徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

脇差の再生(修復と再現の間)

2017-10-08 02:43:47 | 拵工作
室町期の刀身と付属の江戸期の刀装の修復が完了しました!



今回は、刀剣愛好初心の方からのご依頼です。そのため、刀剣がただの刃物の延長線上にある作品ではない!ということを体感して頂けるように、日本刀が歴史そのものを実体化した文化的存在であることを紹介していきたいと思います。
この度の修復で特に意識的に力を入れたことは、作刀時の雰囲気を再現することに重きを置きました!



柄前にいたっては、棒柄状の柄下地を廃して下地から新たにおこしました。付属の鞘(北国の作域を感じますが定かではありません)の形状を殺さない様に、極限まで鍔元から柄成りに動きを付加し、使用時(戦闘時?)の刀身と柄前への負荷、使用者の疲労感を逃がすための加工を施しました。

この刀身は、室町時代に一大生産地として繁栄を誇った三原の地で作られた実用刀です。今日古刀というと、どうしても五ヶ伝を始めに想像してしまいますが、それはあくまで便宜上定められた統計学的な分類分けであって、当時の日本には思考や言語、文化や刀剣の用途に至るまで、大きな地域差があったと考えられます。

苦労した点は、鞘の鯉口の径よりも、若干柄縁の外径の方が大きいことから、据わりをよく見せる為に四苦八苦したこと。また、目貫があとから手元に届いたため、想像していたイメージが崩れてしまって、何度か調整を余儀なくされたことです。(後から設計の変更が加わると、刀剣のバランスを崩す可能性があるので、極力避けたい工作です。柄下地製作時の記事はこちら(ameba-blog:柄前の作り替え)。)



付属の外装は、江戸期の道中脇差の様な一般的な作り込みです。この手の刀装は、戦国期の本歌拵えに見られるような戦闘上の工夫や機能性を持っておらず、日常生活に支障をきたさないような作り方に終始しています。ある意味職方の用途への配慮を感じますが、今回目指す設計とはかけ離れています。

今回は、「戦国期の片手打ちの外装は、このような作り込みであっただろう」という考証に重点を置いています。



もちろん刀装の据わり感だけを調節したのではなく、抜刀時に鞘を払った状態での雰囲気にも配慮して研ぎ方を何度か変更しました。当初は、菖蒲造りの刀身に掟通りの鑑賞研摩を行いましたが、鋭利感をより強調するために肌を抑えて地を沈め、横手を切ることで武器感?を強めました。



刀身研摩時の記事へはこちら(ameba-blog:伸びごころの切先について)

私は、刀剣の命はトータルバランスにあると考えていますが、今回も設計段階から目指す表情を定めることで、前出の通り時代考証に努めつつ実用の美が表現できる様に努めました。

追記:柄前作り替え時に、アンバランスな鍔を小さめの鍔(+責め金加工)に変更し、バランスを調整しました。

後はお祓いを済ませて、納品するのみです!

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