前回語った歌劇<タイス>からの連想で、今回のトピックは同じマスネの歌劇<ナヴァラの娘>(1894年)。参照演奏は、ヘンリー・ルイス指揮ロンドン交響楽団、他による1975年のRCA録音である。
―歌劇<ナヴァラの娘>のあらすじ
〔 第1幕 〕
1870年代のはじめ、内戦下のスペイン。政府軍を指揮するガリード将軍(Bar)が、不利な戦況を嘆いている。やがて、軍隊が激しい戦闘から帰還。アニータ(SまたはMs)は、その行進の中から恋人アラクィル(T)の姿をやっとの思いで見つけ出す。2年前の出会いから永遠の愛を誓い合っている二人だが、アラクィルの父親(B)はナヴァラ出身という“よそ者”のアニータが気に入らず、「わしの息子と結婚したいなら、2000ドゥロスの持参金を用意しろ」と過酷な要求を突きつける。そのような金を、孤児のアニータに用意出来るはずもない。
(※全曲の演奏時間が約48分というこの短いオペラは、当時イタリアでもてはやされていたヴェリズモ・オペラの流儀を使って書かれたものだ。そのことは、冒頭の前奏曲からすぐに分かる。いかにも一大悲劇の開始を告げるような、重厚にして悲壮感漂う音楽が流れるのだ。聴きながら、「おおっ、いきなり最初から来るか」と思わずニンマリ。)
(※第1幕前半部で音楽的に面白いのは、出会った時のことを回想するアニータとアラクィルの二重唱で、その背後に流れるオーケストラ伴奏。これはスペイン情緒が巧みに醸し出された、実に味わいのある音楽になっている。マスネ先生は、こういうのが本当に上手である。この二重唱の後、アラクィルの父親が加わってのやり取りとなるのだが、その三重唱では再びイタリア・ヴェリズモ風の“どべぐしょーっ!”サウンドが炸裂する。w )
親友の戦死を知って打ちひしがれたガリード将軍は、「敵軍の指導者ツッカラーガを倒した者には、金と名誉をいくらでも与えよう」と口にする。何とかして結婚の持参金を作りたいアニータは、その役目を引き受けようと名乗り出る。そして、この契約を秘密にすることを、将軍に約束させる。アニータが出発した後、彼女を探すアラクィルは同僚のラモン(T)から思いがけない話を聞かされて、驚く。「アニータは、ツッカラーガに会いに行ったそうだ」。不安と疑いの念に苛(さいな)まれるアラクィル。「彼女は、敵のスパイだったのか?それとも、まさか・・」。
(※上記のような展開の後、兵士たちが酒を飲みながら陽気に騒ぐ場面となる。これは、一種のディヴェルティスマン・シーンと言ってよいものだろう。男声合唱を中心にした景気の良い音楽が、オペラの舞台に華を添える。弦のピチカートが刻むリズム、そして手拍子を間に挟んだ意気の良いコーラスが、いかにもスペインらしい雰囲気を作り出し、聴く者を楽しませる。ちなみに、今回参照しているルイス盤では、この場面だけで活躍する下士官ブスタメンテの役を、ガブリエル・バキエが演じている。なかなか贅沢なキャスティングだ。)
〔 第2幕 〕
女と思って気を許したツッカラーガを、見事に刺し殺したアニータ。帰還してその報告をする彼女にガリードは賞金を与え、「約束どおり、このことは俺が死ぬまで秘密にしておいてやるよ」と、アニータに改めて誓う。「これで、私にも幸せが・・」と喜ぶアニータだったが、そこへ瀕死の重傷を負ったアラクィルが運び込まれてくる。彼はアニータがツッカラーガの情婦になったものと思い込み、彼女を連れ戻そうと敵地に乗り込んでいたのだった。そこで撃たれたのである。
アニータが大金を持っているのを見るや、アラクィルはますます疑念を深め、彼女をののしる。「お前は、ツッカラーガに身を売ったんだな」。そうじゃないわ、と必死に否定するアニータだが、アラクィルの疑念は晴れない。やがて、遠くから弔いの鐘が聞こえてくる。ラモンがやってきて、「ツッカラーガが、暗殺されたぞ」と皆に伝える。その時、アラクィルはアニータの手が血で赤く染まっていることに気づき、事の真相を悟る。「そうか、その金は・・・。なんと恐ろしいことを」とうめきながら、アラクィルは息絶える。アニータは愛する人の亡骸にすがり、「アラクィル、お金は用意したわ。教会へ急ぎましょう。幸せはすぐそこよ」と言って、すすり泣く。しかし、その様子を見ていたガリード将軍は、彼女の精神状態がもはや普通ではなくなっていることに気付く。不幸なナヴァラ娘がやがてゲラゲラと狂い笑いを始めるところで、全曲の終了。
