録画人間の末路 -

人は記録をしながらじゃないと生きていけない

このブログは

このブログは、PCでテレビ番組を快適に録画し、自由な形で好きなように活用するための実験結果報告をメインとしたものです。ですが、その自由を奪い、不自由を売りつけて無制限の利権を得ようとするものたちが、現在のテレビ界では勢力争いをしています。そういう連中とは断固戦い続けます。それが、ここのテーマです。
2011年7月24日まで続けることを目標にしていましたが、2011年いっぱいまで延期いたします。 ・・・の、予定でしたが、衛星放送の行く末が気になりますので、それまでは続けます。ああ、意志薄弱。



特殊なコンテンツ
・SpursEngine H.264エンコーダ 実験プログラムサポート&他ソフト紹介ページ
Lalfさんが作られている、SpursEngineで使えるエンコードソフトのリンク先の紹介などをしています。CUI版とAviUtlのプラグインの二種類があります。 また、それ以外に同じくLalfさんの作られたCodecSys Personal向け参照AVI、ravi2や、BOさんの開発されたLinux用HD PVRコントロールソフトのリンクもおいています。

※10/07/01 se_h264enc_auo ver 0.09、se_mpeg2enc_auo ver 0.05、Seche Technical Preview2 リリース

・スカパー!e2 各チャンネル解像度・ビットレート一覧表
独自の調査による、スカパー!e2とBSデジタル放送の解像度とビットレートの一覧表です。多少の間違いはご了承ください。

・意外とある、デジタル放送録画可能キャプチャーボード・ユニット
外部入力を用いて、デジタル放送のチューナーやレコーダーから出力される番組を、自由に扱える形式で録画可能なPC用のキャプチャーボードおよび外部ユニットの情報を集めたものです。

Colossus報告 Win10化でキャプチャーが安定

2016-08-28 23:38:20 | 意味なしレビュー
久々にいただいた情報から。

先日メッセージをいただきまして、それによりますとColossusというH.264エンコーダー搭載キャプチャーボードの挙動がそれまで使っていたWin7からWin10に変更したところ、改善したということですので、ほぼ全文をこちらに転載させていただきます。なお、メッセージでの投稿ですので、念のため、お名前(HNですが)は伏せた形としておきます。

(ここから)
今でも使っている人がいるかはわかりませんが情報だけ。
ずっと愛用しているColossusですが状況が変わった(改善した)ので報告します。

録画環境はFX-8350にColossus、WIN7ULTという状況をここ数年ずっと保持していて、7/29のキャンペーン終了前にWIN10に上げました(クリーンインスコではないです)。
さらにAniversaryアプデも行いました。

WIN7環境では以下の不具合がありました。
・左端2ライン分青筋が入る(右にラインシフトしている)
・10〜20回に1回くらいの割合で録画ファイルの時間情報がとんでもないことになる(再生はできるがタイムバーでとばしたりするとおかしくなるファイルとなる。VLCやMX動画プレイヤーでも同様)
・時たま一瞬録画停止したような感じでシーンがワープする(1秒くらい)
・録画終了してアプリを正常終了させようとするとアプリが落ちる。

WIN10直後
・時間情報がおかしくなる現象が出なくなった。
・一瞬の録画停止か無くなった(今のところ起きていない、普段だったら必ずとっくに出ていてもおかしくない現象が全くない)
・アプリ起動時、必ずD端子入力指定なので毎回HDMIをセレクトしていたのに前回終了状態を保持するようになった。

Aniversaryアプデ以後
・左端2ラインの青筋が消えた。これはアプデ前のキャプチャとそれ以後で無くなっていたので顕著。

上記改善はアプリ、ドライバ、HWの入換を何一つ行っていません。
OSだけで色々直るとは考えてみたこともありませんでした。
もしかしたらHD PVR2も青筋に関しては同じ現象だったので直るかもしれません。(持っているんですが、細かくパラメーター指定の出来るColossusの方が便利で、HD PVRは使える環境が無い)

世間的には録画保存はPT3等で無劣化、実況系では遅延の少ないAVer製品が中心でColossus、HD PVR系はマイナー運用だと思います。
ただPT3系はファイルサイズが大きい、AVerは基本的にVBRに対応していない(としか思えない画質とファイルサイズ)。
hauppauge製品はH.264でのHWエンコ且つVBRしており、ビットレート12M程度ならほぼ画質が荒れない上にシンプルな画だと圧縮がやたら効いて想像以上にファイルサイズが小さくなるときがあります。(アニメは圧縮が効きやすいらしく、TS30分ものが約4GBだとすると大体1〜2GBになります。2時間実写映画で6〜10GBくらい)
WIN10Aniversaryアプデで一番の問題であった左2ラインの青筋も完全に直ったとすれば、ある意味最終形でこれからも使い続けられると思いました。

サンプル情報が1しかないので信憑性は△くらいだと思いますが情報まで。
(ここまで)

どうもありがとうございました。
投稿者もおっしゃっているように、現状PCでのテレビ番組取り込みはPT3を経由したものが主流で、H.264/AVCエンコーダー付きキャプチャーボードはマイナーな部類にはいります。現状発売されているキャプチャーボード・ユニットともゲーム機のプレイ画面を取り込んでYoutube等にアップする用途が主流ですし、最近はゲーム機自体がプレイ画面を保存したりしてしまうため、こちらの用途も限られつつある印象です。今回状況が変化したのは、Win10へのアップグレードは多くのドライバを内蔵のものに上書きするため、それによって今までおかしかった部分が改善したのではないかと思われますが、いずれにしても理由ない限り、OSはなるべく新しいもののほうがよさそうですね。特にWin7はもはや古いOSでしかありませんし。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ピクセラ記事から見るアナログ時代の思い出

2016-08-22 22:25:09 | デジタル放送録画可能キャプチャーボード
高校野球全国大会が終わり、リオオリンピックもほぼ同時に終了し、一度にテレビからスポーツイベントが消えたとともに日本列島は台風に見舞われているわけですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。わたしは台風が過ぎ去った後のフェーン現象を恐れています。もう暦の上ではすでに立秋を過ぎていますので、この時期の暑さはすでに「残暑」と言わなきゃいけないのですが、今や残暑の方が暑中より暑いと言わざるを得ません。いい加減残暑なんて死語扱いでいいと思うのですよ。もはやこの言葉はあの一言のためだけに存在するといっても過言ではありません。

