小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

西国第九番 興福寺南円堂

2018-01-07 | 西国三十三所

一番から三番までをお詣りした後の一年ぶりの西国詣りです。
昨年は四月に引越という個人的な一大イベントと先年の四国遍路を終えた疲れと達成感と虚脱感から全く気力がなくて巣作りで引きこもっていました。が、今年は地の利もあって日帰り可能なお寺が多いので頑張ってみたいと、新年に当たって願いを新たにしています。
気ままなスケジュールとなるでしょうから順不同です。
そこで今回は初詣を兼ねて奈良へ行ってきました。
息子と娘がそれぞれ子供を連れてやってきましたので鹿さんと遊ばせようという魂胆もありました。こんな気持ちで罰が当たらないといいのですが。

奈良にある三十三札所は南法華寺(壺阪寺)に岡寺、長谷寺に南円堂の四札所。全部何度も行ったお寺なのにその頃は納経という概念が全くなくてもったいないことをしました。
お線香とローソクと写経と納め札に数珠持参でまいりました。納経帳には各種の経文が書かれています。

西国九番 興福寺南円堂 法相宗大本山
ご詠歌 はるのひは南円堂に輝きて 三笠の山に晴るるうすぐも

ご本尊 観世音菩薩(国宝)  開基 藤原内麻呂公(冬嗣)
かって興福寺は春日大社と一体で、南円堂のご本尊は春日社一宮の本仏血として崇拝されていたそうです。
創建時には藤原冬嗣が白銀で作った観音像1000体を地中に埋めて地鎮したそうです。
平安時代の藤原氏の権力のほどが窺えます。


飛鳥時代から平安時代にかけて権勢をふるった藤原氏の氏寺です。
鎌足の妻とされている鏡女王(額田王の姉)が鎌足の病気平癒を願って建立した山階寺が平城遷都の折に現在の地に移されて興福寺と改名されて現在に至ります。
この朱塗りの南円堂は冬嗣が父の鎌足の追善供養のために建てたもので、特徴的なのが屋根の形です。一重本瓦葺きでてっぺんには宝珠を施した八画円堂です。日本最大級とあってさすがの存在感があり、観音様の功徳を慕って昔から今も多くの参拝客で賑わっています。
五重塔や東金堂とも国宝になっています。



興福寺に来ると必ずお顔を見る阿修羅像ですが国宝館は工事中だったので断念しました。

春日大社までは少し遠いので東大寺に向かいました。
シカたちが姿を現しお正月ということで大勢の参拝者や旅行者で賑やかなこと。
以前に来た時は無料だった東大寺も迂回して拝観料を払うシステムになっていてちょっとショックでした。














コメント
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