徒然刀剣日記

美術刀剣拵工作工房

伝えるべき伝統の心

2018-01-11 00:25:16 | ブレイク
月刊「武道」1月号に、随筆を掲載して頂きました!



月刊「武道」は、公益財団法人日本武道館が「心技体 人を育てる総合誌」のキャッチフレーズの下発行する、同分野における権威ある刊行物の一つです。内容は、武道そのものを中核にすえ、教育・健康・教養を三本柱とする誌面構成になっていることが最大の特徴です。武道指導者ばかりか次世代の育成を目指す教育者にとっても、大きな手助けとなる出版物なのです。

月刊「武道」最新号のご案内はこちら



この度、日本武道館様より執筆依頼を頂いたことは、大変光栄なことです。拙い文章ではございますが、思いの丈を綴らせて頂きました。



月刊「武道」1月号は、現在全国の書店にて発売中です。特に新年号は読み応えのあるボリュームにも関わらず、定価545円とお求めやすい価格設定になっています。



末筆になりますが、皆様の変わらぬご健勝をお祈り申し上げまして、新年のご挨拶と代えさせていただきます。本年もよろしくお願い致します。
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新作拵と研摩

2017-11-12 13:14:53 | 拵工作
長らくお預かりしている御刀の工作を終えました!
お待ち頂いているご依頼者様には大変心苦しいのですが、毎度ながら手が遅くて申し訳ございません!

この度のプロジェクトは、ご依頼者様に刀身と刀装具をご用意頂き、新たに刀装を拵えるお仕事です。



お持ち込み頂いた御刀は、本職ではない器用な方?が刀身を研摩されたかと思う様な極端な部分的な痩せ方をしていて、指裏の消耗が激しいため整形が難しい案件でした。



まずは、ハバキを白金師さんに依頼し、色揚げは何度か当工房で調整しました。



刀身を名倉まで研ぎ進めた段階で、鞘師さんに白鞘とツナギの製作をお願いしました(通常は、改正までで別作業に移ります)。その後、いよいよ刀装具の微調整と拵え下地を作成します。



刀装具の調整では、鍔に責め金を作り、古い切羽を用いました。切羽は、刻み加工なしで新規作成する旨のご指示を頂いていたのですが、作ってみたところ何とも味気ない仕上がりで拵え全体の雰囲気を崩すことから、都内の刀剣商を回ってサイズの合う骨董品を探し、加工取り付けしました。



柄前は、最上級の親鮫を配した鮫皮を総巻きに背合わせで貼り、柄糸を限りなく黒に近い深緑に染め上げて、諸摘みで巻き上げました。



刀剣外装の命といっても過言ではない柄成の調整にも、余念がありません。
鞘の栗型は江戸時代の物を流用して、新物では再現できない微妙な造形美を移植しました。



今回、最も時間が掛かった鞘の塗りです。細かい黒石目ですが、ただ漆黒というわけではありません。ご依頼者様からは、「ただの黒ではつまらないので…」とお伺いしていたので、海老茶の上に黒石目を撒きました。
はじめに焦げ茶の上に同様の塗りを施したのですが、あまりにも「ねらいました!」という表情が模造刀のような品の無さを感じさせるので、ハバキの色と同系色の柿色を配合して塗ることで、ほかでは見ない色合いに挑戦してみました。



とても長い時間がかかりましたが、完成です!

納期のお約束を頂いていないありがたいお仕事は、どうしても急ぎ仕事が割り込んでしまう関係上完成が遅くなります。度々様子見のお問い合わせを頂戴しますが、けっして放置しているわけではありません。もちろん、手抜きも一切ございませんので(むしろ、時間的束縛がないので入念に工作しています)、その旨ご了承くださいます様お願い申し上げます。
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短刀の修復

