戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

小林多喜二の蟹工船が今ブームと聞いて  2/26 2回目のブログです

2010-02-26 15:05:44 | Weblog
今日は曇り、昨夜のお月様は丸かったが薄ぼんやりとしていた。昨夜は木曜日なので不毛地帯が10時からある。必ずこれは見る事にしている。10時からなのでプールが遅くなっても見られる。9時からだと少し忙しい。食べるほうが忙しくて用意している間の時間には見られない。10時だとゆっくり見られる有難い時間帯だ。それが終わると横になってしまう。目が覚めた時は12時近い事もある。大体お目当てのドラマさえ終わればNHKにまわしてニュースなど見ているうちにまどろんでしまう、というパターンだ。
目を開けたらやはり12時前だった。蟹工船とあった。
そうだ、今夜は蟹工船だっけ。番組の紹介の時、「こんな派手でない社会派の小説なのに、何で?」と不思議に思った。蟹工船は私が高校生の時、操橋を渡って突き当たりにある宇女高の図書館で借りて読んだ。暗い小説だった。暗すぎて完全に理解しなかったかもしれない。
それに完全に“男“の世界だった。ませてはいたというものの、16,7歳の少女には無理な小説であったが、それなりに理解はした。
それが今、突如として小林多喜二ブームで蟹工船が若者に読まれているというのでびっくりした。高校生時代に読んだ感じと、今の私では感じ方がまるで違うのでもう1度読んでみたい。昔の特高警察というのは池上町常陽銀行宇都宮支店より西に上がった所、今の第一生命のあたりにあった。そこの所長のお嬢さんで節子さんという大柄な子がいた。私と西小学校で同級生だったが2年生くらいの時転校していった。多分、そのようなお仕事の父親を持ち、戦後はご苦労なさった事だろう。小林多喜二の遺体が家に帰った時の写真を初めて見たが、あまりの惨さ(むごさ)に驚くばかりだった。足には釘を打った痕も見られたという。もう1度読んでみよう。

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