徒然刀剣日記

美術刀剣拵工作工房

北鎌倉製鉄文化ツアー

2017-04-24 23:40:48 | 徒然刀剣紀行
昨日の23日(日)、以前より告知していた北鎌倉での歴史探索ツアーを決行いたしました!
当日は天候にも恵まれ、新緑が萌える高原を散策するような、心地よい散歩日和の中での開催となりました。



今回ご参加いただいたのは、8名様(鎌倉に造詣の深い団体6名様と、かねてより交流のある刀剣愛好つながりの武道家2名様)でした。



北鎌倉ルートで開催する歴史探索ツアーは、今年初になります!
去年は、紫陽花の季節と紅葉の季節に連日開催しました。



日頃、暗い工房に閉じこもって刀剣工作に集中していますので、久しぶりの明るいところでのツアーに熱がはいります。



今回は、鎌倉時代以前の北鎌倉の話からスタート。



円覚寺と製鉄の知られざる関係や、国宝の梵鐘と相州伝の知られざる関係をご紹介。



ご参加頂いた方の中からは、「もっと刀剣の話を聞きたい!」といったご要望もございましたが、全体のバランスを考えて皆さんが楽しんで頂ける内容を選びました。



久しぶりの北鎌倉では、敬愛する北鎌倉の守護神・ベテランガイドの喜清さんにも再会することができ、こんな素晴らしいお土産まで頂戴いたしました。静嘉堂文庫にて、期間限定?にて販売されているそうです!

今回は北鎌倉を舞台に、埋れた歴史を掘り起こす謎解きツアーを、約2時間かけてまわりました。ご参加くださいました皆様、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。
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新作拵とあそびごころ

2017-04-20 11:29:24 | 拵工作
新しい拵えが完成しました!



寛文体配の長大な御刀です。健全そのものの刀身です!茎には長文の金象嵌裁断銘があり、歴代の所有者が如何に大切に扱ってきたかが一目で判ります。



私は、鑑定書にさほど興味はありませんが、次回の重刀審査に間に合うように思います。



ズシリと重いため、当初居合には不向きでは?と思いましたが、拵えでバランス調整に取り組んだ結果、十分使用可能であろうと感じます。



ご依頼者様よりお預かりしていた刀装具は、当初どうしても刀身に合わなかったため、何度も相談を重ねました。



刀身との相性やバランスとの兼ね合いで、必ずしもお持ち込み頂いた刀装具が使用できないということもあります。



拵えは、飾りではありません。刀剣と使用者を繋ぐ唯一の装置であり、使用用途に即した工作でなければ本末転倒な作品に陥りがちです。



特に柄前は、刀剣外装の顔に値します。所有者を表す大変重要な装置であることから、品格を加味する工作が必要です。



昨今、雑な柄巻きを施した安価な工作が横行していますが、武家の価値観に接するのであれば、避けたい工作です。



工作内容を挙げるとキリがないのですが、鞘には様々な工夫を凝らしました。
くり型は、ご希望によりシトドメを施さず、内側に金泥を塗りました。



コジリ寄りには、闇蒔絵により拵えのストーリーに関わる意匠を施しました。
拵え工作時には、刀身との兼ね合い、用途との関係も重要ですが、ストーリーを持たせることもトータルバランスの調整に寄与します。



鯉口には、ご依頼者様のお持ち込みになられた銀製のメモリアルプレートを加工して鯉口金具を作成しました。くり型の内側同様、鯉口部には金泥を塗りました。見えないところに金を乗せます。



蝋色黒蒔絵鞘、正絹諸摘み巻き、源氏物語拵えといった名称でしょうか?
鮫皮は、日頃手にすることのない大きな親鮫を配した高級品を、総巻きに着せました。

朝からお払いの儀を執り行ない、ただ今ブログを更新しています。
ご依頼者様に喜んで頂けることを、とても楽しみにしています!
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たたら ~日本古来の製鉄~

2017-04-18 00:27:38 | 洋鉄と和鉄
21世紀財団様より、第一級の専門書をご寄贈頂きました!