2017-11-12 02:03:01 | 刀身研摩
大変興味深い短刀の修復です。

発見当初よりご相談頂いてきた案件で、所有者様の「適切な保管に努めたい!」というご要望を考慮して、研磨と白鞘の補修を行いました。



当初、地刃共に不鮮明。柄が錆び付いて抜けず、太陽にかざしてやっと物打ち周辺の焼刃が見える程度でした。

詰まった感じの硬い鉄と見え隠れする地金の色調から、新々刀とあたりをつけて安易な気持ちで焼刃を探していると・・・「ん?」、なんとも凄まじい刃中の働きに背筋がゾッとしてきました。



気のせいかもしれませんが、山浦一門に見る冴えを感じるも、頑張って抜いた茎には「兼友」の二字銘が!この時は、さすがに興奮しました!
体配的には南北朝もありえる形状です。

ご依頼者様は、私が何を騒いでいるのか?なぜテンションが上がっているのか?チンプンカンプンといった顔をしていましたが、今思うとお恥ずかしい限りで、ひょっとしたらあぶない人だと思われたかもしれません(笑)。
登録証が発行されて、直ちに修復を開始します。



まずは、白鞘の分解から始めます。古い白鞘は錆を吸っていて、このままでは使用することはできません。何度もご依頼者様とやり取りをするも、白鞘を新調する意味をご理解頂く事が難しそうだったので、今回は白鞘に補修を施して再利用することにしました。



研ぎでは、当初の研ぎ方(幕末期の研ぎか?)を踏襲して、現代研ぎは施しませんでした。そのため差し込み的な肌の沈み感は否めませんが、刃中の働きを楽しむことができます。



この度のお仕事は、あまり評価されていない?郷土鍛治の素晴らしい作品に触れて、その技術力の高さや作刀姿勢など、今まであまり思いをめぐらせたことのない作者の思いに意識が向きました。



明らかに古刀の再現を目指した作域であって、古今の変わらぬ美意識を垣間見たような心境に至り、言い知れぬ感動と感謝の気持ちがこみ上げてきました。



左はこの度の御刀の茎、右は特重の直江志津の茎です。
上の出来は古作を見た人間にしか作れないような働きに満ちているため、某藩の収蔵品に接することができた藩工であったと考えています。鉄の違いは若干感じましたが、それでも違和感は感じない程でした(砥石あたりは違います)。

今回は、本当によい勉強をさせて頂きました。
現在、北枕にてお祓い待ちです。
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脇差の再生(修復と再現の間)

2017-10-08 02:43:47 | 拵工作
室町期の刀身と付属の江戸期の刀装の修復が完了しました!



今回は、刀剣愛好初心の方からのご依頼です。そのため、刀剣がただの刃物の延長線上にある作品ではない!ということを体感して頂けるように、日本刀が歴史そのものを実体化した文化的存在であることを紹介していきたいと思います。
この度の修復で特に意識的に力を入れたことは、作刀時の雰囲気を再現することに重きを置きました!



柄前にいたっては、棒柄状の柄下地を廃して下地から新たにおこしました。付属の鞘(北国の作域を感じますが定かではありません)の形状を殺さない様に、極限まで鍔元から柄成りに動きを付加し、使用時(戦闘時?)の刀身と柄前への負荷、使用者の疲労感を逃がすための加工を施しました。

この刀身は、室町時代に一大生産地として繁栄を誇った三原の地で作られた実用刀です。今日古刀というと、どうしても五ヶ伝を始めに想像してしまいますが、それはあくまで便宜上定められた統計学的な分類分けであって、当時の日本には思考や言語、文化や刀剣の用途に至るまで、大きな地域差があったと考えられます。

苦労した点は、鞘の鯉口の径よりも、若干柄縁の外径の方が大きいことから、据わりをよく見せる為に四苦八苦したこと。また、目貫があとから手元に届いたため、想像していたイメージが崩れてしまって、何度か調整を余儀なくされたことです。(後から設計の変更が加わると、刀剣のバランスを崩す可能性があるので、極力避けたい工作です。柄下地製作時の記事はこちら(ameba-blog:柄前の作り替え)。)



