(宮城県宮城郡松島町松島字町内) 瑞巌寺の参道脇には、鎌倉時代から江戸時代にかけて彫られた石窟がある。その用途は僧侶の行場いわゆるやぐらと、石彫りの卒塔婆、遺骨の置場等である。 「法身窟」は瑞厳寺を中興した北条時頼と法身性西が出会った場所とされ、また、正安二年(1300)に夢窓疎石がここを訪れたという。
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