩の食間に服用します。

先ず2週間分いただきました。


「芎帰調血飲(きゅうきちょうけついん)」
【効能】
おもに女性で、産後の神経症、体力低下、月経不順、気の流れが悪くなりがちな人に用います。


ということでホルモンバランスの調整作用があるそうです。
特に私には、「地黄」っていう成分?が必要とのこと。

ネットで調べると、お薬名は更年期障害のところにも効くって書いてありました。

夕方に辛くなるのは、体力低下もあるとの診断のようです。

中医学でいう「腎」の機能(腎臓機能と同一ではありません)を
補うことも必要らしい…。

うんちくコーナー終わり。




おそるおそる食間に服用、1回終了。
胃の方からの、拒否反応はないようです。

お金は…2週間分で4千円~5千円の間です。

高いでしょうか?どうでしょう?


良い報告が出来るでしょうか?



※きゅう=芎の字、私のパソコンからは漢字に見えるのですが、携帯電話から見るとn(小文字のエヌ)に見えます。
くさかんむりに弓っていう漢字です。