この書籍の内容は、西洋の製鉄法が導入されるまで日本の各地で行われていた「たたら製鉄」について、江戸末期山口県に実在した「白須山たたら」を中心に周辺の自然や人々の生活の営みも含めて彩色豊かに描いた絵巻「先大津阿川村山砂鉄洗取之図」を最新のデジタル画像で紹介しながら、たたら製鉄の設備や技法を詳細にかつ分かり易く解説を加えるというもので、次世代に語り継ぐべき素晴らしい資料だと思います。



大変貴重な資料をご寄贈頂いたJFE21世紀財団様には、この場をお借りいたしまして深くお礼申し上げます。

当方が独自に行っている、製鉄文化の紹介活動などで、積極的に活用させて頂きます。ありがとうございました!
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鎌倉の鉄に関する文化活動

2017-03-23 14:13:14 | ブレイク
先月、NPO法人「鎌倉別荘地時代研究会」様より講演依頼を頂戴し、鎌倉にて講義をさせて頂きました。



今回の講演では、予てより地域の文化圏と相州伝との関係について、共に調査や意見交換をさせて頂いている日刀保理事の安藤先生と時間を別けてお話をさせて頂きました。



当方からは、遺伝学的検知から見た日本人の起源より、製鉄技術の最古の流入経路の一つを北方ルートと仮定した場合の製鉄文化の伝播をご紹介しました。



また、安藤先生からは、製鉄及び日本刀の歴史と相州伝の誕生までをご紹介頂きました。



最新の研究論文や古文書類の紹介も含め、鉄の文化や歴史に興味のある方もない方も楽しめる内容でご案内できたと思います。



また、鎌倉時代~近代までの鎌倉周辺で作刀された刀剣を展示し、その違いなどもご紹介いたしました。



昨今、鎌倉での活動依頼が増えており、鎌倉へ行く機会が増えています。活動を続ける度に素晴らし出会いに恵まれ、私自身大変勉強になっています。



今後も活動を続けていきたいと思っておりますので、見かけましたらお気軽にお声掛けください。



少しでも、少数派の伝統工芸職人の存在や、見過ごされがちな鉄の文化にご興味をお持ち頂く切っ掛けになりましたら幸いです。
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桂小五郎の虎徹

2017-02-20 09:58:41 | ブレイク
ご来訪ありがとうございます!しばらく手付かずな状態が続き、さすがに「ブログを更新しないのか?」とお叱りを頂きましたので慌てて投稿させて頂く次第です。
言い訳になりますが、昨今一筋縄ではいかないご依頼が立て続き、なかなか拵えの完成に至らないことからブログどころではない!という状態です。近々、新規作成の御刀が完成しますので出来上がり次第更新させて頂きます!

さてさて、今回は幕末の偉人桂小五郎のお話をしたいと思いますのでお付合いください。



木戸孝允こと桂小五郎は、吉田松陰の知遇を得て頭角を現わし、のちに尊攘派の指導的立場となった大人物です。当時の江戸三大道場の一つ神道無念流の練兵館にて剣術を修め、剣豪の名を天下に轟かせました。池田屋事件では、危機一髪難を逃れるなど、常に幕末の激動の中に身を置き、坂本龍馬の斡旋で薩長同盟を締結したり、征長戦にて幕府軍を退けるなど活発な活動を続け、薩長主導による武力倒幕を成し遂げ、新政府を樹立した功労者の一人です。

新政府樹立後は、欧米に歴訪するなど輝かしい活動を続けますが、晩年は心を病み病没。享年45歳でした。

虎徹大鑑によると、愛刀は長曽祢虎徹の名刀で、島津斉彬より薩摩鶴丸城で拝領したことから鶴丸と号されたそうです。刃長は、二尺一寸六分(65.4cm)反りは、三分(0.9cm)折り返し銘で長曽祢虎徹入道興里、元々は2尺4寸程度の刀身を摺り上げた御刀といいます。

