(豊橋市嵩山町)
この日は、嵩山ひまわり農園に立ち寄り、引き続き御殿山の左京殿城に向かった。
草葉が枯れる冬季に訪れようと考えていたが、木々が鬱蒼としているため草が育ち難く、時期柄クモの巣は多いものの、容易に踏査できた。
先回は昭和53年頃、麓の姫街道沿いの住人の方にご説明いただいたときが最初であった。そのときから29年経た現在と比較しても、環境は殆ど変わりない。
小枝左京進という人物が居城したことから、左京殿城と呼ばれるようになった丘城は、昭和50年頃の国道362号線本坂トンネル新道建設によって北側斜面を削られたが、遺構の残る範囲内の影響は少なかった。
現在も堀、土塁、虎口、土橋が確認でき、主郭跡には石祠がある。
大永三年(1523)西郷信員が当地に攻め入り、変わって西郷氏の縄張りとなった。
(北東部堀)
(南東部堀)
(南西部堀)
(虎口付近)
(主郭部)
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koureiさんの撮影されたきれいな画像を見ていると、またすぐに訪ねたくなりますね♪
ウルシの木を触ってしまって、どっきりしましたが、大丈夫でした。
堀とか、けっこうしっかりしたお城ですよね。
国道側の麓で工事がされていて、少し気になりました。