付属の外装は、江戸期の道中脇差の様な一般的な作り込みです。この手の刀装は、戦国期の本歌拵えに見られるような戦闘上の工夫や機能性を持っておらず、日常生活に支障をきたさないような作り方に終始しています。ある意味職方の用途への配慮を感じますが、今回目指す設計とはかけ離れています。

今回は、「戦国期の片手打ちの外装は、このような作り込みであっただろう」という考証に重点を置いています。



もちろん刀装の据わり感だけを調節したのではなく、抜刀時に鞘を払った状態での雰囲気にも配慮して研ぎ方を何度か変更しました。当初は、菖蒲造りの刀身に掟通りの鑑賞研摩を行いましたが、鋭利感をより強調するために肌を抑えて地を沈め、横手を切ることで武器感?を強めました。



刀身研摩時の記事へはこちら(ameba-blog:伸びごころの切先について)

私は、刀剣の命はトータルバランスにあると考えていますが、今回も設計段階から目指す表情を定めることで、前出の通り時代考証に努めつつ実用の美が表現できる様に努めました。

追記:柄前作り替え時に、アンバランスな鍔を小さめの鍔(+責め金加工)に変更し、バランスを調整しました。

後はお祓いを済ませて、納品するのみです!
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バックヤードツアー

2017-08-23 22:08:37 | ブレイク
今日は、予てより計画していた、近隣学生をお招きしての伝統文化体験会を開催しました。題して、「刀剣工房バックヤードツアー!」



刀剣修復の現場をご覧頂き、体験することで、ニッチな工芸分野を一日かけて体感して頂きました。



内容は盛りだくさん!刀剣の歴史や鑑賞の所作・見どころなどは程々に、今回は各自に愛用の包丁をご持参頂き、実際に研いでみよう!という体験の時間を設けました。


今回一番の名品、和鉄の出刃。



包丁の研ぎが終わったら、たった今研ぎ上げたばかりの包丁を使って、魚を三枚に下ろします。生まれ変わった包丁の切れ味を身をもって体験頂いたあとは、さばいたばかりの魚で寿司を握る料理教室のお時間です。



みんなでにぎった寿司をお腹いっぱい味わったあとは、工房を移動して居合の見学&体験をお楽しみ頂きました!



朝の10時から20時まで、完全参加型の体験会をみっちり楽しんでいただきました!ちかい将来、この度の経験を養分に更なる飛躍をされますことを楽しみにしています。


人見知りのネコが、なぜかベッタリ。

ご参加くださいました皆様、ありがとうございました!
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鎧通しの修復

2017-08-15 22:28:06 | 拵工作
可愛らしい短刀の修復が完了しました!



この御刀は、発見届けの段階からご相談を頂いており、登録証の発行後直ちに修復を開始しました。


当初の状態は、お世辞にもよいとは言えませんでした。

刀身は全面に錆が深く朽ち込み、付属する匕首拵えは栗型が欠落し、柄巻きは脱落、キズと汚れが全体に著しく、修復は困難が予想されました。


まずは、刀身の研磨を施しました。

可愛らしい短刀拵えとは裏腹に、中身は鎧通しと呼ばれる殺傷力の高い刀身です。


今回は、白鞘とつなぎを新たに作成しました。


拵えには、同じ時代の栗型を用いて修復し、柄前には柄巻きを施しました。


最後に微調整を施して、お祓いを済ませた後に納品です。

あともう少し!最後まで気を抜かずに修復に努めたいと思います。
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掲載記事

2017-06-30 01:09:43 | ブレイク
国内最高品質の呼び声高いフリーペーパー『No Guarantee』No.14に、掲載して頂きました!