先日の鑑定会で出題された虎徹の茎の写真です。



上の出来は、遠目に見ても間違えようがありませんので当然「当り」。



ご覧のとおり、折り返し銘にて長曽祢虎徹入道興里。



ウブの目釘穴から鑑みて、元は2尺4寸前後。



記録にある桂小五郎の愛刀「鶴丸」と、特徴が一致!まさに、桂小五郎が島津斉彬公から拝領した鶴丸そのものと思われます。
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宮城県女川町:震災地の今

2016-09-23 03:24:29 | 徒然刀剣紀行
私が工芸家として積極的に活動を開始したのは他でもありません、東日本大震災がきっかけです。

子供の頃からものづくりに携わることを夢見て、20代前半で刀剣修復の修行を終えたものの(2001年独立)、あの日がくるまでは心のどこかで「廃れ往く伝統工芸の世界だけで食べていくことなど到底出来ない」と、どこか手を動かす仕事を軽視していたことも事実でした。

それまで家業と割り切っていた刀剣職人と製薬業界での技術職(臨床開発職)の二足の草鞋で活動し、新しい伝統工芸職人のあり方を模索していましたが、あの日を境に自分の中で何かが変わり、今出来ること・今しか出来ないことで社会に貢献したいと猛烈に思い立って、周囲の反対を押し切り刀剣職人に専念しました。
当然、安定した収入のない職人の世界です、生活は厳しくなりながらも好きな事を仕事にできる幸せと、朽ち果てる定めの刀剣類を一振りまた一振りと後世に残すお手伝いが出来る遣り甲斐で、この仕事を続けていく意義とありがたさを痛感しています。

そして、私の背中を押してくれた未曾有の大震災の復興イベントにお声がかかる度に、居ても立ってもいられず積極的に参加することにしています。2014年のインドネシア、2016年のインド、これらは全て東日本大震災への国際支援のお礼に繋がるイベントです。
そしてこの度、女川町にて居合演武をさせて頂く機会を頂戴しましたのでご報告いたします。

前振りが長くなりましたが、現在の女川町です。



美しい入り江には、震災の記憶を思わせるものはほとんど残っていません。



どこまでも静かな海面を海風が渡っていきます。



今回のイベントは、「ナマステ・インディア」という日本最大のインドの祭典のプレイベントとして、女川町で毎年開催されている「ナマステ・インディアin女川町」です。



インドに伝わるタンタという武道を基にした殺陣が、来日中のマニプリ舞踊団によって披露されました。



インドの剣術タンタに対して、日本の剣術居合を披露させて頂きました。



古流を中心に、午前の部と午後の部にて演武を行いました。



鎮魂の祈りと復興への願いを込めて、大役を務めさせて頂きました。



他にも、インドの伝統音楽の演奏会や伝統舞踊などが、披露されました。



皆さんボランティアにて日本中から駆けつけ、素晴らしいご活躍でした!



地元に伝わる伝統芸能も紹介され、大変魅力的でした!



帰り際に、真新しい防波堤が見えましたが、この風景を一変させる大きな津波が襲ったとは、とても想像できませんでした。



今年は九州でも大きな地震が発生したことから、現在お預かりしている熊本の御刀の修復のために鎌倉の歴史ツアーを開催し、参加者様のご了承のもと参加費用を被災地の復興の願いを込めて工作代に当てさせて頂いています。

この先震災の記憶はどんどん風化していくと思いますが、被災地への祈りやご支援の活動を継続して頂くことが、真の復興への原動力に繋がると思います。
世界中から震災をなくすことは出来ませんが、備えることと復興のために協力することは、絶対に必要だと改めて感じました。
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天正拵

2016-09-13 11:39:44 | 拵工作
時代拵えの掟を踏襲して作り上げたお刀が完成しました!