(※前回語った<タイス>から、今回の<ナヴァラの娘>が連想された理由は、まさにこのラスト・シーンにある。タイスは第2幕第1場のエンディングで、まるで狂ったように笑い出した。一方、ナヴァラの娘は、ドラマの最後に本当に狂って笑い出すのである。)
(※今回参照しているルイス盤では、主人公のアニータをメゾ・ソプラノのマリリン・ホーンが歌っている。彼女は肉太でアクの強い声の持ち主だが、逆にそうであるからこそ、この不幸な娘の役にはドンピシャの歌手であると言ってよいように思う。オペラの全編にわたって役になりきった熱演が聴かれるが、特にラスト・シーンでの笑い声、これはもう真に迫って怖いほどである。恋人アラクィルの役は、若き日のプラシド・ドミンゴ。ここでも見事な出来栄えを見せる。この人のフランス物は、その声質から暑苦しい印象を与えることが少なくないのだが、ヴェリズモ・タッチで書かれたこのようなオペラには非常によく似合う。ガリード将軍は、シェリル・ミルンズ。いつものことながら、まあまあの出来。)
(※指揮者のヘンリー・ルイスも、非常に良い仕事をしていると思う。ロンドン響という、日頃オペラとはあまり縁のないイギリスのコンサート・オーケストラから、こってりした濃厚なヴェリズモ・サウンドを引き出すことに成功している。先頃ちょっと本で調べてみて分かったのだが、この人はアメリカの黒人指揮者だそうだ。元々はロサンゼルス・フィルのコントラバス奏者としてキャリアをスタートし、1955年に兵役に就く。そこでシュトゥットガルトの第七陸軍楽団の音楽監督を務め、名指揮者ベイヌムに認められて、教えを受けた。除隊後ロサンゼルスに復帰し、急病となったマルケヴィッチの代役で指揮をして成功を収める。そこからボストン響、ニューヨーク・フィル、さらにはメトロポリタン歌劇場などへと活躍の場を広げていったらしい。ただ、録音には恵まれず、LP時代から一般に流布していたのは、今回採りあげた<ナヴァラの娘>全曲ぐらいしかなかったようである。デッカにR・シュトラウスの<ツァラトゥストラ>などの録音もしていたそうなのだが、すぐにカタログから消えたようだ。ちなみに、この<ナヴァラの娘>で主演しているマリリン・ホーンは、彼の奥様であるとのこと。)
―という訳で、次回もマスネのオペラ。前回語ったマゼール盤<タイス>に出ていたビヴァリー・シルズとニコライ・ゲッダの共演による別の全曲CDを中心材料にして、マスネの代表作の一つを採りあげてみることにしたい。
―歌劇<ナヴァラの娘>のあらすじ
〔 第1幕 〕
1870年代のはじめ、内戦下のスペイン。政府軍を指揮するガリード将軍(Bar)が、不利な戦況を嘆いている。やがて、軍隊が激しい戦闘から帰還。アニータ(SまたはMs)は、その行進の中から恋人アラクィル(T)の姿をやっとの思いで見つけ出す。2年前の出会いから永遠の愛を誓い合っている二人だが、アラクィルの父親(B)はナヴァラ出身という“よそ者”のアニータが気に入らず、「わしの息子と結婚したいなら、2000ドゥロスの持参金を用意しろ」と過酷な要求を突きつける。そのような金を、孤児のアニータに用意出来るはずもない。
(※全曲の演奏時間が約48分というこの短いオペラは、当時イタリアでもてはやされていたヴェリズモ・オペラの流儀を使って書かれたものだ。そのことは、冒頭の前奏曲からすぐに分かる。いかにも一大悲劇の開始を告げるような、重厚にして悲壮感漂う音楽が流れるのだ。聴きながら、「おおっ、いきなり最初から来るか」と思わずニンマリ。)
(※第1幕前半部で音楽的に面白いのは、出会った時のことを回想するアニータとアラクィルの二重唱で、その背後に流れるオーケストラ伴奏。これはスペイン情緒が巧みに醸し出された、実に味わいのある音楽になっている。マスネ先生は、こういうのが本当に上手である。この二重唱の後、アラクィルの父親が加わってのやり取りとなるのだが、その三重唱では再びイタリア・ヴェリズモ風の“どべぐしょーっ!”サウンドが炸裂する。w )
親友の戦死を知って打ちひしがれたガリード将軍は、「敵軍の指導者ツッカラーガを倒した者には、金と名誉をいくらでも与えよう」と口にする。何とかして結婚の持参金を作りたいアニータは、その役目を引き受けようと名乗り出る。そして、この契約を秘密にすることを、将軍に約束させる。アニータが出発した後、彼女を探すアラクィルは同僚のラモン(T)から思いがけない話を聞かされて、驚く。「アニータは、ツッカラーガに会いに行ったそうだ」。不安と疑いの念に苛(さいな)まれるアラクィル。「彼女は、敵のスパイだったのか?それとも、まさか・・」。
