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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

要害山城 熊城

2007-03-26 00:00:08 | 城郭・城下町

(甲府市上積翠寺町)
 甲斐府中を見下ろす標高780mの要害山。
武田氏臣駒井政武が記した「高白斎記」には、永正十七年(1520)積翠寺丸山(後の要害山)普請始まるとある。同時に築かれた熊城と共に武田信虎の居城である。
大永元年(1521)福島正成が攻め込んだが、要害故に攻め落とせなかったという。このとき、晴信(信玄)が生まれたといわれている。(麓の積翠寺において出生という説もある)
 城は斜面を段状に開削し、多数の郭を設け、八つの門と土塁、竪堀、堀切を配する。
不動郭と呼ばれるところには、江戸時代に立てられた「武田不動尊」が下界を見ている。
また、頂きの主郭には、「武田信玄公誕生之地」の碑が立ち、最も広い平坦地を有する。
築城の際は数多くの岩石が出土したのだろう、所々石垣が組まれている。石垣の配し方からみて、防御の役割よりも地形維持の性格が高いように感じられた。
 隣接する熊城も同様の石垣、堀切及び小さな郭が並び、要害山の北東側を防御する目的で築かれたものであり、要害山城の一部と捉えることもできよう。
                
 尾根伝いに下り、武田氏館跡へと向かった。


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