ああ、残暑が厳しいざんしょ


と、いろいろ疲れて壊れかけているわたしです。どうにも先のことを考えても明るい兆しが見えないので、たまには昔を振り返ってみましょ。先週こんな記事が載ってました。

PC向け「TVキャプチャ」は何処へ行く? ピクセラに聞くPC録画の歴史と未来

アナログ時代からPC向けキャプチャーボードを作り続けているピクセラさんの話が載ってます・・・って17日の記事ですね。取り上げるの今更かよ、と怒られそうですが最近どうにも遅筆になっちゃいまして、悪い方向に枯れてます、トホホ。
いや載っているのは懐かしい話ばかり。話は当然ピクセラの製品が中心なんですが、当時キャプチャーボードとして人気があったのはカノープス(現グラスバレー)ということもしっかり書いてます。今のように放送波を完全な形で取り込むことができなかった時代でしたから、各社各製品ごとに特長があり、新製品が出るのが楽しみでした。あの頃は良かったとは言いませんが、華やかではありました。と、言ってもわたしはピクセラの製品を使ったことは実はないのです。実際当時の製品群を見てもカノープス・アイオーデータ・NECあたりがキャプチャーボードの人気に関しては上位でピクセラはメルコ(現バッファロー)あたりと並ぶ中堅どころの印象がありましたし。ただ、わたしはむしろ人気上位のメーカーより中堅以下のメーカー製を好んで使っていましたけどね。このブログを始めた時に取り上げたのもプレクスターのPX-TV432P(うわ、懐かしすぎ)なんてマイナーなボードでしたし。ピクセラの製品を使わなかったのは、人気上位でないにも関わらず製品の作りが固く、特徴が見えなかったことがまずあります。それとわたしは当時ファン付のグラボを買った際にそのファンのせいで画面にノイズが発生し、画質が低下するという苦い経験をしたためにチップにファンが付けられるとそれだけで敬遠する傾向にありました。ピクセラのキャプチャーボードは記事に載っているPIX-MPTV/P1W、後継のPIX-MPTV/P2Wとチップにファンが付いていたため、ノイズの発生を嫌って避けていたんです。その後出たPIX-MPTV/P4Wは国内メーカー製の部品を集めて作ったピクセラのキャプチャーボードの一つの到達点と言っていい良品でしたが、これも見た目がELSAのEX-VISION700TVというソフトタイプのキャプチャーボードにそっくりだったので、独立した製品としての魅力に欠ける寄せ集めに見えちゃったんですね。結局最後までピクセラのキャプチャーボードを使うことはありませんでしたが、果たした役割は決して小さくないと思っています。WindowsXPにテレビソフトが統合されたMCE版が出たときも、真っ先に対応したのはピクセラでしたし、MSなど外部との連携連絡を密に行っていた行動的なメーカーという印象は持っています。
ただ、悪い面でもそうだったみたいですね。先の記事を読むと、DpaやJEITAと言った、事実上録画規制の談合団体にすり寄り、PC向け録画を規制ありき、にしてしまった張本人はピクセラだったようです。わたしは最初の無反応型PC用録画機、Friioを"違法チューナー"と勝手に位置づけたかの日経の記事に反発して、規制チューナーを"所謂合法チューナー"と皮肉を込めて呼んでいますが、その所謂合法チューナーを当然の存在にしたキッカケはピクセラでした。ただ、それによってPCでのテレビコントロール機能や市場は目に見えて衰えていき、一時は多くのPCに標準搭載されていたテレビ機能が一部の製品にしか搭載されないものになっています。こうした市場を縮小させた一番の悪はテレビ業界の談合ですが、ピクセラはその片棒を担いだ、と言われても仕方ないようです。むしろ解放にむけて努力してくれれば(したのかも知れませんが、いまだに口にも出せないのならしてないも同然)、ひょっとしたら各社がアナログ時代と同様とまではいかずとも、鎬を削るキャプチャーボードの新製品を次々と出す市場が残っていたかも知れません。そうだったら、デスクトップPCの衰えも今よりは緩やかだったでしょう。わたし、先日従兄の息子にPC用キーボードを「壊れたパソコン」と評されたことに愕然としました。小学生の彼にとってパソコンと言えばノートパソコンのことであり、キーボードが独立しているデスクトップPCの存在など知らない世界の存在だったようです。もっとPC録画が当たり前だったら、ひょっとしたらそうはならなかったかも・・・。いろんな意味でピクセラのやったことは罪だなぁと思ってしまいますよ、わたしは。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

シン・ゴジラ誕生の妄想

2016-08-14 23:59:58 | 特撮・モンスター映画
ここで書くことに証拠や根拠はありません。ですが、映画を見て考察するというのはそういうものだと思います。あくまでわたしの脳内で納得しただけの妄想です。

人によって、あるいは作品によって異なると思いますが、少なくともわたしにとって「シン・ゴジラ」はどうにかして解釈を付けないとどうも何かが詰まったような感覚を覚える作品でした。例えば作中における音楽の一部を過去の東宝特撮作品で使用した伊福部昭氏を流用してしようしていますが、その中で決戦シーンに「宇宙大戦争」に使われていることが初見ではもう一つ納得のいかないものでした。ゴジラの鎌倉進入時には「メカゴジラの逆襲」の曲を、それも曲調の変わる楽章以降を使わず、冒頭部分だけをわざわざリピートして使ったのはその部分だけが「ゴジラ」第一作に使われたテーマ曲のモチーフが使われているため、知らない人には第一作の曲に聞こえるためと、「メカゴジラの逆襲」が鎌倉と同じく神奈川県内の横須賀市を舞台としているためでしょう。しかも「メカゴジラの逆襲」は当時のサイズ50m前後にはやや大き過ぎるサイズで怪獣が合成されているシーンがあり、それが「シン・ゴジラ」の118.5mに近い印象を受けるというのもあったと思われます。それくらいマニアックなこだわりをもって選曲された作品なのに、あまりあっているとは思えない「宇宙大戦争」の曲を使ったのはなぜなんでしょうか? それをはじめとするいくつかの初見で発生した謎に迫るため、わたしは東京にいたときにもう一度「シン・ゴジラ」を見てきました。クライマックス、確かに必ずしも合っていないのですがそれでも何かこみあげてくるものが・・・。ああ、思い出しました。確かに「宇宙大戦争」の曲でゴジラシリーズに使われた曲ではありませんが、一度だけゴジラに合わせて使われたことがありました。それは「キングコング対ゴジラ」の予告編でです。その予告編において「宇宙大戦争」の曲は「ゴジラ勝つか? コング勝つか? 世紀の大決闘!」というキャッチの字幕が三カットの細かくスピーディーな組み合わせの部分で使われ、ファンの心を熱くさせる一翼を担っています。なるほど、あそこの選曲者は「キングコング対ゴジラ」の予告編に燃えた人だったのか、ゴジラと日本の"世紀の大決闘"に合わせるにはこれ以外なかったのかも知れません。もちろんわたしの頭の中だけの勝手な納得ですが、物が詰まっていて棒が通らない筒に何度も棒を突き刺し続け、うまくヒットして詰まっていたものが一気に零れ落ちたような感触を覚えました。やはり映画を理解するには良い音質の劇場で鑑賞するのが正しいのだと改めて思った次第です。

しかし、わたしにとっての「シン・ゴジラ」最大の謎はそこではありません。序盤登場する従来のゴジラ像とは似ても似つかない、第3段階までのゴジラのことです。「シン・ゴジラ」は公開まで内容のほとんどが秘密とされ、それ以前に発売された関連図書も中盤以降のゴジラの姿やスタッフインタビューが内容の大半を占め、序盤ゴジラに関しては一言も触れられていませんでした。不完全な姿の幼体ゴジラ(所謂ゴジラらしいゴジラは第四段階だそうですが、第一と第二段階の区別が劇中イマイチよくわからないので第三段階まで含めてこう呼称します)がその中でも最大の秘密、トップシークレット扱いだったのは間違いないでしょう。しかし、なぜあの姿のゴジラを描いたのでしょうか。今までもゴジラとあまりに違うイメージの、クリーチャーにも似たデザイン。特に第一段階は従来の日本怪獣が持っていた怖さ醜さの中にもどこか美しさがある、そういうデザインに全くなっていません。別にああいうゴジラを出す必要はなかったはずですし、むしろゴジラの神秘性を大幅に損なう結果にすらなっているはずです。今のところ「シン・ゴジラ」の評判は少々気味が悪いほど好評しか聞こえてきませんが、あの幼体(妖怪?)ゴジラを評価する声はあまり聞こえません。見なかったことにでもしているのでしょうか。だからこそあそこに最大の謎がある、そう思えてならなかったのです。
映画初見直後に考えていた理由は
・怪獣だけでなくクリーチャー的存在を出すことで海外で受け入れられやすくする
・放射能の影響での奇形をより強調したかった
・どことなく1998年トライスター版GODZILLAに似ている点から、実は庵野監督はトラゴジが好きなので出したかった
などを考えましたが、わたしの疑問の筒は詰まったままで棒は突き刺さるのが精一杯で向こうまで突き抜けてくれません。一番しっくりくるのは第一段階ではあきらかにゴジラには前腕がないことから2番目の"奇形"強調説なんですが、最終的には生えてくるわけですからやっぱり違う気がします。大体前腕や前足がなくて後足だけある動物なんて、せいぜいカエルの子のオタマジャクシの成長過程の途中くらいなものでしょう。劇中でゴジラは「進化の過程を個体だけで実現する完全生物」なんて言ってますが、まるで進化するがごとく大きく姿を変える動物という点ではカエルだって同じです。でもカエルは完全生物どころか動物の中では原始的な方でしょう。他に進化過程を得るがごとく成長する生物と言えば、完全変態の昆虫でしょうか。昆虫はある意味完全生物だなぁ、両生類や哺乳類のような脊椎動物とはまるで違う身体的特徴を持っていることですし、節足動物の究極と言ってもいいかも。でも昆虫怪獣だとモスラかいますし。

