小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

七月二十三日

2018-01-01 | 嘉永四年 辛亥日記

 

早朝に東九右衛門からご新造病死を知らせる手紙が来る。
三月の節句に出産後から具合が悪く昨日亡くなった。子もその前日に死んだ。
この節は多くの人が死すること夥しい。
正住寺の寺中の僧が申すには十五日には自分だけでも十三件の葬送を行った。
ほかにも多くの葬礼があり待っているのもあるとのこと。
十九日から二十二日まで誠に耐えがたいほどの暑さなり。
これではとても凌ぎがたいというものの夜前辺りから涼しくなる。
諸物豊作で、麦も昨年は寒中に種まきしてどうなるかと心配されたが、丈は一尺ばかりだが大いに出来が良いという。
当時、米は百文に八合売りだった。
これは六月二十九日認めの状だが、水は何度か出たが直ぐに引いたという。


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七月二十二日

2018-01-01 | 嘉永四年 辛亥日記
     

少々曇る。
主人は2時過ぎから三浦殿へ行く。
よよ、お目見えの口ききだと出て行く。
房吉に羊羹を買いにやる。
これは遠藤一郎に盆前に借金の世話になったお礼に行く筈だったのだが川に行くについて取りやめになる。七時半頃に帰る。
鈴木芳太郎を連れて帰ったのでそうめんを出す。
梅本からカツオ1本が届き皆で食べた。
謡をうたう。

とよは西長町田中に住んでいて遅くに帰った。
房吉も泊まらせてほしいと言ったが、足が漆にかぶれたと一面にでもの状態なので湯ノ花をやってそれが乾いたら泊まらせると言い聞かした。
彼の継母が昼に礼を言いに来た。
夕方には兄がきて先日から大阪へ行った母が帰ってこないので見に行くのでそう心得るようにとのこと。
今晩は涼しい。


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