和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義23/新・人間革命

2014年01月29日 10時41分20秒 | 新・人間革命
      
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)1月29日(水)より転載】



☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


 正義23(1/29)

 第三代会長に就任した山本伸一も、師の戸田城聖と同じ心で、宗門に外護の赤誠を尽くしてきた。また、僧俗和合のため、最大に努力を重ねるとともに、言うべきことは言ってきた。もしも宗門が、儀式主義、神秘主義、権威主義に陥ってしまえば、人間のための宗教とは、なり得ないからだ。

 ところが、僧侶の本来あるべき姿を訴えてきたことや、誠心誠意、忠告してきたことに対して、反感をいだく僧も少なくなかった。まさに、「忠言耳に逆らう」のことわり通りであった。彼らは、檀信徒を僧の下に見る、強い意識をもっていたのである。

 「宗教は内的腐敗によってのみ滅ぼされうるのです」とは、ガンジーの鋭い洞察である。すべての宗教者が、常に心しなければならない箴言である。



  

 「教学の年」を迎え、学会が、日蓮仏法の新展開への本格的なスタートを切った、一九七七年(昭和五十二年)の初めごろのことである。伸一のもとに、「お寺の御講の折に住職が学会を誹謗するので、大変に嫌な思いをしている」との報告が入るようになった。

 「御講」は、毎月十三日の日蓮大聖人の命日に各寺院で行われている行事で、読経・唱題のほか、住職の説法などがあった。

 正宗寺院には、 学会が建立寄進した寺院も多かった。その寺で、集ってきた学会員を前に、住職が学会を攻撃するというのだ。

 学会員は、“寺院を大切にしよう””信心を深めたい”との思いから、苦しい生活のなかでも供養を持参し、毎月、寺の御講に参加してきた。

 しかし、寺に行くたびに住職から、「学会は謗法だ!」「学会は間違っている!」などと、言われるようになったのである。

 そうした寺のある地域の幹部は、住職に会って話し合いを重ねた。義憤を感じた青年部幹部が、抗議したこともあった。

 しかし、月日を経るごとに、学会への誹謗は激しさを増していったのである。


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


最新の画像もっと見る

コメントを投稿