flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

四天王寺

2007-04-29 00:00:59 | ほとけのいおり

(大阪市天王寺区)
 改めて母の出生地を訪れる。
先回は堀越町界隈を歩くだけであったが、今回は生家のあった場所へと向かってみた。何やら大勢の人。四天王寺、一心寺の方に向けて車道を歩道に変える程の人、人、人。四月八日、釈迦降誕会であった。
 堀越町一丁目、母の生家跡から1分も歩かないうちに、四天王寺がある。そして付随する伽藍、庚申堂には、寄進の名が見えた。母は生前「出家」をしていたが、その生き様から、幼い頃の記憶しかない私にも仏心の世界で生きていた母の心を思い出す。

(和宗荒陵山四天王寺)
 四天王寺は推古天皇元年(559)他の太子創建七ヶ寺(法隆寺、法起寺、中宮寺、葛城寺、橘寺、広隆寺、四天王寺)と同じく、聖徳太子により創建されたと伝えられ、伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれる南北に堂宇を配列する方式がとられている。
寛正元年(1460)、文明二年(1470)の兵火と、天正四年(1576)石山本願寺攻めの際、慶長十九年(1614)大阪冬の陣の際の兵火によっても焼失した。また、享和元年(1801)には落雷、昭和9年の室戸台風、昭和20年の空襲等で損壊、焼失したがその都度再建が成された。
 空襲の難を逃れた元和八年(1623)建立の「六時堂」前には「花御堂」が置かれ、人々が列を成していた。そして六時堂と共に重要文化財に指定されている「石舞台」は修繕工事がされていた。
経木を流し極楽往生を願う亀井堂や、乳の出を願う布袋堂で人々の祈り姿がみられた。私も略儀ながら参拝し、感謝と今後を願った。
 最後に国宝、重文を蔵する宝物館を観覧し、天王寺を後にして奈良香芝の地へ向かった。
            


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