・・・ふむ、昆虫・・・。昆虫と言えば・・・。

一度"昆虫"が思考に入ってきてから急速に考えがまとまりはじめ、思いついた一つのキーワードが新たな考えを導きました。思いついたキーワードは"擬態"、そこから導かれた考えは"収斂進化(しゅうれんしんか)"でした。
擬態とは主に昆虫類に見られるもので、他の生物に似た外見を持つことで外的あるいは獲物目をごまかすという一種の防衛能力です。ナナフシのように木の枝そっくりの外見で紛れるものもいれば、ハナアブのように目立ちますがハチに似ることで強そうにみせるものもいます。一方収斂進化とは擬態の後者の例と似ていますが、進化元となる生物全く異なるものでありながら、似たような生活環境で進化の過程を経たことで似た外見を持ってしまった生物関係をいいます。昆虫類ではカマキリとカマキリモドキの関係が有名ですが、サメとイルカのように脊椎動物でも珍しくありません。ひょっとしたら、幼体ゴジラは「シン・ゴジラ」のゴジラ(以下シン・ゴジラ)は従来ゴジラの収斂進化にすぎず、似ているだけで全く異なることをより強調したかったので出したのではないでしょうか。

もっとも、わざわざそうして強調せずともゴジラとシン・ゴジラが全く異なる存在であることは明らかです。ゴジラは第一作での「水爆大怪獣映画」のキャッチが示すように水爆・核兵器をイメージとして持っています。それはひとたび人類に向けられるや未曾有の被害を引き起こしはしますが、その一方で最強の防衛手段として有効であり、人類の、あるいは日本を守る役割すら果たしています。ゴジラは水爆・核兵器であると同時に米国の現身であったとわたしは考えています。最強にして凶暴、自分に歯向かうものには容赦しない、その代わりに人類が共存を望むのなら守ることもやぶさかではない。少なくともゴジラ初期作品群から"東宝チャンピオンまつり"シリーズに関してこのイメージは一貫しています。一方、シン・ゴジラには核兵器の匂いは感じません。これは「日本も核兵器を持つべきだ」と大きな声で唱える人が出てきている昨今、核兵器を投影してもリアリティーがないからでしょう。作品を見る限りシン・ゴジラに投影されているのは原発でした。だから政治家官僚が登場人物のほとんどを占める本作のシン・ゴジラは冷却で完全に管理される最後を迎えなければならなかったのです。そして見た目に反して凶暴性は薄く、痛い目に合わなければ攻撃を受けても全く反撃しませんが、ひとたび痛い目をみるや自分でも制御できずに活動を停止しなければならないほどの異常な反撃をみせ、周囲を焦土と化しました。そのあとはそれまでとは逆に過剰なほどの防衛反応を見せ、偵察機を遠距離から撃ち落とすほどの反応を見せます。ゴジラが米国の現身なら、シン・ゴジラは日本の現身です。それは作品を見る限り確かであり、世界が違うとはいえ、収斂進化と呼んでいいほど違う存在なのは間違いないでしょう。ならばなぜ批判覚悟で幼体ゴジラを出したのか。

ここでちょっと実験をしてみました。サンプルとして怪獣映画に比較的詳しく、ゴジラに関してはちょっとうるさい人間を用意しましょう、と言ってもわたし本人しか用意できる該当者はいませんが(笑)。そしてわたしにこんな提案がなされたとします。「今度の新作ゴジラのたたき台にするから、ストーリーやゴジラの設定の原案を考えてみろ」と。
まず最初の2日ほどはポーッとしながら漠然としたイメージを膨らませ、落書きのようなメモ書きととりながらだいたいの感触をつかむことに専念します。3日目にぼちぼち下書きだけでも始めるか・・・とPCの前にすわってキーボードをたたきはじめ・・・数ページ書かないうちに全文消去、書き直そうと最初からやり直してもその半分くらいでまた全文消去、それを繰り返すうちにとうとう一文字も書けなくなってしまい、さらに三日三晩そこらへんをのたうち回ったあげく「無理ですごめんなさい一文字も書けませんでしたお願いですから全部なかったことにしてください」と土下座してあやまる未来しかシミュレートできませんでした。
ゴジラを知っている、ということはゴジラのイメージにとらわれやすいということです。特に「オレのゴジラ」のイメージのある人ほどその傾向は強いでしょう。新しいゴジラを書こうとしてもそのイメージを引きずる限り、何もできないということがよく分かりました。もちろんド素人とプロを同じ次元で比べちゃいけないかも知れませんが、今回ストーリ脚本を担当した庵野監督が「ゴジラ」のイメージの重さに苦悩しなかったわけは絶対にないです。これを解決して自分の書きたいストーリーでのゴジラを書く方法、一番手っ取り早いのは"ゴジラに似て異なる怪獣”をまず定義して"ゴジラみたいだけどゴジラじゃない怪獣"が出てくるストーリーを一度完成させ、そのあとでその怪獣をゴジラにすべく肉付けするやり方だと思います。幼体ゴジラはその名残であり、これを登場させなければ「シン・ゴジラ」を作ることすらできない、己の精神をささえる「ゴジラにあってゴジラに非ず」の象徴。それがわたしの疑問の筒に詰まったものを全部取り除く答えでした。「シン・ゴジラ」初見において得た感想、「怪獣映画としては面白いけど、ゴジラ映画としてはなんか違う」の想いともピタリ一致しますし、少なくともわたしの中では一本の線がようやくつながりました。もちろん証拠など一つもありませんし、おそらく製作中に感じた裏側全てが明らかになることは絶対にないでしょう。各自が疑問を持ったものは各自が勝手に自分の答えを見つければいいのです。
「シン・ゴジラ」の続編は非常に難しくなるでしょう。本作はできることには全力を傾けましたが、できないこと・難しいことは少しごまかす感じで作っています。なかでもゴジラをほぼフルCGで製作したことは、後のことを考えたらよかったのかどうか。従来とは違い、破壊するミニチュアをぬいぐるみのサイズに合わせなくてもよくなったため、おそらくかなり大きく作ったミニチュアが破壊されるシーンは見応え十分ですがその分CG主体の都市破壊は見劣りしますし、ほとんど動いていないシーンはリアリティも十分あるゴジラも動き出すとCG臭さがまし、現実味がなくなるシーンも多々見られました。おそらく現状の日本のVFX技術で怪獣を大いに動かし、怪獣同士が戦ったりするのはかなり難しそうです。かと言って毎回今回みたいな話ではすぐに飽きられますし。おそらく続編は何をやっても「シン・ゴジラは良かったのに」と酷評されるでしょう。アメリカの怪獣映画の作られ方次第では、また日本のゴジラは眠りにつくかもしれません。

