(愛知県蒲郡市五井町岡海道 市指定史跡 1983年再訪)
五井城跡の一部でもある曹洞宗龍田山長泉寺の境内には、鎌倉幕府の御家人であった安達盛長の墓所がある。最初に訪れた際に住職から次の説明を受けた。源頼朝と北条政子の間を取り持ったのは盛長とされ、治承四年(1180)の頼朝挙兵に従い、石橋山の戦いの後、頼朝とともに安房国に逃れてたという。頼朝が再挙して鎌倉に本拠とすると、上野国の奉行人となった。文治五年(1189)には奥州合戦に従軍し、正治元年(1199)の頼朝の死後、出家して蓮西と名乗っている。そして、源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり、幕政に参画し、三河国の守護となったが、翌年の正治二年(1200)に死去した。
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