録画人間の末路 -

人は記録をしながらじゃないと生きていけない

大人の価値観では子どもは救われない

2012-07-10 21:50:39 | Weblog
最近、またいじめによる自殺(教育委員会は因果関係は判断出来ないと説明)が大きく取り上げられています。この手の話が出てくると、本当につらい・・・。前にも書きましたが、わたしは小中学校の9年間、少なくともそのうち8年間、暴力によるいじめを受け続けた人間です。もちろん大分前の話なので現代のいじめとは異なる部分もあるでしょうが、少なくとも、いじめというものを頭の中でしか考えることが出来ない人より、いじめられる側に近い考えが出来ると思っています。わたしの子どもの頃の思い出の半分はいじめを受けたことで埋まっていますので、思い出したくもありませんが、かと言って封印したくもありません。あの痛さと苦しさに耐え続けなければならなかった日々が無駄になるからです。ウチのブログのテーマとは違いますが、当時の状況から意見を述べさせて頂きます。ひょっとしたら気分が悪くなる方もいるかも知れませんので、その場合はそれ以上読まないでください。

いじめのキッカケは、今だからこそ書きますが、わたしの名前が変わっていたことでした。ですからたまに言われる「DQNネームはいじめの原因になる」という説にも言いたいことはあるのですが、後にしていじめのことを書きましょう。
忘れもしない小学一年生の時。当然誰も漢字なんてほとんど読み書き出来ませんから、名前は名札や机にひらがなで書かれます。わたしの名前はお坊さんが考えたもので、少し仏教っぽい読み方をします。漢字で書けば普通なのですが、ひらがなで書くと、少なくとも六歳児には異質な名前に見えるものでした。「ヘンな名前」そう目を付けられたときに、その後の人生は決まりました。しばらくして、ただ名前をヘンと言うだけでなく、汚らしい意味での言い換えが行われるようになりました。仮にも自分の名前です。汚い言い換えをされたら子どもだって不快です。そのうちにわたしは腹を立てて怒るようになり・・・いじめが始まりました。
主な内容は、集団で暴行を加えられるというものです。少なくとも3人がかり、多ければ15人程度。もっと多かったかも知れません。その具体的なやり方は前に書きましたから省略します。日々死にに学校に通っているような危険を感じるものでした。
もちろん暴力的いじめだけでは済みません。いやがらせのいじめも多く受けました。ノートや提出したプリントを勝手に黒板に貼られたり、落書きされたりはしょっちゅう。問い詰めようとするといじめ側は実にいやらしい表情と首の動きをしながら「証拠は~?」の大合唱、これは前にも書きましたか。時々破壊衝動もおぼえましたが、残酷にはなりきれませんでした。一度、交通事故で二週間ほど入院し、やっと学校に出てこられたことがありましたが、靴はゴミ箱に捨てられ(ただし、用務員さんが回収していたので難を逃れましたが)、置いてあった教材は壊され、落書きだらけになった机の上にはご丁寧にも花が飾ってありました。

教師がこういった行為を知らないわけではありませんでした。が、なんとかしようと機会を設けたのはせいぜい小学校3年生くらいまで。それ以降は担任教師もいじめ問題に踏み込むことはなくなっていきました。小学校を卒業するとき、わたしは別の中学に進学したいと相談しましたが、受け入れてもらえませんでした。そしてわたしの恐れていた通り、他校の児童分増えた生徒、それに先輩後輩の上下のつながりにより、集団暴行に参加する生徒は学年をまたぐようになり、数は増えていじめはエスカレートしていきました。

「学校における活動を一所懸命やったりして友達を作ればそこまでいじめは拡大しないはず」そう思う人もいるかも知れません。が、そんな簡単にいじめがなくなれば苦労はしません。わたしは、いじめ対策というだけではありませんでしたが、今思うとよくもまぁそこまでと思うほど当時いろいろやっています。得意の野外活動の知識と技術が生かせる行事では珍しくリーダーを勤め、他班のフォローまでやってました。百人一首のかるた取りなら校内で無敵でした。いじめに決して参加しない、休日には一緒に遊ぶ程度には仲の良い友達も少なくはなかったと思います。彼らとは未だに親交がありますから。
それでも、いじめは別だったんです。何をやってもいじめ側に言わせれば「生意気」「粋がっている」行動に過ぎなかったのです。「粋がるのも、いーかげんにせーよー」と歌うように棒をたたきつけてくる様は忘れられません。学校でのわたしへのいじめは、一部の生徒にとって普段の活動の一つにまでなっていっていたのです。