最後にもう一つ疑問。今までゴジラものが作られるたび「反核メッセージのないゴジラはゴジラじゃない」というお約束の批判が浴びせられたというのに、なんで「シン・ゴジラ」はそういう批判が表に出てこないのでしょうか? 今まで批判してきた人は本作についてどう思っているのか知りたいところ。わたしはゴジラは第一作から反核ではないと解釈しているのでそういう批判をする基礎思考がないので、シミュレートのしようがないのです、はい。
コメント (11)
この記事をはてなブックマークに追加

本人も忘れていた、11周年

2016-08-10 21:44:56 | Weblog
昨日、東京から家へ戻ってきました。いつもならもう1~2日いるところを早めに切り上げてきたのですが、勘は良かったようです。我が父が体調を崩していました。病気が進行したか、治療の副作用かと心配しましたが、どうやらいわゆる熱中症だった模様。我が母が気を利かせて水をたっぷり飲ませたところ、だいぶ気分が良くなったようです。我が父はいまだに大昔の根性論「冷房は使わずにガマンしたほうがいい」「夏に水を飲むと汗が出て体力が低下するから飲まない方がいい」を信じて生きておりまして、それが悪い方向へ出たようです。今までは体が達者だったのでそれでも持ったようですが、さすがに病気の治療で体力が落ちており、それでは太刀打ちいかなくなったのでしょう。とりあえず一日休ませながら、冷房と水の重要性をこんこんと説いておきました。

と、バタバタしていたのでコロッと忘れていたのですが、昨日でこのブログ、11周年でした。と、言っても昨年10年だったのと比べると11年なんて全然大したことないですけどね。切りも良くないし、何より昨年以上に更新はダラダラになってせいぜい月に数回しかなくなっております。多ければ日に3回も更新していたあの時はよくやれたなぁと自分を関心。
もちろんこっち、テレビ番組録画分野が全然盛り上がらないのが一番の原因なんですけどね。オリンピックも始まったというのにちっとも盛り上がらないレコーダー売り場。新型どころか旧式を安く売ったりとか平気でやってますし、新型はせいぜいフルオート録画機がちょっと目立つ程度。まぁオリンピックみたいなスポーツ競技って録画して残しても面白くないですしね。テレビ売り場のほうは4K4Kと力を入れてますが、基本4K放送でオリンピック見られませんし、やはり盛り上がりに欠ける印象。放送界にあり続けた伝説「新放送はオリンピックかワールドカップが起爆剤となって普及する」に間に合わせずにどうするんだろ、とか思うわけですが。やはり4K8K放送は第二のMUSEになるのか・・・と心配せずにいられません。どうせ録画できなくなるでしょうし、第三者的視点で十分と思ってます。

一方、録画を前提としない配信放送は世間的にだいぶ充実してきました。まぁその一つでリアルタイム放送前提のAbemaTVはどうも開始前の予定とはだいぶことなる視聴者層になってきている印象ですが、それでも基本無料ということもあってほどほど固定視聴者もキープしている感じです。ああして徐々に人は録画から離れていくのでしょうか。その一方で我々はついにアースソフトのPTシリーズを失いました。まだPLEXのPXシリーズが健在なので新たな環境を作ることは無理ではないですが、PTと比べると情報量が極端に少なく、より初心者にハードルの高いものとなってしまっています。もう衰退の道を着実に歩んでいる録画という文化ですが、それでも手を変え品を変え、残り続けていくと信じています。ただ、今後はそうした情報をネット上でやり取りすることも難しくなっていくでしょう。書いただけで御上のお叱りを受ける、そういう分野になってきているのですから。言論の自由ってなんなんでしょ。

と、グチばかり書いても仕方ないですね。その代わりにPCの動画再生能力は上がり、ソースさえあればどの再生機よりも広範囲に高画質な動画を再生できるようになってきています。こうした前向きな事実もあるわけですし、まだまだ先はあると信じてこれからも進んでいきましょう。ただ、そろそろWindowsだけだと限界を感じてきています。正確にはWindowsが悪いのではなくWindowsを排除するのを前提として展開している動画業界のせいなんですが。Androidの動画再生がより広い範囲で展開していくのを期待しつつ、12年目を過ごすとしましょう。12周年目も楽しい気分で迎えられますように。
コメント (13)
この記事をはてなブックマークに追加

今回の目的

2016-08-07 23:23:28 | in東京
昨日からはもろもろ話題をふるまいているリオデジャネイロオリンピックが始まり、今日からは夏の高校野球全国大会が始まりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日ごろテレビは録画してから、主義の人もスポーツ中継となるとやはり生放送でないと緊迫感が出ないのでテレビから離れにくくなっている人も多いかと思います。

わたしは久々に東京に来ています。と、言っても今回はすぐ帰るんですけどね。ちょっと前にわが父の癌が発覚し、「最短余命半年」と宣告を受けたことは書きました。その後の経過なんですがどうやら良好らしく、余命以外に「具合が悪くなればすぐにでも投薬治療は中断します。それほど頑張って延命しなくてもいいんじゃないですか」などとこちらの背筋を凍らせるような発言ばかりしていた内科医が「驚異的な体力の持ち主です、こんなに回復の順調な人は見たことありません」と褒めたほど。抗がん剤には拒否反応などの体調不良がつきもの、というイメージがあったのですが、それもなく、放射線治療で減少した血小板も検査のたびに増えていくなど良好なのは明らか。それだけに癌の進行が予想より早くなる、などの危険も考えられますが、当面余命云々を言わなくてもよさそうななのです。その放射線治療も先日で終了しました。これ以上当てると他の健康な臓器まで危険にさらす可能性があるため、あまり長期間はやらないのだとか。ほとんど毎日通っていた通院もしばらく休み、少し間を空けて再度検査をしてから今後を考える、とのことです。そこで「東京行ってくるなら今のうちだぞ」と父に言われまして。と、言ってもいくら治療が順調だとは言え、入院前に比べれば弱っているようにしか見えない父を放っておいて東京などへ行くのも気が引けたのですが、それを言うと「心配すんな! まだまだ大丈夫だ」と怒るんですよ。普段なんでもないときは「オレはあと寿命いくらもないぞ」と死ぬ話ばかりするくせに、こちらが心配すると反発する、まぁこうなるのは仕方ないですけどね。そういうわけでちょっとだけ東京に来させてもらうことにしました。
目的はほとんど自室のように使っている姉の家の宿泊部屋の私物整理です。特にパソコン関係ですね、実は複数台の組立PCがおいてありましたので。もう東京の番組を録画して家に持ち帰って・・・とやるほど東京と言っても地上波番組に魅力なくなりましたので、そのPCを処分して、今後東京にまた来られることがあったとしても、ノートパソコンを持ち込んで・・・とやろうと思ってのですが、やはりデスクトップPCの方がノートパソコンよりたとえ劣った性能のものを使っていても断然便利。画面は大きいし、キーボードとの距離も好きなポジションにできるし、DVDドライブも邪魔にならないように内蔵できるし。これらと比べるとやはりノートパソコンというのは一時的な代用品としかわたしには感じられないですね。タブレットくらい割り切ったものだと逆に使い道も多いのですが、デスクトップ愛好家からすれば14型などの大型ノートパソコンはあらゆる意味で中途半端です。で、やはり一番小さなMini-ITXのキューブ型ケースに入れたPC一台はディスプレイとともに残してもらい、万が一の時はこちらに送れるよう、ケースを買った時のダンボールを目立つところに置いておくことにしました。結局中途半端な荷物整理になりましたが、仕方ないです。まだ完全に東京との縁を切りたくないですし。

