flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

西方陣屋

2007-03-19 13:00:13 | 城郭・城下町
(西方古屋敷 西方古塁 愛知県御津町西方)
 天正十八年(1590)吉田城主池田輝政が、牛久保、新城、田原とこの西方に陣屋を設け、西方には森寺忠勝が配置された。
慶長五年(1600)播磨姫路に移封するまでの間構えられていたという。
慶長十七年(1612)松平忠利が吉田藩主となると、弟忠真に一千石で分知させた。
その子忠高は、千二百石で西方村と近隣の大草村、赤根村、河原田(上佐脇)(共に現御津町)、八幡村(現豊川市)を領したが、寛文四年(1664)禄米取りをして、知行地を返上し江戸に移った。
その後松平氏の家老であった長沢太郎左衛門が当地に住み、帰農した。現在もその末裔が住している。
 当時は平坂街道と御馬街道の間に南北百二十二間(約220m)東西百八十三間(約330m)の土塁が囲み、その周りを水堀が囲んでいたという。現在はその一部の堀、土塁を残すのみとなり、大半が住宅地となった。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 名豊道路 御津町 | トップ | 鎌倉街道 八橋 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
学習 (BOSS)
2007-03-19 23:22:19
なるほど!勉強になりました。
返信する
どうもですm(__)m (kourei)
2007-03-20 00:55:54
勉強になりましたでしょうか!?
ところで、BOSSさんはこの辺りのこと知ってるらっしゃるのですか??
返信する

コメントを投稿