(※上記のような展開の後、兵士たちが酒を飲みながら陽気に騒ぐ場面となる。これは、一種のディヴェルティスマン・シーンと言ってよいものだろう。男声合唱を中心にした景気の良い音楽が、オペラの舞台に華を添える。弦のピチカートが刻むリズム、そして手拍子を間に挟んだ意気の良いコーラスが、いかにもスペインらしい雰囲気を作り出し、聴く者を楽しませる。ちなみに、今回参照しているルイス盤では、この場面だけで活躍する下士官ブスタメンテの役を、ガブリエル・バキエが演じている。なかなか贅沢なキャスティングだ。)
〔 第2幕 〕
女と思って気を許したツッカラーガを、見事に刺し殺したアニータ。帰還してその報告をする彼女にガリードは賞金を与え、「約束どおり、このことは俺が死ぬまで秘密にしておいてやるよ」と、アニータに改めて誓う。「これで、私にも幸せが・・」と喜ぶアニータだったが、そこへ瀕死の重傷を負ったアラクィルが運び込まれてくる。彼はアニータがツッカラーガの情婦になったものと思い込み、彼女を連れ戻そうと敵地に乗り込んでいたのだった。そこで撃たれたのである。
アニータが大金を持っているのを見るや、アラクィルはますます疑念を深め、彼女をののしる。「お前は、ツッカラーガに身を売ったんだな」。そうじゃないわ、と必死に否定するアニータだが、アラクィルの疑念は晴れない。やがて、遠くから弔いの鐘が聞こえてくる。ラモンがやってきて、「ツッカラーガが、暗殺されたぞ」と皆に伝える。その時、アラクィルはアニータの手が血で赤く染まっていることに気づき、事の真相を悟る。「そうか、その金は・・・。なんと恐ろしいことを」とうめきながら、アラクィルは息絶える。アニータは愛する人の亡骸にすがり、「アラクィル、お金は用意したわ。教会へ急ぎましょう。幸せはすぐそこよ」と言って、すすり泣く。しかし、その様子を見ていたガリード将軍は、彼女の精神状態がもはや普通ではなくなっていることに気付く。不幸なナヴァラ娘がやがてゲラゲラと狂い笑いを始めるところで、全曲の終了。
(※前回語った<タイス>から、今回の<ナヴァラの娘>が連想された理由は、まさにこのラスト・シーンにある。タイスは第2幕第1場のエンディングで、まるで狂ったように笑い出した。一方、ナヴァラの娘は、ドラマの最後に本当に狂って笑い出すのである。)
(※今回参照しているルイス盤では、主人公のアニータをメゾ・ソプラノのマリリン・ホーンが歌っている。彼女は肉太でアクの強い声の持ち主だが、逆にそうであるからこそ、この不幸な娘の役にはドンピシャの歌手であると言ってよいように思う。オペラの全編にわたって役になりきった熱演が聴かれるが、特にラスト・シーンでの笑い声、これはもう真に迫って怖いほどである。恋人アラクィルの役は、若き日のプラシド・ドミンゴ。ここでも見事な出来栄えを見せる。この人のフランス物は、その声質から暑苦しい印象を与えることが少なくないのだが、ヴェリズモ・タッチで書かれたこのようなオペラには非常によく似合う。ガリード将軍は、シェリル・ミルンズ。いつものことながら、まあまあの出来。)
(※指揮者のヘンリー・ルイスも、非常に良い仕事をしていると思う。ロンドン響という、日頃オペラとはあまり縁のないイギリスのコンサート・オーケストラから、こってりした濃厚なヴェリズモ・サウンドを引き出すことに成功している。先頃ちょっと本で調べてみて分かったのだが、この人はアメリカの黒人指揮者だそうだ。元々はロサンゼルス・フィルのコントラバス奏者としてキャリアをスタートし、1955年に兵役に就く。そこでシュトゥットガルトの第七陸軍楽団の音楽監督を務め、名指揮者ベイヌムに認められて、教えを受けた。除隊後ロサンゼルスに復帰し、急病となったマルケヴィッチの代役で指揮をして成功を収める。そこからボストン響、ニューヨーク・フィル、さらにはメトロポリタン歌劇場などへと活躍の場を広げていったらしい。ただ、録音には恵まれず、LP時代から一般に流布していたのは、今回採りあげた<ナヴァラの娘>全曲ぐらいしかなかったようである。デッカにR・シュトラウスの<ツァラトゥストラ>などの録音もしていたそうなのだが、すぐにカタログから消えたようだ。ちなみに、この<ナヴァラの娘>で主演しているマリリン・ホーンは、彼の奥様であるとのこと。)
―という訳で、次回もマスネのオペラ。前回語ったマゼール盤<タイス>に出ていたビヴァリー・シルズとニコライ・ゲッダの共演による別の全曲CDを中心材料にして、マスネの代表作の一つを採りあげてみることにしたい。