徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

天正様式の拵

2009-03-09 11:04:56 | 拵工作
ご依頼いただいていた拵えが完成し、無事納品と相成りました。
今回は他の事業などでバタバタと忙しかったこともあって、なかなか拵えだけに集中することができなかったのですが、それでも強固な拵えを作ることができました。



ご依頼内容は、通常よりも長めの9寸柄の新規作成です。

御刀は、2尺4寸5分のゴリッとした新々刀で、名鑑落ちというとても変わった御刀でした。
余暇を利用してネットや図書館で調べた限りでは、新発田藩の藩工らしく文久3年の落ち着いた裏年期もあります。
何と言っても、腰反りの体配が美しく、新々刀期の刀匠の技量を改めて見せ付けられる気持ちがしました。
この体配をどうしても壊したくなかったこともあって、あえて天正拵に挑戦しました。

天正拵えは、ご存知の通り拵えをもっとも美しく見せるための工夫が各所に施されていて、熟練した職方でもなかなかうまくまとめることができません。
その理由の一つは、新刀体配の刀身に着せようとするからではないかな?と個人的には思っています。このたびご依頼いただいた御刀は、腰からグッと踏ん張っていて鎌倉期の太刀を彷彿とさせる言うなれば太刀姿の御刀でした。

この御刀なら、天正拵が着せられると、とっさに感じた程です。

私の調べた限りでは、作刀時の新発田藩は尊王思想に傾倒していて、文久3年は藩主自ら京都へ上洛し孝明天皇の護衛なども勤めているので、世相が反映した見事な尊王刀とみる事ができそうです。



拵えも、落ち着いた本歌の朱鞘に収まっていて、やはり勤王思想が反映されているのでしょうか。
ここぞとばかりに、柄紐も明るい色を選んで、幕末の京都に思いを馳せながら空気感の再現に挑戦しました。

幕末期には、実際にこういった色合いの拵えを落し差しにした勤王家が闊歩していたことでしょう。



お客様にとても喜んでいただけました。喜んでいただけた瞬間、とても報われた温かい気持ちになります。

さあ、次は寸延び短刀の拵えです!

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2 コメント

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肥前刀のことでご教示ください (ガヤマス)
2009-06-20 23:57:37
以前、軍刀のことでコメントさせてもらいました。ありがとうございました。
さて、知人と肥前刀のことで論争になっております。浅学の2人であれこれ語り合ってもらちが明きません。
論争のテーマは「肥前刀(忠吉一派)は新刀以降も『刀』はすべて太刀銘で切られた」が正しいか否かです。知人は「脇差・短刀を除き肥前刀はすべて太刀銘だ」と言います。私は以前、「播磨守忠国」の刀銘を見た覚えがあるため、「刀銘もありうる」と主張。知人は「それは偽銘だ」ということになり、結論が出ません。教えていただければ幸いです。お忙しいときに申し訳ありません。
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肥前刀の件 (拵師)
2009-08-02 18:03:17
返信が遅くなりました。申し訳ありません!
さてさて、肥前刀。実に難しいですね…肥前刀は。
真贋の程は、銘の位置だけで一概には言えませんが、ご参考までに以下が私の考えです。

まず、肥前刀の掟といたしまして、刀の銘は太刀銘に切り、脇差の銘は刀銘に切ると言われています。
実際に、常寸以上の肥前刀で刀銘に切った御刀を拝見したことがありません(偽物をのぞいては)。

ところが、以前不自然に思ったことがあります。それは後代ではありましたがまさに直系の肥前刀、上の出来はまさに二尺一寸五分の刀です。将校物の軍刀拵に収まった品のよい一振りでした。下の出来も偽物臭が感じられず(ただし、刀銘であることを除いて)、所有者は代々正真肥前刀と信じ大切に扱っている旨を伺いました。

私の拙い鑑定眼ではおかしなところは一切ありませんが、二尺二寸ちかい肥前刀が刀銘、このようなことがあるのでしょうか?と、某協会に聞きに言ったところ、制作当時の思惑が脇差であれば刀銘に切ったものが実在するとご教示いただきました。

以上のことから、刀の中にも刀銘の肥前刀があると思います。ガヤマスさんのご覧になった「忠国」は一概に偽名とは思えないというのが私の考えです。

なお、肥前刀に関する記事を書いてみようと思います。後日アップいたしますので、ご意見ご感想いただけましたら幸いです。
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