日曜日はせっかくなので秋葉原へ。と、言っても今回買いたいもの特にないんですけどね。久方ぶりの秋葉原は少し街並みも変わっていて、昔T-ZONE後ドスパラの少し大型だった店舗が建物ごとなくなっていたのは少しガッカリ。何かまた秋葉原が狭くなったような気がします。結局買ったのはいくらあっても困らないHDDやUSBメモリと言ったストレージばかり。その目的の一つが、今までため込んできたポイントの消費でしたし、ある意味なんでもよかったんですけどね。

もう2日ほど居て実家へ戻ります。その前にシン・ゴジラこっちの劇場で見ていこうかと思ってます。ここ最近東京に無理していかなくても・・・という感覚でやってきていましたが、今後しばらくは逆に行ける時には東京へ行っておいた方がいいな、と言う気になってます。年内にあと2回くらい来られたらいいな。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

8月1日よりスーパーハイビジョン試験放送開始

2016-08-01 23:48:37 | 次世代ビデオへの懸念
オリンピックまであとわずか、というタイミングで、日本放送協会がBS17chを利用して1日よりスーパーハイビジョン、いわゆる4K/8Kの試験放送を開始しました。

NHKスーパーハイビジョン 試験放送開始

日本放送協会側としては8Kは4Kと明確に区別していたはずですが、今回はあいまいです。4K版も放送されるのか、それとも8K解像度を持たない4Kテレビでも視聴可能になるようにチューナーが作ってあれば、というだけの話なのかは不明(多分後者)ですが、当面7時間ほどの放送になるもようです。なんとなくかつてのMUSE方式のハイビジョン放送を思い出されますが、とにもかくにもBS、それも番組を自社開発できる放送局で4K以上の解像度の放送派始まりました。と、言ってもチューナーが市販されておらず、この放送を受信できる家庭はごく一部の開発者や評論家を除いて存在しません。当面イベント会場やホールでパブリックビューイング向けとして放送される模様です。

で、4K8K放送と言えばその画質や中身なんかよりはるかに気になるのが、例の「録画禁止」問題。あれは民放連が希望しているものですから、現状の日本放送協会主導の番組はそこまでにはなっていない模様です。限られた受信環境ですから、全く規制がかかっていないことも考えられます。じゃあ話の方は止まっているのかと言いますと、止まってはいます。
録画禁止はNEXTV-Fに持ち込まれましたが同協会のDpaへの統合によって基本的には全部がA-Pabに受け継がれています。もちろん都合の悪い部分は受け継ぎの際に紛失したことにする可能性は大いにありますが、こちらで審議対象とはなっているようです。同サイト内に2016年7月6日とかなり最近の資料が公開されており、今まで多くの"検討中"だった分野について話は進み、具体的な形になりつつあるようです。が、月極め有料放送や無料放送における録画禁止項目は相変わらず”T.B.D."、つまり検討中の段階のまま放っておかれています。話にも出ていないのだから事実上やる気がない、つまり録画禁止は入らないのではないか・・・という甘い判断もできますが、委員会のそっちに関するやる気がないのだから「どうせできるようにしておいてもほとんどやらないんだろ」と丸め込まれて録画禁止可、をOKにしてしまい、結果全部の番組が録画禁止に・・・という地上波と同じ流れ(あんときは"こぴぃわんす"でしたが)になる可能性の方が高いです。なにせA-Pabサイト、見れば分かりますが「あれは禁止です」「これは違法です」ばかり目立つところですからねぇ。
どっちにしても面倒くさい技術的な話と同一扱いして、関係者だけでその話を決めてしまおうとする流れは今のところ変わっていない様子です。やはり4K8Kは我々とは縁遠い放送にこのままなってしまいそうですね。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

シン・ゴジラの裏切り感

2016-07-29 20:20:37 | 特撮・モンスター映画

プログラムは映画鑑賞のあとで読みましょう

7月29日と言えば、Windows10の無料アップデートの最終日・・・ってのも世間ではあるのでしょうが、やはりわたしとしましては映画「シン・ゴジラ」の公開初日であります。行ってきましたよ。たとえ残像だらけのしょぼい映画館だろうと、初日にみたい、という欲望には勝てませんでした。

12年ぶりに作られたゴジラの新作。ウルトラ系以外の怪獣ものというだけでも本当に久しぶりです。その間、怪獣映画はアメリカで作られてきました。特に近年は「日本の怪獣映画に影響を受けた」と称する映画「パシフィック・リム」、そのものズバリである「GODZILLA」と立て続けに作られています。が、どちらも日本の怪獣映画に似せてあったのは表面的な部分であり、その醸し出す香りはどこか似て非なるものでした。むしろ怪獣ものを名乗っていなかった「ジュラシック・ワールド」に一番それに近い空気を感じたくらいです。とはいえ、前述の2作品が日本のゴジラの復活につながったのも事実であり、あれらにどう応えるのかが今回の最大の注目だったわけです。事前に公開されていたデザインを見る限り、正直期待半分、不安半分でした。

何か作りが異常です。セリフが大変多いうえに早口で、おまけにカット割りが非常に細かく、セリフの持つ情報を理解する暇を全く与えてくれません。それだけにある種の"お約束"である誰かがセリフを言い終わるまで他の人は話をしない、という映画では当然の演出が浮いて見え、見ていて落ち着きません。劇中意外と唐突にゴジラは現れます。そのゴジラが川をさかのぼる際に押しのけられる船の描写などは新鮮でいいのですが、全身を現したゴジラの姿は単に醜いだけでなく、従来の法則を無視する大変歪なもので、あれがゴジラとは脳が受け入れがたく、「実はゴジラの影響を受けた第二の生物の方で、ゴジラじゃないんじゃないか」と思ってしまったほどです。それだけに立ち上がってきたのはある意味ショックでした。あとになって考えてみれば、総監督の庵野秀明監督は海外のSFや怪獣映画にも詳しい人ですし、世界に売り出すためにゴジラをクリーチャーの定義に放り込むのは必然だったのかも知れませんが、そのときはなんか違うものを見ていた感のみでした。
とにもかくにも圧倒的なセリフの情報量。頭の隅にとどめながらついていくのがやっとで、後半ようやく怪獣らしい姿になったゴジラ(なんで一目で前半のクリーチャーもどきと同一体と分かったのか謎なくらい)が第一作のオマージュのごとくさまよう様子も、それを堪能する余裕がありません。展開は大変スピーディーですが、一方のゴジラ自体は後半になって巨大になったこともあって非常に動きが緩慢。前半の比較的うねうね動いていた状態でも見た目の凶暴さとは裏腹に作中でも「歩いているだけ」と言われたように、東京や神奈川に上陸しては歩いているだけで、自衛隊が攻撃をしかけてもなお反撃すらしません。もちろん歩いているだけで東京を壊滅させるほど被害をもたらす存在ではありますが、ある意味"歴代最弱"のゴジラとも言えます。ゴジラが本領を発揮するのは米軍が攻撃してきたとき、初めてです。自衛隊の兵器とは威力が違うのかダメージを受けたゴジラはついに口から熱線を吐いて反撃に出ますが、歴代のゴジラとは違って、当初は火炎を噴いて、その高温のあまりプラズマ気流のようになってビーム化するという表現をとっています。この辺り、真っ暗になった都心での戦いとなっているのが新鮮。過去のゴジラをはじめとする怪獣映画は街の明かりやサーチライト、怪獣が起こした炎で照らされていてナイトシーンにも関わらず明るくなっていることがほとんどだったので、まだ怪獣映画にチャレンジする表現方法が残っていたことを証明する、本作の白眉と言っていいシーンでした。そしてひとたび封印が解かれるや、その火炎の威力たるや”歴代最強"と呼んでいいほどすさまじく、ゴジラ自身も制御できていないというオマケ付き。序盤の早すぎてタルい展開を覆す衝撃が画面から存分に伝わってきます。

