(時宗豊国山遍照院 愛媛県松山市 1990年4月14日) 松山城から道後湯月、寶厳寺に参る。天智天皇四年(665)小千(おち)守興が創建した。その後、延応元年(1239)承久の乱により出家していた守興裔河野通広(如仏)の子松寿丸(通尚)としてこの地で出生、母の死により出家し、随縁を経て後に一遍智真と名乗った。そして、一遍亡き後の正応五年(1292)天台宗から時宗に改宗された。境内には一遍の書を刻んだ名号と詠歌、縁の関係にある正岡子規の句碑がある。 私は特別な思いで暫くこの地に留まった。 (関連記事:湯築城)
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