No Guaranteeは、気骨あふれる有志が集い毎号自腹で製作しているというユニークな雑誌です。「コミュニケーションをテーマに会いたい人に会いに行く、伝えたいことを発信する」というコンセプトで発行を続けており、FOM大賞も受賞している全く新しいカタチの情報誌です。
14号の表紙をかざっているのは、言わずと知れたプロレスラーのジャガー横田さん。

ちなみに写真の後ろにみえる巨大な階段状本棚は、ここ数日仕事をサボって作り上げました!(笑)



このようなカタチで、当方の活動をご紹介頂けることに、大変感謝しております。



一般的な職方の在り方からすると、私の活動方針に違和感を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、衰退の一途をたどる伝統工芸分野を少しでも知って頂きたいという気持ちで活動しております。


こちらは、先月掲載頂いた朝日新聞の記事。

これからも己の信念に従い、文化活動を積極的に続けていきたいと思っています。日頃から応援してくださっている皆様には、この場をお借り致しましてお礼申し上げますと共に、変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
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戸塚を思う

2017-05-20 11:57:08 | ブレイク
昨日、徹夜明けの身体に鞭打ち、戸塚へ・・・。刀剣修復のご相談があるということで、ご近所さんのご自宅へ車を走らせました。

戸塚は、江戸時代に旧東海道の宿場町として栄えたことが知られています。近年、駅前の急速な再開発で、新しい街として生まれ変わりつつあります。
戸塚町にある富塚八幡の縁起によると、平安時代に戸塚修六郎友晴らがこの地を開墾したことに由来し「戸塚」と呼ぶようになったとあります。



当時の山ノ内荘の地名からも、戸塚が古い地域である事がわかります。
となれば、相模の文化である坂東の武家文化と密接な関係が想像できます。
中でも武家の権力の象徴として、武力を支えたであろう製鉄の技術が発達していたことは安易に想像できます。ところが、このあたりは極端に資料に乏しく、製鉄の遺構なども栄区に比べて調査が進んでいません。

そこで、注目に値する資料を一つご紹介します。



「本朝鍛治考」に、日頃見慣れない相州鍛治の一群の記載があります。



室町期の刀匠弘房が、相州土塚住とあります。この土塚は戸塚の誤記と思われます。そうです、室町時代まで戸塚の地にも製鉄の文化が生きていたのです。元々技術や文化的土壌の無いところに、突然製鉄文化は登場しませんので、戸塚区の地域でも栄区同様、相州鍛治が活躍していたことが考えられるのです。

山ノ内と沼間の鍛治集団はよく知られていますが、山ノ内荘全域で高度な製鉄文化が発達していたことを根本的に理解する必要がありそうです。
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古作短刀の修復

2017-05-19 10:35:50 | 刀身研摩
可愛らしい短刀の研摩が、終わりました!



この短刀は、研ぎ減りによるものなのか?はたまた元々の形状なのか、反りがありません。反りがないどころか逆反りづいているため、突っ伏したような体配です。通常このような短刀を「筍反り」などといい、修復の過程で峰側から整形を施したため、タケノコのような形状になったと解説されることが多いです。しかしながら、作刀当初からこのカタチだった可能性も否定できません。

さて、この短刀身。錆身の状態で当工房へ担ぎ込まれました。数多のヒケ傷、刃こぼれ、そして驚くべき事に峰が無数に叩き潰されていました。おそらく、胡桃などの硬いものを割る為に峰側をハンマーで叩いて鑿のように使ったのではないでしょうか?白鞘の鞘書きによると「波平」に極められ金粉銘があったようです(茎が磨かれて?金粉銘は確認できず)。大変貴重な胡桃割り工具ということになりますが、刀剣をこのように使用している方が他にもいらっしゃる様でしたら、直ちにやめてください!限りある文化財の破壊行為にほかなりません。



研摩を施した結果、直刃調のノタレ刃に細かく働き、帽子は焼き詰め。柾目の肌もあいまって「波平」という鑑定は無難です。教科書通りの落し処ですが、西国の鉄はもう少し黒く鍛えも粗い様に感じます。研いだ時の感触からいって素直に大和本国でよいのでは?と思います。ちなみに、刃長(刃渡り)は16cmほどしかありませんが焼き出しになっており、鑑賞の魅力あふれる古短刀です。白鞘も古く、鳩目は表と裏で陰陽になっており、かつては大切にされていたことが窺い知れます。



