(愛知県新城市)
私が小学校の遠足で来て以来、何度か訪れている場所。
元々は地殻変動や豊川の浸食作用によってできた峡谷、景勝地笠岩と呼ばれていたものを、寛文二年(1662)桜淵から程近い、新城城主菅沼定実が桜を植えさせ、景勝地桜渕へと変わっていった。
年々上流から土砂が流れ込み、浅くなっているといわれる桜渕。
その昔、この淵の底には豊川の魚を取り仕切る竜宮があると伝えられてきた。
親孝行な少年が、病気になった母親に効くものが鯉の生き血と聞き、この桜渕の鯉をもりで刺したところ、少年もろとも引き込まれてしまった。
渕の底に着くと神様が居り、少年が理由を話すと、神様はそれは可哀想だと魚籠をくれた。その魚籠は、水の中で蓋を開けると、欲しい魚が出てくるというものだった。
少年は、この籠によって母親の病気を治すことができたという。
桜渕にはこのような伝説が伝えられている。
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