あ~美味しかった!と言いたくなった。
というか実際に脳内ではそんな声が漏れた。
目の前には空の皿はなく、あるのは一冊の本だというのに。
なんの話かって、こんな本。
『ぷくぷく、お肉:おいしい文藝』のことである。
古くは明治生まれの文豪から、この平成の世で活躍する作家まで、肉料理について書かれた書き物を集めたアンソロジー。
エッセイが多いけれどそれだけには限らなくて、昔々にアニメで見たっきりのギャートルズが、こうしてマンガとして読めるのが嬉しい。
しかしこの競演ってのが豪華なもので、阿川弘之・阿川佐和子両氏の親子競演ってのも読めるし、昭和の名喜劇俳優・古川緑波氏と小粋なジャズミュージシャン・菊地成孔氏の異色の競演も読める。
って、それぞれここに集められるのを目的とした書き物ではないから、競演ってのはおおいに私の妄想なのであるが。
そう思うとよりゴージャスに感じられるし、何より楽しい。
同じ「肉料理について書く」という共通項はあっても、そして同じ料理について書いていても、何を表現するかは本当にひとそれぞれだ。
自分の好きな名店についてを誉めたたえるひと。
小さい頃はよく食べていたが、大人になってからはめっきり食べなくなってしまった料理の、思い出の味を辿るひと。
トンカツに添えてあったキャベツから、かえがえのない旧友について想起させられたひと。
秘伝のシチューのレシピを教えてくれるひと。
いずれも大切な物事をより深く思う装置として、肉料理がはたらいているように思う。
昭和の前半に生きてきたひと達の文章からは、その料理の創成期やまだ全国的に広まっていない時期に出会った味がうかがえて興味深い。
向田邦子氏の文章からは、その昔岐阜から一歩も拡がらなかった味噌カツが。
古川緑波氏の文章には「終戦すぐくらいの時期に、こんな珍しい牛鍋を食べた」として、「中央に穴のあいた鍋に味のついてない湯が煮立っており、それに肉を入れてちょっと煮て、甘いゴマだれのようなものを付けて食べる」といった記述が出てくる。
しゃぶしゃぶという用語がみんなの辞書にはなかった頃、こう接していたひとがいたのだなあ。
やはり、<食>についてよく書かれている作家の文章は、読んでいてお腹が空くものなのだなあ。
焼き肉屋で注文して食べる心象風景を書いた久住昌之、生姜焼きの広まり方から美味しさまで書いた東海林さだお両氏の文章は読むだけで唾が出てきて、夜中に読むには罪深いほど。
(そう、仕事帰りの夜遅くの電車で読んでいたのである…愚行だ)
そして極めつけは、池波正太郎氏による、豚カツ屋・とんきについての文章。
味のみならず、経営方針や給仕する女性たちへの礼賛に心躍り、さらには目黒という馴染みがない訳でもない土地なのに、そんな名店があるとは知らなかった自分への憤りまかせに、検索してみたところ…
地図を見たかっただけなのに、写真つきで取材された紹介記事をうっかり発見し、ノックアウト。
次の休みに早速赴いた結果が、冒頭の写真になります。
美味しそうでしょう。
これまた想像以上に美味しいんです。
それだけでなく、揚げ物を避けたい30代なかばの胃をもたれさせなかったのが、ひたすらすごい。
こうして最終的には胃袋まで充実した『ぷくぷく、お肉:おいしい文藝』。
タイトルの「ぶくぶく」は、福々ってことなのかもしれない。
というか実際に脳内ではそんな声が漏れた。
目の前には空の皿はなく、あるのは一冊の本だというのに。
なんの話かって、こんな本。
『ぷくぷく、お肉:おいしい文藝』のことである。
古くは明治生まれの文豪から、この平成の世で活躍する作家まで、肉料理について書かれた書き物を集めたアンソロジー。
エッセイが多いけれどそれだけには限らなくて、昔々にアニメで見たっきりのギャートルズが、こうしてマンガとして読めるのが嬉しい。
しかしこの競演ってのが豪華なもので、阿川弘之・阿川佐和子両氏の親子競演ってのも読めるし、昭和の名喜劇俳優・古川緑波氏と小粋なジャズミュージシャン・菊地成孔氏の異色の競演も読める。
って、それぞれここに集められるのを目的とした書き物ではないから、競演ってのはおおいに私の妄想なのであるが。
そう思うとよりゴージャスに感じられるし、何より楽しい。
同じ「肉料理について書く」という共通項はあっても、そして同じ料理について書いていても、何を表現するかは本当にひとそれぞれだ。
自分の好きな名店についてを誉めたたえるひと。
小さい頃はよく食べていたが、大人になってからはめっきり食べなくなってしまった料理の、思い出の味を辿るひと。
トンカツに添えてあったキャベツから、かえがえのない旧友について想起させられたひと。
秘伝のシチューのレシピを教えてくれるひと。
いずれも大切な物事をより深く思う装置として、肉料理がはたらいているように思う。
昭和の前半に生きてきたひと達の文章からは、その料理の創成期やまだ全国的に広まっていない時期に出会った味がうかがえて興味深い。
向田邦子氏の文章からは、その昔岐阜から一歩も拡がらなかった味噌カツが。
古川緑波氏の文章には「終戦すぐくらいの時期に、こんな珍しい牛鍋を食べた」として、「中央に穴のあいた鍋に味のついてない湯が煮立っており、それに肉を入れてちょっと煮て、甘いゴマだれのようなものを付けて食べる」といった記述が出てくる。
しゃぶしゃぶという用語がみんなの辞書にはなかった頃、こう接していたひとがいたのだなあ。
やはり、<食>についてよく書かれている作家の文章は、読んでいてお腹が空くものなのだなあ。
焼き肉屋で注文して食べる心象風景を書いた久住昌之、生姜焼きの広まり方から美味しさまで書いた東海林さだお両氏の文章は読むだけで唾が出てきて、夜中に読むには罪深いほど。
(そう、仕事帰りの夜遅くの電車で読んでいたのである…愚行だ)
そして極めつけは、池波正太郎氏による、豚カツ屋・とんきについての文章。
味のみならず、経営方針や給仕する女性たちへの礼賛に心躍り、さらには目黒という馴染みがない訳でもない土地なのに、そんな名店があるとは知らなかった自分への憤りまかせに、検索してみたところ…
地図を見たかっただけなのに、写真つきで取材された紹介記事をうっかり発見し、ノックアウト。
次の休みに早速赴いた結果が、冒頭の写真になります。
美味しそうでしょう。
これまた想像以上に美味しいんです。
それだけでなく、揚げ物を避けたい30代なかばの胃をもたれさせなかったのが、ひたすらすごい。
こうして最終的には胃袋まで充実した『ぷくぷく、お肉:おいしい文藝』。
タイトルの「ぶくぶく」は、福々ってことなのかもしれない。
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