中学校時代の教師たちは、わたしへのいじめがあることを知りながら積極的に黙認していました。相談をしても、返ってくる答えは異口同音に「大変だろうが、あと二年(一年)で卒業できるんだから、それまでは頑張って学校に来い」。まとめればこう言っているだけです。学校外の大人も大して変わらず、ただ話を聞いて似たような返事を返し、それで終わり。何もしてくれません。ただ、中一の時の担任だけは別の答えでしたが、それは「いじめられるお前が悪い」という、生涯忘れない最悪の返答でした。
わたしの訴えがどれだけ軽く扱われ、無視されたのかは後日分かりました。暴行で床に投げつけられたとき、頭を強く打ったことがあります。そのショックで目の前がチカチカしてよく見えなくなり、さらには貧血を起こしたように気持ちが悪くなって立てなくなってしまいました。そんな状態で床で横になったままのわたしを、次の授業の担当教師は引っ張り上げて起こし、座席に座らせました。とても頭を垂直の状態に保つことなどできず、そのまま机に伏して気を失ったような覚えがあります。幸い目が覚めた後は目も治っていて、気持ち悪さも収まっていました。自分でも大丈夫だと思って医者にも行かずにすませてしまいましたが、後で考えたら危険な状態でもおかしくなかったのです。いじめの事実を知りながら立てなくなっているわたしを大して気にも留めなかった教師。おそらく「また殴られて泣いてるんだろう」程度にしか思っていなかったのでしょう。


自殺した生徒は、泣きながら担任に訴えたという情報もあります。おそらく最後には担任が自分の味方どころかいじめ側に荷担する敵であったことに絶望したのでしょう。最大の責任は担任にあります。わたしとの違いは、大人に救いを求めていた彼と、早い段階に絶望して何も期待しなかったわたし、が一番大きかったように思えます。
子どもの価値観は大人とは違うのです。大人の価値観では子どもを救うことは出来ません。もっとも違うのは「時間の観念」です。中学は三年間。大人から見ればたかが三年、担任期間にいたってはたったの一年間ですから、大人から見ればほんのわずかな期間。そのためにいじめ対策などしても意味がないと思ってしまうことは有り得ます。いじめられる子さえ卒業まで我慢してくれれば、一番楽で問題がない。慣れてきた教師はそんな思考に陥ってしまうでしょう。すくなくともわたしの中学時代に説教してきた教師たちの考えはその類でした。
一方、教育委員会の方は、以前は少し期待していたのですが、結局やっていることといえば現場の教師や校長を呼び出して文句を付けるだけ。期待するだけ無駄でしょう。
いじめられる側として言わせていただけるのなら、一番いいのはいじめる人間が同じ学校からいなくなることでした。次善の状態は自分が他の学校へ逃げることです。それが出来るようにするべきでしょう。ただ、大人には、教師ではその権限が与えられたとしても実行できる勇気はないでしょう、目立つことをして後で責任を取らされるくらいなら、隠してしまおうとするからです。いじめの隠蔽が多発し、ますます悪くなります。出来るとしたら同じ子どもです。クラス担任となった教師は、万が一の時は責任を取る側となったうえでクラスに一人、学級委員長などにいじめる人間を追放できる権利を与えるのです。その行使した権利は内申書で評価の対象となるようにします。見過ごせないほどのいじめを行った人間は、その悪行ゆえに学校を追放されるのです。もちろんそれによっていじめた人間はレッテルを貼られ、一生を左右されるかも知れません。が、いじめを放置すればいじめられる側が一生を左右されるのです。どちらかが後の人生を苦労しなければならないとしたら、それは加害者がなるべきでしょう。いじめの世界は「いじめをなくそう」「みんなで仲良く」なんていう甘い世界ではありません。子どもにとってはあまりに長い時間を、どこよりもつらい、命の危険や将来を棒に振る可能性もある地獄で過ごさせかねないものなのです。