日頃縁組みの仲介は致しませんが、所有者様がご高齢ということもあり、一日も早く心ある愛刀家のもとに納まって欲しいので、例外的にお力添えさせて頂きます。ご興味のある方は、ご一報ください。
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北鎌倉製鉄文化ツアー

2017-04-24 23:40:48 | 徒然刀剣紀行
昨日の23日(日)、以前より告知していた北鎌倉での歴史探索ツアーを決行いたしました!
当日は天候にも恵まれ、新緑が萌える高原を散策するような、心地よい散歩日和の中での開催となりました。



今回ご参加いただいたのは、8名様(鎌倉に造詣の深い団体6名様と、かねてより交流のある刀剣愛好つながりの武道家2名様)でした。



北鎌倉ルートで開催する歴史探索ツアーは、今年初になります!
去年は、紫陽花の季節と紅葉の季節に連日開催しました。



日頃、暗い工房に閉じこもって刀剣工作に集中していますので、久しぶりの明るいところでのツアーに熱がはいります。



今回は、鎌倉時代以前の北鎌倉の話からスタート。



円覚寺と製鉄の知られざる関係や、国宝の梵鐘と相州伝の知られざる関係をご紹介。

ご参加頂いた方の中からは、「もっと刀剣の話を聞きたい!」といったご要望もございましたが、全体のバランスを考えて皆さんが楽しんで頂ける内容を選びました。



久しぶりの北鎌倉では、敬愛する北鎌倉の守護神・ベテランガイドの喜清さんにも再会することができ、こんな素晴らしいお土産まで頂戴いたしました。静嘉堂文庫にて、期間限定?にて販売されているそうです!

今回は北鎌倉を舞台に、埋れた歴史を掘り起こす謎解きツアーを、約2時間かけてまわりました。ご参加くださいました皆様、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。
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新作拵とあそびごころ

2017-04-20 11:29:24 | 拵工作
新しい拵えが完成しました!



寛文体配の長大な御刀です。健全そのものの刀身です!茎には長文の金象嵌裁断銘があり、歴代の所有者が如何に大切に扱ってきたかが一目で判ります。



私は、鑑定書にさほど興味はありませんが、次回の重刀審査に間に合うように思います。



ズシリと重いため、当初居合には不向きでは?と思いましたが、拵えでバランス調整に取り組んだ結果、十分使用可能であろうと感じます。



ご依頼者様よりお預かりしていた刀装具は、当初どうしても刀身に合わなかったため、何度も相談を重ねました。



刀身との相性やバランスとの兼ね合いで、必ずしもお持ち込み頂いた刀装具が使用できないということもあります。



拵えは、飾りではありません。刀剣と使用者を繋ぐ唯一の装置であり、使用用途に即した工作でなければ本末転倒な作品に陥りがちです。



特に柄前は、刀剣外装の顔に値します。所有者を表す大変重要な装置であることから、品格を加味する工作が必要です。



昨今、雑な柄巻きを施した安価な工作が横行していますが、武家の価値観に接するのであれば、避けたい工作です。



工作内容を挙げるとキリがないのですが、鞘には様々な工夫を凝らしました。
くり型は、ご希望によりシトドメを施さず、内側に金泥を塗りました。



コジリ寄りには、闇蒔絵により拵えのストーリーに関わる意匠を施しました。
拵え工作時には、刀身との兼ね合い、用途との関係も重要ですが、ストーリーを持たせることもトータルバランスの調整に寄与します。



鯉口には、ご依頼者様のお持ち込みになられた銀製のメモリアルプレートを加工して鯉口金具を作成しました。くり型の内側同様、鯉口部には金泥を塗りました。見えないところに金を乗せます。



蝋色黒蒔絵鞘、正絹諸摘み巻き、源氏物語拵えといった名称でしょうか?
鮫皮は、日頃手にすることのない大きな親鮫を配した高級品を、総巻きに着せました。

朝からお払いの儀を執り行ない、ただ今ブログを更新しています。
ご依頼者様に喜んで頂けることを、とても楽しみにしています!
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たたら ~日本古来の製鉄~

2017-04-18 00:27:38 | 洋鉄と和鉄
21世紀財団様より、第一級の専門書をご寄贈頂きました!