日本刀には、時代・地域・作者などによって、様々な種類があります。
中でも慶長時代以前に作刀された刀身は、政情の不安定や街道の不整備によって、材料・技術・考え方に至るまで地域毎に独自の発展を遂げたと考えられます。
また、刀身に様々な種類があるのと同様に、外装に関しても数えきれない程の様式や掟が存在します。

それら様々な種類の中で、一つ大きな違いを挙げるならば、美意識とでも言うべき武家のモノに対する考え方があります。
武家の美意識を、最も形に表現することが出来る身近な道具というと、衣類や甲冑・刀剣類といった身にまとうモノです。
特に、私は刀剣の外装に、各時代・所有者の嗜好・各々の美意識が反映していると考えています。



今回お作りした拵えは、天正時代の典型的な拵えの掟に従って作り上げた、通称「天正拵」と呼ばれる外装です。



お客様に刀身と刀装具(柄縁・鍔・目貫・小柄・笄)をご用意頂き、他の部品(柄頭・時代切羽の加工・栗型・返り角・コジリ)は当工房にて1から製作しました。柄巻きは、鹿皮を厳選し最も強固に仕上がるものを取り寄せました。



鮫皮には、漆を何重にも塗り重ね独特の色合いを作りました。
この技法は、拭きうるしなどと言い、この度の拵え様式が流行した天正時代頃にも頻繁に用いられた塗り方です。強度が増すことで強靭な中にも色の深みが現れることが特徴です。



刀身は、大磨り上げ風の茎にゴロンとした肉置きからドッシリとしたバランスのため、若干柄前の形状を厚めに仕上げてバランス取りを図りました。



この度の外装の最大の特徴は、鞘の両サイドに設置されたポケットです。それぞれの櫃穴には、小柄・笄(こうがい)が収まるように作られています。天正鞘とご用意頂いた笄の時代が違うことによる形状の不一致で、若干笄が飛び出して見えますが、鞘の掟を優先しました。



小柄は、ちょっとやそっとでは飛び出さないように硬めに固定しました。よく本歌の拵えで、小柄がグラグラになっているものを拝見しますが、本来はガッチリと固定されています。
日常的に帯びる刀ですから、小柄がスルスルと飛び出る様なことがあっては、大怪我の元です。



この時代の鞘塗りは、本来は花塗りであっただろうと考えています。
そのため、炭研ぎを最小限にして、温かみのある光沢に留めました。



返り角の設置は、武道用途での使用では邪魔になることが多く、工作も難しいことから、今日の拵えではあまり取り付けることがありませんが、観賞用の外装ではポピュラーな工作です。



両櫃を備えた鞘といえども、長時間帯刀した状態でも身体に負担がかからない様に、形状を計算して工作する必要があります。

この度の工作では、時代拵えの掟を踏襲しつつ、実用の美を表現し、かつ鑑賞に堪えられる目的で製作したことが、最大の特徴です。
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インド:鉄の歴史たび

2016-08-07 18:33:10 | 徒然刀剣紀行
人類と鉄との関係は古く、紀元前4000年とも言われる太古の昔から生活に取り入れていたと考えられています。最初期の鉄器の製造は、製鉄によって得られた人工的な鉄を用いたのではなく、隕鉄を加工していたと考えられています。では、製鉄技術が確立したのはいつ頃かというと、紀元前2000年頃の現在のトルコ周辺とされていますが、高度に実用化の域にまで高めたのはヒッタイトという認識で大体一致しています。ここでいう「実用化の域にまで高めた」技術というのが、鍛造の工程です。代表的な鉄器に、鮮やかな鍛接模様で知られるダマスカスがあり、現在のシリアの首都周辺で製造されていました。その材料とされる鉄こそが、インド産のウーツ鋼です。

前振りが長くなりましたが、このウーツ鋼にて紀元415年に作られた強大な柱が、1600年の時を越えて今日も朽ちることなく建ち続けています。



アショーカ王の柱とも呼ばれるチャンドラヴァルマンの柱です。
世界遺産クトゥブ・ミナール複合遺跡の一角にあり、世界七不思議の一つだとかオーパーツだといわれる錆びない鉄の柱です。子供の頃、この手の古代ロマンに心ときめかせ、いつの日かこの目で実物を見てみたいと夢にまで見た鉄の柱が今、目の前にあります!