あ、最初の名前の話に戻しましょう。わたしの名前は、漢字を見てから読む「大人の視点」からすればそれほど不自然ではありません。が、漢字が当てられずにひらがなだけで読む小学校一・二年の視点からは異質なものです。その経験からすると、名前がいじめにつながるかどうかは漢字ではなく、ひらがなで読んだときに名前っぽく聞こえるかどうかで決まるように思えます。まして人生経験の少ない子どもの場合、むしろアニメや子ども番組からとってきたような名前の方が可愛くて自然に感じられてしまうのではないでしょうか。ですから、大人の視点でおかしく見えるDQNネームは必ずしもいじめにつながるとは思いませんし、薦めはしませんがいじめられる可能性を理由に否定したりもしません。
それに逃げ道はあります。大人の視点で見て変な名前というのは、漢字を見たときにイメージした読み方とは違う場合に起こりやすいものです。ならば、ある程度分別の付く年齢になったて名前が少し恥ずかしくなったら、名前として自然なように読み方を変えればいいのです。日本の名前というのは文字そのものだけが「名前」として重要視され、読み方は二の次として扱われます。字を変えてしまうのは面倒な手続きが必要なうえ、申請が通らないことも多いようですが、読み仮名は簡単に登録を変更できるそうです。なんなら、登録も変えずに勝手に別の読み方で名乗るのも手です。昔の人は結構そこら辺いい加減に使っていたようなので。有名な例としては、戦前の軍人にして内閣総理大臣、山本権兵衛(本来は"ゴンベエ"を"ゴンノヒョウエ"と読ませていた)がいます。事前に話を通しておけば、学校の中くらいなら通名で通せると思います。小学校一年の時のわたしに聞かせてやりたいものです。
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17 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-07-10 23:12:10
重たいテーマですが、今回のような事件は昔なら地域の中でほぼ黙殺されていたでしょうね。
自治体やご近所さんを訴えるなら、村八分を覚悟しないといけなかった時代もありますし。
いじめる側のリスクが増大したのは間違いないので、改善しつつあるとは思います。それでもこういう事件はなくならないのでしょうけど。

マスコミもどうせ世論誘導やるのなら「いじめは絶対ダメ」という空気を作ってほしいなあ。
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Unknown (なんだかなぁ)
2012-07-10 23:19:34
小学校時代にいじめられた経験、私もあります。
私の場合は、幸い6年生頃には終息し始めた、中学に移るといじめをしていた連中が、そろいもそろって他の学校に行ってくれたので、それ以降はいじめとは無縁に生きてこられましたが。
私の場合、小学校の担任が、いじめ問題に非常に積極的に取り組み、悩みを聞いて下さる方だったため、いまでも感謝しています。
とはいえ、決して小学校時代の記憶が私にとっていい記憶だとは言い難いですが。
小学校って6年も必要なんですかね?
同じ空間、同じ生徒と6年も一緒なんて、私には苦痛でしかありませんでした。
早く小学校を卒業したい、何度そう思ったことか。
先日の亡くなられた方へは、ご冥福申し上げます。
二度とこのようなことがおこらないことを祈ります。
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Unknown (kazu)
2012-07-10 23:22:59
教育委員会は公務員、しかも専門職として採用された人間ではなくあくまで職種。
教師も崇高な理念のある人のためだけの職業でもなく…、だから理性が押さえられないのぞきや痴漢の教師が絶えず居るといえます。
適任も居れば不適も居る現状ですね。

いじめに至るきっかけというのは私にはわからないのですが、弱さにおぼれやすい集団心理が一因のように思います。
これはたぶん子供や大人の別によらない根幹の部分。
特に組織のように毎日顔を合わせるからこその弱さ。

私はいじめの当事者になったことはないので、上記は傍観者としての考えです。
以前偶然の交通事故でレスキューしたことがありますが、周囲の20台くらいの停車車両から助けに来たのは私以外で二人だけ。
あとは傍観者。
我が身がそうであれば、と物事に臨場感を覚える人は少数です。
ですが、その少数が大多数の「みんな(傍観者)」を「個」の意識に戻してやり、(数のうえで)少数を多数にすることができれば力関係が変わるように思います。(希望的ですが)
その少数の誰かを学級委員長にして、各個人に任命(責務)し、結果、孤立を無くせられるシステムがあったら…。
krmmk3さんならどう思いますか?
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Unknown (krmmk3)
2012-07-11 00:33:51
>2012-07-10 23:12:10さん
そういう点で言えば、情報が簡単に広がる時代になったのはいいことなのかも知れませんね。
マスコミは加害者の人権のほうが大事、というスタイルですからねぇ。某富士テレビのアレはそういう体制に疑問を持つ現場の反旗だったりするのかも。