この書籍の内容は、西洋の製鉄法が導入されるまで日本の各地で行われていた「たたら製鉄」について、江戸末期山口県に実在した「白須山たたら」を中心に周辺の自然や人々の生活の営みも含めて彩色豊かに描いた絵巻「先大津阿川村山砂鉄洗取之図」を最新のデジタル画像で紹介しながら、たたら製鉄の設備や技法を詳細にかつ分かり易く解説を加えるというもので、次世代に語り継ぐべき素晴らしい資料だと思います。



大変貴重な資料をご寄贈頂いたJFE21世紀財団様には、この場をお借りいたしまして深くお礼申し上げます。

当方が独自に行っている、製鉄文化の紹介活動などで、積極的に活用させて頂きます。ありがとうございました!
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鎌倉の鉄に関する文化活動

2017-03-23 14:13:14 | ブレイク
先月、NPO法人「鎌倉別荘地時代研究会」様より講演依頼を頂戴し、鎌倉にて講義をさせて頂きました。



今回の講演では、予てより地域の文化圏と相州伝との関係について、共に調査や意見交換をさせて頂いている日刀保理事の安藤先生と時間を別けてお話をさせて頂きました。



当方からは、遺伝学的検知から見た日本人の起源より、製鉄技術の最古の流入経路の一つを北方ルートと仮定した場合の製鉄文化の伝播をご紹介しました。



また、安藤先生からは、製鉄及び日本刀の歴史と相州伝の誕生までをご紹介頂きました。



最新の研究論文や古文書類の紹介も含め、鉄の文化や歴史に興味のある方もない方も楽しめる内容でご案内できたと思います。



また、鎌倉時代~近代までの鎌倉周辺で作刀された刀剣を展示し、その違いなどもご紹介いたしました。



昨今、鎌倉での活動依頼が増えており、鎌倉へ行く機会が増えています。活動を続ける度に素晴らし出会いに恵まれ、私自身大変勉強になっています。



今後も活動を続けていきたいと思っておりますので、見かけましたらお気軽にお声掛けください。



少しでも、少数派の伝統工芸職人の存在や、見過ごされがちな鉄の文化にご興味をお持ち頂く切っ掛けになりましたら幸いです。
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桂小五郎の虎徹

2017-02-20 09:58:41 | ブレイク
ご来訪ありがとうございます!しばらく手付かずな状態が続き、さすがに「ブログを更新しないのか?」とお叱りを頂きましたので慌てて投稿させて頂く次第です。
言い訳になりますが、昨今一筋縄ではいかないご依頼が立て続き、なかなか拵えの完成に至らないことからブログどころではない!という状態です。近々、新規作成の御刀が完成しますので出来上がり次第更新させて頂きます!

さてさて、今回は幕末の偉人桂小五郎のお話をしたいと思いますのでお付合いください。



木戸孝允こと桂小五郎は、吉田松陰の知遇を得て頭角を現わし、のちに尊攘派の指導的立場となった大人物です。当時の江戸三大道場の一つ神道無念流の練兵館にて剣術を修め、剣豪の名を天下に轟かせました。池田屋事件では、危機一髪難を逃れるなど、常に幕末の激動の中に身を置き、坂本龍馬の斡旋で薩長同盟を締結したり、征長戦にて幕府軍を退けるなど活発な活動を続け、薩長主導による武力倒幕を成し遂げ、新政府を樹立した功労者の一人です。