ストーリーは案外過去の作品を包み込んだものとなっており、主に84年度版「ゴジラ」に1998年のトライスター版ゴジラの要素を加えたような感じでしょうか。どちらも基本巨大怪獣はゴジラしか登場しない"これからの最初"を目指した作品であり、たたき台としては格好だったのでしょうか。監督の樋口真嗣氏は84年度版ゴジラに特撮スタッフとして参加していたそうなので、「俺ならこうしたかった」という思いが多くあったのかも知れません。それを込めた作品と言っていいでしょう。最近の日本のVFXには欠かせない白組や東映系で仕事をしている尾上克郎氏らが存分に仕事をした特撮は現在の日本の技術の集大成と言ってよく、前半などまだまだCG臭い表現も少なくないですが、それはハリウッドなども怪獣に手を付ける限り大差ないので現状これ以上を望むのは難しいといえる印象です。ただ、表現方法がかなりアニメっぽくて「完成された究極生物」として一度も「怪獣」と呼ばれなかった本作のゴジラとやや矛盾する印象もありますが、言うならば庵野監督や樋口監督の取りたかった「怪獣映画」を作ったのが"シン・ゴジラ"であって「ゴジラ映画」ではなかったのかも知れません。ゆえに、「こんなゴジラが見たかったか?」と言われればナイトシーンを除いておおむねノーです。ですが、表面をまねて本質が異なる海外の怪獣映画よりも本質として怪獣映画の柱を持って仕上げた"シン・ゴジラ"の方が怪獣映画としての満足感は充実したものとなりました。ある意味裏切られた感もありますが、それが決して不満につながらなかった映画であったことは改めて書いておきましょう。
音楽の一部は伊福部昭氏による特撮映画向け曲をオリジナルのまま利用しています。ゴジラ上陸場所が神奈川ゆえにゴジラ第一作のモチーフが使われている「メカゴジラの逆襲」を使ったり、怪獣大戦争マーチと一部モチーフが共通している「宇宙大戦争」の曲を使ったりと非常に凝っているのですが、音質に明らかな差があるのと、編曲を一切行っていないので必ずしも映画の展開とマッチしていない感も拭えず。

なお、本作はVSシリーズ移行毎回何かしら投げかけられていた「なぜゴジラはやってくるのか」について描写することはほとんど皆無でした。今回の映画は登場人物が政府関係者ばかりで一般市民的視点が一切ないため、登場人物にしてみれば現れたゴジラの対処や撃退が大事なのであって、その理由などどうでもいいことなのは当然です。ただ、一応表現や無数のセリフの一部に、少なくともわたしには「それ」と思わせるものを感じさせてはくれました。本当にセリフが多い作品なので、どのセリフ群が記憶に残ったかで各自の印象は大きくことなるでしょうし、多分気になるのなら各自で考えてくれ、ということなのでしょう。まだ一度見ただけなのでイメージを固めてしまいたくないのでここで書くことは避けますが、「現代に現れたゴジラ」ならば・・・というところです。


なお、映画とは直接関係ありませんが、Media Shakersが運営しているZunnyというサイトに掲載されているゴジラ破壊都市MAPというコーナー、データの一部提供とチェックをわたしが担当しています、と、言ってもほとんど何もしてないに等しいですが、当ブログの名前だけは掲載されています。よかったら一度見てみてくださいな
コメント (4)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

Pokémon GOは今だからこそできるサービス

2016-07-22 23:46:09 | モバイル機器
2~3日前から右を見ても左を見てもPokemonGO一色であります。歩きスマホにならないよう、政府が通知を出したとか、原子力規制委員会が熱中したプレイヤーが敷地内に入らないよう、施設の警戒強化を求める文書を送ったとか、登場前の時点でこれなんのジョーク集!? と言いたくなるようなバカ騒ぎ状態であります。実際どの程度の人がダウンロードして始めたのかは知りませんが、あれだけ騒がれていては宣伝効果を生まないわけがなく、相当数のダウンロードが行われたと思われます。そういえば商標使いたくないのか、マスコミはそろえたように「ポケモンGO」とカタカナ混じりで表記してますが、公式には「Pokémon GO「」のようです。どっちにしても「ポケットモンスター」というオリジナルのゲーム名を使わず、海外仕様に合わせる名を使うのは寂しく感じます。

わたしは子供とかいないのですが、一部では「子供にスマホ強請られる理由になる」と戦々恐々している人も多いかも知れませんね。今は小学生は(タテマエ上)プレイさせてもらえないようですし、最後には子供以上に大人がやるゲームになりそうな予感はしますが、本来のターゲットは子供でしょうし。わたしの友人に「小学生のうちは電話はまだいらないだろう」と代わりにAndroidのタブレットを持たせている人がいます。その機種はWiFi専用機で電話機能がないうえにSIMを内蔵することもできないため、基本的に家でしか使えないだろうと考えたからです。仮に自分ひとりで使い方を調べ、他のWiFiにつなげる方法をマスターしていたとしても、そう簡単に他人に自分の家のWiFiのパスワードを教える家などないでしょうから、実質家でしか使えないと同じですからね。ですが、Pokémon GOはGPS機能を必須とするため、低性能のタブレットでは家ですら使えません。噂を調べるたび、外で使いたくなるでしょうし、結局のところ、子供が興味を覚えたらスマートフォンを買ってやるしかない、そんな家庭も多いかも知れないですね。子供社会の実情は知らないのですが、もう小学生のうちからスマートフォン当たり前になりそうです。
ですが、今なら必要以上にお金のかかるキャリア契約をする必要はないですね。ゲーム用なら格安SIMことMVNOで十分です。通話なしの通信専用契約なら料金も抑えられるうえ、長電話なども(いまどきの子がやるかどうか知らないのですが)控えさせられます。何なら200Kbpsなどしかでない制限モードの使える契約で一番安いものでも十分じゃないでしょうか。たいていのゲームは200Kbpsでも大きな問題はでないはずですし、逆にその速度で支障が出るような使い方の抑制にもなります。大手キャリアではなかなかそういう使い方はさせてくれません。
わたしの弟は、MVNOという概念が出始めたころから格安SIMサービスに手を出していました。そのころはWiMAXが完全無制限で存在していたのでわたしはこちらを薦めたのですが、WiMAXは建物の中や地方の出先でつながり難いことがあるため、速度や容量の制限はあってもドコモ回線の使えるMVNOの方がいいんだとか。そんな弟ですが、割と最近まではそのMVNOからドコモの純正接続のルーターに乗り換えていました。各種割引を使えばMVNOとほとんど料金が変わらず、容量を十分使えてかつMVNO特有の速度低下もないといういいところどりの契約ができたからだそうです。ところが利用していた割引制度の廃止などいろいろあってその割引を維持した状態での更新ができなくなり、半分以下の容量にするか二倍以上の値段を払うかになってしまいました。迷わずに再びドコモに見切りをつけ、MVNOに戻ったのだとか。ベンチマークでは大きな差のあるドコモとMVNOですが体感上の差は「昼の12時過ぎは確実に遅いとわかるけど、あとは前と変わらず普通に使える」とのことです。結局使うのはモバイル機ですしやることも据え置きのPCほど大がかりなことをやるわけではありませんから、一定以上の速度が出ていれば十分みたいです。それに本当に高速が必要なことをやれば、あっという間に容量が限界に達しますから全然意味わけですし。そう考えると、以前のWiMAXってのは本当に素晴らしいサービスでした。こういうデジタル系が趣味なせいか「昔はよかった」って現状否定することまずないんですが、WiMAXだけは別ですね。今からでも全盛期と同等の価格とつながり方さえ維持できるのならわたしは今からでもWiMAXに戻りますよ。もちろん現行の2+は全然ダメです、実行速度はどうあれ3日制限が存在するというだけで対象外です。