>なんだかなぁさん
担任の積極性って本当に重要ですよね。わたしのところは小学校も中学校も荒れていたので、教師が鈍感になっていたのがいじめを長期化させた一つの原因でしたから。
小学校の6年間、長すぎると思ってます。低学年はクラブもほとんど参加できないので空気が違いますから、低学年と高学年で別学校くらいでちょうどいいかと。

>kazuさん
本来教育は特別な職種であるべきなんですけどねぇ。国を挙げて全面的に入れ替える必要が、本当はありそうな気がします。
なぜいじめにいたるのか、もちろんわたしには答えはわかりませんが、一つの教室に数十人もいるのが一つの原因と考えています。ぐるーぷとしては少人数でまとまりたいのにそれができない、結局それ以外の人間が邪魔なので、そのうちの一人を獲物にすることで自分たちを教室という巨大グループの中で最大派閥でありたい、上の立場に立たせたいという名誉欲もあるか、と考えています。
そういう少数グループシステムって、クラス内における班ですよね。いっそクラスというものを分解してしまって、班単位で一年過ごす、というものの方がよいのかも知れません。少数グループの方が長期的ないじめは起きにくいように思うのです。
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Unknown (emanon)
2012-07-11 01:23:32
 日本の学校教育は一部例外が有っても何も変わっていないと言うことですね 救いが無いのは子供たちも良くわかっいることですし 

救いが無いのだから相手を手段は選ぶ必要も無く簡単確実に排除するか自分が遠ざかるかイチかゼロを選択することになるのですよ 
死ぬくらい親を想うのかどこにも居場所が無くなったのか死ぬくらい辛いなら両方を選んでも攻めはしないだろうに そこまで言っちゃまずいですね 

今はネットが有るのですからもし死にたいほど辛いいじめにあっている方がいればその証拠を動画保存し写真を残し出来るだけ感情論を減らし日記をつけあちらこちらと死んだつもりで拡散させるべきですそれしか表面化し正当な評価を受ける道がありませんから
難しいから棚上げ思考停止と親だろうが教師だろうが逃げる時は逃げるのですよ 

自分はいじめられているのだから救われるべきなんて欲を出したら負けますよ 
そして出来れば一人でも成功したらのを知ったら自分も立ち上がればやっと解決すると願います 

昔何故か排除する価値を見出せなかったんだよな家族に価値があると気がついたら自分にも同じだけ価値が有るのかもとなんとなくすごしていたらその内まとまりがついてくるけどさ

少なくとも学校関係者は考え方まで逃げ道無く強要し放置している管理者となり下がっているいるのだから出世街道からすべからく叩き落される明快な理由がある
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Unknown (krmmk3)
2012-07-11 10:58:29
>emanonさん
いじめによる自殺、という話はそれこそ何年に一回くらいのペースで必ず浮上しますし、教育現場も結局業界に過ぎず、「変えたくない」という意識が渦巻いているようですね。
写真などを載せるのはちょっと賛同できません。学校という閉鎖空間内では、いじめる側といじめられる側だけしか周囲にいない状態に簡単にできるわけですから、より悪質ないじめ・暴行が行われる可能性が高いです。わたしも小中学時代、いろいろやりましたが、結局いじめから解放されることはありませんでした。暴力に打ち勝っても、次は形を変えた陰湿ないじめが待っていましたから。ですから、「勝てば」「解決」になる条件が思いつきません。
教師と学校関係者はまた別でしょうね。いっそ校内問題の専門家を、各学校は別に用意したほうがいいのかも知れません。
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娘へのいじめの対処 (一人の親)
2012-07-11 18:52:00
私も、中学時代にいじめにあっていました。たった1年ではありましたが、深く傷ついた思い出です。親に知られることが恥ずかしく言えませんでした。授業中、先生にわかるように、私がさされた時嘲笑のような笑いが起こることが悲しくてたまりませんでした。でも、負けず嫌いだったせいもあり、自分ではむかって1年で終わらせました。
 ただ、そういうこともあって、自分の息子がクラブで1年いじめを受けていてなんとなくわかった時点でその親御さんが知り合いだったことからすぐ話をしにいき、息子の場合はそこで終わりました。3人で謝りに来た時に相当おどしました。 息子がいじめられたのは、頭がいいからという単純な理由でした。
 そして、娘が次に男の子たちにいじめられ始めた時は、どうでもいい理由からでした。変化に気づいた私は、娘から聞き出し学級の参観日に行き、休み時間に担任にいじめた子たちと話をさせてくれと言い、それもかなりおどしました。おどしたのは、私の友達に弁護士がいるから、訴えるぞといったことでしたが、果たしてそれらの方法がよかったかどうか今でも分かりません。でも、普段から、子供たちと会話をとぎらすことなく話ができる状態を作っておき、変化も見逃すことなく対処でき、今回の事件を考えると、やり方は間違っていたかもしれませんが、子供のいじめを最初の段階で食い止められたことはそれでよかったのかなと思っています。最後に子供を救えるのは結局親しかいないと思います。
 
