来し方春秋

市井の人々との来し方をめぐって

あと二日

2008-12-29 19:00:22 | 雑感
今年も無事仕事納めを迎えることができた。振り返るに、飛び抜けてよかったことはなかったが、新しい人との出会いがあり、新しい試みも幾つかあったことで、良い一年だった。反省することは、それが数字となって表れなかったこと。来年は目標を明確にしよう。特に数字で示そうと思う。

ということで、今年のあと二日は、新年の目標設定、行動計画などを考えよう。年賀状も例年より二日も早く投函したし、大掃除も、日頃まあまあキレイにしているので、大したことはない。今年最後の掃除をしながら、あれこれ頭を巡らせてみるのもいいだろう。

昨日の夜、新しい手帳に、現在決まっているスケジュールを書き込み、必須な電話番号を写し終えた。仕事の内容が多いが、プライベートに毎年書き入れるのは両親と祖父の命日だ。その日が来たからといって何をするわけでもないが、今日は母の命日か、と少し思いを馳せる。今の私は日常の中で、そんなことしかできない。

亡き人たちにはその程度だが、一方、甥とその家族(妻と二人の子供)の誕生日も忘れずに書き込む。そして何よりも楽しみにして、お祝をする。生きているってことは、こういうことなのだ……。きっと両親も一緒に祝ってくれているはずと勝手に思っている。

新しい年も、希望と目標に向かって、明るく過ごしたい。

悲しい別れの処方せん

2008-12-15 20:34:28 | 証し
年賀ハガキの投函がはじまった。私はまだ年賀状を買い求めてもいない。毎年のパターンだが、年賀状を書いて投函するのは、30日、ないし31日である。皆さんには、果たして新年のいつ届いているのか確かめたことはないが、元旦には届いていないだろうなぁ‥‥。

今年も喪中のハガキが3通届いた。2通は同級生から。一方は父親、一方は母親が亡くなったという内容で、共に90歳を超えておられた。残る1通も、90歳を超えられた御母堂様の喪中であった。

私にも、今年の春先、親戚の2人との悲しい別れがあった。今月に入っては、思ってもみなかった方が突然お亡くなりになってしまった。これは、ショックであった。

多くの人様と面識を得れば得るほど、また別れも多くなる。これは、辛いことである。知らなければ悲しまないですむ。ショックも受けなくてすむ。でも、知り合ってしまった……。自分は幾つまで生きられるかわからないが、この先も、多くの人様との別れがある、と思うと、憂鬱になる。少し考え過ぎだろうが。

昨日のTV大河ドラマ「篤姫」最終回で、人の死はまた会うための別れである、ようなことを云っていた。なんとロマンチックな発想だろうか、そう思うと、救われる気がする……。

今日は、私よりもっともっと悲しい別れを体験していらっしゃる92歳の戦争体験をされた方にお会いしてきた。お話の中から、強い生命力と、それを司る精神力がひしひしと感じられた。何年もの歳月をかけて、別れの悲しさ、辛さ、不条理さをすべて我が身の中に引受けて、毎日その人々の冥福をお祈りしているという。

その人の存在をいつまでも自分の中で忘れないこと、そんな自分なりの、悲しい別れの処方せんを見つけられたような気がしている。