思えば、鉄好きになったきっかけは、ほんの些細なこの鉄の柱の記事だったのかもしれません。科学的な解説や考察は、様々な研究者が取り組んでいますのであえて私から発信することはありませんが、なぜか表面の画像を接写する人が少ないことも不思議でなりません。



というわけで、地表から約120cmあたりの接写画像です(ちょっとブレているのは、ご了承ください)。
よく練れたドロッとした肌には、鉄骨や働きが縦横無尽に認められ、落ち着いた錆び色が上古刀の中心のようなシットリ感を彷彿とさせます。残念なことにフェンスが張り巡らされており直接触れることはできませんでしたが、異常なほど柱から離れない私を見かねた現地人(インドスズキ社員)が、いろいろ話してくれました。彼によると、ほんの10年ほど前まで柵はなく、触ることも出来たといいます。

しつこいようですが、チャンドラヴァルマンの柱はデリー郊外の世界遺産クトゥブ・ミナールにあります。鉄愛好家なら一度は訪れたい聖域です。

話は変わりまして、この度のインドでの武家文化紹介活動にご支援くださいました皆様にお手紙をお送りいたしました。諸事情により、対応が遅くなりましたことを深くお詫び申し上げますと共に、改めて皆様のご好意に対しお礼申し上げます。



ただ今、ご支援くださった皆さんへの更なるお礼を考えています!
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サナダ鍔

2016-07-18 02:26:22 | ブレイク
今年の大河ドラマは「真田丸」、言わずと知れた真田幸村らの活躍をドラマ化したTV番組です。史実とは若干違う部分もありますが、面白可笑しく歴史に触れられることで大変人気があるようです。
真田幸村と言えば、日の本一の武士(もののふ)などと評され、最も人気のある戦国武将の一人だと思います。

そんな真田一族の歴史は古く?、成和源氏の末裔とも、百済王家の子孫とも言われています(新宿高島屋での講演会でも少しだけお話しました。)とはいえ、史実上最も早い時期に活躍した真田氏と言えば、三浦氏から派生した岡崎義実の嫡子真田義忠ではないでしょうか?

真田義忠の所領は、現在の神奈川県平塚市真田周辺といわれています。
つまり、戦国時代に活躍した真田一族の発祥の地は、神奈川県平塚市真田の一帯かもしれません。



上記平塚市真田周辺の地図を見ると、近隣には神奈川の語源ともいわれる金目川や岡崎の地名(相州伝の名工、岡崎五郎正宗との関係は?)、川上には大陸からの帰化人が入植したといわれる秦野があり、足柄山から見て東側(坂東)であることは言うまでもありません。立地条件から考えて当初のサナダ氏は製鉄氏族であったことがうかがえます。

そんなサナダ氏ですが、江戸時代には大名家としてばかりか様々な分野にも活躍の場を広げています。

高級品ではありませんが、私の好きな鍔の一つに佐名田鍔があります。別名天法鍔とも言いますが、在銘にて佐名田天法と刻まれた作品を目にします。



焼き手腐らし技法というのでしょうか、無骨な肌合いがいかにも朴訥として武人の息遣いが聞こえるような面白さを感じます。



表面には、上下写真の如く「金」の槌目が全体に見られることも特徴の一つです。この「金」の刻印の意味ですが、「金」の語源を調べると一説には「か」を「堅く」(古語で焼く意味)、「ね」を「練る」とするものがあるので、よく練った強靭な鍔だよ!といった意味を含む意匠と考えられます。



見慣れてくると、「あぁ、同じ手だな!」と分かってくるのですが、他にも特徴的な共通点があります。



こちらの写真は別の鍔ですが、共通する部分がお解りになりますでしょうか?