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よく相手が死がなかったものだと・・・。 (fe_fit2747)
2012-07-11 20:40:14
管理人さんお疲れさまです。
私も名前がらみで低学年のころいじめられました。
まあ、3~4年ぐらいでやったらやり返すと言う思想が生まれてしまい、誰も見ていない所で嫌がらせしたり、バレタらバレタで学級委員会でつるし上げられたさい、「いじめられたので、やりかえしました。」と開き直りました。
自分として一番ひどかったのは、5~6年と中1のとき(中1は始めが肝心なので)で、いじられた瞬間、即グーパンチ(相手が弱そうなとき)・強そうな相手は後ろからジャンピングキックとか階段上から突き落としとか、「我に正義あり!!」みたいなノリでやってました。
今を思えば、相手がよく死がなかったものだと思います。(あと、なぜか素手で仕返し)
高校に上がってからは、小中の頃のバカども居なくなり(まあ、バカですから・・・。)いじめはまったく無くなりました。
それなりに頭のある奴は、将来の事考えるから”いじめ”なんてする気が起こらないんでしょ・・・。
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Unknown (Unknown)
2012-07-11 23:00:23
私も小中学校の頃はいじめられたものですが渡しの場合は先生に恵まれて無事に解決することが出来ました。
恥ずかしい話ながら自分も最初はイジメる側だったこともあり、今思えばバカなことをしていたなぁとたまに思い出すこともあります。
記憶をたどるとイジメる側だったときには確かに遊び半分でやっていて相手がどう思うか等は一切考えずリアクションを見て楽しんでいたと思います。
いじめられる側になってからは人の心の痛みというのが分かるようになったのか人に対してはなるべく相手を傷つけないような言動を選んで行動するようになっていきました。

自分の体験の中なんとなく理解したことはでジメる側というのは人の痛みというのが分からないんだと思います。親も色々といわくのある人権屋だそうで、いじめた側の少年も裁かれるべきですが、愚かな親を持ち二度と引き返せない間違った方向に進んでしまった可哀想な少年なんだとも思います。
今はビビって表を出歩けないみたいですが彼には自分の犯した罪の大きさに気づいて一生をかけて罪を償ってもらいたいですね。もちろんいつまでも罪悪感が芽生えないならそれは人ではありませんが。

そして死人が出るまで放置していた教育機関関係者は業務上過失致死罪で全員公平に裁かれるべきです。知らなかったでは済ませない。皆で力を合わせ追い詰めて表を出歩けなくしてやろうではありませんか
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Unknown (krmmk3)
2012-07-12 00:05:44
>一人の親さん
子どもにとって最大の味方はやっぱり親ですね。今はあまり出て行くと「モンスターペアレンツ」扱いされることもありますが、自分の子どもの危機にあらゆる手を尽くすのは当然と思います。たとえ世間から見て間違っている行為だったとしても。
わたしが今回のエントリーで親について何も語らなかったのは、わたしの両親が古風なタイプで、「子どもの喧嘩に親が出る」を恥と思う人間だったからです。

>fe_fit2747さん
当時のわたし、反撃したせいで相手にケガさせちゃったんですよ・・・。自分は同じことをやられても痛いだけなので、同様にやったら、骨にヒビが入りまして。それ以来相手のことを考えて全力で対抗できなくなってしまいました。うまくいかないものです。

>2012-07-11 23:00:23さん
いじめと言うのは一方的に相手をいたぶる行為ですから、相手の痛みが分かる人にはできないことですね。わたしも相手をケガさせてからは反撃もできなくなりましたし。
教育関係者が責任を負うべきとは思います。が、いじめられた生徒の結果で罪が変わるような、業務上過失致死罪のようなものはふさわしくないと思うんですよ。隠蔽の元ですから。
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