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(愛媛県今治市 2000年9月3日)
瀬戸内海国立公園の一角、標高244mの近見(ちかみ)山。
この山には室町時代の応永年間頃から、重見氏が居城する城があった。
享禄三年(1530)時の城主重見通種は主家河野通直の命に服さず、家老来島通康に攻撃を受けて敗れ、周防大内氏を頼って敗走したといわれる。その後も重見氏が居城していたが、天正十三年(1585)小早川勢に攻められ落城した。
近見山にはかつて、現在南麓に建つ四国八十八ヵ所巡礼五十四番札所の延命寺があったが、度重なる兵火によって荒廃し、縮小しながら移転していったという。
また、明治時代から公園計画のあった近見山は、大正初年からは医師で俳人の楠岡謙吉らが、この景勝地の宣伝をし、整備のための募金活動が行われた。
上記の楠岡氏は、私からみて曾々々祖母の出身家でもある。
そして私の父の思い出でもある近見山。
父は生前、この山によく登った話しをしてくれた。
獣道を歩いていると、猪に突進され突き飛ばされたという話しを思い出す。
私にとっても思い出の山となった。
祖父の名前を入力してみましたらヒットしました
遠い親戚になるのでしょうね。
思わず投稿してみました。
楠岡さまのお家で、文政二年頃のお生まれの八重さまという方はいらっしゃいますでしょうか。
その方が、我が家の当主、常矩に嫁がれています。