(牧野屋敷 愛知県豊川市牧野町)
私が子どもの頃は鬱蒼とした茂みの中に廃屋と門が存在していた。まるで探検をするかのような気持ちで調べたことを思い出す。そんな屋敷跡も、末裔が土地家屋を手放し、市の管理のもと当時からの門を保存して「さぬき屋敷公園」として開放された。
応永四年(1397)に讃岐国から移り住んだ田内成富が、地頭を務めた牧野の地の名を苗字とし、城を構えた。讃岐屋敷はその牧野氏が代々居住した屋敷跡である。
牧野一族は、今橋城を始め近隣各地の城主となった。その一流が譜代大名となり上野大胡、そして越後長岡へ向かった。然し、当初からこの地を守っていた牧野氏は、明治までこの地に居住し続けたといわれている。
(関連記事:瀬木城)
私が子どもの頃は鬱蒼とした茂みの中に廃屋と門が存在していた。まるで探検をするかのような気持ちで調べたことを思い出す。そんな屋敷跡も、末裔が土地家屋を手放し、市の管理のもと当時からの門を保存して「さぬき屋敷公園」として開放された。
応永四年(1397)に讃岐国から移り住んだ田内成富が、地頭を務めた牧野の地の名を苗字とし、城を構えた。讃岐屋敷はその牧野氏が代々居住した屋敷跡である。
牧野一族は、今橋城を始め近隣各地の城主となった。その一流が譜代大名となり上野大胡、そして越後長岡へ向かった。然し、当初からこの地を守っていた牧野氏は、明治までこの地に居住し続けたといわれている。
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牧野氏のご子孫は移住されたとかで、朽ちるに任せていた屋敷の有様には驚き、また悲しく感じたものです。表門しか残らなかったのは非常に残念です。
牧野城跡も以前はうっそうと生い茂った木々の中にあったように思います。元豊川市民としては、後世に伝えられなかったのは残念な限りです。
あまり大きい声ではいえませんが、そこにあった棺桶のような長持?が印象的でした。(子どもの頃)
建物の年代はわかりませんが、保存する価値はあったでしょうね…。
写真とか記録にも残っていないのが悔やまれます。
くらじろうさんも、もと豊川の方だったんですね。私は合併して豊川市民になりました。