新政府樹立後は、欧米に歴訪するなど輝かしい活動を続けますが、晩年は心を病み病没。享年45歳でした。

虎徹大鑑によると、愛刀は長曽祢虎徹の名刀で、島津斉彬より薩摩鶴丸城で拝領したことから鶴丸と号されたそうです。刃長は、二尺一寸六分(65.4cm)反りは、三分(0.9cm)折り返し銘で長曽祢虎徹入道興里、元々は2尺4寸程度の刀身を摺り上げた御刀といいます。

先日の鑑定会で出題された虎徹の茎の写真です。



上の出来は、遠目に見ても間違えようがありませんので当然「当り」。



ご覧のとおり、折り返し銘にて長曽祢虎徹入道興里。



ウブの目釘穴から鑑みて、元は2尺4寸前後。



記録にある桂小五郎の愛刀「鶴丸」と、特徴が一致!まさに、桂小五郎が島津斉彬公から拝領した鶴丸そのものと思われます。
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宮城県女川町:震災地の今

2016-09-23 03:24:29 | 徒然刀剣紀行
私が工芸家として積極的に活動を開始したのは他でもありません、東日本大震災がきっかけです。

子供の頃からものづくりに携わることを夢見て、20代前半で刀剣修復の修行を終えたものの(2001年独立)、あの日がくるまでは心のどこかで「廃れ往く伝統工芸の世界だけで食べていくことなど到底出来ない」と、どこか手を動かす仕事を軽視していたことも事実でした。

それまで家業と割り切っていた刀剣職人と製薬業界での技術職(臨床開発職)の二足の草鞋で活動し、新しい伝統工芸職人のあり方を模索していましたが、あの日を境に自分の中で何かが変わり、今出来ること・今しか出来ないことで社会に貢献したいと猛烈に思い立って、周囲の反対を押し切り刀剣職人に専念しました。
当然、安定した収入のない職人の世界です、生活は厳しくなりながらも好きな事を仕事にできる幸せと、朽ち果てる定めの刀剣類を一振りまた一振りと後世に残すお手伝いが出来る遣り甲斐で、この仕事を続けていく意義とありがたさを痛感しています。

そして、私の背中を押してくれた未曾有の大震災の復興イベントにお声がかかる度に、居ても立ってもいられず積極的に参加することにしています。2014年のインドネシア、2016年のインド、これらは全て東日本大震災への国際支援のお礼に繋がるイベントです。
そしてこの度、女川町にて居合演武をさせて頂く機会を頂戴しましたのでご報告いたします。

前振りが長くなりましたが、現在の女川町です。



美しい入り江には、震災の記憶を思わせるものはほとんど残っていません。



どこまでも静かな海面を海風が渡っていきます。



今回のイベントは、「ナマステ・インディア」という日本最大のインドの祭典のプレイベントとして、女川町で毎年開催されている「ナマステ・インディアin女川町」です。



インドに伝わるタンタという武道を基にした殺陣が、来日中のマニプリ舞踊団によって披露されました。



インドの剣術タンタに対して日本の居合を、鎮魂の祈りと復興への願いを込めて演武させて頂きました。



他にも、インドの伝統音楽の演奏会や伝統舞踊などが、披露されました。



皆さんボランティアにて日本中から駆けつけ、素晴らしいご活躍でした!



地元に伝わる伝統芸能も紹介され、大変魅力的でした!



帰り際に、真新しい防波堤が見えましたが、この風景を一変させる大きな津波が襲ったとは、とても想像できませんでした。



今年は九州でも大きな地震が発生したことから、現在お預かりしている熊本の御刀の修復のために鎌倉の歴史ツアーを開催し、参加者様のご了承のもと参加費用を被災地の復興の願いを込めて工作代に当てさせて頂いています。

この先震災の記憶はどんどん風化していくと思いますが、被災地への祈りやご支援の活動を継続して頂くことが、真の復興への原動力に繋がると思います。
世界中から震災をなくすことは出来ませんが、備えることと復興のために協力することは、絶対に必要だと改めて感じました。
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