ちょっと前に「スマホの値段を下げろ」ってキャリアを名指しにして政府が通達を出しましたけど、結局どうなったんでしょうか。料金がちょっと下がっただけでお得感のないプランを用意しただけのところもあったようですし、プランが増えたことで割引が廃止されたりして、全体的にむしろ必要な金額は上がっているようにも感じているのですが、どんなものなんでしょう。そんなものしか選べなかった時代にPokémon GOみたいなサービスが始まっていたらたまったものじゃないですね。任天堂がスマートフォン向けゲームに手を出さなかったのはMVNOのようなサービスが普通になるのを待っていたから・・・なんてのは考え過ぎでしょうかね。
コメント (9)
この記事をはてなブックマークに追加

ゴジラ全映画DVDコレクターズBOX創刊

2016-07-18 20:40:33 | 特撮・モンスター映画
4Kリマスター版~と、言ってもそれを2Kの、それも1440x1080にダウンコンバートしたもの~の「キングコング対ゴジラ」が日本映画専門チャンネルで放送されていたので録画視聴しました。今までの「キングコング対ゴジラ」はすべて別のポジやネガを継ぎ接ぎした復元版ばかりだったので、途中でどの場面で画面の色が変わったりブレたりするか体がある程度覚えていたので、そこで色味が変わらないことに、普通は感動するのでしょうがわたしの場合はかえって困惑。むしろ集中して見ればわずかながらブレが感じられる箇所を見つけた時の方がかえって安心できたりしてます。映像よりもリスペアされた音が良かったなぁ。ウチのPCのしょぼいスピーカーでもさらに外から聞こえてくるような音の色狩り、過去のバージョンに感じたBGMとセリフや効果音の剥離がほとんど感じられず、やっと一つの同じ映画を構成する音の仲間、として感じ取れたのが今回最大の好感触でした。
それにしても、これだけのリマスターが可能なマスターが存在するのなら、なんでBDでは米国版のネガやDVDからのアップコンバートで補填した版を発売したのでしょうか。一説によるとBD化しようとしたらまた以前同様、"チャンピオン祭り"用短縮版を作るときに切ってしまったオリジナルネガを紛失したのでやむを得ず・・・ということなのですが、ちゃんと存在したことは今回の4K化で証明されました。ゴジラのBD化は一度中断され、2年前のアメリカ版に合わせる形でやっとシリーズ化が再開されたのですが、結局「キングコング対ゴジラ」はそうした不完全なものしか発売されなかったわけです。4K化できるネガがあるのなら、その不完全版を買った購入者は損した、と言っても言い過ぎではないでしょう。「もうオリジナルネガは今度こそなくなった」と思ったからこそ半分あきらめて買ったわけで・・・。もう元データに困る必要はない、と喜びたいところですが、裏切られた気分半分で素直に喜べません。もちろん状態の違うネガを自然な色にすべく補正を行ったり、一部完全紛失したり修正が難しかったコマをデジタル技術で再生させたりとものすごい苦労をしたのは分かりますが、どうもその作業をやっていたためにBD版にネガを回せず、間に合わせ版を販売することになったのではないか、と疑いたくなります。たった2年なんですから、待たせても良かったと思うのですが。


特に書くネタもないため、しばらく何か書いたら特撮ネタになります。まぁわたしの趣味ですから勘弁してください。
ウルトラマン50周年、ゴジラ新作発表と集中的に来たせいか、関連図書の販売がかなり多数にわたっています。過去の焼き直しも少なからず存在するようですが、やはり可能な限りねを通しておきたいもの。ですが、最近近所の本屋がほとんど閉店してしまっていて、購入が難しくなってしまいました。仕方なくAmazonで頼んでいるのですが、なんとなく寂しいんですよ。自分の目で見て、空気を感じ取って本を選びたい。たとえ結局みんな買うにしても、ですけどね。
というわけで通販で買ったうち、雑誌形式のこの2冊だけちょっと紹介

ゴジラ全映画DVDコレクターズBOX(1) 2016年 7/26 号
講談社
講談社


と、一発目から書籍とは言い難いものなんですが・・・。最近よくあるDVDマガジンもので、隔週刊でゴジラ関連の映画映像のDVDがつくというもの。と、言うと数年前まで刊行されていた東宝特撮DVDコレクションが思いだされます。実際ゴジラ映画および怪獣映画だけ見ればほとんど映像はダブります。わたし、そっちを含めればゴジラ映画のDVDは2セット持っていますので中身がそれだけならもう買う必要は全くないのですが、映像特典として毎号「ゴジラアイランド」という昔テレビで放送されていた5分番組が5話収録されているのです。「帰ってきたウルトラマン」の郷秀樹役でおなじみ団時朗が主演で、怪獣シーンのほとんどが玩具(一部映画からの引用シーンあり)で展開するという、まぁある意味どうでもいい番組なんですが、これがオマケでついているというだけで買いたくなってしまったわけです。過去に「ゴジラアイランド」がDVD化されたときは気が付かずに買い忘れましたし、まぁいい機会かな、と。マガジンの内容は、ディアゴスティーニのものと違い、内容の解説などはなく、過去の子供向け雑誌に収録されていた絵物語や、ポスターのような宣材と言ったものを復刻して収録した付録がDVDそのものと並ぶ内容の柱となる模様。これがいつまで続くかわかりませんが、全51巻、それなりに注目し続けたいものです。ディアゴスティーニ版になかった映像としては"東宝チャンピオン祭り"用にカットされた短縮版や、テレビシリーズ「流星人間ゾーン」のうちゴジラやキングギドラが登場する回も収録されるなどなかなか気の利いたものも。ただ、予告の一覧表の43号「GODZILLA2000」だけはいろいろ謎です。登場怪獣を見ると「ゴジラ2000ミレニアム」と同じなのですがこれは31号に収録されますし。ひょっとして海外版? 興味は尽きませんが、登場は2年近く後の話。それまではやきもきさせられそうです。
肝心の中のDVDの映像でしたが、今回は「ゴジラ」第一作。中身はリマスター以前のもので、しかもDVDは片面一層。それに加えてゴジラアイランド分の容量を確保しなければなりませんので画質はそれなり以下。まぁしょうがないと言えばしょうがないのですが。また、ゴジラアイランドも解像度がやたら低く、「見られるからいい」を超えるものではありません。収録されていた翌号「キングコング対ゴジラ」の特報もおそらくはLDからのコピーで、画質はお世辞にもよくありません。そっち専門ではなく総合出版社の講談社ですし、あまり画質にこだわったシリーズにはなりそうにないです。ただ、"キングコング対ゴジラの予告編"ではなく"特報"が収録されているあたり、画質以外の面でのマニアックなこだわりには期待が持てそうです。


東京人 2016年 08 月号 [雑誌]
都市出版
都市出版


発売されてだいぶたちますが、東京人の8月号が特撮特集だったので取り寄せました。最近本屋めぐりもあまりできないので気が付かないのですわ。
特撮と言えば都市破壊、破壊される都市と言えば東京、という組み合わせはほとんど決まり事となっています。特にテレビ特撮は地方ロケを繰り返すスケジュールも予算もそうそう組めませんので、大半を東京近郊で撮影し、東京を舞台とするものに自然となりますからね。そういう関係もあった本誌で紹介されているものの多くはウルトラシリーズなんですが、一部ゴジラ関係もあります。残念なのは「シン・ゴジラ」のインタビュー記事で「スカイツリーは登場しません」と樋口監督に宣言されたこと。今回はゴジラも巨大化しますし、ちょっと期待しただけに残念。
もう一つゴジラ関連として切通理作氏による「『ゴジラ』から始まった。」という評論文が掲載されています。その一文を引用します

"読者の皆さんの中に、昭和二十九年の『ゴジラ』を見た人がもしいたら、あの映画で最後のセリフを言ったのは誰だったか、思いだしてみてほしい。「『七人の侍』『生きる』にも出た名優志村喬演じる博士のセリフでは?」と答える人も多いだろう。
 正解は、海上保安庁巡視船「こうず」乗組員による「敬礼!」という掛け声である。
"

この文、言った人はあってますが、セリフは間違っています。正解は「敬礼!」のあとに発せられる「直れ!」です。多少譲っても「敬礼!直れ!」の一組を持って一つのセリフとすべきでしょう。切通理作氏と言えばゴジラ関係の著書もある人物。それだけの人でも勘違いする、あるいは忘れるほどあの「直れ」は印象ないのでしょうか? 仮にも「ゴジラ」第一作を語る以上、あの「直れ」に含む意味や演出意図くらい考えて当然、とわたしは思っていたのですが、それこそわたしの思い込みだったのでしょうか?

