(鳥取県米子市久米町)
標高90mの湊山の北隣、標高52mの丸山と呼ばれた支丘に構築された米子城の郭の一つである。まだ十一歳であった城主中村一忠に代わって、米子城の築城及び城下町の築造を指揮した、家老横田内膳正村詮(ないぜんのしょうむらあき)の名が付いた郭である。内膳丸には二重櫓と武器櫓が建ち並んでいたという。一忠の側近の陰謀により横田内膳が暗殺された際、この場所で内膳の親族が立て籠もったと伝わっている。この事件の心労から、一忠は二十歳の若さで没し、中村家は米子城を改易になっている。
(内膳丸から中海対岸、安来島田を望む)
(湊山を望む)
(湊山主郭)
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