笄櫃の歪な形状が共通しています。鍔の下工として、半製品を鍔職人に卸していた国広鍔ですら笄櫃の形状はもう一つ上品です。あまりに不自然なのでかっこ悪さすら感じますが、実際に笄を用いるような高級な拵えに用いることは当初から想定していなかったため、あくまで形だけ誂えたといった感じがします。

ちなみに、佐名田鍔を研究されている方を存じ上げないのですが、真田家とも関係があるのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください!「あり」となれば、私の想像力に火がつきます(笑)。

ここからは私の行き過ぎた空想?妄想?なのですが、隠れキリシタンとの関係を疑っています。銘に天法と切ることについて、隠しメッセージとしてTemple(英)・Temple(仏)・Tempio(伊)・Tempel(独)・Templum(ラテン)を意味しているのではないでしょうか?また、隠れキリシタンの墓標には「天」の一字を用いることも良く知られています。
さらに、真田幸村は洗礼を受けていたとする説もあることから、江戸初期に大量に作られた事と当時の史実などを照らし合わせて、大阪での軍資金調達に一役かったのではないか?と睨んでいます。

その後も、例えば1636年に長崎で捕らえられたアウグスチノ会のトマス次兵衛神父は金鍔次兵衛と呼ばれており、「金鍔」は次兵衛が金の鍔の差料を帯びていたことからそう呼ばれていたとされていますが、当時ゴールドの鍔を用いていたとする時点でかなり怪しいことから、「金」の刻印が散りばめられた鍔を用いていたと解釈した方が理解がスムーズです。つまり佐名田鍔を用いていた或いは隠れキリシタンの証として信者や協力者に渡していたなど、定説よりも様々な解釈ができます。

いずれにしても、よく練れた武骨な鍔ですので、実用には大変重宝します。
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刀身を活かす柄前

2016-07-04 22:49:46 | 拵工作
しばらく付きっ切りで修復を施していた柄前が完成しました!



そもそも修復とは、一定水準以上の技術が注ぎ込まれた作品を、経年劣化などで破損した箇所を補修し、再度本来の性能を引き出す工作の事を指しますが、今回のご依頼は一筋縄ではいきませんでした。



元々工芸家の手によるものではなく、どこから手をつけて良いやら全く見当がつないことから、時間ばかりが過ぎていくという職人泣かせな作業でした。



下地から作り直した方が断然簡単な仕事でしたが、ご依頼内容がどうも判然とせず、手探り状態が続きました。



現状の柄下地を活かすには、一度染み込んだ溶剤や接着剤を完全に除去しなければなりません。
鮫皮からもラッカーを完全に除去し、強度の補強の為に漆で塗り固める方法をとりました。



柄成りは刀身のスペックを引き出せるように若干肉置きを蛤型に整え、柄糸を幅の狭めのものを用いることで補強と使用感の向上を重視しました。



今回、あまりにも雑な拵えを修復するということもあり、通常の倍ちかい時間がかかってしまいましたが、修復前の様にすぐに壊れてしまう外装では安全に武道の稽古もできませんので、じっくり腰をすえて取り組ませていただきました。

結果、何とかカタチになってくれましたので、職人としてはまずは一段落です。
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北鎌倉、紫陽花と鉄の知的散策

2016-06-11 03:02:59 | 徒然刀剣紀行
この時期の北鎌倉は、一年の中でも特に混雑しています。
その理由は、なんと言っても紫陽花を見ようと観光客が集まるからです。



今週あたりの紫陽花がもっとも見ごろです!
北は北海道から南は九州まで、日本中のあじさいファン?が押し寄せてきます。

しかしながら、紫陽花と鉄の関係については、あまり知られていません。



そこで、某旅行会社からのご依頼にて、鎌倉の紫陽花と鉄文化に関する知的散策ガイドを行っています。

紫陽花とはどのような植物か、鎌倉の鉄文化とはどのようなものか、両者の驚くべき関係とは・・・。
そんなことをお話しながら、一風変わった鎌倉の魅力を発信できればと思っています。