他にももろもろありますので特撮書籍コレクターとしては可能な限り抑えておきたいものですが、どうしても通販と店舗だとテンションが違ってきちゃいます。チェーン店でもいいのでもっと地方都市の旧市街地でも書店が増えてくれないでしょうか? まぁ母方の実家の書店も経営苦しくていつ閉店してもおかしくないらしいですし、もう店主の感性でそろえられた本を目当てに客が少し遠くからでも足を運ぶ時代でもないのでしょうが、なんだかんだ言って電子書籍、なんてのもそこまでうまく行っている感はないですし、店舗が息を吹き返す余地は十分あると思うのですが。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

「ウルトラマンになりたかった男」CSで放送

2016-07-10 23:22:22 | 特撮・モンスター映画
世間的にはこの記事を書いているは参議院選挙であり、わたしももちろん投票はしてきましたが、実のところ投票さえ終わってしまえばどうせ我々一般人は蚊帳の外。もはや離れたところから眺めてグチを言うくらいしかできることはありません。

と、いうわけですでにわたしは頭を切り替えて。2016年7月10日はあの”ウルトラマン"放送50周年。第一話が放送されてからちょうど50年の日なのであります。東京あたりの在住者なら開催されているイベントにも参加できるのでしょうが、地方ではせいぜいテレビで楽しむのが関の山、と言っても地上波は選挙一色でそっちには興味持ってくれなくて、もっぱら衛星放送なんですが。ただし、CSを含めれば衛星放送だけで見切れないほどの特別番組や放送がなされており、ゴジラやガメラの映画の放送と合わせるとそっちの消化だけで当分DVDも買う必要なしの状況です。
その中でも楽しみにしていたのがTBSチャンネル1で放送される"ウルトラマンメイキング風ドラマ"の二本。ただし、何が起こったのかそのうちの一本「ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟」は直前になって別の番組に差し替えになってしまいましたので大変ガッカリ。ただ、もう一本「ウルトラマンになりたかった男」は無事放送されました。前者が実装時昭雄監督の書いた本を元に作られたドキュメンタリー風ドラマなのに対してこっちはドラマスペシャル枠で作られた完全なフィクションです。実はわたし、このドラマの実放送の時録画してあって、そのビデオテープをのちにPCにキャプチャーしてDivXに圧縮したものを保存してあるのです。多分あれから特別な場合をのぞき、衛星放送でも全く放送されていなかったはず。放送されたのはなんと1993年。26年もたってようやく当時より画質のよい映像を入手することができました。もっとも撮影はSDのビデオ撮りされたものですしリマスターでもないようなので画質はそれなりではありますが、ヘタに超解像処理されるよりはいいです。

話は新作ウルトラマン映画を従来通りのぬいぐるみ特撮で撮影するベテランの特撮スタッフと、CGを使った新しい技術で撮影しようとする新鋭特撮監督や若いスタッフの対立を中心にドラマとして描いたものです。ドラマの中では頻繁に特撮の撮影シーンが再現され、その様子は実際の映像作品と比べてなんら遜色ありません。現場の興奮が伝わってくるようです。ですが肝心のCG怪獣が映像面もドラマ面もイマイチ。ウルトラマンよりも5倍も10倍も大きな怪獣、ゴッドキングを表現するにCGを使うというのはいいのですが、それとぬいぐるみのウルトラマンを違和感なく戦わせる方法が分からず、結局ベテランスタッフのアイディアと力に頼る・・・というものになっているのですが、超巨大怪獣の手だけ作ってそれとウルトラマンを戦わせる、という方法は誰でも思いつきそうですし、CGをそのもっとも優れた活用法である合成に使わず、霧のスクリーンに怪獣を映し出すなどどうにも納得がいきません。ラストに半分オマケのように撮影されたゴッドキングとウルトラマンの戦いを描いた再現シーンがあるのですが怪獣は首だけ伸びてきたり本体は動かず腕も見えているのに横から巨大な腕が飛び出してきたりとどうみても具合のよろしくない出来(スタッフ・ロールの絵コンテ担当にシン・ゴジラの樋口真嗣監督の名があるのですが・・・)。実際の映像を見る限りCGは限られた効果にしか使われていない感があり、本編で語られた撮影方法、特に霧のスクリーンを使ったスクリーンプロセス法は実際には使うのが難しく、別の形で撮影したものをそれっぽく撮ったように再現する方法が取られたのでしょうか。
本作が放送された1993年と言えば、あの「ジュラシック・パーク」でCG特撮の威力が示された年です。日本特撮は1980年代に吹き荒れた"SFX"というアメリカ式特撮の波はしのぎ切りました。もっとも日本ではSFXという文字だけが独り歩きし、実態を誰も理解していなかったというものもありましたが。そして90年代になってやってきた"CG"という第二の波。本作はそれに贖いきれないが、それでも特撮は特撮なんだ、という意地が前面に押し出された内容となっています。脚本を書かれたのは「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」でも実装時昭雄監督作品などで参加したベテランの佐々木守氏。昔ながらの特撮を知るものとしての立場から書かれたのでしょうが、残念ながらCG、というよりVFXをあまり理解せずに書いた形跡が見られます。かの「ジュラシック・パーク」にしたところでCGは一部に効果的に使われたのみで、大半はアニマトロニクスを使って撮影されており、CGに頼らない多彩な表現によって撮影された恐竜をカメラワークと編集技術を駆使して違和感なくつないだところに本当の良さがあるのですが。
本作はむしろその後の20年を予言した感があります。現在も作られているウルトラマシリーズ。特に劇場版ではゴッドキングのようなウルトラマンの何倍もある怪獣が毎回のように登場し、それらはCGを使って表現されています。それと戦うウルトラマンも、カットによってはフルCGで描かれており、本作では否定していた表現が当たり前のように使われています。日本の特撮も第二の波であるCGには逆らえなかった。それでも、「怪獣ったって生き物だよ。心臓がなきゃダメだ、全身が脈打ってなきゃダメなんだ」という本作を象徴するセリフにもあるような抵抗を見せ続ける日本特撮のターニングポイントとなったドラマかも知れません。この時期の円谷プロは映像作品はあまり作っていませんでした。「ウルトラマンティガ」で本格的にテレビに特撮作品を復活させるのは、この3年後の1996年のことなのです。
なお、本作のCG作成用として本編で使われているPCは富士通のFM TOWNSII。確か「ハイパーメディアパソコン」とか言うキャッチが付いていたように覚えていますが、作成用としても使える、ということを押し出したかったのでしょうか。いろんな意味で時代を感じます。
コメント (14)
この記事をはてなブックマークに追加