flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

三河高浜 平成二十二年

2010-09-09 00:00:31 | 街道・宿場町
(大浜街道 愛知県高浜市)
 七年振りに訪れる。昭和57年に訪れたときと先回とでは、大きな変化が見られたが、今回はそれ程の変化はなかった。ただ、高浜港駅から続く坂道「鬼のみち」は、特産の瓦、土管に関するモニュメントが多く設置され、まちの特色を表そうとしているのが感じられた。
   

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4 コメント

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Unknown (mino阿弥)
2010-09-09 14:42:03
12日(日)に思い切って奥山方広寺を歴史探訪しようと思っています。
半僧坊大権現こそ、無文元選禅師を守護した河野水軍ではないかと推察しています。
一度は、訪問しておかなければならない地だと思います。

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mino阿弥さま (てんゆう)
2010-09-10 07:55:42
そうですか!謎を秘めた遠州探訪の成果を期待しています。いわゆる三遠国境の南北朝時代は、よその地域からやってきた武将たちの宝庫といわれているので、きっと新しい発見があることと思います。
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Unknown (mino阿弥)
2010-09-10 15:21:04
後醍醐天皇の後裔を奉じた津島の四家七名字の伝承と無文元選禅師の開山した岐阜市椿洞の了義寺が、つながりません。
「浪合記」に書かれていることが真実であれば、了義寺を中心とする南朝勢力が美濃にも存在しているわけですから、何らかの関わりがあってもおかしくありません。
禅師には、三河(豊田市猿投町広沢)の広沢庵にも河野伊予守は随伴していますから、津島の大橋氏を筆頭とする南朝勢力との関わりがあってしかるべきで、不可解です。

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mino阿弥さま (てんゆう)
2010-09-11 11:46:35
私の住む豊川には、無文元選禅師が再興した、曹洞宗三明寺があります。河野伊予守も随伴したと伝わっています。この地は旧鎌倉街道沿いで、三明寺から東に歩を向けると、およそ一里で土岐国行の高井城があり、三遠国境の峠を越すと、土岐改め高井氏が移り住んだという引佐郡となり、そして方広寺があります。
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