日本刀の工芸家ならではの雑学を交えながら、歴史散策の面白さをお伝えします。特に、鎌倉幕府以前の鎌倉の歴史を鉄の足跡から紹介するツアーは、製鉄の歴史を研究している私だけです。一般的な鎌倉散策に飽きた方も、きっと新しい発見があると思います。



三日連続のお試しツアー最終日となる11日(土)は、梅雨の中休みとなる週末ですので、大変な混雑が予想されます。
旅行会社さんからは、円覚寺~明月院という特別コースにて、各1時間のツアーをご依頼されています。



開始時間は、以下のとおりです。

第一回目9:30~10:30、第二回目11:00~12:00、第三回目13:00~14:00、第四回目15:00~16:00

北鎌倉にお越しの際は、ぜひお声掛けください。
しかし、今日は暑かった!明日も蒸し暑いと思いますので、マメな水分補給を心がけて鎌倉観光をお楽しみ頂きたいと思います。
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錆びた刀の修復

2016-05-20 17:09:39 | 刀身研摩
鉄は、錆びます・・・。

厳密に言うと、純鉄は原子的な結合が安定しているので酸化がおき難いのですが、世の中のほとんどの鉄製品(人類が作り出す鉄には微量のほかの元素が混入している)は、川の水が低いところへ流れるのと同様に、より安定した立ち位置に戻っていく性質があります。この呪縛からは、純度が極めて高いことで知られる鉄の芸術品「日本刀」といえでも、逃れることはできません。
特に、炭素が電極として作用するため、炭素を多く含有している日本刀は酸化が加速度的に起こります。
では、ステンレス製ナイフはなぜ錆びないの?というと不動態皮膜と呼ばれる表面の錆びの層がそれ以上の錆びの侵食を食い止めているのですが、それはまた別の機会に・・・。



というわけで錆び易い刀剣の修復は、錆を除去するための研磨以外に方法がありません。

この刀身は、全身アバタ状の錆がうっすらと表面を覆っていました。



この手の錆び身は、想像以上に錆が深いことが多く、一見光って見えても購入には注意が必要です(錆びがあるがゆえに安く買える場合は別問題!)。ちなみに、錆びていても切れ味に違いはありませんが、元来武家は腰のものが錆びていることを非常に嫌いました。



研ぎあげてみると、映りっ毛のあるとてもよい御刀でした。



体配からは、慶長~寛文期の実戦刀であることが判ります。
研いだ感触からは、もう少し古い感じがしました。地金は、古刀期の鉄味です。



引き続き、拵えの新規作成に移ります!
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刀剣外装のお直し・リメイク

2016-05-16 02:23:28 | 拵工作
拵えのリフォームが完了しました!



この度のご依頼は、近年に別の御刀のために拵えられた外装を、お客様の愛刀に着せるという変わったお仕事です。(注意:時代の上がる外装を着せることはできません。鞘の中に錆が落ちている可能性もあり、外装から刀身の破損が進行することがあるからです。)



全く別の刀身のために作られた拵えですので、偶然でもない限り無加工で取り付けることはできません。今回はご予算が限られることと、ある程度鞘の反りが合うことから、極力拵えを生かしたリフォームに挑戦します!



鞘は、この度の御刀よりも若干腰反りの体配(現存するツナギからも、このことが伺えます)であったことから、鯉口の角度を修正して新たに鯉口を作りました。



柄前は、一度バラバラに分解し、刀身に合わせて下地から作り直します。
(時々、柄の中を専用のヤスリで削ったり、詰め物をして刀身に合わせる加工をする業者や職方がいますが、居合や抜刀に用いる場合には避けたい工作です。)



この際に、刀身に合わせることはもちろんのこと、使用者や用途に合わせて仕立てることも重要です。今回は、以前の状態よりも柄下地を薄く仕立てましたので、新たに鮫皮の加工が必要です。



