小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二日目3 84番屋島寺、83番一宮寺

2016-10-30 | 四国遍路
二日目3

八栗駅から屋島駅まで琴電で行く。
ドライブウェイをシャトルバスに乗って屋島山上についた。運賃は200円。
源平合戦の古戦場として名高い「屋島」は、古代から備讃瀬戸の交通の要であり、軍事上の要衝として重要な位置にあり、歴史的にも重要な史跡が残っている。屋島ドライブウェイのミステリーゾーンも人気スポットになっている。行ってみたくなるような風情の家々が木々の間から顔を出していた。
瀬戸内の海は美しく、大小さまざまな島が可愛い。
しかし、平家好きにとっては哀しい景色である。
瀬戸内海国立公園の中に屋島寺はあった。
なぜか水族館もある。
観光バスが次々とやってきては去っていく。

            


84番札所 南面山 屋島寺
 ご詠歌 梓弓屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇むもののふ

奈良の東大寺で戒壇を作った鑑真によって開かれたと伝わっている。鹿児島に漂着した鑑真は東大寺に向かう途中に屋島から登る瑞光を見て堂を建て持参の普賢菩薩像を安置し経典を納めた。後に弟子が初代住職となって屋島寺と命名した。
興仁六年に嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師が屋島寺を訪ね、十一面千手観音像を彫って本尊として安置した。その後は山岳仏教の霊場として興隆。
鎌倉時代に作られた「平家供養の鐘」があって重要文化財になっている。









バス停の前には大きな土産屋と休憩所を兼ねた建物がある。その横を通ってお寺に向かう。外人さんも少なくない。
手を洗い、ローソクとお線香拝礼。お経を唱え納札と手順をこなす。
屋根のような景観から屋島と名づけられた場所に立ってるのが不思議だった。
耳を澄ますと合戦の雄叫びが聞こえてくるような…。
宝物館もあって入らなかったが、数々の文化財や寺宝が拝観できる。
本堂横には蓑山大明神という氏神様の前におおきな狸一家が立っている。そんなに古くはないのだろうけれど人気者。四国狸の総大将だそうだ。
しばらくベンチで休んだ。五月の風が心地よかった。
しかし、ここのトイレはひどい。どこのお寺も感心するほど素敵?なのに。おまけに観光地でありながら食べるところがない。



空き腹を抱えて再びシャトルバスで屋島駅まで戻った。


屋島寺を打ち終えて屋島駅から琴電で瓦町乗り換えで一宮駅まで行くのだが、昼食を食べ損ねていたのとキャッシュコーナーに行くために瓦町で降りる。
瓦町は高松の中心地だそうで、デパートや大きなビルが林立していた。
情報のないまま駅の付近をうろついて目についた食堂に入り、五目ラーメンを注文しSさんは焼きそば。
一息ついて今夜の宿を決めていないことに気づいた。
それは今後の予定を決めるターニングポイントでもあるのに。とりあえず今夜の宿を次に詣る札所の一宮寺から歩けるところに予約を入れることにした。
近いのは「天然温泉きらら」
ここは日帰り入浴温泉センターなのだが宿泊棟もある。だが、折悪しく温泉の点検日だとかセンターはお休みだった。翌朝の6時からは入浴できるとのこと。素泊まりとなるが一宮寺から歩けるので予約した。

さてその先の計画。
タクシーを一日借り切って回れるところを回ろう、うまくいけば香川県最後の66番雲辺寺まで行けるかもしれない。
徳島県は三回も四国に来て打ち終えた。四国までのアクセスは時間もお金もかかるのだ。タクシー代を払っても香川県を打ち終えることができればありがたい。と言うわけでガイドブックを見て信用できそうな琴電タクシーに頼み、明日の宿は善通寺の宿坊と決めて予約が取れた。

ここで腰を上げて琴電に乗り一宮駅で降りる。
徒歩15分くらいで一宮寺に到着予定。
ここでちょっと変わった男性に「一緒にお詣りしよう」と親しげに声をかけられた。「ちょっと寄るところがありますので」と反対方向に歩き出してもついてくる。段々怖くなってきた。ようやく逃げ切ったものの、女子高校生の帰宅時間らしく三々五々とやってくるので心配になった。一人で歩いている子はいないから大丈夫だろう…。
そうこうしながら穀倉地帯の住宅街の一角に建つ一宮寺に辿りついた。

83番 神毫山 一宮寺
ご詠歌 讃岐一宮の御前に仰ぎ来て 神の心を誰かしら言ふ

縁起に寄れば行基の師匠だった義淵僧正が開いたと伝わる。当初は大宝院と称し、諸国に一宮が建立された時には讃岐一宮(一宮とは諸国で一番社格が高い神社のこと)として田村神社が建立されて別当寺となった。その後行基がお堂などを修復して一宮寺に改めた。さらに大同年間に弘法大師が訪れて聖観世音菩薩をを彫って真言宗に改めた。江戸時代には高松藩主によって田村神社と分けられた。明治時代の神仏分離令よりも二百年早い珍しい事例だそうだ。
境内には「地獄の釜」と呼ばれる薬師如来を祀る小さな祠があって悪いことをした者が頭を入れると抜けなくなるらしい。







讃岐平野で一番大きいのが高松平野。その中央の西寄りの閑静な住宅有り学校有りの穀倉地帯にこじんまりと一宮寺は建っていた。こぶりながらの品がある。どこのお寺も木造故の火事や戦乱によって焼失を繰り返すが民の思いで再興がなされてきて今日がある。
遍路寺を廻っていると一般の日本人には神と仏の分離が為されていないことを実感する。たいていのお寺には神系の社殿や神がおわす。この一宮寺でも同じ敷地の中に田村神社があった。
Sさんに肩を叩かれてそちらを見るとさっきの妙な男性が通る人たちに声をかけている。何かを売っている? 納経の時に社務所の方に言うと困っていると言われた。野宿遍路の人たちのことも含んでいるのだろうか。立場の性質上夜間も門を閉じることができず「境内で物品の売買や勧誘禁止」と紙を貼ることしかないと。振りかえれば女学生達には景色の一つになっているのかもしれないと思った。



     


「きらら」まで歩く。大きな日帰り温泉設備。点検日で休業だが宿泊棟だけはやっている。入浴なしの素泊まりとなる。敷地内の大きな駐車場の向こうにそれはあった。三階建てのこじゃれたワンルームマンションで自炊もできる。一棟全部をきららが買い取ったのだろう。
まだ5時前だからゆっくり出来そうだけど食事はどこでする?ファミリーレストランが二軒田圃の先に見える。とりあえずそちらの方に歩いて行った。振りかえるとおむすびのような山が有焼けている。美しいと思った。讃岐平野にはところどころ大小さまざまな山が積み木がこぼれたよに存在している。山頭火が好んだ風景かも知れない。
なんとなくファミレスには行く気がせずに国道にでてみると「さぬき一番」という看板があった。また、おうどん? でもファミレスよりはいいか。ということで入った。なんとなく薄暗い店内で客は誰もいない。変わったメニューがたくさんある。メニューを選んでいるうちに続々とお客さんが入ってくる。ちょっと安心。
鍋焼きうどんを頼んだ。いつもとは少々趣が違うが抜群においしかった。 








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