flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

細江

2006-10-13 00:00:17 | 街道・宿場町

(静岡県引佐郡細江町 1998年10月11日の日記から)
 引佐地域に向かうのも初めてだが、二俣線時代を含む天竜浜名湖線に乗り込むのも初めてである。「天浜線」は二俣線の頃、2~3時間に1本という閑散さであったが、現在は1時間ヘッドとなり、駅も3割ほど増えた。
 東海道線新所原0番ホームからレールバスに乗り込み、湖西、三ケ日と差し掛かると、訪れたことのあるところでも未知の地に来たような感覚がしてくる。
湖岸沿いを走る線ながら、ディーゼルエンジン車両であるためか平らでも山坂を上っていくような感じがした。
 新所原を出て45分、「気賀駅」に到着。
旧国鉄線でありながら、超赤字路線であったため設備的に時間が止まったままのような雰囲気が漂っている。気賀の正式な読みは、「けが」が正しいのだが、交通路線として不向きということで「きが」と呼ぶ駅名にしたわけである。
 
 駅を降り付近を散策したところ思ったより“まち”という印象を受けた。
東海道脇往還であった姫街道(本坂通)の宿場(気賀宿)であった名残であろうかと思われた。
往時は八軒の旅籠があり、関所も設けられた。
 先ず「大蛇と大蝙蝠の伝説」のある細江神社へ、そして姫街道歴史民俗資料館を訪れた。
我が一宮町歴史民俗資料館に若干+αしたような感じで、どことなく似ているが、入館者をけっこう見受けられるのは宣伝力の差であろうか。このときの企画展は「堀川城落城430年記念展」が催されていた。
 都田川を越え、三方ヶ原方面へ。
老ヶ谷丘陵端の狐塚古墳は辛うじて確認できるものの、雑木に埋もれたいた。狐塚から南東500m、中平古墳は丘陵は丘陵端道路沿いに位置する直径15m程の円墳ということだが、道路拡幅のため削られている。ここから東へ更に300m行くと旧姫街道に合流する。幅3m程で舗装されているが、街道沿いに「千日堂」と呼ばれる観音像、阿弥陀像を安置した堂宇があって、当時の情景が思い浮かぶようである。
 
 更に北進して行くと、やがて右方下に姫街道新道(県道)が見え、またこれから向かう陣座ヶ谷古墳も眺められる。間もなく長坂という急坂を下り、そして長坂旧道と昭和初期に造られた新道とに分かれる。途中、野菜を担ぐ古老とすれ違った。昔と変わらないであろう光景が見えた。
 先程の陣座ヶ谷古墳へと向かう。
蜜柑畑を囲んだ丘陵頂に位置し、墳丘は芝で覆われ丘上からは条理制遺構のあった田畑、尉ヶ峰、そして細江のまちが一望できる。
  
 最後に都田川河畔、油田鎮守の屯倉水(ミヤケスイ)神社へ。
ミヤケに水、私にとって無関係にしておけないような名前の社であった。これは垂仁天皇二十七年(BC2)に定められた天皇直轄地屯倉に関わるもので、この地は伊福郷氣賀屯倉であった。近隣、都田(ミヤコダ)も同様の性格のものと思われる。


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2 コメント

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Unknown (しずおかk)
2011-05-25 06:35:41
まもなく土取りで消滅する、狐塚古墳を探訪しました。発掘調査により、円墳ではなく方墳だと判明し、円筒埴輪が出土しています。

雑木に埋もれた姿も、見てみたかったです。

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しずおかkさん (てんゆう)
2011-05-25 17:39:42
もうなくなってしまうのですね。
私は草木ボーボーな状態しか見ていないので、なくなる前に見たいものです。
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