この手の工作では、鞘の形状がそもそも刀身の体配に合っていないことから、納めた状態で柄前と鞘の位置が若干ずれるという問題が発生します。
拵えの据わりが悪いということは、職方としては一番気になってしまいます。
当然ながら、新しい鞘をオーダーされた方が、拵え全体のバランスと言う意味で完成度が上がりますが、限られたご予算の中で極力良いものをお作りするためには、外見のスマートさよりも使用感や安全性の向上に注力します。
用は優先順位を明確にし、重要な箇所に技術を集中させる踏ん切りが必要になります。
特に鞘は消耗品ですので、今回は将来的に新しい鞘に変えることも視野に入れて柄前を製作しました。もし、現行の鞘に合わせて柄前を仕立ててしまうと、新しい鞘に変更した時に、またもや柄縁と鯉口の位置がずれて不恰好になりかねませんので、長い目で見たリペア性も加味して工作します。

あとは、納品を待つばかり!
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脇差し拵の作り替え

2016-01-24 00:24:24 | 拵工作
昨年末から取り組んでいる脇差しの修復です。



いよいよ納得のゆく仕上がりになってきました。



当初の状態は、他の職方?によって修復が施されたばかりの状態でしたが、ご依頼者様が作り替えをご希望される気持ちがよくわかる完成度でした。
既に大幅に手が加えられており、元の状態に復古することは難しいのも事実ですが、一度分解してみたところ下地はとてもよい材料を用いていました。



そのため、今回はどうしても再生させてあげたいという気持ちで、在りし日の形状に迫りたいと思います。



この度のご依頼は、以前当工房でお作りしたお刀の外装(先日鞘のみ変更しました:アメーバブログ「鞘の修復」)の対になる脇差し拵えとして作り直して欲しいという内容です。そのため、大小のバランスを考えて柄糸の色や刀装具を選択しました。柄前の詳細は、2016年1月13日の投稿「柄前の作り替え(脇差し編)」をご覧下さい!



鞘も黒蝋色に塗り直しました。とはいえ遊び心を加えて、強い日光の下では若干螺鈿の反射が現れるように、所々下地に螺鈿を残してみました。蛍光灯下では一切見えないため、落ち着いた趣が宿りました。



あともう少し手をかけたいと思っていますが、トータルバランスとしては完成です!完成といっても、工房に置いてあるとチョコチョコ弄ってしまうため、私の手元にある限り終りが無いというのも事実なのですが・・・(笑)。
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室町時代の刀

2016-01-22 17:00:16 | 刀身研摩
錆びた日本刀の修復が完了しました。



特に錆が酷かった指裏です。

日本刀の刀身の修復は、研磨意外に方法がありません。
そのため修理をすればするほど(研げば研ぐほど)刀身は痩せてしまいます。
今日残っている日本刀は、何世代にもわたって所有者が入れ替わっていますが、その都度所有者全員が錆びさせないように、日頃から手入れを欠かしませんでした。手入れをさぼれば錆を呼び、錆びれば研磨が必要になる、そしてその度刀身が消耗してしまうことを知っていたからです。
戦後日本刀は武器としての性質を否定され、美術品としての美しさが重要視されています。この時期、刀身を美しく見せる研磨法は飛躍的に向上しましたが、昭和から平成にかけてもっとも日本刀が痩せた時代ではないか?と思います。



今回のお刀は、刀身研磨と外装製作のご依頼ですが、長年放置されて所々朽ち込みをみる水錆状態(上図参考)でしたので、極力痩せないように研磨を施し、更に荒れ気味の肌を押さえて研いでみました。



切っ先が若干延びごころですが、室町時代の典型的な体配です。
先がもう少し伏せっていたら、もっと古く見えるでしょう。研ぎ味は、鎌倉時代の刀を研ぐようでした。表裏で、表情がガラッと変わるところも実に味わい深いお刀です。



どうしても修復が出来ない箇所は、刃中の鍛え割れです。

ここで一端、ご依頼者様にお戻しして、拵えの設計に関して、再度綿密な打合せをしたいと思います。
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