新年最初の自分史教室が開かれた。出席率は57%とやや悪い。が、最高齢の方は今年米寿の88歳。早生まれで今年80歳になられる方もいらっしゃる。
それぞれ元気に自分史教室に通ってこられる秘訣について雑談したが、何よりも自分の身体をご存知だ。高齢になれば当然起きる、心も身体もいうことを聞かなくなる状態をとっくに越えて、超然とご自身と付き合っている。その完璧なること、一つの芸である。
私の分析するところでは、自分史を書くために全身全霊を記憶の呼び戻しに傾注するとき、前頭葉はフル回転して思考し、脳が活性化されるからであろう。脳の活性化というより、新しい細胞が創られているようにも思う。
今年も、機智に富んだ生き様をお持ちのメンバーに、若輩の私は、目からウロコ状態で、いっぱい教えられることだろう。
遠い昔、私の祖父が食卓で、ご飯のおかわりを母に出すとき、もう一口お願い、といい、母が一口より余分に盛った茶碗を差し出すと、もうこれくらい落としてくれ、と指で小さな円を作って母に戻していた。私は、そのくらいなら食べちゃへばいいのに、といつも思った。
今の私にも、そういうことがある。残りの一口が食べ過ぎになるのだ。苦しくて、その一口が何十倍にもなって胃にのしかかって来る。その限界のところ、ここまでよという加減が、時々失敗もするが、分かるようになった。祖父の〝もう一口〟へのこだわりが、今なら、尊敬を持って分かる。
それぞれ元気に自分史教室に通ってこられる秘訣について雑談したが、何よりも自分の身体をご存知だ。高齢になれば当然起きる、心も身体もいうことを聞かなくなる状態をとっくに越えて、超然とご自身と付き合っている。その完璧なること、一つの芸である。
私の分析するところでは、自分史を書くために全身全霊を記憶の呼び戻しに傾注するとき、前頭葉はフル回転して思考し、脳が活性化されるからであろう。脳の活性化というより、新しい細胞が創られているようにも思う。
今年も、機智に富んだ生き様をお持ちのメンバーに、若輩の私は、目からウロコ状態で、いっぱい教えられることだろう。
遠い昔、私の祖父が食卓で、ご飯のおかわりを母に出すとき、もう一口お願い、といい、母が一口より余分に盛った茶碗を差し出すと、もうこれくらい落としてくれ、と指で小さな円を作って母に戻していた。私は、そのくらいなら食べちゃへばいいのに、といつも思った。
今の私にも、そういうことがある。残りの一口が食べ過ぎになるのだ。苦しくて、その一口が何十倍にもなって胃にのしかかって来る。その限界のところ、ここまでよという加減が、時々失敗もするが、分かるようになった。祖父の〝もう一口〟へのこだわりが、今なら、尊敬を持って分かる。