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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

桑名城

2005-08-26 22:14:38 | 城郭・城下町

(三重県桑名市 1982年5月21日)
 東海道桑名の宿、伊勢路の玄関口を訪れた。
父が故郷今治に似ているかもしれん…と言っていた。海に面する城下町という点からであろうか。
 城跡のある九華公園へ足を運ぶと、本丸、二の丸という跡はあるものの、城郭のイメージが湧かなかった。それは、天守閣、櫓の有無ではなく、石垣が殆ど残されたいなかったからである。明治初期に四日市港を築く際、材料として使われてしまったからだという。また城内には、松平定綱(鎮国公)と実父松平定信(守国公)を祀る護国鎮守神社が鎮座する。

(2004年4月4日)
  

 桑名城は元々、桑名東城という伊藤武左衛門が住する小さな城であった。
天正二年(1574)織田信長臣滝川一益が城主となり、のち神戸(織田)信孝、天野景俊、服部一正、一柳直盛、氏家行広、松平家乗と変わり、慶長六年(1601)からは本多忠勝十万石となった。忠勝のとき、城郭を拡大。四層六重の天守、五十一の櫓と城下町が造られた。
元和三年(1617)本多忠政のとき、播磨姫路へ移封となり松平定勝が入城し、以後親藩の松平氏、奥平氏、久松氏、松平氏と続き幕末を迎えた。元禄十四年(1701)に大火に遭い建物を焼失。以後天守は再建されず、櫓を天守代用とした。
 「蟠龍櫓」(昇天前のうずくまった姿の龍の意)は平成15年に国土交通省揖斐川水門統合管理所を設置する際、模擬再現されたものである。

(2005年10月31日)
   

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