(岐阜市神田町 市指定重要文化財 1983年2月11日訪)
天文十三年(1544)(あるいは天文十六年(1547))織田信秀が稲葉山城の斎藤道三を攻めたが、これに敗れて織田信康を含む戦死者五千人を出した。(加納口・井ノ口の戦い) その死者たちを供養をするために、円徳寺前身である常泉坊(岐阜市長旗町)境内に塚を造り葬っている。永禄年間(1558-70)常泉坊が円徳寺と改名し現在地に移り、安永五年(1776)旧寺地にあった織田塚を円徳寺境内に移したという。
(織田信秀曾孫 秀信遺髪塚)
最新の画像[もっと見る]
ここに初めて知った、ありがとうございます。
織田さんたちは、この辺りでも活躍されたようですよ。